おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

YOSAKOI よさこい 夏祭り!

2024年07月15日 | 日記

 2024年(平成6年)7月14日(日)に筆者の地元、東京都多摩ニュータウンの多摩センターで開催された恒例の夏祭り「たまよさこい」を観覧してきました(写真①↑:ポスター参照)。

 本家本元の南国土佐の高知「よさこい祭り」は1954年(昭和29年)8月に第1回が開催され70年の歴史があります。そして1992年(平成4年)札幌で誕生した、毎年6月に開催される地元の民謡ソーラン節とよさこいを合体させた「YOSAKOIソーラン祭り」は、全国から踊り子約3万人、観客約20万人が集い今や本家本元を凌ぐほど大規模になっています。

 筆者は2006年(平成18年)6月に札幌を訪問した際に、初めてYOSAKOIを体感し、踊り子や市民、観客らの迫力・熱量・楽しさに感動した思い出があります。期間中は、踊り子たちが勇ましく会場周辺を闊歩していました。今や様々なよさこい祭りが、東京でも全国津々浦々でも夏の風物詩として開催されるようになっています。

・写真②↓:「調布よさこい組 舞夢」の踊り。

 「たまよさこい」は超ローカルな祭りですが今年は17チームが参加して、趣味で楽しんでいる老若男女の踊り子たちが鳴子(なるこ)を手に、創意工夫した衣装と化粧と踊りを披露し合いました。日本最高峰と言える札幌YOSAKOIとは全く比較になりませんが、あの札幌の感動が思い出されて、しばし観覧していました。

・写真③↓:出番を待つ踊り子たち。

・写真④↓:参加チームの個性的で大きなフラフ(旗)が集い迫力ある舞い踊りを披露し拍手喝采。

・写真⑤:会場には露店も立ち並びました。

 昭和の高度成長期に開発された「ニュータウン」に移り住んだ住民にとって、豪華絢爛な神輿や山車等に彩られ、何百年もの歴史と伝統を誇る祭りとは全く違う、地元の企業や商店街、住民たち等が手弁当で企画運営する「よさこい祭り」の魅力に愛着を感じるのは筆者だけではないと思う。町内会で楽しむ盆踊りと共に夏の風物詩として、来年も楽しみだ!!

以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国首都ワシントンDCのスミソニアン博物館を訪問して

2024年07月04日 | 旅行

写真①。

 2024年2月に、筆者は30年ぶりに2度目となる米国首都ワシントンDCを訪問しました。今回私の一番の目的はスミソニアン学術協会が運営する19の博物館と研究センターの見学です。米国を代表する科学、産業、技術、文化、芸術、歴史、自然等の博物館や教育研究機関が、ホワイトハウスや合衆国議会議事堂、ワシントン記念塔、リンカーン記念堂(写真①↑参照)、ポトマック川沿い桜並木等と共にナショナルモール周辺に立ち並んでいます。これらの政府機関や博物館等の観光スポットは、計画的に設置・整備され、少し頑張れば全て徒歩圏内にあります。ワシントンDCには全米、全世界から観光客がやってきますが、博物館等は基本全て入場料が無料です。
 筆者は3泊しましたが、収集物は1億4200万点と言われるスミソニアン博物館群は一つ一つの博物館・美術館がとても大きく、全てをゆっくり観覧するには不十分でした。しかも、一番人気のある「国立航空宇宙博物館」は建物の半分が改装中でした。残念!

写真②。

 そんな中で、このブログでは「国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館」(National Museum of African American History and Culture)をご紹介します。写真②↑はそのユニークなデザインの外観です。

 2016年9月にオープンした、スミソニアンで一番新しい博物館で、人気も高く事前予約が必要です。館内はアフリカ系アメリカ人の歴史と文化に焦点が当てられ、奴隷制度、分離政策、公民権運動、初の黒人大統領等の歴史がビジュアル化され、詳しく分かりやすく展示されています。筆者にはとても感動的で学ぶことの多い1時間余りの観覧でした。そして、黒人の音楽やスポーツ、アート等の分野での活躍や功績は圧巻です。誰もが知るスーパースターの記憶がよみがえります。

 以下、1960年代以降の展示の中から撮った写真の一部です。

・写真③↑:キング牧師の"I Have a Dream"の演説は米国の歴史の転換点です。1964年にノーベル平和賞を受け、1968年39歳の時に人種差別主義者の白人に暗殺されました。

・写真④↑:1968年メキシコ五輪の陸上200m表彰式で黒人メダリスト2名が、米国旗が掲揚され国歌が演奏される中、下を向き靴を脱ぎ黒い手袋をした拳を突き上げ人種差別に抗議を示しました。彼らはその後処分を受け、競技人生を終えました。

・写真⑤↑:「Black is Beautiful」ムーブメントは1960年代に米国で始まり、アフリカをはじめ、日本を含めて世界中に広まっていきました。

・写真⑥↑:マイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズ等は黒人の間だけでなく全人類のスーパースターです。

