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「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

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新世代の複合動詞たちがイケ散らかしている・ありえんやばいWeb使用例列挙

2020-06-07 | にほんごトピック

ありえんやばい
好き止まらん
意味わからんすぎる
賞味期限過ぎすぎ
教えろください
ほしいしろ
山程あるエモい説あるエモい
ふとましい言わない
イケ散らかして
有難うましゅめる
うらやまけしからん
天然ボケにもほどがありやがるです
美味しゅうございます
おバズりあそばしてる
尊いしんどい

おまけ例:
違和感仕事しろ: 抽象概念に仕事しろというのが面白い
ぬっころす:   促音形複合動詞


…以上がWebから集めてきた、または以前から耳にする複合動詞のなかで面白いと思ったものたちであります。
複合動詞というか、複合形容詞であったりだとか、わざとちぐはぐな(教えろください)みたいな組み合わせが独特の効果を生んでいるのもあります。
こちらの方は動詞の複合というよりも、もとは別々であったパーツ2つの性急な動詞重ねの連結が結果としてひとつの連語的な複合動詞に見えなくもない一体性を獲得している様相を呈しているように見受けられます。
何かの叙述を逐次的に言い表した複文とひとつの複合動詞として一体句を形成しているのとの境界にあるようなユニークな例だと思います。

一般に、複合動詞には語彙的複合動詞と統語的複合動詞とがありますがこういった例は継次的複合動詞?立て続け複合動詞?とでもいうのでしょうか、なかなかに新しい立ち位置の複合動詞が認められつつあるかと思いますが皆様いかがでしょうか。

ところでちょっと関連薄いのかもしれませんが昨今使われる「--みある」みたいに助詞省略の一体句を作りたがる傾向が、「ある」「深い」みたいに強い叙述パーツとの結合で助詞抜き連結がみられるだけでなくて、
言い換えると[体言-用言]のパターンだけでなく[用言-用言]のパターンにも強い連結を試みてみよう、という潮流を感じる現象ですねこれは。

 

<2020.12/11追記事を投稿しました>

イケ散らかす派生形ほか/複合動詞ひとりごちる/ぴえんもあるよ - P突堤2

第2弾記事です。良かったらこちらものぞいてみてくださいね。

 

 

 

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コロナ禍で耳目を集めた「禍」という接尾辞のつく語例を列挙

2020-05-23 | にほんごトピック

基本系:凶禍・災禍・大禍・惨禍・戦禍・黄禍・殃禍・兵禍・患禍
うかつ系:筆禍・舌禍・SNS禍・訴訟禍
疫病系:インフル禍・ウイルス禍・ペスト禍・SARS禍・疫病禍・エイズ禍・COVID19禍・コレラ禍・口蹄疫禍・感染症禍・新型肺炎禍
公害系:アスベスト禍・原発禍・放射能禍・チッソ禍・サリドマイド禍・六価クロム禍・農薬禍
自然災害系:豪雨禍・台風禍・地震禍・氷雪禍・水禍・イナゴ禍
賭博麻薬黒社会系:コカイン禍・ドラッグ禍・薬物禍・闇営業禍・ギャンブル禍・覚醒剤禍
薬害/医療系:ワクチン禍・予防接種禍・ステロイド軟膏禍・薬禍・ジフテリア禍
インフラ/交通系:輪禍・情報禍・デマ禍・交通禍
経済/社会系:金融巨禍・リストラ禍・サブプライム禍・グローバル禍・赤禍・ポリコレ禍・自粛禍・行政禍・経済禍
文化創作物:文字禍(中島敦)・鬱屈禍(太宰治)・スパゲティ禍(藤野可織)・緣份惹的禍(安東陽)・恐怖実話 狂禍(渋川紀秀)
メタ系:二重禍


脱線番外編創作:人事禍・システム禍・報恩禍・筋トレ禍・在宅禍・ゲーム禍・リテラシー禍・配信禍・広告禍・生活音禍・成金禍・姉妹禍・ネット私刑禍
ヒアリ禍・悪臭禍・悪習禍・合理主義禍・ポピュリズム禍・受験禍・贈答禍・年末禍・駆け込み禍・転売禍・チケット禍・美談禍・隠蔽禍・毒親禍・個人情報禍


--以上各系統別にわけてまとめてみましたが如何であったでしょうか?
最後のお遊びはちょっと悪乗りしてありもしない創作造語をつらつらと並べてみましたが、この「禍」という接辞はなかなか喚起力があって字面からもインパクトのあるものが生み出されやすい効果があると思います。

