和蘭展をやってました。
原色に近く、強い主張で、見かたによっては毒毒しい洋ランに比べて、
小さく淡く、うつむき加減で、山で出合っても見過ごしてしまいそうな花です。
写真は斜め下から撮ってますが、足元にあったら、まず顔は見えないと思います。
ちょっと日が陰ってきたけど、公園を散歩。
またメジロ君ですが、光量少なくスズメ君になりました。
これからは、短い花見の季節。
寒と雨は平日、暖と晴れは休日でお願いしたいと思います。
和蘭展をやってました。
原色に近く、強い主張で、見かたによっては毒毒しい洋ランに比べて、
小さく淡く、うつむき加減で、山で出合っても見過ごしてしまいそうな花です。
写真は斜め下から撮ってますが、足元にあったら、まず顔は見えないと思います。
ちょっと日が陰ってきたけど、公園を散歩。
またメジロ君ですが、光量少なくスズメ君になりました。
これからは、短い花見の季節。
寒と雨は平日、暖と晴れは休日でお願いしたいと思います。
花博をまたてくてく。
鶴見緑地でイベントやってました。
寒の戻りですが、嫁さんとダウン着込んで、自転車でゴー。
わずか2日前は、歩きで汗かいてましたけど、寒波と自転車だとそこまでいかず。
寒いので、焼きたてのアップルパイとチョコパイ。
台の上に耐熱煉瓦を積み木的に並べるだけで、即席の釜を作って焼く。
2重程度にすると、熱も逃げないみたいで、バンバンパイが焼けて出てきます。客の回転も素晴らしい。
自分にはチョークールに見えました。
缶の綺麗なオーストラリアのビールとわらびもち。
チョコが熱旨。
アップルのジャム?も熱旨。
わらびもちとビールで、うっ、寒。
で、温室へゴー。
今日のイベント。蘭に囲まれて、記念写真が撮れます。
最近は、外人さんの観光客も増えて、グローバルでございます。
ヒスイカズラ。コウモリが花粉を運ぶとのこと。
花の構造をコウモリしか蜜をゲットできない構造にして、コウモリだけが得するついでに花粉を託す。
得したコウモリが、また得しようと今度は雄蕊に行って、受粉させる。
他の不特定多数の生き物に貴重な蜜や花粉を渡しても、他の花にいっちゃって、雌蕊に行かないと受粉の確率は下がる。
ウィンウィンと言うやつですが、進化の結果の観察から行くと理解できるけど、
カズラとコウモリが、お互い旨いことやりませんかと協議しているわけもなく、
不特定多数から、なぜコウモリを、なぜカズラを特定の相手として選んだか。
たまたま、蜜がコウモリ好みの味になって、コウモリが受粉の主体になっても、他の生物に取られまいとする形はどうやってゲットしたか。
ちょっとだけ、花の形が他に取られにくい形と、取られやすい形に分かれたときに、後者が滅びたとか。
共進化をウィキペディアで調べたけど、結果の解説はあっても、最初のお見合い的な内容がなくてモヤモヤします。
今年も、サボテンの花の時期が来ました。
コロコロとして可愛いし、ラメが入ってたりして意外とオサレ。
仕事で広島。
県庁近く、よっちゃん総本店でお好み焼き。
薄い生地に、キャベツともやし、豚ロース。
確かに旨かったけど、想像通りの味。
人気店とそうでないところの明暗も、この具材でそんなに幅が出るのか不思議。
粉もん王国大阪の人間としては、もやしは水っぽくて、ソースを薄めてしまう感じがして抵抗あり。できればキャベツだけが・・。
今でこそ、大阪のお好み焼きは山芋とかを入れて、ふわふわやーっとかやっていますが、
自分が子供の頃のお好み焼きは、メリケン粉が中心で、キャベツもそんなに入ってきませんでした。
20数年前、風月のチェーン店が出来て、初めてキャベツ中心になり、粉はせいぜいキャベツを繋げる程度の比率に落ちたのです。
昔は自分で焼くスタイルの店が多く、火の通ってない生地は、あっメリケン粉・・。って味だし、分厚くして火がしっかり通ると今度は堅いし。
何度もひっくり返して、押して叩いて薄くして、ソースをなんぼ乗せられるかが勝負みたいなことをやってました。
春分の日。
気温20℃。天気が怪しいので、折り畳み傘を持って花博。
時期の早い桜は満開です。