・写真⑦↑:2009年1月就任の第44代米国大統領は黒人初(有色人種初)のバラク・オバマ大統領です。父はケニア出身の黒人、母はカンザス州出身の白人で、彼自身は1961年にハワイで生まれています。ノーベル平和賞を2009年10月に受賞しています。

以上

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界遺産・富岡製糸場で思ったこと

2024年06月18日 | 旅行

写真①↑製糸場全体図(案内パンフレット)。

 群馬県に旅行してきました、と言えばどこを思い浮かべますか?人口が最も多い約37万人の高崎市や県庁所在地の人口約33万人の前橋市、あるいは草津温泉や伊香保温泉や水上温泉、榛名山や赤城山や尾瀬、それとも保渡田縄文古墳群や群馬サファリパーク・・・。2024年(令和6年)6月14日に筆者は富岡市にある富岡製糸場(写真①↑製糸場全体図参照)を訪問してきました。

・写真②↑正面入り口。奥に見えるレンガ造りが国宝の東置繭所。

◇富岡製糸場の歴史
 世界文化遺産「富岡製糸場」(正式には「富岡製糸場と絹産業遺産群」)は、2014年(平成26年)6月25日に、前年登録された富士山に次ぎ日本で18番目(現在全部で25か所)の世界遺産として登録されました。
 西洋の製糸技術と機器を取り入れ、フランス人を指導者に招いて全国から10代の若い工女を募集し、日本初の本格的な機械製糸の工場として1872年(明治5年)に設立されました。世界最大級の規模で高品質の生糸が大量生産され輸出されて、その後の日本と世界の絹産業に大きく貢献したのです。そして115年の歴史を刻み、1987年(昭和62年)に操業を停止しました。その建物等は保存・改修され、現在世界遺産として観光することができます。

・写真③↑国宝の東置繭所。入口に総合案内所があり、中で展示パネルや映像ガイド等が見られます。

・写真④↑国宝の西置繭所。内部の半分は200人規模の多目的ホールとして講演会やコンサート、結婚式等に貸し出されています。

・写真⑤↑国宝の西置繭所の内側。壁や窓、天井のつくり等が見えます。

◇来場者数の推移

 富岡製糸場が世界遺産に登録された2014年に133万人、翌年も114万人の観光客が訪れました。爆発的ブームが去り以降徐々に減少し、2019年(平成31年/令和元年)は44万人となりました。コロナ禍で年間来場者は10万人台まで落ち込みましたが、その後回復に転じて2022年(令和4年)は31万人を記録しています。筆者の訪問は平日午後でしたが、外国人観光客もほとんど見かけず、ゆったり見学して回れました。ブーム時はオーバーツーリズムで大混雑だったろう周辺の土産店や飲食店も空いていました。

 なお、ご参考までに、現在富岡市の人口は4万5千人です。

・写真⑥↑敷地内にある高さ37.5mの煙突と蒸気窯所、鉄水留等です。

◇日本のものづくりの原点として

 富岡製糸場を訪問して敷地内の建物や展示物、資料等から学び、ふと思い起こしました。明治政府が富国強兵・殖産興業・外交等の国策を推進し、日本は明治・大正・昭和を経て世界の工場となり、貿易立国として世界第二位の経済大国にまで成長した歴史です。今や少子高齢化と人口減少に直面している成熟した日本は、工場や販売拠点等の海外移転が進み、技術革新や新しい産業創出にも出遅れ、貿易黒字を稼げるものが自動車ぐらいしか無いと言われています。
 そんな時代だからでしょうか、富岡製糸場にものづくりの原点を見たように思います。明治になって義務教育が始まりました。それを終えたばかりの少女たちが全国各地で募集され集まり集団生活をしながら、ひたむきに製糸工場で働きその後の日本の発展を底辺で支えたということです。そんなものづくりの歴史が、現在グローバルサウスと呼ばれる新興国の工場等で行われているのではないでしょうか。今は貧しくても、家族や自分のために働く場所とチャンスを国・政府や企業から与えられ、ひたむきに取り組む彼ら彼女らの誠意と努力が、未来に向け国を発展させる原動力だと感じます。
以上

◇おまけ

・写真⑦↓敷地内の旧社宅で飼われている蚕も見かけました。その大きさに驚きです(ビデオカメラと比較してみて)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あじさいの花咲く沿道

2024年06月11日 | 日記

写真①。 

梅雨の季節なると各地の「あじさい(紫陽花)」情報がテレビ等で話題となります。

筆者の最寄り駅である京王相模原線の京王堀之内駅のそばから八王子市長池公園を結んで多摩ニュータウン開発の際に人工で作られた小川があり、その小川に沿って全長約1.4kmのせせらぎ緑道(緑道は写真①↑の小川の左側で写っていません)があります。筆者が住む多摩ニュータウンの団地はそのせせらぎ緑道に面していて、小川と緑道の両側には四季折々を彩るたくさんの樹木・草花が植えられています。梅雨の季節はところどころでアジサイが咲いています(写真①↑参照)。

