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小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

アンパンマン

2016年06月14日 | 素敵な文章・言葉
 今日は、短大で授業でした。
 「言葉によって人は変わる」ということを話すつもりだったので、何か実例がないかなと、朝から本棚を探し、とりあえず短い話を4つほど見つけて、それをプリントして、みんなに配って、お話しさせていただきました。

 その時、見つけた話で、授業で紹介するには長すぎるので、取り上げなかった話を、ここに書いてみます。

 アンパンマンの話です。

 アンパンマンについては、昔、寺報で取り上げたこともありますし、調べるといろいろお話ししたくなるような情報がたくさん出てくるんですが、とりあえず今回は、今日本棚で見つけた話の紹介です。

 その前に、アンパンマンの説明ですが(たぶん、説明するまでもないとは思いますが)、アンパンマンはもともと、やなせたかしさんが書いた絵本です。その絵本のあとがきにこう書かれているそうです。

 子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつも不思議に思うのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、誰のために戦っているのか、よくわからないということです。
 ほんとうの正義というものは、けっして、かっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです。そういう捨て身、献身の心なくして正義は行えません。正義の超人はほんとうに私たちが困っている飢えや公害などと闘わなくてはならないのです。
 アンパンマンは焼け焦げだらけのボロボロのこげ茶のマントを着て、恥ずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって飢える人を救います。それでも顔は気楽そうに笑っているのです。
 子どもたちはこんなアンパンマンを好きになってくれるでしょうか?
 それともテレビの人気者のほうがいいですか?

 やなせさんが、本を書いているときも、出版された後も、多くの人から「顔を食べさせるなんて教育に良くない」などと批判されたそうです。けれど、その後、アンパンマンはテレビ番組にもなり、今では日本中の誰もが知っているヒーローとして、ずっと子どもたちに愛され続けています。
 そのテレビ番組のアンパンマンの主題歌は、やなせたかしさんが作詞された『アンパンマンのマーチ』です。その『アンパンマンのマーチ』についての話です。以下、日本民間放送連盟ラジオ委員会編『コトバのチカラ』(PHP)からの引用です。

   なんのために生まれて
   なにをして生きるのか
   こたえられないなんて
   そんなのはいやだ!

 先天性の病気をもって生まれてきた息子は、赤ちゃんのときからずっと入退院のくり返しでした。

 幼い身体のあちこちに点滴や注射用の針が刺され、鼻には栄養液を注入する管、口には人工呼吸器をつなぐための管が入り、絆創膏で何重にも留められ声すら出せない。

 二十四時間、部屋の電気が消されることなく続けられる看護や処置。

 昼夜もわからず、表情のないうつろな目で、ただ一日じゅう天井だけを見ているしかないわが子を見ているのは、とてもつらいことでした。

 (こんなに苦しくても生きなくてはならないのか)

 悲しみがこみあげました。

 苦しむためだけに生まれ、苦しむだけの人生なんて、地獄以外の何ものでもない。

 息子がどんな悪いことをしたというのか。

 なぜ、地獄を味わわせなければならないのか。

 こんなことならいっそのこと……と何度も思いました。

 そんなある日、せめてもの慰みと思い、息子の枕元でかけたカセットテープから流れてきたのがこの歌でした。

 (エッ、なんですって?「こたえられないなんて そんなのはいやだ」? だったらどうしたらいいの?)

 私は小さな音でかけられているカセットに耳を近づけました。

  そうだ うれしいんだ 生きる よろこび

  たとえ 胸の傷がいたんでも

  なにが君の しあわせ なにをしてよろこぶ

  わからないまま おわる そんなのは いやだ!