芝生の横のサクラっぽいのは、アーモンドです。
杏子は終わりかけ。
菜の花はこれからあちこちで見ごろとなるでしょう。
モクレンは今です。
杏子らしき花が満開。
すると、バーッとメジロの群れがやってきて、しばし楽しませてくれました。
残念ながら、夕方でメジロの緑色がいまいちでした。
9時55分、徳島駅から高速バスで高松駅へ11時17分着の予定が5分ほど遅れて着く。
降りしなに運転手に道を聞き、港へ早歩きして、11時30分の高速船にギリギリセーフでした。
Googleの移動手段の検索は実に優秀で、ロスなく見事な工程を組んでくれますが、バス会社と船会社はお互い申し合わせも何もしないわけで、間に合わないという事態もあり得ます。リスク管理はこっちの仕事ですが、ちょっと焦った。
冷たい飲み物でほっと一息。
30分で直島へ。
地中美術館等、美術鑑賞の施設が沢山あり、美術を前面に押してます。
高速船、レッドバード。
港の美術品3つをコンプリート。
美術作品は今一つ心に響きませんでしたが、海は感動の綺麗さ。
5分でそのまま高速船に乗り継ぎすることも可能でしたが、
30分散策してフェリーで岡山の宇野港に行くことにしました。
ここは銭湯。外観だけ見ました。
平日なんで、バーやカフェは夜だけ営業が殆ど。
奥にご飯やさんがありましたが、ある程度客が入っていて、次のフェリーでは無理とのこと。
オシャレ重視のメニューで、観光地価格でした。
地元の漁師がやっている店とかはなく、外から来て空き家とかを安く借りた観光客相手の店が殆どです。
地元と町おこしとのウィンウィンってやつですね。
30分で港の周辺散策はおつりが来ます。
少しバスで行かないと美術館などにはいけないし、値段が高く、作家の名前も知らないし・・。
で、リベンジもないと思います。
こんどはフェリーで宇野港に。たった20分。
レンタサイクルがあり、海岸線をぶらぶらして景色の写真撮るのもありだったな・・。
次回移動で通過するなら、海の写真メインで考えよっかな。
宇野港のもつ鍋屋さんで、鶏ネギラーメン。
ややスパイシーで汗かきかき完食。
ここから20分歩いたところで、また打ち合わせです。
観光じゃないよ、移動だよぅ。
の、てくてくでありました。
仕事で徳島。
まずは明石大橋で淡路島を縦断して、鳴門大橋を渡る。
イン徳島。
ランチは魚の有名店。
焼き魚はハマチと思うけど、やけに分厚い。
小さいのに油がそこそこ乗ってました。
仕事がサクッと終わって、少しの時間、南部へ観光。
お遍路の23番寺、薬王寺へ。
シンボリックな赤い塔。
海と川とに囲まれた平野。
向かいに見えるは日和佐城(建物は城の模倣であり、再建ではないらしい)。
ここは海岸線ですが、温泉が湧いてます。
ここも、南海トラフのど真ん中。公共施設は耐震性、耐津波が求められる土地柄です。
90~150年周期と言われる地震のピッチを考えると、薬王寺の高さは何かを物語っているようです。
ウィキペディアによると焼失、再建は繰り返すも、震災については記述はありませんでした。
ここはウミガメの産卵が見られるとのこと。
昨年は上陸1匹、産卵に至るは0匹。
完全に嫌がられてると思います。たぶん、他の静かな浜で産卵してるのでしょう。
ウミガメ博物館カレッタ。
中を見たかったけど、感心ない人が多いので、断念。
出口近くからでも、ウミガメさんは見られます。
まっ、ウミガメも見れたし、今夜は打ち上げでございます。
2日目は、雨の合間を縫ってどうするか。
予定では熊野川の川下りでしたが、1時間半も屋根なしの船はつらいし、川面の綺麗さも晴れの下でこそと思うので、
車ですが、熊野三山をコンプリートしようとのこと。
まずは昨日に続いて2カ所目、熊野速玉大社。
以下、ウィキペディア引用。
熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。熊野権現も参照のこと。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。
熊野三山って何?
