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人生ラベリント

人生は迷路!! 芸術と日常、たまにミスコン・ネタも紹介しちゃうブログ。
最近はバレエ・ネタに執着中😅💦

今日この頃(69)

2011年09月28日 | 芸術
今日はチョッと方向転換~~。

『ミス・ユニバース』とは一変して、今日のテーマは可成りマニアックなので、混乱したくない方は見ない方が良いカモ・・・(笑)。


今通っている版画工房で、11月初旬??に小さなグループ展を催すと言うので、自分も1点、また、別に皆で持ち寄った版画集を制作すると言うので、もう1点、計2点制作しなければならない。

まぁ、どちらもゴクゴク小さい作品なので、大したことない???

いや、トンデモナイ!!

小さい作品こそ結構大変だったりするので(木口木版画を出品予定)、今、その内容を構想中だ。

で、展示用の作品は、是非とも、この歌曲をテーマにしたいと、漠然と思っているんだが、でも、スッゴく難しくって、発想が全然湧かなくって困っている・・・。

果てさて、どうなりますやら~~~。

・・・・・と、この記事、実は2
日前くらいに書いたんだが、ココに来てアイデアが少し閃いて来たゾ。


テーマにしようとしている歌曲は、以前チョッと紹介したことがある、これ~~~。


グスタフ・マーラー作曲、
「リュッケルトの詩による5つの歌曲集」から 
第5曲『わたしはこの世から姿を消した』



日本語の題名は、『私はこの世から姿を消した』、あるいは『私はこの世に忘れられ』。

ンで、歌詞の対訳は下記のとおり。

って、対訳にも色んな表現があって、自分的には元のドイツ語の歌詞を成る可く忠実に書き記すべきと思うケド、実のところ、このリュッケルトの詩自体がナンだか凄く抽象的で解りにくいので、訳す人によって微妙に異なった解釈が出来ちゃう難しさがあるのも頷けるところ。

- - - - - - - - - -

『私はこの世から姿を消した』

以前、多くの時間を無駄に過ごしたこの世から、私は姿を消した。

余りにも長い間、私について知られていないので、この世では私が死んだと、多分信じられているだろう。

この世が私を死んだと思っても、私にはどうでも良いことだ。

この世にとって私は本当に死んでしまったのだから、それを否定することは出来ない。

私はこの世の喧騒から死者として隔離され、そして、平穏な地で安らいでいる。

私は私の天国で、私の愛に、私の歌に包まれて、たった一人で生きている。


- - - - - - - - - -



それでは、この歌を、大御所お二人の詠唱でお届けしよう。

先ずは、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウから。

彼は、昔、(自分も学生の頃はバリトンだったので)良くお手本にしたバリトン歌手だった。

特にドイツ・リートはピカ一で、発音、曲の解釈、表現は無論のこと、ディースカウのドイツ歌曲リサイタルを神奈川県立音楽堂だったか?に聴きに行って、最前列のど真ん中辺りで聴いたので、思ったよりも足の長い大男の横隔膜の使い方までハッキリと分かっチャッて、自分にとっては何から何まで参考になる偉大な歌手だったのダ。


Fischer-Dieskau: Mahler, Ich bin der Welt abhanden gekommen



< http://youtu.be/587P3LMhkJg >



ムム・・・・・

ナンか~~、明日にでも死にそうな爺さんが、現世から、死んだ後のあの世を思って謳っている、そんな感じがするナ~~。

フィッシャー・ディースカウも、大分、人生に疲れた頃の詠唱か・・・。


次に、ジェシー・ノーマンの詠唱を聴いてみよう。


Jessye Norman "Ich bin der Welt abhanden gekommen" Ruckert Lieder 5/5



< http://youtu.be/bxh-VTqNK0c >



ムムム・・・・・

彼女の歌声には、まるで天国から聞こえて来そうな透明感を感じる。

何というナルシスト!!

何という集中力!!

この最後の『私の愛に、私の歌に』の辺りなど、ジェシー・ノーマンの優しさに包まれて、自分が天国から自分の墓場を見つめてる気持ちにナッちゃう。

ああ、人生とはナンて儚(はかな)い・・・・・。




作品研究(3)続き

2010年01月12日 | 芸術
では、『この作品に込められているメッセージは何か』と言うことだがーー、


誰かが何気なく発した言葉が、受け取る側によっては針の様に鋭く突き刺さることがある。
言われた時は(或いは行動で示された時は)大して感じなく笑って過ごしても、時が経つに連れて、その言葉(や行動)がひしひしと身に沁みて、例え様も無いくらいな悲しみに覆われてしまうことがある。

この深い悲しみは、やがて悩みに移行して、もはや自分ではどうすることも出来ない様な『壺』に落ち込んでしまい、その『壺』の中で徘徊するしか無くなってしまうのだ・・・。

・・・・・・・・・・。

えっ?チョッと~~怖過ぎる~??


