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小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

最後の授業(2)

2014年01月24日 | 龍谷大学

 続いて、3講時目の学生さんたちの感想です。

 「仏教の授業を受けるとき、最初は興味がなく、おもしろくないと思っていました。でも授業を受けるたび、おもしろく、新しいことを学びました。同時に、自分の愚かさにも気づかされました。仏教の授業を受けてよかったと思います。一年間ありがとうございました。」
 「1年間、仏教の担当ありがとうございました。先生の授業は、ただ板書して、その空間だけで考えるのではなく、日常生活に深く関係していることばかりで、本当に好きでした。」
 「平野さんの言葉一つ一つに、子どもに対する愛情が伝わってきて、とても感動しました。1年間仏教の授業を受けて、ブッダの教え、親鸞、法然の教えについて学びました。この授業でたくさんのことを学ぶことができてよかったと思いました。この学んだことをこれから生かしていきたいです。1年間ありがとうございました。」
 「自分が目覚めようとしていなくても、目覚めさせ、救ってくれる。そして、目覚めたときに、自分自身の姿と、自分自身を気づかせてくれる阿弥陀仏のはたらきに気づく。やっと理解した気がする。」
 「仏教の授業だけれど、自分の生き方について学べました。ありがとうございました。」
 「親の愛の深さを知ることのできた講義でした。仏教についての知識はもちろん多く学びましたが、最後になって思うのは、人間や愛について学べた深い深い講義でした。」
 「今の私がいるのは、家族や友人など多くの支えがあるからだということを改めて感じました。感謝の気持ちを忘れずに、毎日を過ごしたいと思いました。」
 「自分も大学に来て一人暮らしを始めるまで、親や周りの人たちに支えられていたコトに気付かなかった。でも、大学に行って、そしてこの授業を受けて、自分は愚かだったと気付くことができた。今の自分がこうして毎日楽しく生きているのも、親をはじめとする多くの人たちのおかげだと知ることができた。この気持ちを大切にしていきたい。1年間ありがとうございました。」

 みんな、ありがとう。

 仏教の思想Aでは、縁起の教えを学んでもらいました。
 そして、仏教の思想Bでは、なかなか本当には理解できない私たちに、縁起を教えてくれているはたらきがある、ということを学んでもらいました。
 縁起を本当に理解した時、私たちの生き方も変わります。
 親しい人が亡くなった時、かけがえのない命であることを本当に理解でき、人生を無駄にしないように生きようと思えます。命に差別はなく、どんな命も尊いということを本当に知った時、自分のことだけ考えて生きるのではなく、助け合って生きていかなければならないことも本当に知らされます。
 そうやって本当のことを教えてもらうことで、私たちは本当の人間へと育ててもらっています。誰かや何かに頼るのではなく、自分の頭で判断し、自分の責任で、自分の人生を歩める人間、つまり本当の自分になるのが、仏教という教えです。

 一年間、講義を受けてくれて、ありがとうございました。

↓その他の感想(クリックすると大きくなります)

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最後の授業(1)

2014年01月24日 | 龍谷大学

 今日は、龍谷大学(瀬田)で、試験でした。みんな一生懸命、試験に取り組んでくれました。

 先週、1月17日に今年度最後の授業を行いました。来年度からしばらく龍大はお休みしますので、これが最後の授業になるかも知れません。

 1講時と3講時を担当しているのですが、授業後どちらのクラスでも、ほとんどの学生さんたちが、出席カードの裏にビッシリと感想を書いてくれました。

 まず1講時目の感想から少し紹介させていただきます。

 「仏教の思想は私にとってとても考えさせられる授業でした。非常に考え方を考えさせられるとても良い授業でした。これからの人生を大切にしていきたいと感じました。」
 「仏教の思想を1年間通した中で、人間の深みを感じることができ、まわりに助けられながら生きていると感じることができました。1年間ありがとうございました。」
 「縁起は、人生で苦しい時や大きな悩みを持った時、自分の本当の姿とは何か、気づかせてくれる、人生の道しるべともとれると思った。この授業を受けているうちに、自分の生に対して、すごく幸せとありがたみを感じるようになりました。ありがとうございました。」
 「今、この瞬間に授業を受けるまでにたくさんの人びとに支えられているんだという先生の話を聞いてハッと気づかされました。お母さんに起こしてもらい、お弁当を作ってもらい、車掌さんに電車を動かしてもらい、バスの運転手さんにバスで送ってもらい、無事に今ここにいることに感謝して、今、授業を受けているんだなとありがたみを感じられました。」
 「この授業で人生をどのように生きていくのかについて学べた気がしています。昨年末に父を亡くしてからは特に考えさせられました。」
 「私はここ最近、過去の事で悩み、悔やんでいました。でも今日の授業で、過去ばかり見ていてはダメだと気づけました。大事なのはこれからの行い。これからは自分らしく、そしてまわりにいるみんなと共に満足できる、何よりも楽しい日々を送りたいです。仏教を学び、色々な事に気づかされました。1年間ありがとうございました。」