ペンタクラスタキーボードを標榜するこのブログでは、属性によって使い分ける複数の変換確定キー「三属性変換」キーというのがありまして、接頭辞・接尾辞を含む語の変換は「変換ハ(ハ万)」のキーでこれをおこなっていますので、
SNS禍にしても二重禍にしても接辞変換からこれを出すのですが、「か」には頻出の接辞「化」がすでにありますのでこちらの「禍」のほうの変換候補提示順位は次点以降、あるいはもっと下位にあるかと思われます。(他にも頻出の「可」や「課」がありますので)
しかし「化」は三属性変換の叙述・様態・用言を受け持つ属性ロ(ロ万)も兼任しているのでロ万一押しからだけでも出すことができます。あとは頻度も高そうですので通常変換においても標準時「か」で終わる語句は「化」になるというのが順当でありましょう。
ですので狙った接辞のものをピンポイントで出したいときには過去記事-属性選択の遷移過程を反映した変換候補のリオーダリング - P突堤2でも解説していた三属性変換キーを渡り歩くことで目的の性質の語を絞っていく便利なインターフェイスを活用して頂ければよいな、と思っております。
もちろん学習なしのまっさらな状態で「--禍」の文字列を通常変換のみから候補提示するというのは困難かと思われますが、初回の学習プロセスにおいて
・「ころなか」をチャンク選択して[三属性変換:ハ万]を押下する(ハ万は接辞全般を受け持つ三属性)
・コロナ化、コロナ価、コロナ課 などなにやら接辞がらみしそうなワード群はハ万候補提示ウインドウに表示されてはいるがマイナーな「禍」を出すには下位候補まで降りるのがメンドくさいしもっと絞り込みたい
・そこで[ハ万]押下にさらにダメ押しで[三属性変換:イ万]を押下する(イ万は名詞を受け持つ三属性)
・ここまですれば「接辞がらみのハ万」「名詞属性のイ万」両方の条件を満たす接辞「禍」がピンポイントで上位に上がってくる

…といった算段で記憶・登録していき前後の用例とともに学習していけば二回目以降の変換では困らないはずです。「--禍」が名詞をあらわす概念であるとは必ずしも言い切れないのではありますが、「コロナ禍で岐路に立つ日本」「コロナ禍の反動か」「コロナ禍が経済に与える影響」などのように用例をみますと格関係を形成しているものがほとんどでありますしまず名詞使いと言っても差し支えないかと思います。
他方「コロナ化」のほうは動詞化させる接辞であるので属性ロ(ロ万)、残りの「コロナ価」「コロナ課」に関しては名詞属性(イ万)にいっちょ噛みさせてやりたい気持ちは山々ですが単位的であったり組織のセクション名であったりというような接辞は専ら[属性ハ:ハ万]専業で受け持ち兼務兼任をしないという方針ですのでハ万での上位をこれらが占めてしまうのは致し方のない事だと思われます。
幸いなことにペンタクラスタキーボードでは「三属性変換」の他に「でにをは別口入力」というのがありまして「か」も御多分に漏れず助詞マーキングとして文中に配置できますのでこれまで散々悩まされてきた「か」まわりの誤変換とは無縁であります。
「か」に関してはあとは語彙複合語/接辞複合語にだけ注意して選択提示していけば当面のところは用を足せるかとは思います。(まあ動詞の活用の途中で末尾「か」が出てくるということは考えづらいですしチャンクは常に別口入力で分離化されていますので困りそうなところと言えば助詞抜きで接続する副詞位のものでしょうか)

いずれにしましても、○「思い出深い」と×「重いデブかい」を正しく使い分けるインターフェイスはまだ確立できてはいませんので、今後の課題としていきたいかと思います。
「か」はこのトピック一点からして察する通り、なかなかリテラルの勘所となるような重要な文字列であることがわかりました。
中島敦の「文字禍」は今度機会があったら読んでみたいと思います。

 

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フォース フレンズ ギガが減る…何の比喩?