因に、『悲しみの収穫』という題名は、トルストイの歌詞の直訳??なのか、英語の題名(”The Harvest of Sorrow”)で使われているもので、他には”Oh, my corn Field”(おお、私のトウモロコシ畑よ)ナンて訳もあるので、広大なトウモロコシ畑ってところなんだろう。(ってか、若い頃はロシア歌曲やオペラものをロシア語で歌ってたけど、ロシア語は全然理解していない自分なのダ!!汗)


ってなことで、チョッと難し過ぎるかも知れないけれど、参考までにこの歌曲を紹介しちゃうヨ~。

こんな曲ドス~~。


“Nicolai Gedda canta Rachmaninov IV”

</object>

< http://www.youtube.com/watch?v=iGlRTUwdyEk >



これは余談だけど、歌っている歌手はニコライ・ゲッダという往年の名テナーで、ナンと6カ国語を流暢に話すと言う。

ニコライ・ゲッダは(ストックホルムで生まれた)スウェーデン人で、ドイツ人の母親とロシア系(ハーフ)の父親が両親なので、3カ国語を話しながら育ったそうだ。

だから、ここいら辺の語学レベルは、日本人が『何か国語を話せる』と言うのとは訳が違う。

どの言語もペラペラなのダ。

因に話す言語は、スウェーデン語、ドイツ語、ロシア語、英語、フランス語、イタリア語だそうで、話せると言う6カ国語には含まれなくても、日本人が『話せます』以上に、例えばスペイン語とかポルトガル語等のラテン語とかは(フランス語やイタリア語経由で)充分に理解していただろうし、(スウェーデン語経由で)北欧や(ロシア語経由で)東欧の言葉なんかも理解出来たンじゃあなかろうかネ。

でで、このニコライ・ゲッダには、一度サインを貰ったことがあって、今でもこのマンションのどっかに~~~・・・・・ン・・あっ、あった~~。

これダス~~~!!!





これもマタマタ余談だけど、東京文化会館大ホールにオーケストラ付きのニコライ・ゲッダ・リサイタルを聴きに行った後、楽屋入口にサインを貰いに行ったンだけど、やたらガタイの大きいヤクザっぽいゲッダを前に、未だ学生だった??自分はおしっこをチビリそうなくらい度緊張してしまい、折角買って手に持っていたサインペンを渡し忘れてしまって、楽屋口を出てから『アッ、いけない。渡し忘れた~~』っと後悔したものだ。

ゲッダは、このサインをする時に、一生懸命、もうインクが出ないと言うジェスチャーをしていたっケな~~。
当然、我輩が手にサインペンを持っていたのを知っててなんだけどネ。


サインを貰ったことなんて、生まれて此の方たった一度だけなので、今となっては良い想いで???かも~~。(※)

(※)下記参照 

『音楽と美術』(2008年3月27日付)
< http://yaplog.jp/ottsuandesuyo/archive/10 >








芸術の手引きウェブ

2008年08月05日 | 芸術
今日はチョッとテーマを代えて、題して『芸術の手引きウェブ』。

ウェブ・ページを検索すると、たまに思わぬ拾い物をするものだ。
今日紹介するページも、音楽や美術愛好家が喜びそうな一品ならぬ一Web!
興味のある方には、是非覗いてみて頂きたいウェブ・ページだ。



ただ、問題はスペイン語のページなのだが、言葉が判らなくても簡単に操作出来るので、トライして見て下さい。

< http://www.epdlp.com/index.php >

題して、”El Poder de la Palabra”(英語だと”The power of the word”)。
日本語では、どう訳したら相応しいンだろう?
『言葉の影響力』?ンンン~~~、ピンと来ない。

何はさておき、ページを開くと、先ず、その日(週?)の音楽が自動的に演奏される。

画面上部の左から右へ、
今週の絵画、今週の建築物、今週のアルバム、
その下(中段)左から右へ、
今週の音楽、今週の映画音楽、今週の作曲家、今週の映画、
下段は、
今週の本、

