おもいつくままに

身の回りのことや世の中のことについて、思い付いたことや気付いたことを記す

代打榎本のサヨナラホームラン

2012年03月31日 16時12分51秒 | Weblog
父と王子の駅で都電に乗り換え東京球場に着いた。当時の試合開始は19時だったと思う。父はこの日、いつもよりも早く仕事を切り上げていたのだと思うが、ロッテ西鉄戦は既に始まっていた。カクテル光線に照らされたグラウンドがとてもきれいで夢のようだった。

当時愛読していた少年向けのプロ野球本によると、東京球場は竹中工務店が手がけた最新式の球場で、たとえばベンチ裏の通路にはラバーが引いてあってスパイクで床を痛めないなどの配慮が行き届いていると書いてあった。

1塁側の内野席で見ていたと思う。ピッチャーは小山。アルトマンの肌の色の黒さにびっくりした。9回裏代打榎本のサヨナラホームランでロッテが勝った。ボールがライトスタンドに飛んでいく様子が今でも記憶に残っている。

断片的にしか覚えていないこの試合のことを調べて、父と話してみたいと以前からずっと思っていた。父は数年前突然逝ってしまい、それは叶わなくなってしまった。その後、東京出張のついでに野球体育博物館で調べたところ、1970年6月13日の試合と分かり、新聞記事のスクラップをコピーしてきた。

この年は大阪万博の年で、夏休みには工場の従業員といとこを連れて万博に出かけた年だった。万博の時の写真は、ものすごい混雑の中で父のカメラのふたが開いてしまったらしく、一枚も残っていない。宿で夜見たテレビドラマの「ザ・ガードマン」に出てきた狼男が怖かった。

仕事一筋だった父と遊びに出かけることはほとんどなかった。1970年小学校4年の夏は父との思い出深い年なのだが写真が残っていないのが残念だ。

昨日の新聞で榎本喜八の逝去が新聞に報じられていた。ライトスタンドに飛び込むホームランの弾道、観客が思わず息をのみ、そして喜ぶ様子が目に浮かぶ。同じ日に斎藤佑樹が開幕戦で見事勝利を収めた。高校野球の斎藤と田中の投げあいのことを父が話していたことを思いだす。新旧の野球人の入れ替わりを感じる。

あれからもう42年。もうそんなに昔のことなのか。
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共同研究者のおかげで

2012年03月31日 14時31分24秒 | Weblog
四半世紀前に一人で悩みながら研究を進めていたがなかなか成果が上がらなかった。10年ほど前から私よりずっと若い優秀で素敵な人と共同研究で進めることになってから、一人では得られなかった研究の楽しみと喜びを味わうことができ、それにともなって、研究にも幅と深まりが出てきた。

ここにきて、さらに若くて優秀で素敵な人々の出会いがあり、研究としてだけでなく人生の大きな喜びを感じている。

コメント (9)
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