小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

ブログ、引っ越しました!

2018年03月19日 | 日記
 このブログを始めたのは、2011年3月11日でした。
 そう、東日本大震災が起こった、まさにその日です。

 あれから7年が経ち、今月、新しいHPを立ち上げました。
 青巖寺ブログも、そちらへ引っ越すことに致します。
 今までありがとうございました。

 これからは、下記のHPに記事を書いていくことにしますので、
 また、よろしくお願い致します。

 青巖寺のHP

 青巖寺ブログ

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尺八の供養

2018年03月14日 | 日記
 今日、確定申告から帰ってくると、本堂から尺八の音が聞こえてきました。

 家の者に聞くと、昨年亡くなった方の知り合いが、亡くなったことを最近聞いて、その供養に尺八を吹かせてもらえますかと、訪ねてきたとのことでした。

 本堂へ行くと、男の人が一人、ご本尊に向かって正座して、尺八を吹いていらっしゃいました。

 邪魔にならないように、後ろの方に座って、目をつむって、聞いていました。

 その方は、尺八を吹き終えると、今度は歌を歌い始めました。
 尺八で演奏した曲を歌っているようでした。
 歌い終わると、亡き人に話しかけるように歌の説明をされました。
 そして、また次の曲が始まりました。

 尺八はいい音色で、歌声もよく通るいい声でした。
 おそらく、あちこちで演奏されているのでしょう。

 そうやって、私が座ってからでも、5曲くらい、演奏されました。

 曲を聴きながら、こういう供養の仕方もあるんだなぁと思いました。
 心にしみる、いい供養でした。

 終わってから、少しお話しして、お帰りになりました。
 「また来てもいいですか」とおっしゃっていたので、また会えるかもしれません。
 楽しみに、お待ちしています。
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ホームページ、できました!

2018年03月10日 | 日記
 「できました!」と言っても、完成したわけではありませんが…(^^ゞ

 なんとか青巖寺のHPのトップページが形になってきたので、1枚だけの見切り発車ですが、アップすることにしました。

 あとは、みなさんに公開している状態で、少しずつ仕上げていきます。

 どんなふうに変わっていくのか、お楽しみに~!

 小山 青巖寺 ←こちらから、どうぞ♪
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ダブルブッキング

2018年03月07日 | 日記
 今日は、午前中に坊守会があり、午後からは津中日文化センターで講座がありました。

 本当は、坊守会で私が担当しているのは午後なのですが、午後からの中日文化センターでの講座のことをすっかり忘れていてダブルブッキングしてしまっていたので、関係者のみなさんにご協力いただき、そのご厚意で、坊守会の午前と午後を入れ替えていただいたのでした。坊守会に関係するみなさん、ご迷惑をお掛けして、すみませんでした。そして、ありがとうございました。

 午前の坊守会では、源信和尚についてお話ししました。源信の生涯、『今昔物語』に出てくる母君とのお話、二十五三昧会について、『源氏物語』宇治十帖のあらすじと源信とおぼしき横川の僧都がどういう役回りで登場しているか、などをお話ししてから、報化二土についてお話しさせていただきました。

 午後の津中日文化センターは、「親鸞の手紙を読む」の最後の講座でした。

 親鸞が関東を去ってから、関東の政治状況および宗教状況はどのように変化していたのかをお話しして、その関東に宛てて出されていたお手紙のまとめをお話しさせていただきました。
 それから、恵信尼のお手紙を数通紹介して、妻恵信尼が夫親鸞聖人をどのようにご覧になっていたのかについてお話しさせていただきました。

 来月4月4日から、新講座「浄土三部経を読む」が始まります。
 浄土三部経を現代語訳で読んでいきます。
 お経にはどういうことが書かれているのか、
 気になる方は、ぜひお越しください。(^-^)
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御影堂如来堂国宝指定祝賀会

2018年03月06日 | 高田本山
 昨年11月28日、高田本山の御影堂と如来堂が国宝に指定されました。
 その国宝指定を祝して、高田本山では、昨日3月5日、奉告法要ならびに祝賀会が開催されました。

 祝賀会では、まず法主殿が、御影堂・如来堂建立の経緯やその規模(国宝の木造建築物の床面積では全国5位)、またそのような大伽藍が京都や奈良ではなく三重県に建てられたことの意義などについてお話しいただき、続いて前法主殿からは、そこでみ教えを広めていくことの大切さをお話しいただきました。

 また来賓としては、鈴木英敬 三重県知事から、日本だけでなく、ベトナムや中国など世界に向けて、高田本山をPRしていることをお話しいただきました。
 ちょうど二日前、青巖寺の蓮をお世話くださっている中出さんから、県知事が中国の精華大学で本山の蓮をPRされてましたねと聞かせてもらっていたばかりだったので、ご本人から直接お話を聞くことができて、嬉しかったです。

 続いて、前葉泰幸 津市長が、津市職員の名刺の裏に国宝に指定された高田本山の御影堂と如来道の写真を入れていること、そして職員それぞれが名刺を渡すときに高田本山のすばらしさや魅力を自分の言葉で語れるように指導しているとお話しいただきました。
 高田派末寺の私たちも、御影堂や如来堂についてちゃんと説明できるようにしておかなきゃなぁと思わされました。