2019-12-30 | にほんごトピック

「フォースと共にあらんことを」の名フレーズも際立つ映画スターウォーズシリーズも遂に完結を迎えることになりましたが、この「フォース」という言葉の使い方が実に面白い。
フォースは額面通りに受け取るならば意味は「力」とか「強さ」でありますが、ここからエッセンスを利かせてジェダイや主要なキャラクターが発現する超能力として新たに意味づけされた固有の語としてもまた確立され、フィクションならではの面白い造語ですね。
このような一般語から固有語に昇華した言葉の例をいろいろ探してみたのですが、アニメ「けものフレンズ」で使われた「フレンズ」という言葉も本来の「友達」という一般概念から特殊化されて
擬人化されたアニマルガール、または「君って○○の得意なフレンズなんだね!」みたいに「その類の人」という固有の背景を持った語に主軸化しています。
あとは適用範囲に入るかどうかちょっと自信がないのですが皆川亮二のマンガ作品「ARMS」における金属生命体「ARMS」や「僕のヒーローアカデミア」に出てくる「ヴィラン連合」(ヴィランは文字通り"悪役"の意味)などもその類のものかもしれません。
これらは何らかの比喩には間違いはないのですがカテゴライズがよくわからないので仮に『偉力喩』とでも名付けておきます。

「永田町に激震が走る」こちらも有名な比喩ですが永田町自体が揺れているのではなく永田町=国会が紛糾しているさまを表現したレトリックであり単に地名をあらわしているのではない、隣接性と背景代表性の引き受けの構造をもつ「換喩」(メトニミー)と呼ばれる手法です。
にぎやかしの偽客「サクラを雇う」こちらのほうは桜がパッと咲いてサッと散ることに掛けたものということなので転義と類似性を纏った隠喩(メタファー)の一種ではないでしょうか。江戸時代ごろから使われていた慣用表現ですね。
これらは先程のフォースやフレンズと性質の似た観点ではあるかと思いますが、隣接や類似ともまた違った、ありふれた語に対してより上位の背景強化を担わせている点で偉力喩には特筆すべきものがあるかと思います。

面白い比喩はまだまだ…こんなのもあります。
「立派なギャランドゥをお持ちで」これは男性の下腹部の体毛をワイルドセクシーに言い表した言葉ですが比喩的に面白い点はと言えばもともとギャランドゥは曲名だったことを考えると換喩にしてはカテゴリの跳躍のインパクトがより強い…この一言に尽きるかと思います。
こちらも先述の例に倣って呼称するとすれば『見立て喩』とでも言いますか、湧き出るイメージ喚起力も巧みなこの表現はタイトル作詞こそもんたよしのり氏であるものの、体毛の濃いさまをあらわす表現として定着させていったのはオールナイトニッポンでの松任谷由実(ユーミン)が起源となっているのは有名な話であります。

これと似たようなものでお笑い番組「日曜芸人」からの一コマで「俺元日にディシジョンしてきた」(オードリー若林)という確信犯的に曲解した『誤読喩』というのもあります。(ちょい下ネタですいません)
もちろんディシジョンは「決定・決断」の意のビジネス用語ですがこれを門外漢のお笑い芸人が訳知り顔でニヤつきながら誤読する…という趣向です。比喩は言葉巧みなお笑い芸人の手にかかると予想外の使われ方まで飛び出してくるものですからその可能性に逆に感心してしまいます。

下ネタついでにもう一つ例を出すと「俺の股間のロドリゲス…」というのもよくある下世話な卑語かと思いきやこれは独立して『股間喩』というカテゴリを新たに作っても良いほど特殊な構造をもった比喩といってもいいかもしれません。
そのココロはズバリ「身体性の二重構造を利用した比喩」という着眼点です。股間は単に一部分なのかあるいは身体の主体そしてその源泉でもあるのか、隣接と一体の狭間にある不思議な存在としての効果。この構造は股間だけが持つユニークな二重性であります。
股間のマグナムとか股間のやじろべえとかだけではなくなんなら「俺の股間のデオキシリボ核酸が黙っちゃいないぜ」みたいなことももちろん可能でありながらそこに収まる言葉は何でも良いというのではなくやはり股間の比喩に足るなんらかのシンボル性を帯びたものだけが選ばれます。
換言すればそこに入る言葉には「何らかの人格性が宿る」という稀有な言語現象が潜んでいると思うのです。悪乗りしているつもりはなく至って真面目に力説したい比喩表現であります。