が、夫々紹介されている。

左側の縦に記載されている部分に目を留めてみよう。

先ず、上から、

- - 文学
- - - - - - - - AからZ
- - - - - - - - 時代別
- - - - - - - - 国別
- - - - - - - - 書籍別
- - - - - - - - 賞

- - 美術
- - - - - - - - AからZ
- - - - - - - - 時代別
- - - - - - - - 国別
- - - - - - - - 作品別
- - - - - - - - 美術館

- - 音楽
- - - - - - - - AからZ
- - - - - - - - 時代別
- - - - - - - - 国別
- - - - - - - - 作品別
- - - - - - - - 歌手
- - - - - - - - 演奏家
- - - - - - - - バレーリーナ
- - - - - - - - オーケストラ
- - - - - - - - トップ・クラシック(*)
- - - - - - - - オペラ
- - - - - - - - 演劇
- - - - - - - - アルバム

- - 建築
- - - - - - - - AからZ
- - - - - - - - 時代別
- - - - - - - - 国別
- - - - - - - - 建物別
- - - - - - - - 都市
- - - - - - - - 高層ビル

- - 映画
- - - - - - - - 作曲家
- - - - - - - - 監督
- - - - - - - - 賞
- - - - - - - - 作品

- - - - - - - - - - - その他

(*上記の『トップ・クラシック』は、人気投票によって1位から100位まで決めているもの。)

この中で、特にお薦めなのは、音楽(MUSICA)のセクションだ。
例えば、”Por Paises”(国別)をクリックし・・、MEXICOをクリック。
そして、右端のAgustin Laraを選び、一番上の”Granada”をクリックすると、
『グラナダ』の演奏が聴ける。
因に、歌っているのは、且つてのイタリアの名テノール歌手、マリオ・デル・モナコだ。

もし、オペラ歌手を直接聴きたければ、”Cantantes”をクリックすると、男性歌手のコーナーが現れるが、もしも、マリア・カラス(女性のソプラノ)の歌声が聴きたければ、一番下に”Soprano, Messosopranos ~”と書かれているところをクリック。
すると、女性歌手のコーナーが現れ、上から2番目、左側から4人目がマリア・カラスなので、そこをクリック。Maria Callasの下に”escuchar”(聴く)と書かれているところをクリックすると・・、小さいアウディオの枠が出て来て、自動的に演奏が開始される。

美術(ARTE)もお薦めだ。
例えば、”Por Epoca”(時代別)をクリック。”Siglo XV”(15世紀)をクリック。
15世紀の一番下にある”Da Vinci, Leonardo”(レオナルド・ダ・ビンチ)をクリック。左側の一番した、”La Gioconda”をクリックすると・・、
『モナリザ』の絵が微笑み掛ける。

映画部門や建築部門も、こうやってチョッと試してみてネ!!


音楽と美術

2008年03月27日 | 芸術
このブログを書き始めるに当たって、自分のバックグラウンドについて少し触れましたが、今、自分の当面の課題は、卒業論文執筆の他に、作品制作や音楽の練習があります。
作品の制作は、ここメキシコで修了した修士課程で版画を専攻したので、卒論内容に関係する銅版画や木版画を中心に、リトグラフ(石版画)やシルク・スクリーン等の作品を制作する必要があるのですがーーー。ンガッ!今、チッとも進んでいない!!!
チョッと自分でもヤバいんじゃあないかとーー、そう思い始めているこの頃です。

他方、音楽の練習は、実のところ20数年間、音楽の世界から遠ざかっていたので、知らず知らず(って、知りつつ知りつつの方が妥当か)のうちに、全く練習をして来ず、去年の後半過ぎ辺りから、かつて昔思っていた『芸術に浸りながら生涯を送ろう』という浮世離れした計画を実行すべく、重い腰を上げて少しずつ練習を再開したところです。って言うと、聞こえが良いけれども、実は多少の下心があって、食べて行く為の手段の一つとして、短絡的な自分のこと、フト、練習を再開しなければ行けないと思い立った次第です。