 以上、1講時目の学生さんたちの感想です。

 みなさん、お疲れさまでした。そして、こちらこそ、ありがとうございました。(つづく)

↓その他の感想(クリックすると大きくなります)

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7月26日

2013年07月26日 | 龍谷大学

 今日は、龍大で前期最後の授業でした。

 授業後、みんなが書いてくれた感想を少し紹介します。

 「仏教の授業は最初つまらないと思っていたけど、仏教には人生において大切なことがたくさんあるので、とても興味深くて、おもしろかったです。」

 「今日の授業を聞いて、相手に笑って微笑むことだけで、相手のことを幸せにできるんだと思った。小さなことでもいいから、心がけてやっていきたいです。」

 「人は誰かを幸せにするために生きている。それは人の喜びを自分の喜びに変えることができるから。」

 「どんな小さなことでも、誰かを幸せにできたと感じることができると、人は変わることができるのだろうと思いました。私もそんな風に実感できるような生き方をしたいなと思いました。」

 「自分以外の誰かを幸せにするために生きる。そうすると自分もきっと幸せになれる。こんなに良いことってないと思う。人の幸せを願うことが本当の幸せとは、こういうことであるからだとわかった。」

 「「人は何のために生まれてきたのか」この次元まで考えられる人間になることは大事なことだと考えている。「人は誰かを幸せにするために生まれてきた」という定義は、一人ひとりの心の中で刻み込むべきものだ。前期の仏教の授業では、人間として大きく成長した気がする。」

 「今日で仏教の思想、最後になるのがかなしいです。1番自分のためになる授業だった気がします。授業が分かりやすくてたのしかったです。」

 「1限で遅刻しそうになるけど、最後の授業だったので、頑張ってこれてよかったです。」

 みんな、ありがとう。前期、お疲れさまでした。

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7月19日

2013年07月19日 | 龍谷大学

 今日は、龍大(瀬田)で授業でした。

 大乗仏教について、六波羅蜜などをお話ししてきました。

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仏滅後の仏教

2013年07月12日 | 龍谷大学

 今日は、龍大(瀬田)で授業でした。

 ブッダが亡くなった後、仏教がどのように展開していったのかをお話しし、ガンダーラやマトゥラーで作られた仏像をスクリーンで見てもらいました。

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アングリマーラ

2013年07月05日 | 龍谷大学

 今日は、瀬田で授業でした。

 何を話すか、なかなか決まらず、結局、大学に着いてから、いろんな仏弟子を紹介することにしました。

 ラーフラ、サーリプッタ、モッガラーナ、ウパーリ、アーナンダ、マハーパジャパティ、パンタカなどなど。

 特に、アングリマーラの話を詳しくお話ししました。

 「ブッダの弟子にはいろんな境遇の人がいたんですね…。殺人者をも弟子にしてしまうブッダは本当にすごいと思いました。」

  「ブッダは完璧なイメージがありましたが、弟子の話は逆に人間味に溢れたものがあって、また別に興味深かったです。」

 などなど、授業後の感想を読むと、割と楽しんでくれたみたいで、よかったです。

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平山郁夫展

2013年06月28日 | 龍谷大学

 今日は、瀬田で「仏教の思想」の講義でした。

 「仏教の思想」では、前期・後期に1回ずつ、龍谷ミュージアムに行ってもらいます。

 前期は、6月30日まで展示されているものを見てきて、レポートを提出してもらいます。

 今日、大勢の学生がレポートを提出してくれました。

 ただ、私自身はまだ今回の展示を見ていません。

 そこで、3講目が終わってから、京都へ行き、龍谷ミュージアムを見て来ました。

 展示されていたのは、特別展「平山郁夫 悠久のシルクロード」でした。

 有名な方であるのに、平山郁夫氏が被爆されていたこと、流出文化財の保護に尽力されていたことなど、知らないことがたくさんありました。

 父が買った平山郁夫画集が家にあるはずなので、帰ったら、見てみようと思いました。

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自分が苦しい時に相手を思うやさしさ

2013年04月25日 | 龍谷大学

 先週の授業の時に提出してもらった出席カードの裏の質問や感想を、パソコンに打ち込んで、明日の授業に配るプリントを作っていました。

 先週の授業では、王子であったブッダの生涯を説明した後、「どういうのが幸せだと思う?」と生徒たちに聞いたり、四苦八苦について説明したりしていました。

 「幸せについて聞かれたけど、今が幸せやから、何が幸せなのか、わからなかった。」「四苦八苦の内容がすごく心に響きました。特に愛別離苦と怨憎会苦。今私は友達関係などに少し悩んでいたので、深く考えさせられました。解決するために出家したシッダールタは本当にすごいと思いました。」など。

 そんな中、こんな感想がありました。

 「ブッダがどれほど恵まれていた人かがよくわかりました。実際に苦しみの中にいる人なら、自分の目の前の苦しみだけで、いっぱいいっぱいで、他の苦しみとか考えられないと思うから。」