さて話は変わって昨今のIT通信社会が花開く時代において度々聞くようになってきた奇妙なフレーズ、「ギガが減る」…こちらについても違和感の元は何なのか異論各論あるかもしれませんが
当ブログなりに言葉の機能と語彙の地平からのまなざしで腑に落ちる顛末を読み解いていこうかと思います。
よく言われるのはギガは計量単位ではなくて、「単位の接頭語」なのでそこが変なのでは?という指摘です。
しかし私たちは「3キロ太った」みたいに「単位の接頭語=キロ」を当たり前のように使っています。なのでこれを覆す根本説明にはたどり着けそうもありません。まだ定着途上なので時間が経てば不自然さを感じなくなる、という言い訳も可能だからです。
もっとも「匹が揃う」「専を紐解く」「だらけが激しい」「ぶりが長い」「越しが近い」みたいな表現はちょっとあやしいですし、
「か細い」を念頭に置いて「か」が僅かすぎるよ
「御仏」を念頭に置いて「み」が尊すぎるよ…みたいなものはマザーグースの言葉遊びでもあるまいしあまり常用すると面喰ってしまうようなパラノイア的な色彩がにじみ出てきてしまいます。
要するに本来「そこに着目して文法展開する類の語ではない」成分をわざわざ言っている違和感があるのでしょう。
当記事ではここまで比喩をテーマに話を進めてきたのですが、ひょっとするとこれは比喩ではなく「短縮表現」を使った物言いであることに気づきました。おそらく、でありますが。
一昔前まではギガというのはゲームソフトのメディア容量(メガ時代からの延長)やHDDストレージ容量・メモリの容量であるとかのことを言い習わしてきた表現で、そのプロセスは増設・増量とという右肩上がりの積み上げともに歩んできていました。
そこへきてスマホが爆発的に普及して目下の悩みがモバイルの従量課金にとって代わるようになると「ギガ」を指す文脈が「増えるもの」から「減るもの」へと突然様変わりしてしまったギャップが生まれてきているまさに途上にあるところに私たちは立っているのです。
今ではauのデジラアプリのように残データ容量:残り何ギガかを確認できるアプリを活用していますし、コンビニでは(減った)データ容量をチャージできるデータカードが購入できるようになっています。
そこのところをひとくちに説明しようとするときに便利な言葉として我々はその背景をいちいち説明するのを端折って「ギガが減る」で済ませているのです。
これは「残量が減少していくところの通信料の…何ギガバイトのギガという接頭語の…いろいろ説明するのは面倒だからざっくりとそのギガを解釈してもらうとして…」のギガであり、もちろんこの文面の文字数をカウント的に縮約する意味での数的短縮でもありますが
文字数だけでなく先程話したギャップの共通認識を言外で背景理解しているとの前提を織り込んだ文脈的縮約も兼ねている…私たちが代数や方程式で何かわからないものをXとおいてとりあえず話を進める…例えるならそんなシンボル操作が含まれているハイコンテキストな到達点として「ギガが減る」についに行きついたのだと言えるでしょう。

ここまで無駄にあれこれ書き連ねてしまったのですが、要するにアレです、日本国憲法12条にでてくる「公共の福祉」というのと根は同じです。
憲法は人々の人権を守りますが、権利は好き勝手に行使しても良いのではなく他人の権利を侵害しない範囲でね…、また社会全体のためにこれを利用する責任を負うのですよ。ということを効率的に説明するために「公共の福祉」という言葉を援用している好例ですね。
つまり「ギガが減る」も「公共の福祉」というのもつまるところは「言語的代数」の導入ということで結論づけたいかと思います。

今回の記事は比喩と代数についていろいろ考察してみました。皆様の年始の暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。良い新年をお過ごしください。

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「難産」「達筆」に続き「能弁」「慧眼」「剛腕」「健脚」も同じ仲間かも

2019-04-05 | にほんごトピック
以前の記事
「難産」と「達筆」の特性のわずかな違い - P突堤2
において

<ねじれを感じさせる名詞述語文>という考察にもとづいて
・ヒトはなぜ難産なのか   (ヒトそのもの≠難産(というお産の様子))
・父は達筆だ   (父自体≠達筆(というスキル))

のようにAとBが等価のモノではなく対象の側面の<性質、能力、醸し出し>などの一種の属性を包含しているような構造の言葉「難産」「達筆」について論じてきましたが、
その後思い出しながら考えを巡らせていたら、その「お仲間」となりそうな言葉を4つ5つ、見つけましたので追加でメモしておきたいと思います。
思いつきなので大した考察はなく、結果をまず列挙しておくことにします。その例とは

