おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

世界3大がっかりな名所 2023年版

2023年12月31日 | 旅行

 旅行者の笑い話にある「世界3大がっかり名所」には諸説あり、有名なのがシンガポールの「マーライオン」、コペンハーゲンの「人魚姫像」、ブリュッセルの「小便小僧」だそうです。他にシドニーの「オペラハウス」、ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会にある「真実の口」、ドイツのライン川流域にある「ローレライ」・・・という意見もあるそうです。

 さて、2023年(令和5年)大晦日にあたり、定年退職して旅行がもっぱらの趣味となった筆者が今年に初めて訪問した海外の観光地を振り返り、その中で感じた「3大がっかり名所」を順不同で記します。イメージ(先入観・前宣伝)と実態に差があったという観点からの、あくまで個人的な見解ですのでお許しください。個々には、旅行の際には絶対外せないとても魅力的な観光スポットです。

◆ブラジル・サンパウロの「日本人街」
 最初のブラジル移民が始まった1908年(明治41年)以降の約100年間で約26万人の日本人が移住しました。現在は世界最多の約200万人の日系人人口を誇ります。当初は貧しい農業労働者でしたが、2世・3世以降は勤勉さと教育程度の高さから多くが一般企業や公的機関等に勤めるようになりました。それに伴い日系人はブラジル社会に同化し日本人街を離れ、その空き家・空き地が中国系や韓国系に買い取られていきます。少し前の観光ガイドではサンパウロの「日本人街」として有名ですが、既に現地では「東洋人街」と改称されています。確かに赤い鳥居が通りを飾り、日本食レストランや日本食品・商品を扱う店舗も多いのですが、実態は日本人街というより東洋人街になっています。特筆すべきは、街中に「ブラジル日本移民史料館」があります。博物館と呼ぶほど大きくありませんが、血と汗と涙と喜びでつづられた日系人の歴史と文化が収集され展示されていて感動しました。

①日本人街

◆米国・マイアミの「リトルハバナ」
 キューバ革命後の1960年代にキューバからの難民や移民が多く住むようになりました。市内を巡る観光バスツアーでは下車してフリータイムとなり、キューバ料理レストランやキューバ音楽が流れる居酒屋、特産品の葉巻・コーヒー・お土産を売る店が並ぶ通りに沿って観光します。街全体がスペイン語で満ち、別世界です。しかしながら、イメージ的に、例えば横浜中華街のようなそれなりに大きく広いエリアのように思っていたのですが、実態は商業施設の店舗数もそれほど多くありませんでした。温暖な気候に恵まれた商業都市・港湾都市として大きく発展しているマイアミ市の中にあっては、「リトル」が相応しい観光スポットでした。

②リトルハバナ

◆米国・ハワイのワイキキビーチ
 地理的にワイキキは8つのビーチで構成されています。しかし、観光ガイドで紹介される中心は、デュークカハナモク像(ハワイ出身の五輪金メダル水泳選手・サーファーの父)のあるクヒオ海岸です。ワイキキは有名ホテルやレストラン、ブランド店、スポーツや文化施設等が充実していて活気があります。しかしながら、外部から白砂を運び込み人工的に作られた砂浜自体は、筆者が今年訪問したメキシコ・ユカタン半島の「カンクン」やフロリダの「マイアミビーチ」、地中海に面したイスラエルの「テルアビブ」等と比較すると小規模です。ビーチとしては、江の島や湘南海岸公園周辺の湘南海岸と大差がないように感じてしまいました。それでも、海外旅行の魅力が凝縮されているコンパクトで常夏のワイキキは、休暇が短い日本人には適したリゾートと思います。

③ワイキキビーチ

以上

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ふるさとは遠きにありて思ふもの?

2023年12月26日 | 日記

◇2021年11月に、50数年ぶりに筆者が生まれた故郷・愛知県岡崎市を旅行しました。築70年近くなる当時の自宅がまだ残っていたのには本当に驚きました。通った幼稚園も小学校も、よく遊んだ神社や公園もありました、感動モノでした。ぜひ、遠きにある故郷を訪れてみてください。

 

 今日は2023年(令和5年)12月26日、故郷への年末年始の帰省が始まります。
 シニア世代の私たちは誰もが学校で習ったと思いますが、「故郷」という言葉を聞くと思い起こされるのが「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という詩の一節です。この詩は、大正7年(1918)に刊行された金沢市出身の詩人・小説家、室生犀星の詩集「抒情小曲集」に収められています。その心情は、彼が金沢に帰ったけれど周囲に受け入れてもらえず、辛い思いを抱きつつ故郷を去ろうとする時の思いだとされています。

 筆者はその昔、東京に就職してからもお盆と年末年始は両親が住む秋田に帰省していました。父親が退職後に寒い秋田から温暖な千葉県の外房に移住し、晩年は浦安市に移りましたので、帰省先も変わっていきました。

 帰省のニュースが話題となるといつも思うのです、「故郷」って何でしょうか?