  そうだ おそれないで みんなのために

  愛と 勇気だけが ともだちさ

 そんな歌詞が胸に残り、私は悲しみをこらえ、何度も何度も巻き戻してこの歌を聴き、自分でも口ずさんでみました。

 病院の面会の帰りに、泣きながら歌ったこともありました。

 生きることがうれしいということを知らずして死んではいけない。必ず楽しい日々が来ると言い聞かせながら。

 この歌は、そんなつらかった私を慰め支えてくれた忘れられない歌です。

 愛嬌由美子(群馬県 42歳)
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お前はお前でちょうどよい

2016年01月10日 | 素敵な文章・言葉
 午後は、本山へ行き、初夜勤行に出勤しました。お式文を代読するためです。

 登壇して、伽陀が終わるのを待っていると、極度の緊張が襲ってきました。

 何とか平静を保とうと、小さくお念仏を称えました。

 そのとき、「お前はお前でちょうどよい」という言葉が浮かんできました。

 私がこの言葉を初めて知ったのは、土屋昭之さんの『少年少女の仏教』だったので、そこから引用してみます。

   ほとけ様のことば
 
 お前はお前でちょうどよい

 顔も体も名前も姓も それはお前にちょうどよい

 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も

  それはお前にちょうどよい

 幸も不幸も喜びも 悲しみさえもちょうどよい

 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない

  お前にとってちょうどよい

 地獄へ行こうと 極楽に行こうと

 行ったところがちょうどよい
 
 うぬぼれる要もなく 卑下する要もない

 上もなければ下もない

 死ぬ月日さえもちょうどよい

 ほとけ様と二人づれの人生 ちょうどよくないはずがない

 これでよかったと戴けた時 憶念の信が生まれます

 南無阿弥陀仏


 これは石川県のお寺の坊守さんである藤場美津路(みつじ)さんの言葉です。

 「お前はお前でちょうどよい」

 緊張していてちょうどよい。失敗してもそれでよい。お前はお前でちょうどよい。

 そう思うと、心がグンと楽になり、緊張が解けていきました。

 やがて伽陀が終わり、焼香等の作法を行った後、私はお式文を読み始めました。
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まだ間にあう

2015年10月15日 | 素敵な文章・言葉
 『他人の何気ない一言に助けられました。』(中央公論新社)という本から。

 「 重症筋無力症を発症し、
   障がい者になってしまいました。

   毎日がつらくて悲しくて、
   愚痴ばかりこぼしていました。
   そんな私に叔母が真剣な顔で言ったことです。

  「そんな気持ちのままで生きていくのは、
   もったいないよ。
   まだまだ生き直せるよ。
   まだ間にあうよ」


   幼くして両親と別れ、
   苦労して育ってきた叔母の言葉です。
   末っ子で守られて育ってきた私の胸に
   ずーんと響きました。

   「叔母さん、ありがとう。生き直せる気がする」
   と答えてから四年がたちました。

   私はいま、毎日をいきいきと、
   人の優しさに感謝しながら暮らしています。

                      ゆきやなぎ 」
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梅の花

2014年03月03日 | 素敵な文章・言葉

Ume04

 きみならで 誰にか見せん 梅の花
  色をも香をも 知る人ぞ知る

 紀貫之の弟、紀友則の和歌です。意味は、以下のような感じです。

 この梅の花を、あなた以外に誰に見せようか。あなた以外に見せたい人はいない。あなたこそ、この花の色も香りも、本当に知っている人なのだから。

 友則は、梅の花を折って、この歌と共に、相手の女性に渡したようです。なかなかのプレイボーイですよね。(笑)

 でも、私は、この歌から、違うシチュエーションを思い浮かべてしまいます。

 庭にある梅の木の開花を、毎年楽しんでいる夫婦がいました。しかし、ある日突然、伴侶が亡くなってしまいました。その翌年、花を咲かせた梅の木を見て、今は亡き伴侶を偲び、この歌を詠みました、と。

 これだと、ずいぶん寂しい哀しみの歌になってしまいますね…

 ただ、失って初めて、今まで当たり前だと思っていた日常が、実は有り難い時間であったことに気付くことがあります。

 当たり前のようでいて、決して当たり前ではない「今」という時間、大切に過ごしたいものですよね。

 今年もまた咲き誇る梅の花を満喫し、そして、ともに見てくれる人のいることを喜ばせていただきましょう。

Ume05

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東井義雄先生(4)

2014年02月21日 | 素敵な文章・言葉

 昨日の続き、これで最後です。

 それにしても、東井先生に妻のことなど何も話していなかったのに、私の心配ごとや妻の痛みまで、どうして分かったのだろう? なんでこんなやんちゃ者を可愛がっておくれるのだろう? と不思議でなりませんでした。

 今考えてみると、なかなか変わりそうにもない、出来の悪い私を、なんとかしてましな人間にしてやろうと願い続け、大事な一日を棒に振って、私を目覚めさせて頂いたのだと気付くのです。

 東井先生の無限の愛のいのちに出会い、いつの間にか私と妻は手を取り合って泣いていました。

 それからは、私はもとより家族みんなが、東井先生をかけがえのない人生の師として、仰ぐようになっていったのです。

 東井先生の慈愛の光につき動かされ、光を持たない私も、少しずつ光り始めました。学校に行くのがだんだん楽しくなってきました。子どもの心に迫る授業作りが楽しくなってきました。学級通信や実践記録を書かずにおれなくなりました。そんな生きがいに満ちた光いっぱいの教師生活が、私にも開けてきたのです。(略)