「能弁」…大統領は能弁だ
「慧眼」…ベンゲルは慧眼? 節穴?
「剛腕」…良くも悪くも原は剛腕やな
「健脚」…江戸時代の人は健脚であった

の4つです。
能弁には「今夜はなかなか能弁だね」みたいに人物ではなく時を主語にもってくる例もあり単にねじれの典型としての用法以外にも様々な使われ方があるようです。
慧眼にも「監督の慧眼」みたいに「の」を挟んだ連体格としての用法の方がありこちらのほうがどちらかというと一般的です。
剛腕・健脚には健脚自慢・剛腕ぶり・剛腕さ加減などのように接尾辞と結びつく例も多々見られたり、健脚を活かして…のように叙述成分でなく主部やあるいは起点部的な成分として機能することもあります。
とりあえずざっと言えそうなのはこれくらいで、あと重要な点として×能弁する、×慧眼された、みたいなサ変動詞(やその受身形)への接続はないということが特徴です。

最後に候補に入れるかどうか境界線上で迷ったものも挙げていきます。

「恵体(めぐたい)」…恵まれた体の短縮形
「白眉」…すぐれた者たち(多人数)の中からもっとも優れたもの:人を評するときに使う
「大胆」…肝が大きいという文字通りの意味とは少し違うようだ
「無口」…無とか不とか接頭辞まで形成構造に入れてしまうと少し視点がずれてしまう

なので典型的なねじれのモノの言葉とはひと口に言い切れない諸事情も絡んでくるのでこちらは参考候補とさせていただきます。


以上、補足程度の小ネタですが今回はここまでです。
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「難産」と「達筆」の特性のわずかな違い

2018-12-14 | にほんごトピック
先月の記事の文末名詞文においての名詞は連体修飾部を巻き込んでの一体化した叙述でした。たとえばこの文のように
・(例1)私はこの問題を徹底的に追及する決心です。
では、これまでのように 私=決心 と等価にはなっていないということを申し上げてきましたが、
別の角度でいいますと、もともとの文として・(例2)「私はこの問題を徹底的に追及する決心をしております。」
というのがあって、ここの「決心をする」のように「する」自体にはあまり内容的なものはなく「決心」という実質的な意味を携えてひとまとまりで機能する「機能動詞結合あるいは機能動詞表現」というのが短縮化された結果として「決心です」と文末名詞化したものであります。
このように(村木新次郎1980)は「実質的な意味を名詞にあずけて、みずからは文法的な機能をはたしている動詞」を「機能動詞」名付けています。
機能動詞結合と文末名詞との対応は以下のようにたくさんあります。
~思いがする/~思いだ
~立場をとる/~立場だ
~感じがする/~感じだ
~気配がうかがえる/~気配だ

…このへんの記述は(「日本語の名詞指向性の研究」新屋映子より)からの引用でありますが、この「~がする」「~がうかがえる」などのまどろっこしい部分をすぱっと切り捨てて名詞に集約してしまったというわけです。
(新屋氏は「動詞句の動詞性が捨象されてコピュラ化したとみなされ得るが、形態上の相違がそれぞれの独自性をもたらしている」と結んでいます)


さて話は少し細かいところになりますが、上記のような文末名詞文のように連体修飾部を先行せずとも単に名詞述語文でありながら構文上の「ねじれ」を感じさせる文章(名詞)がいくつか見つかったのでメモしておきます。

<ねじれを感じさせる名詞述語文>
・ヒトはなぜ難産なのか
・カッパのカパル君は全国区だ

これらもまた ヒトそのもの=難産という状態というわけではなくて、ヒトというもの(種の性質として)一般化して難産だ、といっているだけでこれは名詞述語の問題というよりも主語の主題性が酌まれているだけに過ぎないという見方もあるかもしれませんが
文末名詞の意味的分類の中に性格、性質、たち などのように「述部が主語で表わされたものの属性を述べるもの」というものがありお産形態も一種の性質でもあることからこの文の述語としての名詞にも同じねじれが内包されているように思えるのです。
ただこれと同類かと思える次のような文も主語の設定いかんでは主題の一般化と捉えるのが適切ではないかと思えるものもあり、なかなか見極めが難しいところです。
・任天堂は激務だ
・IT業界は激務だ
・相楽課長は激務だ
この中で明らかにねじれがあると感じるのは相楽課長が主語の文で、より限定化された個人であることから主題一般化のものではない構文で名詞述語にかかっているものだといえます。
他の二つはやや一般化の度合いが強いと思いますが私の見識程度では具体的なところはわかりません。

