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ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

ベリーダンスにヨガ、深層美容術、トータルであなたの人生をサポートします。新しい自分を再発見してみませんか。

せっちゃんのベリーダンスその2

2009-12-04 21:43:35 | 健康づくりスタジオ『ぱわふるマドンナ』
 私がベリーダンスに出会えたのは、”アムネスティー”という人権擁護の世界組織のメンバーとして、わずかな活動をしていたので、外国の人や、お医者様、弁護士などいろいろな職業の人と知り合い、その中のアメリカ人の女性が同じアメリカ人のフランチェスカ先生を私に紹介してくれたのです。フランチェスカ先生は今も有名なスーパースターズのジリーナ先生の弟子で、そのジリーナ先生のもとで、鍛えたフランチェスカ先生はすばらしい先生でした。そのフランチェスカ先生は英語の仕事で日本に来ていたのですが、教えるところを探していたのです。そして私のスタジオでベリーダンス教室が始まりました。最初はフランチェスカ先生とやはりアメリカ人のエンジェラと3人であちこちで踊りました。身長が3人とも165センチ、髪の色が赤と、黒と、金色で最初から3人とも髪が長く、とてもすてきな舞踊団でした。もちろんフランチェスカ先生の指導のもと、衣装を作ったり、上州夏祭り、高崎国際交流祭り、私のエアロビで行っていた病院にも3人で行って踊りました。後で写真をお見せします。私が初めて先生に教えて頂いて作った衣装もご紹介しますね。
エジブトの古典模様の生地でした。スカートはサイド両方スリットで、胸の部分はコインを丁寧にすべてにつけ、埋め尽くしました。そして透き通った生地で袖を作り背中は短く前はその胸のコインを見せるように、胸の下でマジックテープで3センチくらいの幅で重ねて前でとめました。そしてヒップスカーフを巻きました。最初の衣装って懐かしいですね。上州夏祭りで踊った時フランチェスカ先生が、頭に巻く、きらきらしたターバンのようなものを貸して下さいました。とてもきれいでした。

12月23日は伊香保

2009-12-04 20:12:32 | インフォメーション
 伊香保温泉松本楼にて、和太鼓3兄弟”はやと”のみなさんと2回目の共演です。去年、御船をもっている裕福な方々の避暑地”佐島マリーナ”での夏祭りで、はやとの皆さんと御一緒させてただきました。”はやと”の皆さんは、国内外で華々しく活躍している和太鼓パフォーマーです。とてつもなく光栄なできごとです。”みわこ”と”ひとみ”みほ”が引き受けてくれました。感謝です。私はいちばん年上というハンディーがありますので、いっぱい練習してしなやかに、幸せに踊ります。ティケットのことなどわかりましたら、ご案内します。11月7日の寒い夜、みわことみほよは、写真を撮ったりしてたのでこんなかっこうで出番を待ってました。踊ってしまえば少しも寒くなく、踊り終わると汗ばむようでした。

すてきな命 vol.85”心臓の手術”

2009-12-04 18:45:56 | すてきな命
 ”今朝、看護師がベッドを少し起こしたら、本人が苦痛を訴えるので、検査をしましたら肺の周りに血液が漏れていることと、血圧もどんどん下がるので、開胸して血を拭き取り、血液の漏れている場所を探している”とのこと。私の親愛なる全盲のバイオリニストの穴澤雄介さんは、前日、心臓の動脈弁を人口弁にする手術のため、神奈川県大和市にある病院で手術をした。その翌日の出来事の医師の説明に、彼と結婚し2歳半になる男の子のいるきよみさんはへなへなと座り込んでしまった。私は、ぐずり始めた子供の”想くん”を連れて、病院の前のある林に行き、病院に向かって手を合わせた。想くんもまねをした。3時間くらいが過ぎて執刀医の南渕先生が、手術着のまますぐに病室に来て説明をしてくれた。”もう大丈夫です。”とは言ってくれても、不安なままその日は過ぎた。穴澤さんが選んだこの病院、執刀医の南渕明宏先生は、年間200例の心臓バイパス手術のパイオニアだ。”ブラックジャックはどこにいる”の本は、嘘が無くおもしろく医療に希望のもてる一冊だ。病院の玄関に”生命不二、命は光、光はいのち”と書かれた絵画が飾られている、穴澤雄介という光がまた輝く。
坂口せつ子
2004年平成16年7月1日木曜日
高崎市民新聞連載より転載

せっちゃんの市民運動その1。

2009-12-04 01:24:14 | プロフィール
 20代の時からお金儲け以外の市民運動を少しやってきました。20代は玄米菜食の講演会や料理教室、30代は環境問題や人権問題40代は2000年問題などなど。そんな中で素晴らしいお友達がたくさんできました。そんなことも少しずつご紹介していきます。私が21歳の時長男長女を産み、さてこれから子供たちを健康に育てるにはと考えていた時に、7歳年上の姉の病気がきっかけで一冊の本に出会いました。これが私の玄米菜食の出発点でした。以来”食養人生読本”という本の著者の桜沢先生の本の数々は私のバイブルとなりました。私は昼は30人前後社員のいる会社を経営する敷地内に夫の両親と夫の妹、夫の寝たきりのおばあさんと暮らしていました。私が嫁いでそれまで、2人の女中さんが交代でいたのですが、ある日その女中さんが二人揃って昼のよろめきドラマのテレビを見ていて、私が御勝手の洗い物をしていた時に御義父さんがその姿を見て、家の中にこんなに女は要らないと、二人の女中さんにひまをとらせたのです。たまたま私が御勝手にいただけでとても働き者の二人がよろめきドラマが大好きだったので、私が見るように勧めたのです。以来その女中さんがやっていたことを全部わたしがさせて頂くことになりました。
なので、子育て、お客様のおもてなし、おばあちゃんのお世話、もちろんお掃除、おばあちゃんの子供さんは5人近所に所帯をもっていたので、毎日おばあちゃんに頼まれて、電話をかけました。以上昼間は忙しく自分の時間はなかったので、夜中に夫も子供も寝静まってから、むくむくと起きだし宝物箱を開けるように本を広げ読みました。

せっちゃんのベリーダンスその1

2009-12-04 00:20:15 | 健康づくりスタジオ『ぱわふるマドンナ』
 エルフリオのオーナー”げんた”と話しているせっちゃん”高崎の中心すずらん前のあるエルフリオでいつか私たちのベリーダンスを披露する催しができたらと思っていた。そしていつのまにかもう何回させて頂いた事でしょう。今年は2月末と3月始め、そして10月、去年も2回もう5回もさせて頂いた。エルフリオはとても踊りやすく、使い勝手が良く、お料理もおいしく、ヨーロピアン風で、オシャレで品が良い。私の初めてのステージから10年あまり、ここ2,3年は、年間50前後の披露する場をいただくようになった。一昨年までは、すべて依頼のあったところだけ、踊らせて頂いた。去年から、自ら企画させて頂き、初心者もみな、披露できる場をつくることで盛り上がった。まだまだこれからのベリーダンサーせつこです。私にベリーダンスをはじめて教えてくれたフランチェスカ先生ありがとう×100倍1000倍感謝しています。