 このような東井先生との「いのちの出会い」は、形は違っても、どの先生方も持っておられます。職員の一人ひとりが今何を考え、何に頑張り、何に悩んでいるか、東井先生は千里眼のような目で見抜き、全身で支えて下さる「慈愛の人」でした。職員の全てが東井先生との「めぐり会いに手を合わせながら」少しでもましな教師になろう、人間らしい人間になろう、東井先生のような優しさを持って、子どもに接していこうと努力しました。

 苦しいことが出てきても、逃げないで正面からぶつかり、ここまで乗り越えられたと喜び合える、生きがいを燃やす教師集団に成長していきました。

(中川真昭『東井義雄さんの軌跡 人が生きる根を育てる』本願寺出版社より)

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東井義雄先生(3)

2014年02月20日 | 素敵な文章・言葉

 昨日の続きです。困り果てて帰ったとのことでしたが、帰ったのは、家ではなく、病院だったそうです。

 ちょうどその頃、妻が子宮筋腫の手術のため、八鹿病院に入院していたので、私は病院から学校へ、学校から病院への生活をしていたのです。

 病室に帰ってくると、妻が「お父ちゃん……」と言って泣きながら私を見つめるのです。

 「何だ? 何があった?」と尋ねても涙にむせんでなかなか話せないのです。

 「今日は、東井先生がお見舞いにきて下さって、一日中看病して下さったんです……」

 「みんなの大事な校長先生です。看病して頂くのはうれしいのですが、私などが一人占めするわけにはいきません。どうか学校に帰って下さい」と何度もお願いしたそうですが、東井先生は「お父ちゃんたちがちゃんと教育してくれているので、心配せんでもええで……」と言って、午後もずっと看病して下さったと言うのです。

 妻は大手術をした直後でしたから、背中に手を入れて持ち上げるようにしていないと、絶えず激痛が走るのです。昨夜も私は論文を書きながら、何度も手を入れて持ち上げ、首も肩もパンパンに張っていました。妻の背中には空気枕を入れて出勤していたのです。

 東井先生は「お父ちゃんの代わりはできんけど……」と言いながら一日中妻の背中に手を入れて持ち上げ、痛みを和らげて下さったと言うのです。

 私は、体中が硬直して、ガタガタガタガタ震えが止まらなくなりました。一日中、東井先生の悪口を言い、腹立ちに餌をやり続けていた情けない自分、そんな自分のために、妻のために、東井先生の大切な時間を、骨の折れる看病という形で、まるごと下さったのです。

(つづく)

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東井義雄先生(2)

2014年02月19日 | 素敵な文章・言葉

 昨日に続き、東井先生のこと。今日からは、私が好きなエピソードを一つ。山根功暉先生の文章です。

 私が東井先生にめぐり会ったのは、三十代半ばの血の気の多い頃でした。

 ある日のこと、締切り間近の論文原稿を徹夜で書き上げ、今日は東井先生に見てもらって発送しようと張り切っていました。

 二時間目の休み時間に校長室へ行ってみると、姿が見えません。

 教頭先生に尋ねても「さあ、知らんで」と言われるばかりでした。

 私はだんだんいらいらしてきて「行き先ぐらい、ちゃんと言って出ればいいのに……」と東井先生の悪口を並べていました。

 そんな思いで、校長室を何度も何度も覗きにいきました。

 昼休みも午後も、とうとう帰る時間になっても、東井先生の姿はありませんでした。

 今日この原稿を送らないと締切りに間に合わないし、どうしよう……といらいらし、困り果てて帰ってきました。

(つづく)

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東井義雄先生(1)

2014年02月18日 | 素敵な文章・言葉

 教育者であり、念仏者であった東井義雄先生(1912~1991)の言葉を一つ。

 花の命を信じて

 不断の愛を注いでくれる人を

 花は知っている そして

 その期待に答えられずにおれなくなって

 美しい花を咲かせる

 子どももまた然りである

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奈々子に

2014年02月17日 | 素敵な文章・言葉

 先月15日、吉野弘さんが亡くなられました。87歳でした。

 吉野さんについては、前に「祝婚歌」と題して紹介させていただきました。

 今日は、吉野さんの詩の中で、私が一番初めに知った詩をご紹介させていただきます。

  奈々子に    

 赤い林檎の頬をして
 眠っている 奈々子。

 お前のお母さんの頬の赤さは
 そっくり
 奈々子の頬にいってしまって
 ひところのお母さんの
 つややかな頬は少し青ざめた
 お父さんにも ちょっと
 酸っぱい思いがふえた。