そしてカパル君の「全国区」についても カパル君=全国区という区割り区分 ではないのはわかりますが全国区という事で代表して「広く知られている」という様態を表すというのは認知言語学で言う「メトニミー」というレトリックが援用されている例だともいえると思います。
メトニミーとは換喩とも訳され、「ある物を言い表わす場合に、その物の属性や、それに関連の深い物をもって言い換えて、その本体の物を表わす方法。」
 (引用リンク)換喩(かんゆ)とは - コトバンク
だと解説されます。
全国区については「(地方区に対し)全国が選挙区であるその選挙区。比喩的に、全国に名が通っていること。」(google検索)
との解説がありますが、同じメトニミーでも「ごはん」「永田町」「赤ずきん」のように全体包含や特徴を代表させた比喩というよりは「全国区で知られるくらい有名」という一連の概念フレーズを短縮的に集約させたタイプのものであるかと推測します。
私が単純な名詞述語文にはない構文的なねじれの違和感を「全国区」感じる一端には、もしかしたらメトニミーなどの比喩の作用が関係しているのかもしれません。
関連事項としてメトニミーとは違いますが、「ようかんの薄切り」「追っかけ」「鯉の洗い」などの料理・人物をあらわす言葉も動詞連用形由来の転成名詞ではありますが、これらが"名詞として立っている"のも他の動詞の語彙関係から見ても突出した特徴であるので、
これは愚見ではありますが「薄く切ったもの」「追っかけている人」を短く短縮したのみならず、品詞の転換という点についての「跳躍を短縮化して名詞然としている」という品詞間の機能喩としてはたらいているのではないかという仮説もあります。
(比喩の喩には「たとえる」という意味だけではなく「さとらせる」というニュアンスもあるのでこの造語を使いました)

ちょっと「全国区」はメトニミーの一種だと考えると、最初にあげた「難産」とはまた傍流の議論となってしまいそうなので話を「難産」の様なねじれのある同様の言葉はないかとメモを漁ってみたところ、
最終的に「達筆」という語がそれに匹敵するのではないかとの事になりました。
・父は達筆だ
これも等値関係で考えると 父=達筆(というスキル) そのものではなく、達筆というものが人属性の性質の一環という側面からとりあげられているので「難産」と似たような構図になるかと思います。
先程の「ヒト」=「難産」というときの「ヒト」が主題をあらわして話題の導入という機能があるじゃないか、ヒトという種というもの全体を論じているのじゃなかろうかという意見もあるかと思いますが、仮にこれを
・お坊さんは達筆だ
という文に言い換えたとしてもねじれの構造には影響しません。

あとは中国語由来の熟語構成の造語法の構造から見てみますと
難、達 = 程度が著しい
産、筆 = 対象の行為(あるいは象徴)
のようになっており、激務とともに同じような構造になっているのがわかります。
ただし「達筆」の筆は行為そのものではなくて行為のシンボル(筆)となっておりこのような言い替えも広く行為のうちに解釈できるものとは思います。
ただ文に下したとき「激務」の場合は主題の取り方にばらつきがみられるので見極め困難ということで敬遠しましたが
「ヒト」の場合はヒト個人個人を表しているのではなくてこのカタカナの「ヒト」という表記の場合、種としての人を指す概念語であるのは明白なので主題の見極め困難という問題は生じ得ないと考えます。(昨日来なかったヒト…のように表記上の便宜として書かれることはあります)

もうちょっと深掘りして、前後のコロケーションを考えると、
難産 … 二人目は難産(カウント概念)、思った以上に難産(無主語構文)、今回の記事は難産(メタファー)
達筆 … 達筆ぶり(機能的接尾辞)、達筆で書かれていた(副詞)、達筆すぎて(過ぎるとの共起)、達筆さ(形容詞の名詞化接尾辞)

う~ん、似ているようで絞ったこの単語でしたが、それでもこんなにも違いがあるとは驚きです。
コロケーションのほうの詳しい解説までには至れませんでしたが折がありましたら今後触れてみたいかと思います。

最後に、メトニミーについての非常に分かりやすい解説が載っていたWEB記事を見つけましたので貼っておきたいと思います。

メトニミー ; 「宅急便を装って」 日本語と英語をつなぐ/ウェブリブログ

学習中でまとまりのない記事でしたがお付き合いいただきありがとうございました。
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