今回の御遠忌のお稚児さんでは、坂部さん宅が稚児宿を引き受けてくださいました。
8月のお盆の時、仏間に通していただくと、床の間に、お軸が3本、飾られていました。
真ん中のお軸を挟んで左右に掛けられたお軸はまだ真新しく、楷書でキッチリ墨書されていたので、「どなたが書かれたのですか」とお聞きすると、お孫さんとのことでした。上手な字でしたし、せっかく稚児宿をされるのですから、ぜひお孫さんが書かれたお軸をお稚児さんの当日も飾ってください、とお話ししました。
すると、何か御遠忌にあたっていい言葉はありますか、とのことでした。
5~7文字くらいで、対になっていて、御遠忌を記念するような言葉。いざ考えるとなるとなかなか浮かびません。
先月ようやく言葉をお伝えしました。「樹心弘誓仏地」と「流念難思法海」です。
昔から好きな言葉なので、お伝えしたのですが、今月、法語カレンダーをめくってみて、ビックリ。同じ言葉が載っていました。ちょうど11月。いい記念になりそうです。
坂部さんからは、意味を聞かせて欲しいと言われていました。
ちょうど今日、月例法座の日でしたので、そのお話しをしました。これから、月例法座でお話ししたことを書いてみます。(1時間かけてお話しした内容をかいつまんでお話しするのは難しいですが…
)
私たちは通常、仕事や家族など、何かを頼りに生きています。そして通常は、頼りにしていることさえ、あまり意識していません。
でも、たとえば、会社が倒産したり、家族が亡くなったり、頼りにしていたものが崩れ去った時、立っていられなくなることがあります。その崩れ去ったものが、今までの自分の頼りであり、支えであったことを知らされる瞬間です。それが自分を支えてくれていた場所だったわけです。
人は、場所がなくなれば、生きていけなくなります。学校でも、職場でも、居場所があるからこそ行くことができるのであって、自分の居場所がないところにはなかなか行けないものです。
ですが、どれほど盤石にみえる場所であっても、崩れ去ることがあります。今回の東日本大震災はそれをよく示しています。家族が突然亡くなったり、町そのものがなくなったり、長年暮らしていた土地に住めなくなったり…。何が起こってくるか分からないこの娑婆世界です。
その娑婆世界に生きる私たちを、救わずにはおれないと、立ち上がられたのが、阿弥陀仏です。「必ずすべてのものを救う」というのが、阿弥陀仏の願いです。「何が起こってこようとも、あなたを絶対に見捨てない」というのが阿弥陀仏の広大な誓いです。
しかし、その誓いを、なかなか信じられない私です。けれども、阿弥陀仏は、なかなか信じようとしないあなたをこそ救いたいのだと、飽くことなく私を呼び続けてくださっています。
「大丈夫。必ずあなたを救う。絶対見捨てない」と。
そのおかげで、ようやく、阿弥陀仏の願いに気づくことができた時、自分がずっと他力に支えられて生きていたことに気づかされます。自分の力で生きてきたのではなく、支えられて生きていたのでした。そしてそのことをずっと教え続けられていたのでした。どんなことが起こってこようとも、阿弥陀仏の願いの大地が支えてくれていたのでした。
その時、「自分ががんばっている」とか「他の人はどう思っているのだろう」とか「もっと分かって欲しい」とか、そういう思いは、どうでもいいこととして、流せるようになります。自分を包み、自分を支えてくれている大きな世界を知ることができたからこそ、自分の小さな思いから解放されるのです。
だから、「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念(おもい)を難思の法海に流す」とは、この私を弘誓の仏地が支えてくれていたことに気づかされ、頑なであった自分の思いから開放された喜びを吐露した言葉なのでした。