しかし、長い間のブランクを取り戻すのは難しい。喉が、手が、言うことを聞かないのだ。特に喉は最悪。マア、考えてみれば、当方の若い時分(35年前)、日本のオペラ歌手は45歳過ぎたら現役引退、という時代だった。そんな時、ニコライ・ゲッダというテノール歌手が日本に来て、上野の東京文化会館大ホールでオーケストラをバックにリサイタルを行い、数々の重たいアリアを歌ったあと、アンコールでプッチーニ作曲のオペラ『トゥーランドット』のアリア『誰も寝てはならぬ』を歌ったのだが、最後の高音のH(ハーと発音。シのこと。)を完璧に決めたので、もう、ひっくり返るくらいにビックリ仰天したものだ。なんせ、ニコライ・ゲッダは当時51歳だったのだから、我々の想像を絶する程の超絶名演奏に驚かない方が不思議なくらいだった。(因に、フィギュア・スケートの荒川静香さんが冬季オリンピックで優勝した時のあの曲と言えばお分かりでしょう。)早速、生まれて初めてただ一度のサインを貰いに楽屋に押し掛けたが、やたらがたいの大きいヤクザ風な風貌にはチョッと怯んだものだ。その時のサインは今でも持っている。
現在では、世界的に平均寿命が延びて来ているので、歌手の寿命も大幅に延びている。60歳でも歌っている人がざらにいる時代なのだ。

とは言え、一番歌っていなければならなかった大事な時期に事務所で夜遅くまでアクセクアクセク仕事をしていたので、今、声が出なくて当たり前だろうとは思う。

最近、むかーしから捨てずに持っていた発声の手引書『発声の科学と技法』(リーザ・ローマ著)を引っ張り出して、時々めくっては参考にして少しずつ声を出し始めているが、今になって思うが、ホント、良く出来た参考書だと思う。でも、出ない高音を出すのが大変で、いい加減に嫌になる。

ピアノは元々遅くから始めたので、長いブランクの後では何もやっていなかったのも同然で、練習曲をだいぶん前に戻して、細々と練習し出している。
自分で言うのもなんだが、元々器用な質で、ホントに遅くから始めたのにも拘らず、大学時代のピアノの成績は凄く良かった。最後の学年の前期は(ピアノ科と音楽教育科を除き)学年(チョッと大袈裟か)1番で後期は2番だったのだから、小器用なんだと思う。

実は、この美術と音楽の両方を平行して実行するという行為には、中々難しい問題がある。
音楽の練習は、毎日、同じ様な時間配分でコツコツと継続して行かなければならないのに反して、美術関係の作品制作は、アイデアが浮かんでから実行に移すまでに時間を要するし、一度、作品制作に取りかかったら没頭しないと中々制作が捗らない。
つまりは、実のところ水と油状態なのだ。


象徴主義と音楽的表現

2008年03月20日 | 芸術
ブログを開始したものの、早速、コメントへの返信の仕方が分からず、四苦八苦。
取りあえず、普通にコメント記入欄に記入してみましたが、多分これで良いのだろうと取りあえず自分で納得しています。

さて、昨日このブログを開始するに当たって表明した第一の動機『この公開日記を付けることによって自身に課題を与え、それをじっこうする』ことですが、具体的に言うと、第一には卒論の執筆、第二に西語試験の通過がそれに該当します。

当方が執筆中(実際は既に9ヶ月間停滞中で再開しようと思っているところ)の卒論内容は、『版画に於ける象徴主義と音楽的表現』がテーマです。
3章構成で3章の出だしのところまでは一応書いたのですが、当方の作品と密接に結びついてくる3章でバッタリと停滞してしまっています。

かつての自分の専門が音楽(声楽)だったので、(実際は20数年離れていたものの)内容的にはそうそう無理せずに書けるかなという筈でした。
ンガ!実際は難しすぎ。
Simbolismo(英語はSymbolism:象徴主義)からNeosimbolismo(新象徴主義)にまでテーマが及び、Sincretismo(英語はSyncretism:諸説混合)にもチョッと触れ、特に3章はTrans-disciplina(英語だとTrans-disciplinary:環学性とか超分野性とか訳している模様)にまで言及しようとしているので、どの様に纏めようかと考えているうちに授業も修了してしまったし、日本と違って何時何時までにどうしても提出しなければ行けないという足かせも無いしで、面倒になってそのままにしてしまっています。
特にネックはTrans-disciplinaで、殆ど情報がない!
このテーマについては、そのうちにもっと具体的に書こうかと思っています。

然し、もうじき60歳。そうこうするうちに死んじゃうかもしれないし、こりゃあヤバいと思い始めているこの頃です。
でも、卒論提出してもしなくても、この歳ではもう何も関係ないんだけれどもーーーと思うと、尚更前へ進まない。何とかしないと!