ていう漠然とした疑問については、熊野速玉大社のホームページが分かりやすいので、以下、引用しました。
私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょう?古代の人々にとって、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷であったと思われます。自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えます。
人間の生活を、また自らをも破壊してゆく自然の猛威、一方で暖かい光と豊饒の恵みをもたらす生命の泉としての存在・・・大自然の脅威と恵みは、古代人の心に「恐れ」と、気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出していきます。
その中で私達の祖先は、自然をも超越した完全無欠の神を望まず、大自然の中にこそ存在し、災害も恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を望みました。
熊野には、自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っていて、そのような特別の場所に、熊野三山の神々は降り立ちました。
災害も恵みも合わせ与える神。
自然そのものとも言えるものが信仰の対象なんですね。
伐採による保水力低下が原因で洪水が起こっても、その伐採した木で建った家に住んでるかもしれないし・・。
個人が大きく考えても、しょうがない。
いつものように、あれもこれも、上手くいきますようにと、恵みだけをお願いする。
ここに限らず、いつも10円程度の賽銭で、災いはなしで・・。
虫が良すぎる気もするけど、そもそも「神頼み」をしに参拝しているわけで、そこをなんとか・・。
熊野大社より、棟が多く、豪勢な感じ。
ほんとはすべてに参拝して賽銭を上げるそうなんですが、メインだけにしました。
ここでの御朱印は、近くの神倉神社もいっしょに書いてくれます。
続いて、神倉神社。
神様はまず、ここに降り立ったとのこと。
げっ、車で待ってるわ・・。
と、同僚に言いましたが、先に御朱印貰っちゃってるでしょう。と指摘される。
なんたら商法?と言いかけたけど、災いだけもたらされそうなので参拝することに。
両刀使いの神様って・・。
膝がやや痛いけど、斜め斜めにゆっくり上がる。
見えないけど、ここに神様がおられます。
昨日の熊野古道ではほぼなかった展望。
ちょっとの高度ですが、昨日が昨日なのでちょっとうれしい。
熊野灘に参拝道。人の営み。
ここは熊野灘。
南海トラフのど真ん中。
神様が与える災害と言えば、あれですか・・。
ってことで、以下、ウィキペディア引用。
この南海トラフ巨大地震による被害については、超広域に
わたる巨大な津波、強い揺れに伴い、西日本を中心に、
東日本大震災を超える甚大な人的・物的被害が発生し、
我が国全体の国民生活・経済活動に極めて深刻な影響が生じる、
南海トラフの地震は、約90 - 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生し、東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が毎回数時間から数年の期間をおいてあるいは時間を置かずに同時に3つの地震が連動していること(連動型地震)が定説だった。一方で、慶長地震は南海トラフを震源とすることに異論が出されており、南海トラフの地震は200年程度の間隔で発生すると考えるのが自然な姿であるという見解も存在する[4]。
最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録、それより古い地震は地質調査や文献資料からそれぞれ推定されており、今後も同じような間隔で発生すると推測されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波により大きな被害を出してきた。
この神社は落ちそうで落ちない岩で有名とのこと。
建物は何度も焼失しては再建しているとのこと。
カッコいい。
熊野大社は、1000年近く中洲にありましたが、それに比べると、こちらは90年から150年の超ハイピッチ。
地上120mのこの場所、それなりの意味がありそうです。
登りはいいけど、くだりはね・・。
ってことで、帰りは途中から女坂で降りました。
女坂も結構急なところもあるし、足元は水を含んだ粘土質で、余計に気を使いました。
やっぱり男も女も男坂をお勧めします。
続いて、浮島の森。
つくし誰の子、スギナの子。
お浸しで食ったのは小学生が最後でした。
泥炭で浮いている島に、様々な根腐れに強い木が威力争いしています。
昼飯は温泉の食堂で、マグロの角煮丼。
味付けバツグンでした。
最後は那智の滝。
