2024年2月16日~22日の日程で、筆者はアフリカのケニアの首都ナイロビとエチオピアの首都アディスアベバを旅行しました。このブログでは、ナイロビ訪問の思い出をつづります。
ナイロビはイギリスから1963年に独立したケニア共和国(人口約5千万人)の首都で、都心・郊外を含む首都圏地域の人口は439万人(2019年)です。赤道に近い位置にありながら標高約1600メートルの高地にあり、年間を通じて温暖な気候で緑も豊かで住みやすいです。筆者が訪れた2月の平均最高気温は27℃、平均最低気温は15℃です。最も涼しい7月の平均最高気温は22℃、平均最低気温は12℃ということです。今回はベルトラ(Veltra)の現地ガイドさんによるナイロビ市内観光の個人ツアーを利用しました。
写真①↑:個性的なデザインの高層ビルが立ち並び、発展を続けるナイロビ中心街を臨む。
写真②↑:新興国ナイロビの都心は新築や改修中のビルが立ち並びます。ダウンタウンは人通りも多く、また車社会の浸透が印象的です。現地ガイドさん曰く、都心の官庁街や周辺は対テロ対策でセキュリティが厳しく、むやみに写真等を撮っていると警察官に呼び止められるそうです。そのため写真撮影等を控えました。
◆観光スポット◆
◆カレン・ブリクセン博物館:1985年公開のメリル・ストリープとロバート・レッドフォード主演の映画「愛と哀しみの果て」はアカデミー賞作品賞を受賞しています。この映画の原作「アフリカの日々」(1937年出版)を書いたデンマーク出身の女流作家、カレン・ブリクセンの家とコーヒー農園の跡地が博物館として当時の調度品や農機具、本や絵画等がそのままの形で保存されています。(残念ながら館内は撮影禁止でした。)少数の白人資産家が多数の現地黒人を使用して農園等を経営していたのどかな植民地時代が想像されます。同時に、アフリカから連れ出され売買された黒人奴隷が、過酷な労働を強いられた南北アメリカ大陸の歴史との対比が目に浮かびました。
写真③↑:カレン・ブリクセンの家。博物館として当時のままで残されています。
写真④↑:博物館の周辺敷地にはコーヒー農園で使用していた当時の農機具等が置かれています。
◆ジラフ・センター
ナイロビ郊外にある絶滅危惧種のキリン(英語でGiraffa ジラフ)の保護と繁殖を目的とした国立の施設です。世界からの観光客は、目の前のキリンに直接餌を与えることができるので人気です。筆者も餌を与えましたが、舌の感触より、口の周りのひげというか体毛というかの感触が体感でした。なお、下にこぼれた餌をイノシシが食べていました。
写真⑤↑:観光客がキリンに餌をあげられます。入場料は有料ですが、餌代は無料です。
写真⑥↑:ジラフ・センターで見られるキリンは3種です。体の模様が違います。
写真⑦↑:車が移動の主たる手段ですが、郊外の道路はまだまだ整備状態が万全ではありません。
◆マサイ族
直立してのジャンプが印象的なマサイ族の人口は、推定で20~30万人程度とされています。伝統的には遊牧民でしたが、国立公園や自然保護区の設立、都市化や教育の普及等により遊牧が難しくなり、多くが都市部に移住して観光ガイド等観光業や密猟監視員、お土産店員等として生活しています。昔ながらの遊牧生活をしているマサイ族は極めて少ないそうです。何となく、日本のアイヌ民族を思い浮かべてしまいました。
写真⑧↑:陽気なマサイ族の人たち。郊外のお土産店の入口で呼び込みをしていました。
写真⑨↑:郊外のマサイ族のお土産店の中は様々な木彫りや織物、絵画等でいっぱいです。筆者はジラフ・センター訪問記念にキリンの木彫りを購入しました。値札は無く、価格は交渉次第です。値切ったら、その代わりにボールペンをくれといわれ日本の100円ショップで購入したものを差し上げました。彼らにとって、日本のボールペンは貴重品なんだろうと察した次第です。
写真⑩⑪↑:ナイロビの都心で開催されていた100程度のテント店が集まる通称マサイ・マーケットでは、観光客や市民向けに様々な民芸品や商品が販売されていました。改めて、カラフルで陽気なアフリカ文化を感じました。
以上
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