 筆者の出生地は愛知県(上記写真参照)ですが、両親の移住とともに、通った学校や生活拠点も変わり、第二の、第三の故郷・・・と増えていきました。結婚をし子供を持つようになり、孫を持つシニア世代となった今、私自身は振り返って「親」の住むところが「故郷」なんだろうと感じています。

 数年前に定年退職を迎え「終の棲家」をどこにしようか移住も含めて考えました。結論は、自分の子供たちのことを思うと、彼らが生まれ育ったこの「多摩ニュータウン」を彼らの「故郷」にしてあげようということです。子供たちは皆、既に結婚をして家庭を築き自立していますが、また今年も私たちが住む彼らの「故郷」に帰ってきます。

 筆者にとって「ふるさとは遠きにありて思ふもの」ではなく、「故郷」は、遠くにあっても近くにあっても、いつでも優しく迎い入れてくれる、自分を産み育ててくれた両親の「家」だと思っています。

以上

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冬の風物詩・イルミネーション

2023年12月24日 | 日記

 昨今、冬の風物詩と言えば、鮮やかなLED電球が都市の駅周辺大通りの街路樹や広場、遊園地等を彩るイルミネーションです。日本で最初のイベントは1981年(昭和56年)に、さっぽろ雪まつりで有名な大通公園にあるわずか1本の木を約1千個の電球で飾った「さっぽろホワイトイルミネーション」だそうです。36回目となる今年は11月18日から約52万個の電飾が公園一帯で輝いています。
 イルミネーションは今や、クリスマスや年末年始をまたぎ寒い冬の集客イベントとして全国に広がっています。

 筆者が住む東京都の多摩ニュータウンでも、「サンリオピューロランド」のある京王・小田急の多摩センター駅前がイルミネーションで飾られます。今年で23回目となり約40万個の電飾が、12月2日に点灯式が行われた約12メートルのセンターランドツリーをはじめ駅周辺に展開されています。
 以下は、昼間の光景と夜のイルミネーションの光景を写真でご覧ください。

◆センターランドツリー(昼と夜)↓ ※高いビルは「ベネッセ東京本部」。その前を過ぎて50mほど先に「サンリオピューロランド」があります。

◆多摩センター駅からセンターランドツリーに向かう歩行者専用の駅前大通り(昼と夜)↓

◆「光の水族館」と名付けられたアーチをくぐります。↓ ※10/28~1/8まで設置されています。

◆アーチをくぐってセンターランドツリーに向かいます(昼と夜)↓ ※夜になると露店や屋台が並びます。

◆センターランドツリーから「パルテノン多摩」(後方ビル)に向かう途中にキティちゃん(昼と夜)↓

◆ちなみにサンリオピューロランドの夜の正面入口はこんな感じ↓ ※若い女性と家族連れと外国人でめちゃ混んでいます。

以上

 

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紅葉が終わり冬の準備です

2023年12月18日 | 日記

↑写真上①・12月18日撮影。 ↓写真下②・11月25日撮影。

 今日は師走2023年12月18日(月)、今年も残り少なくなりました。筆者が住む多摩ニュータウンでも季節の変わり目を迎えました。紅葉シーズンが終わり冬の準備です。

 2023年11月26日に投稿したブログ「多摩ニュータウンも紅葉の季節です」の続編です。写真下②11月25日と同じ場所で、写真上①12月18日に撮影をしましたので比べてみてください。

 団地内には針葉樹と落葉樹がバランスよく植栽されていますが、真っ赤に紅葉していたモミジ等の落葉広葉樹が葉を落としました(写真下③参照)。冬がやってきました。

 

↓写真下③落ち葉です。

↓写真下④冬になると寒椿が咲き誇ります。

以上

 

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映画「ゴジラ・マイナスワン」の感想文

2023年12月10日 | 日記

 