 その感想について、次のように応えました。伝わってくれるといいのですが。。。

 確かに、ブッダは恵まれていました。また、苦しみの中にいる時に他の苦しみを考えられない人がいるのも事実です。私もそうかも知れません。
 でも、私は、「恵まれているから他の苦しみを考えることができる」とは思いません。たとえば今、苦しみの中にいて他の苦しみを考えられない人が、その苦しみから抜け出せたら他の苦しみを考えられるようになるのでしょうか? みなさんの感想を見ても、恵まれているから、幸せや苦しみを考えたことがなかったという意見の方が多いですよね? また、苦しみの中にいる人は全員、他の苦しみを考えることはないのでしょうか? 私はそうは思いません。実際に苦しみの中にいて、他の人の苦しみを思うやさしい人々をたくさん知っているからです。
  一人、紹介しておきましょう。13歳の女の子です。13歳でガンで亡くなりました。
  彼女は、闘病中、抗ガン剤の副作用で、朝から晩まで吐き続けたそうです。ベッドの上で苦しみ続けた彼女は、看病を続けるお母さんにこう言ったそうです。
  「ママがガンじゃなくて、私がガンで本当によかった」と。
  自分なら耐えられる。ママがこんな痛い思いをしているのなら、そんな苦しんでいるママの姿を見るのは、自分には耐えられない、と思ったからでした。
  そういう娘の姿に、お母さんは涙を抑えることができませんでした。そして「どうしたら元の体に戻してあげられるの」と、泣き崩れるお母さんに、彼女はこう言いました。
  「ママ、それぐらいのことで泣かないで。私はただ、両手と両足が動かないだけ。首と背骨がガンでつぶれているだけ。口の中にガンがあるだけ。心はガンに侵されていないから。自由で、幸せ」
  彼女は、苦しみのまっただ中で、母親を思いやり、幸せについて考えていました。
  また、別の話ですが、昔看護婦をされていた方がこうおっしゃっていました。
  「白血病の子は、みんな、思いやりのあるいい子たちばかりでした」と。
  第二次世界大戦後、アウシュビッツの強制収容所から奇跡的に生還できたユダヤ人、ヴィクトール・フランクルが書いた『夜と霧』には、過酷な収容所の中で、囚人たちが何に絶望し、何に希望を見い出したかが克明に記されています。そして強制収容所の中で、フランクルは次のように考えました。過酷な環境の中では、「生きる目的」を持つことが、生き残る唯一の道である、と。
  考える人は、恵まれていても、苦しい時も、考えるでしょう。考えない人は、苦しい時も、恵まれている時も、考えないでしょう。しかし、逆境の時に強いのは、考える人だと思います。自分が死ぬと分かっている時、自分のことしか考えない人は、おそらく押し潰されてしまうでしょう。でも、他の人のことを思いやるやさしさを持った人は、死に向かう生をしっかりと生きられるのではないでしょうか。
 そして、「考える/考えない」は、生まれつきの資質ではありません。これから育て、伸ばすことができるものです。今から、考える習慣を育てましょう♪

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「仏教の思想」授業開始

2013年04月12日 | 龍谷大学

 今日は、龍大(瀬田)で、「仏教の思想A」の授業を講義してきました。昨日の短大の授業に引き続き、今年度初めての龍大での授業です。

 担当するのは、1講時目と3講時目です。どちらも同じ教室で、70~80人くらいの受講生でした。

 1講時目を終え、本屋に行ったり、昼食を食べたりした後、キャンパスに戻ってくると、後ろから「おはようございます」と声をかけられました。

 振り返ると、去年の教え子たちが3人いました。彼女たちは口々に「仏教の思想がなくなって残念です」と言ってくれました。仏教の思想は1回生の授業なので、2回生以降はないからです。

 「ありがとう」と答えました。「そうやって思ってくれてるってことは、授業をしっかり受けとめてくれたからだよね。それを胸に、これから3年間、がんばってください」と言うと、声を合わせて「はい」と言ってくれました。

 彼女たちと別れた後、若い子たちが仏教に興味を持ち、もっと仏教を学びたいと思ってくれていることを嬉しく思いました。おそらく瀬田でも仏教の授業があると思うので、2回生以降でも学べる仏教の授業を調べておこうと思いました。自分の担当が終わったから終わり、というのではなく、継続して学べるように。

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なんとか大丈夫

2013年01月15日 | 龍谷大学

 今日は、龍大(京都、大宮)での今年度最後の講義でした。

 1年通して、『西方指南抄』の「法然聖人御説法事」を読んできました。

 最後少しペースをあげましたが、なんとか最後まで読み通すことができました。

 ずっと読んできたことで分かったこともたくさんありました。

 受講生のみなさんも、お疲れさまでした。ありがとうございました。

 京都から帰ってきて、すぐお通夜に向かいました。

 こちらも、午後7時ギリギリの到着で、何とか間に合ったという感じでした。

 ギリギリの所で、なんとか大丈夫だった、という一日でした。

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