アジサイの原種は日本に自生する「ガクアジサイ」です(写真②↓参照)。

写真②

私たちが普段見かける青や白、紫等のアジサイ(ホンアジサイ)や海外のアジサイも、実はガクアジサイから改良された園芸品種だそうです(写真③④↓参照)。そう知ると、普段見かけるアジサイに「桜」のような愛着を感じませんか。ちなみに、サクラはバラ科サクラ亜科サクラ属の落葉広葉樹でヒマラヤ原産と考えられていますが、最も人気のあるソメイヨシノは日本から世界各国に寄贈され広まったものです。

写真③。

写真④。


せせらぎ緑道の樹木・草花を手入れしているのが「椿の会」という八王子市の公園アドプト制度に参加しているボランティア活動団体です(写真⑤↓参照)。きれいに植栽・清掃されている沿道に、四季折々にチューリップやすみれ、ツツジ、花しょうぶ、コスモス、もみじ、寒椿、ヤナギ等々いろいろな樹木・草花が毎年毎年咲いているのを見ると頭が下がる思いです。

写真⑤。

緑豊かに自然に恵まれた多摩ニュータウンですが、その自然の多くは住宅地と共に人工的に計画され整備され、日常的にボランティアの人々によって守られ維持されていることを忘れてはいけないでしょう。いつもいつもありがとうございます。以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シドニー夫婦旅行の思い出

2024年06月01日 | 旅行

 オーストラリア最大の、光と音楽と食とアイデアのフェスティバル「ビビッド・シドニー2024」を見に行こう!・・・というキャッチコピーに誘われて2024年5月に4泊5日でシドニーを夫婦で旅行してきました。

 シドニーは1788年イギリスの植民地として設立され、現在オーストラリアの人口約2600万人の内520万人超が住む国内最古で最大の都市に発展しています。同国の経済・金融・文化・観光等の中心地です(※首都はキャンベラです)。

 1970年代に白豪主義を廃し、欧州以外のアジアや中東、アフリカ等世界中から移民を受け入れ、シドニーも国際色豊かな都市に変貌しています。実際、今やオーストラリアは海外で生まれた人や両親のどちらかが海外で生まれた人(移民)が、総人口に占める割合は5割を超え(51.5%)、両親がオーストラリア出身で本人もオーストラリアで生まれた人(48.5%)の割合を上回ったと政府統計局が公表しています。

 そうした実態を、今回天候にも恵まれ、オペラハウスやハーバーブリッジ、QVBショッピングセンター、動物園や水族館、博物館や植物園、公園等のシドニー市内の観光スポットを金土日と3日間(5万歩以上)歩き回って実感しました。観光客なのか市民なのかは見た目だけでは分かりませんが、街中で目にする人々は明らかにアジア系(中国、インド、東南アジア等)が多く中東・イスラム圏系と合わせて半分以上のように感じました。シニア世代の筆者が学校で習った白豪主義のオーストラリアとは全く違う、多文化多民族が共生している先進国国家が今のオーストラリアです。

・写真①↑ハーバーブリッジからオペラハウスを臨む。

・写真②↑オペラハウスの先端から撮影。世界遺産の建物をぐるり一周できます。

・写真③↑オペラハウスから高層ビルが建ち並ぶ市中心街を撮影。気分は最高!

・写真④↑キングストリート埠頭で夜のクルーズ船への乗船を待っています。

・写真⑤↑クルーズ船からオペラハウスとハーバーブリッジを臨む。

・写真⑥↑揺れるクルーズ船からプロジェクションマッピングで彩られたオペラハウスを鑑賞。

 

 南緯33~34度付近に位置し(北半球の日本では和歌山県や徳島県等が同緯度)気候も温暖で豊かな自然に恵まれ、治安も良く皆が英語を話します。そんな環境で、日本食も含めて様々な外国グルメやショッピング、風光明媚な港湾クルーズやビーチリゾートも楽しめます。旅行者には大変居心地がよい国際観光都市です。多文化多民族の人々はもちろん、コアラやカンガルーたちも大歓迎してくれます。

・写真⑦↑世界中どこにいてもおおむね昼寝しているコアラです。

・写真⑧↑カンガルーも種類が多く、小型のものは可愛いです。

・写真⑨↑これが、あのエリマキトカゲが襟をたたんで昼寝している状態です。

・写真⑩↑水族館ではジュゴンが飼育されていて、エサは「レタス」というのに驚きです。

・写真⑪↑南半球の5月は秋。昼間の最高気温は20℃前後。サーファーは楽しんでいましたが、シドニー郊外のボンダイビーチは閑散としていました。

以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする