今日は、月例法座でした。
これまで月例法座では、平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』を読んできました。 今は、田代俊孝さんの『悲しみからの仏教入門』の中にある「悲しみからの贈り物 『子どもたちよ、ありがとう』ノート」という章を読んでいます。平野さんの『子供たちよ、ありがとう』について書かれているからです。今回はその2回目で、「3 今を生きる」(p.156-p.170)を読みました。
今は、病院で死を迎えるのがほとんどで、日常生活において死を目にすることはあまりありません。だから、私たちは普段、死を考えることもありません。それどころか、死について考えるなんて、縁起でもない。もっと生を謳歌し、楽しいことを考えよう、と思っています。しかし、死から目を背け、生のみを追い求めることで、本当に充実した生を生きることができるのでしょうか。
鈴木章子さんはガンを告知されたとき、「ああ、私、人間だったんだ、生きてたんだ」と思われたそうです。逆に言えば、「忙しい、忙しい」と言って過ごしてきたこれまでは、むなしく日々を過ごしてきただけで、本当の意味で、人間として、生きていたのではなかったと気づかされたのでした。
死を自覚するとき、今過ごしている日々が、二度と戻ることのないかけがえのない日々であることに気づかされます。だからこそ、一日一日を大事に生きようと思わされます。
死を自覚してこそ、本当に充実した生を生きることができるということを、息子の話、猿渡さんの作文、アンパンマンのマーチを通して、お話しさせていただきました。