 祝賀会には本当に大勢の方が集まっておられ、また様々な来賓の方々のご挨拶や、笛と太鼓の演奏などもあって、とても盛会でした。

 こういう機会でないとなかなかお目にかかれない方々ともともお話しができ、楽しい一時を過ごすことができました。
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とりあえず1枚

2018年03月03日 | 日記
 とりあえず、10日間無料のお試しレンタルサーバを借りて、WordPressをサーバにインストールしてみました。そして、テーマをカスタマイズしようとしたのですが、これがなかなか難しくて、うまくいかず…('_'、

 とりあえずトップページだけのHPでも作ろうかと思い、WordPressは後回しにして、Wixに登録してみました。けれど、Wixでもやはりテンプレートの画像を自前の画像に変えることがうまくできず…(T.T)

 どうやら私の力量では、直感的にカチカチやってればなんとかなる、というわけにはいかないようです。

 私が作りたいと思っているHPは、たぶんWordPressの方が適していると思うので、どうせちゃんと調べなきゃならないのなら、Wixではなく、WordPressの操作法を覚えた方がいいか、と思い、またWordPressに向かいました。

 そして、なんとか1枚だけのテストページを作ってみました。
 とはいえ、これはお試しページなので、これからどんどん変わっていきます。
 無料お試し期間が終わったら、URLも変わりますし。
 とにかく、試行錯誤しながら、ちょっとずつ形にしていこうと思っています。

 ※3/10追記:お試しページ、現在は見られません。
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ホームページを作ってみます

2018年03月02日 | 日記
 今日の夕方、ふと、青巖寺のホームページを作ろうと思い立ちました。
 「ブログさえ、更新できてないのに、大丈夫か?」という声が聞こえてきそうですが…(^-^;)

 昔、個人のHPを作って遊んでたことがあるので、なんとかなるだろうって思ったのですが、いろいろ調べてみると、その頃とはずいぶん変わっているようです。まあ、私が遊んでいたのは20年も前のことですから、変わってて当然なんですけどね。(^^ゞ

 とりあえず、試行錯誤しながら、作っていくことにします。
 作業の途中経過も、随時、アップしていきますので、何かいいアドバイスとかありましたら、また教えてください。
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謹賀新年

2018年01月01日 | 日記
 新年あけましておめでとうございます。
 旧年中はいろいろお世話になりました。
 本年もよろしくお願い致します。

 

 昨晩は、風もなく、暖かだったからでしょうか、例年になく大勢の方々が除夜の鐘をつきに来てくださいました。お越しくださったみなさん、ありがとうございました。

 また、今朝10時からの修正会にも、たくさんお参りいただき、ありがとうございます。

 今年は戌年、私は年男になります。
 本年も、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申しあげます。
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除夜の鐘

2017年12月31日 | 日記
 今日は、小山のお世話方さんたちに集まっていただき、除夜の鐘とお正月の準備をしていただきました。
 おかげさまで、お正月の準備も、無事終わりました。
 年末のお忙しい時に、本当にありがとうございました。

 除夜の鐘をつきに来ていただく方のために、普段は影になって暗い石段を、ライトで照らして、明るくしていただきました。
 

 青巖寺では今年も、午後11時45分から、除夜の鐘をつき始めます。
 青巖寺の鐘は、どなたでも、つくことができます。
 ですので、お近くにお住まいの方は、ぜひお越しください。
 寒いので、温かい格好をしてきてくださいね。
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親鸞聖人の京都でのお住まい

2017年12月06日 | 親鸞
 今日は、津中日文化センターで「親鸞の手紙を読む」の日でした。
 今回は、京都での親鸞聖人についてお話ししました。

 その中で、聖人の京都でのお住まいについてもお話ししました。
 忘れないように、ここにも書いておくことにします。

 まず、親鸞聖人は京都に戻られてから初めの内は、あちこち転々とされていたようですが、やがて五条西洞院に居を定められました。

 当時の五条通りは、現在とは違っていて、今の松原通が、当時の五条でした。
 (豊臣秀吉が、自分の寺である方広寺にみんなが参拝してくれるように五条大橋を今の場所に架け替えたので、道の名前が変わってしまったのです。)

 ですから当時の五条西洞院は、今で言えば松原通西洞院になります。
 基本的に京都という街は、応仁の乱でほとんど焼けてしまっているので、それ以前の建物はなく、はっきりしたことは言えないわけですが、今の光円寺や大泉寺があるあたりにお住まいだったのだろうと思います。

 しかし、建長7年(1255)12月10日、親鸞聖人は火事に遭い、それ以降は三条富小路の善法坊に居を移されました。ちなみに、善法坊は、聖人の弟、尋有の里坊で、火災があった当時、尋有は日光に滞在していました。

 「三条富小路(顕智・自然法爾の御書)」つまり「押小路の南、万里小路より東(覚如・伝絵)」は、今の京都御池中学校のあたりになります。

 そして、弘長2年(1262)11月28日、聖人はその地で往生されました。御年90歳でした。

 さて、津中日文化センターの「親鸞の手紙を読む」ですが、全部で43通あるお手紙の内、今回が42通目でした。つまり、あと1通で終わります!
 そこで、講義後、事務の方とお話しした結果、恵信尼さんのお手紙なども少し紹介することにして、3月に講座を終えることにしました。
 4月からは、また新しい内容で、講座を開きます。どういう内容にするかはまだ決まっていません。決まり次第、またお知らせいたします。お楽しみに~!
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