最後の御朱印。
那智大社まで上がるかどうかってところで雨が強くなってきた。
もう、いいっしょ。
ってことで、那智と言えば、黒飴ソフト。
チョー甘ぇ。
帰り、荒れる太平洋をドライブ。
ヒラスズキを磯で狙うアングラーを見ましたが、ちょくちょく通うには遠いのですよ。
この年になると、うっ、寒。と言っておしまいでした。
印南サービスエリアであまおうソフトで口直し。
ここから、御礼に東大阪の自宅まで3時間、運転を代わる。
同僚の日産セレナの高速自動運転を試したかったのです。
50~114kmまで勝手に増減速をやってくれて、休日の和歌山の高速にはもってこいの技術でありました。
直線でもハンドルがじりじり左右に動いて、自動でやっていることを知らせてきます。
但し、白線のペイントが不明瞭な場所、トンネル、トンネルの前後など、白線をしっかり認識できないときは、自動ンドルはちょくちょくキャンセルになるし、紀ノ川当たりのきついカーブでは、追い切れずに自動ハンドルがキャンセルになります。
追い越し車線の真ん中のコンクリ―ト壁にかなり接近してから、やめまーす。ってなるので、居眠り運転すれば即事故。
いつもカーブの内側にいて、外側に大きく距離を開ける運転をする自分としては、カーブの外側の白線に近づきすぎては内側へ、近づきすぎては内側へ、自動でハンドルを切り足す挙句に、やめまーす。その時、コンクリート壁は既に目の前・・。
ちょっとまてや! と言うぐらいなら、きついカーブの内側にいるように、事前にハンドル操作してしまいます。
それでも、テレビの音を聞きながら、かなり楽に家まで帰れました。右足の仕事量って意外と全身の疲労に繋がってるんですね。
但し、こちょこちょ車線変更したり、前に詰めて割り込ませない運転をする人には全く無用で相反する技術であり、車の購入から間違っています。
ゆったりと構えて、バンバン割り込まれても、車が勝ってに下がるわな。帰る時間に大差ないわな。
って気持ちが大事です。
早く自分の新車で試したいけど、特に高速で行く用事ないなぁ。
請川から熊野本宮まで、あと40分、熊野古道は続いてますが、車でぴょーん。
自分の足で、山から街、街から本宮に入って行くと、じわじわと感動したかもしれませんが、
山しかない環境から、本宮にワープしたので、体感的につながっておりません。
時間に余裕がある方は、熊野本宮に車を置いて、本宮に帰ってくることをお勧めします。
最初はそのプランだったのですが、バスの時間を逆算すると、大阪4時なんでパスしました。
逆にそんなに山中を歩きたくないという人は、本宮に車を停めて、十数分だけバスで請川に移動して40分だけ歩くのもいいかも。
熊野本宮、明治22年の水害のため、高台に移っています。
ワールドカップの日本のユニホームでおなじみの、八咫烏。
古くからある八咫烏のシンボルを探しましたが、最近の新しいものしかなく、ちょっと残念。
御朱印を頂きました。
参拝道につきものの階段。
ハイキング程度とはいえ、13km程歩いた後、登りはいいけど下りはね・・。
私、ご当地ソフトは食べる人。
ミルクソフト。この辺に牧場あったっけ?
明治22年の水害の前は、熊野川の中州に本宮はありましたが、今は新しい鳥居のみとなっています。
明治22年の水害前の熊野本宮。
2011年にも大きな水害があり、泊まったことのある温泉宿が被害に会ったりして、
この辺は、毎年、台風が直撃したら大きな被害が出そうなイメージが定着していました。
そのイメージでここに降り立つと、なんでこんなところに作ったん?という疑問。
中洲に熊野大社本宮が建立されてから明治22年まで、無事だった期間がいくらあったのかが次に知りたくなった。
以下、ウィキペディアを引用。
1871年(明治4年)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として国幣中社に列格し、1915年に官幣大社に昇格した。
現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にあった。明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている[1]。
熊野坐神社として、はじまりを調べると851年。
851年から1889年の災害まで、別の場所に移すことを考えないほど、水害がなかったのか、建物が被害にあっても同じところに作り直したのかは不明。
土地はいくらでもあったので、たぶん、1000年ほどの間、水害らしい水害はなかったが正解かと思います。
ここにも新しい八咫烏。
古い八咫烏は見つからず。
昔の堤防の名残。奥が新しい堤防。ここは下流側ですが、新堤防は途中で止まっています。
右側に新しい堤防。
下流側に堤防はなく、開いてます。
今は鳥居しかないので、頑張る必要はないし、水害の後、池になっちゃうし。
ってところでしょうか。
昔の熊野大社の石垣。
まだ時間があるので、湯峰温泉へゴー。