 公開1か月を経て、映画「ゴジラ・マイナスワン」を12月7日(木)に自宅近くのイオンシネマに見に行ってきました。コロナ禍を経て、筆者ももっぱら自宅に居てNetflixやPrime Videoで映画を楽しむようになりました。そんな折、国内外で公開時の興行収入で新記録を樹立し、内容的にも歴代最高のゴジラ作品との評価が定着しつつあり、しかもVFXがめちゃ凄いとあって数年ぶりに大画面・大音響の映画館に出かけたわけです。

 ゴジラ・マイナスワンは、1954年(昭和29年)公開の第1作から数え70周年記念作品です。これまで日本国内で製作された実写映画は、2016年(平成28年)公開の『シン・ゴジラ』までで29作、加えてアニメ版が4作、更に米国ハリウッド版が5作あり、筆者はそのほとんどを映画館やテレビ、動画配信等で見ていると思います(数えたことはありませんが)。
 流行りのアニメやドラマの劇場版が、現在の日本の映画産業を支えていることは事実でしょう。そんな時代に、ゴジラは日本映画オリジナルの“大スター”です。マイナスワンは着ぐるみの特撮ではなく、全て最新のCGとVFXにより筆舌に尽くしがたい人知を超えた“怖く獰猛な怪獣”として製作され、絶対に映画館で見るべきエンタテインメントだと改めて感慨に至りました。

 マイナスワンの監督・脚本・VFXは日本アカデミー賞最優秀作品賞・監督賞・脚本賞等を獲得した2005年(平成17年)公開の「ALWAYS 三丁目の夕日」等で著名な山崎貴です。
 太平洋戦争敗戦直後の廃墟から復興する日本で、突如出現したゴジラに対し、戦争で生き残った復員兵ら民間人の有志たちが占領時代の米軍に頼ることなく、力を合わせて残存していた駆逐艦や試作戦闘機を駆使し決死の覚悟でゴジラに挑む作品です。そのストーリーの中に、特攻から逃げ帰り生き残ったことに苦悩する兵士や空襲で家族・家屋を失った絶望から逞しく立ち上がる女性らの人間ドラマが組み込まれ、単なる怪獣アクション映画の域を超えた人間ドラマに涙します。

 個人的な感想ですが、ゴジラが銀座を破壊するシーンは圧巻ですが、海を泳いで船を襲ってくるゴジラの恐ろしさはスピルバーグ監督の「ジョーズ」のようです。生きることに執着しつつも最後には死を覚悟し特攻機に乗り込む兵士の話は、2013年公開された百田尚樹原作の「永遠の0」を連想させました。
 国内興行収入でゴジラ歴代最高の82.5億円を記録した庵野秀明脚本・総監督の「シン・ゴジラ」は、エリート集団の官僚や総理・政府等が中心に描かれ、自衛隊や米軍や国連軍、最後は熱核兵器まで話が飛び、シリアスで具体的で迫力満点ながら政治的・軍事的過ぎる展開は、ある意味で冷ややかなストーリーでした。これに対し、マイナスワンは、生と死に直面した敗戦の廃墟からの復興を時代背景に、冷戦と核兵器が生み出したゴジラに立ち向かう第1作のテイストに原点回帰したような人間力・人間味があふれています。ゴジラの登場シーンでは歴代のゴジラやモスラのテーマ音楽が効果的使われ、30作の歴史と伝統を感じさせてくれます。
 映画評論家やファンの皆さんが評するように、シニア世代の筆者もマイナスワンはエンタテインメントとしての面白さ、充実度が高く、映像技術的にもストーリー的にもゴジラ映画歴代最高傑作と思います。

 ゴジラのことを思い起こせば、地方育ちの筆者のきっかけはその昔、毎年夏休みになると、加山雄三の若大将シリーズと2本立てで上映され、学校で配布された割引券(?)を手に映画館に行くのが楽しみでした。着ぐるみとミニチュア模型のセットによる特撮と理解しつつも、ゴジラが都市を破壊し、モスラやキングギドラ、キングコング等と闘うシーンは巧みで、圧巻でした。その後の人生においてSFやファンタジー系の映画が趣味となりました。付記として1967年(昭和42年)から若大将シリーズに出演していた酒井和歌子のファンにもなりました。

 ゴジラの次回作は、2021年公開のゴジラ対キングコングの続編となるハリウッド作品が来年2024年4月に米国で公開されます。その次はマイナスワンの大ヒットを受けて、山崎貴監督の日本版に期待が高まるでしょう。さてさて、突拍子もなく意表を突いて、ゴジラ対ガメラやゴジラ対大魔神はどうでしょうか・・・(笑)。

以上

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