 唐突だが
 奈々子
 お父さんは お前に
 多くを期待しないだろう。
 ひとが
 ほかからの期待に応えようとして
 どんなに
 自分を駄目にしてしまうか
 お父さんは はっきり
 知ってしまったから。

 お父さんが
 お前にあげたいものは
 健康と
 自分を愛する心だ。

 ひとが
 ひとでなくなるのは
 自分を愛することをやめるときだ。

 自分を愛することをやめるとき
 ひとは
 他人を愛することをやめ
 世界を見失ってしまう。

 自分があるとき
 他人があり
 世界がある。

 お父さんにも
 お母さんにも
 酸っぱい苦労がふえた。
 苦労は
 今は
 お前にあげられない。

 お前にあげたいものは
 香りのよい健康と
 かちとるにむずかしく
 はぐくむにむずかしい
 自分を愛する心だ。

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優しい人びと

2013年09月16日 | 素敵な文章・言葉

 今日は、月例法座でした。

 1月から読み進めてきた平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』(法蔵館)も、来月で読み終わりそうです。

 今日は、後半の「優しい人びと」の部分を読みました。二つほど、紹介させていただきます。

 少し説明しておくと、平野恵子さんは、1988年2月に癌を告知されました。これ以後、残してゆく子どもたちに、文を書き始められたのでした。次に紹介する「病院までの小道」は、その年の6月5日、40歳の誕生日に書かれたものです。

「  病院までの小道

 病院までの小道は、

 神社の横を抜ける、細くて静かな通りです。

 梅雨の季節だから、緑の木々が鮮やかに両側を飾り、

 通る人の心まで、染めてゆくようです。

 この道を通る人は、

 誰もが優しくなれそうな、そんな素敵な小道です。

 立ち止まり、立ち止まり歩きながら、

 重い身体を、重い心を、

 ようやく運んでいる私です。

 「誰か、私を助けてください!」

 かなわぬ夢と分かっていても、小さな声でつぶやきます。

 私の内に巣くう、恐ろしい病魔を

 退散させるためならば、

 この世を支配する、全能のサタンに

 魂を売り渡すことをもいとわない。

 奇跡というものが、

 もし、本当におきるならば、

 天地に満ちる、あらゆる奇神(鬼神)達に、

 供物をささげ、

 祈りざんまいの生活を送ってもよい。

 ああ、でも、愛する人達よ、

 私が一日でも生きながらえたいと願うのは、

 ただ一つ、あなた達と

 共に暮らしたいからなのです。

 笑って、怒って、泣いて、

 暖かいその身体を抱きしめて、

 料理を作り、洗たくをして、

 一緒に本を読んだり、テレビを見たり、

 なんて嬉しい生活でしょう。

 そのことだけが望みならば、

 やはり、心だけは、

 売り渡さないでおきましょう。」

 

 続いて、同じ6月の文章「愛する人達よ」です。愛する人達とは、3人の子どもたちのことでしょう。「いたずらばかりして」「よく問題を起こす子」であった長男、「重度の心身障害児であることを告げられて」「もう二度と歩くことも、しゃべることもできないだろうと言われ」た長女、手術入院から帰ってきた夜に布団の中で「お母さん、お母さんがいない間、僕、物足らないことがいっぱいあったんだよ。でも、がまんしてたからね」と言ったまだ小学二年生の次男。

 

「  愛する人達よ

 愛する、愛する人達よ、

 一日でも長く一緒にいたいから、

 今日も、細い小道を歩いてゆきます。

 木々の小鳥に呼びかけながら、

 名も知らぬ草花にささやきながら。

 気が付けば、私は、今、

 なんと豊かに息づいていることか。

 まぎれもなく、元気に歩いているのです。

 恒沙塵数の諸仏に見守られ、

 「生きよ、生きよ」と励まされながら……

 大自然から生み出された私です。

 再び大地にかえる、その日まで、

 素直に、力いっぱい、

 生きてゆきたいですね。

 そう、あなた達がいてくれるから、

 私は、こんなにも明るく、のびやかに、

 生きてゆけるのです。

 どうぞ、優しくしてください。

 そして、許してくださいね。

 何一つ、恩返しもできないけれど、

 何一つ、力になれないけれど、

 毎日、あなた達を傷つけてばかりいる

 私だけれど、

 しあわせな私です。

 愛されている私です。

 拝まれ、願われている私です。」

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