世界遺産の「つぼ湯」の待ち時間2時間半とのこと。
公共の源泉に入りましたが、熱くて少ししか入れず、すぐに出る。
最初から加水の一般風呂に入ればよかった・・。
源泉ありがたがりあるあるでした。
つぼ湯は単体ではなく、熊野古道の一部としての世界遺産。
温泉も楽しんでの世界遺産に納得であります。
ようやく宿。
西日本一でっかい露天風呂が自慢の「わたらせ温泉」です。
好きな温度の場所でじっくり汗をかけるので、自分的にはここがいいかも。
よく、ネットの検索で、お勧めでつぼ湯が出てきますが、宿泊でもしない限り2時間半は待てないし、朝6時でも宿泊客が殺到するので、
待ち時間はいっしょとのこと。
待っている人がいると長湯できないし、温泉来て、せわしないのは温泉ではないのです。
宿は少し高めでしたが、料理はがっちり豪華で損した気分はありません。
安さにこだわって、飯がしょぼいと後で思うぐらいなら、多少散財するほうが良いのであります。
昼飯1コイン以下なんで、罰は当たらない。
次々でる料理の優しい味付けと、生ビール。ひたすら吸収でありました。
会社の同僚のお誘いで、熊野古道。
小口~請川の13km、中辺路をてくてく。
5時半出発。車で拾ってもらって飛ばしに飛ばし、請川バス停8時半過ぎ。
バスで請川-神丸、神丸-小口の予定でしたが、しっかり時刻表を見てなくて神丸の待ち時間が2時間近く。
歩きスタートが11時過ぎになってしまう。
で、ヒッチハイクの真似をやりつつ、近くの公共温泉施設、神丸温泉「さつき」らへんで、タクシーを探す。
温泉施設を過ぎたあたりで暇そうなおじさんに聞くと、その人がタクシー屋さんでした。
わずか10数分。2000円ほどで小口へ送ってもらい、10時頃から熊野古道へ。
気温15℃。快晴です。
ゆるゆると高度が上がるので、汗も大してかかず、体を動かすには最高でしょう。
ここがピーク。実質高度差は400m程。
展望がなく、ピークもなく、大きな山の中腹をひたすら回っているような錯覚に陥る。
99%はこんな道。木漏れ日は気持ちいいんですけど。
茶屋後が沢山あれど、茶屋はなし。
ようやく展望ポイント。
お握り食って休憩。
高度は低いけど、奧駆道と同じ景色。
山はあれど、人の営みや海はなし。
まだ花もないし、せめて生き物でもおったらなぁ。
と話してたら、ヒキガエル。
動かないんで、調子に乗って写真撮りまくると、突然、ドサッと手前にジャンプ。
春先で動きも鈍く、飛距離もなかったけど、もう少し近くに落ちたら、腰抜かしてたかも。
何かしら、写真が撮れて良かった良かった。
と言いつつ、少し進むと、柄違いのヒキガエル。
今度は♀の奪い合い。
ハイキングルートにあるイノシシの蒐場で、ヒキガエルのプロポーズ大作戦でありました。
こんなところでオタマジャクシがちゃんと育つのか疑問です。
でも、生き物好きとしては、そこそこ満足の中辺路でありました。
川が見えたらゴールはまじか。
コケの植生。複数種が混在しており、一種独裁でないところが好き。
今回歩いた道です。
人気のコースらしいですが、カエルがいないと、実に単調でありました。
飲み物も2.5リットル持参の消費1.5リットル。
15時過ぎに車に帰ったので、ココからは観光であります。
本日仕事で兵庫県は元町。
10年以上前は、かなり頻繁に通ってました。
そのころは行くたびに宿題がでたので、とんぼ返りか多かった。
仕事も年末に向けて、ようやく落ち着いてきたので、とんぼ返りせず、中華街をぶらぶら。
昼飯は買い食いで済まそう。
まだ、お店もお客もパラパラ。午後からが本番みたいです。
小籠包。
味は良いけど、恒例の焼けどジュースは不発。
うーん。昨日の売れ残りの暖めなおしみたいな・・。
いつも大行列でパスしてた人気店が並んでない。
で、また小籠包。
やっぱり味はダントツですね。
でも、またまた焼けどジュースは不発。
具も少し硬いような・・。
やっぱり、昨日のやつの暖めなおしみたいです。
前回、イマイチだった北京ダックをまた食う。
濃い味噌ダレに硬い皮、キュウリ、ネギ、クレープを一緒に噛む。
ダックはイマイチというか、そのものの味がタレに邪魔されてわかんない。
食感もキュウリ、ネギ、硬いクレープが、ダックの皮より歯ごたえがあって、そっちがメインになってしまう。
包んでいる薄紙と硬いクレープの食感が一緒で、また包み紙ごと、ある程度食ってから気付く。
はっと気が付くと、前来た店と一緒でした。
いっそのこと、キュウリ、ネギ味噌クレープとして、ダック抜きで300円で売ってほしい。
ぼつぼつ人が増えたところで、帰って仕事の午前11時半。
初めて見る蘭。
茎から四方八方花が出てます。
ヒスイカズラ。
この色はぜひ、現物を見るべし。
サボテンの花、これから増えてきます。
コロコロとして、作り物みたいに人工的な光沢が花にあったりします。
白いケシ。初めて見た。
最後はカインズで桜とイチゴ?のスィーツ。
お出かけが楽しい季節がやってきました。