おもいつくままに

身の回りのことや世の中のことについて、思い付いたことや気付いたことを記す

剣岳2999m

2005年10月24日 02時18分26秒 | Weblog
100年前に柴崎芳太郎が初測量を試みられたが三角点を設置できず、直接測量による剣岳の高さの決定はできなかったそうだ。

今年、国土地理院の職員が剣岳に登り三角点を設置し、GPS測定を行った。詳細な解析の結果その高さを2999m(2998.6m)と発表した。100年前の芳太郎の計算値2998.02mは、非常に正確であったことが今回の測定で証明された。

海抜の基準は東京湾の平均潮位だそうだ。数100km離れた剣岳の標高を決定するには地球が回転楕円体であることの補正が必要であるという。なんとも複雑な計算だ。

剣岳の標高は3000mを1.4mだけ下回った。潮位の時間変化を考えればその差はわずかといっていい。しかし、2000m台と3000mでは印象は大きく違う。長さを違う単位、例えばフィートで測れば2999mと3000mの差は全く気にならないだろうに。数に関する心理の不思議といっていい。
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100円ショップ

2005年10月23日 00時32分40秒 | Weblog
びっくりするほどたくさんのものを100円ショップで買えるようになった。

食品の品揃えも充実しているので単身赴任のお父さんの友なのだという話も聞く。

100円ショップでたいがいのものが間に合ってしまうのでよく利用するのだが、一方で商品を作った人のことを思うとなんとなく申し訳なさを感じる。

私の実家の家業はバイクや車の小さな部品の塗装だった。部品を網の上に手で並べ、スプレーガンで塗装し、釜に入れて焼き付けてという手間のかかる仕事だった。オイルキャップ1つの塗装が何銭という安い手間賃でも数をこなすことによって、家族と数名のパートの暮らしが成り立っていた。

100円ショップの商品を向こう側に手間を惜しまず黙々と働く人の姿が目に浮かぶ。
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何をしに出かけたのやら

2005年10月22日 00時06分06秒 | Weblog
プリンタの黒インクがなくなったので近所の本屋の文具売り場にないか探しに出かけた。

本屋に着いて、面白い本はないかと一通り見て帰ってきた。

黒インクがないことを今思い出した。何をしに出かけたのやら。あーあ。

付記:
今、紅茶を飲んでいる。コーヒーを入れようと思ってお湯を沸かしたが、無意識のうちに紅茶入れてしまったからだ。
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久しぶりの便り

2005年10月15日 00時16分07秒 | Weblog
仕事でお世話になった方から久しぶりにメールをいただいた。組織の統廃合を機に退職しフリーで仕事をすることにしたとあり、驚きと尊敬の念を感じるとともにご健闘をお祈りせずにはいられない。

今日、職場に卒業生からはがきが着ていた。手作りするのが好きだった彼女は、上京して人形作りの勉強を始めたそうだ。まずは第1歩。夢に向かって着実に進んでいって欲しい。

私はといえば33才まで大学院に学籍を置いていた。好きな研究を納得するまでやってみたいとだけ願っていた。同時に、研究を続けられる就職などあるわけがなく、定職を持ち世間並みの暮らしなど縁のないものと諦めていた。予備校のアルバイトで収入は得ていたものの、名の知れた会社に就職した同級生や後輩達がうらやましかった。

それから十数年が経った。ありがたいことに思いもかけず職を得た。また、その後それなりの暮らしもできるようになった。世の中を生きていくのは大変である。しかし、捨てたものではないということも確かだと思う。
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1960-75高度成長の頃

2005年10月09日 00時00分45秒 | Weblog
NHK BS2で「あなたと作る時代の記録・映像の戦後60年 市民映像で見る1960-75高度成長」を見た。1961年生まれの私には高度成長時代は生い立ちそのものであり何とも感慨深い。

勤めていた会社が左前になり、父が自営業を始めたという個人的な理由もあると思うが、懸命に豊かさを追い求めていたのが60年代だったように感じる。東京オリンピックの記憶はほとんどない。池袋駅前の都電はうっすらと覚えている。地下鉄建設のために都内の道路は鉄板がひかれいつも工事しているのだと感じていた。1969年のアポロ11号の月面着陸のニュースは小学校で授業中にもテレビで見た。これと1970年の大阪万博は未来への素朴な夢を育んでくれたように思う。

小学校高学年のとき四谷大塚に通っていた。理科実験のクラスは成績に関係なく皆一緒で、成績一番の中野会場の会員の男の子と仲良くなった。あるとき彼に電話をかけた。彼とは電話で直接話せなかったが、住所や電話での様子から狭いアパートにたくさんの兄弟と暮らしているようだった。豊かな未来を切り開くため、彼はただならぬ決意で勉強しているのだ。だからこそ良い成績を獲得していたのだろう。畏敬の念と同時に何となく近寄りがたさも感じてその後連絡するのをやめてしまった。

皆が一緒に走っていたのが高度成長の時代だったような気がする。自分ではぼんやり過ごしていたように思うけれども、私もこの時代を駆け抜けていたのかもしれない。

もう30年以上経った。彼についての想像は私の思い込みに過ぎないかもしれない。でも「今どうしてる?」と話してみたい気もする。
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卒業研究の季節

2005年10月08日 20時13分40秒 | Weblog
後期に入り、卒業論文/卒業制作がラストスパートとなった。

いまの4年生が昨年書いたレポートなどを整理して懐かしく読み返した。
あと一息。自分なりに記念になるものに仕上げて欲しい。
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久しぶりの自転車通勤

2005年10月04日 02時18分55秒 | Weblog
先週の金曜日と昨日月曜日は自転車で通勤した。暑い間は自転車で通う気になれなかったが季節もよく気持ちがよかった。

ジムに通ってバイクをこぐよりも自転車で通勤した方が合理的だと思うものの、自転車を使うかどうかは天候と気分次第。往路がずーっと上り坂なので抵抗感も強い。

そうはいうものの、1年前から比べると上り坂もすこし楽になったような気がする。それを励みに、せいぜい週2回程度ではあるが、自転車通勤の回数を増やそうと思う。
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