今日はチョッと方向転換~~。
『ミス・ユニバース』とは一変して、今日のテーマは可成りマニアックなので、混乱したくない方は見ない方が良いカモ・・・(笑)。
今通っている版画工房で、11月初旬??に小さなグループ展を催すと言うので、自分も1点、また、別に皆で持ち寄った版画集を制作すると言うので、もう1点、計2点制作しなければならない。
まぁ、どちらもゴクゴク小さい作品なので、大したことない???
いや、トンデモナイ!!
小さい作品こそ結構大変だったりするので(木口木版画を出品予定)、今、その内容を構想中だ。
で、展示用の作品は、是非とも、この歌曲をテーマにしたいと、漠然と思っているんだが、でも、スッゴく難しくって、発想が全然湧かなくって困っている・・・。
果てさて、どうなりますやら~~~。
・・・・・と、この記事、実は2
日前くらいに書いたんだが、ココに来てアイデアが少し閃いて来たゾ。
テーマにしようとしている歌曲は、以前チョッと紹介したことがある、これ~~~。
グスタフ・マーラー作曲、
「リュッケルトの詩による5つの歌曲集」から
第5曲『わたしはこの世から姿を消した』
日本語の題名は、『私はこの世から姿を消した』、あるいは『私はこの世に忘れられ』。
ンで、歌詞の対訳は下記のとおり。
って、対訳にも色んな表現があって、自分的には元のドイツ語の歌詞を成る可く忠実に書き記すべきと思うケド、実のところ、このリュッケルトの詩自体がナンだか凄く抽象的で解りにくいので、訳す人によって微妙に異なった解釈が出来ちゃう難しさがあるのも頷けるところ。
- - - - - - - - - -
『私はこの世から姿を消した』
以前、多くの時間を無駄に過ごしたこの世から、私は姿を消した。
余りにも長い間、私について知られていないので、この世では私が死んだと、多分信じられているだろう。
この世が私を死んだと思っても、私にはどうでも良いことだ。
この世にとって私は本当に死んでしまったのだから、それを否定することは出来ない。
私はこの世の喧騒から死者として隔離され、そして、平穏な地で安らいでいる。
私は私の天国で、私の愛に、私の歌に包まれて、たった一人で生きている。
- - - - - - - - - -
それでは、この歌を、大御所お二人の詠唱でお届けしよう。
先ずは、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウから。
彼は、昔、(自分も学生の頃はバリトンだったので)良くお手本にしたバリトン歌手だった。
特にドイツ・リートはピカ一で、発音、曲の解釈、表現は無論のこと、ディースカウのドイツ歌曲リサイタルを神奈川県立音楽堂だったか?に聴きに行って、最前列のど真ん中辺りで聴いたので、思ったよりも足の長い大男の横隔膜の使い方までハッキリと分かっチャッて、自分にとっては何から何まで参考になる偉大な歌手だったのダ。
Fischer-Dieskau: Mahler, Ich bin der Welt abhanden gekommen
< http://youtu.be/587P3LMhkJg >
ムム・・・・・
ナンか~~、明日にでも死にそうな爺さんが、現世から、死んだ後のあの世を思って謳っている、そんな感じがするナ~~。
フィッシャー・ディースカウも、大分、人生に疲れた頃の詠唱か・・・。
次に、ジェシー・ノーマンの詠唱を聴いてみよう。
Jessye Norman "Ich bin der Welt abhanden gekommen" Ruckert Lieder 5/5
< http://youtu.be/bxh-VTqNK0c >
ムムム・・・・・
彼女の歌声には、まるで天国から聞こえて来そうな透明感を感じる。
何というナルシスト!!
何という集中力!!
この最後の『私の愛に、私の歌に』の辺りなど、ジェシー・ノーマンの優しさに包まれて、自分が天国から自分の墓場を見つめてる気持ちにナッちゃう。
ああ、人生とはナンて儚(はかな)い・・・・・。
『ミス・ユニバース』とは一変して、今日のテーマは可成りマニアックなので、混乱したくない方は見ない方が良いカモ・・・(笑)。
今通っている版画工房で、11月初旬??に小さなグループ展を催すと言うので、自分も1点、また、別に皆で持ち寄った版画集を制作すると言うので、もう1点、計2点制作しなければならない。
まぁ、どちらもゴクゴク小さい作品なので、大したことない???
いや、トンデモナイ!!
小さい作品こそ結構大変だったりするので(木口木版画を出品予定)、今、その内容を構想中だ。
で、展示用の作品は、是非とも、この歌曲をテーマにしたいと、漠然と思っているんだが、でも、スッゴく難しくって、発想が全然湧かなくって困っている・・・。
果てさて、どうなりますやら~~~。
・・・・・と、この記事、実は2
日前くらいに書いたんだが、ココに来てアイデアが少し閃いて来たゾ。
テーマにしようとしている歌曲は、以前チョッと紹介したことがある、これ~~~。
グスタフ・マーラー作曲、
「リュッケルトの詩による5つの歌曲集」から
第5曲『わたしはこの世から姿を消した』
日本語の題名は、『私はこの世から姿を消した』、あるいは『私はこの世に忘れられ』。
ンで、歌詞の対訳は下記のとおり。
って、対訳にも色んな表現があって、自分的には元のドイツ語の歌詞を成る可く忠実に書き記すべきと思うケド、実のところ、このリュッケルトの詩自体がナンだか凄く抽象的で解りにくいので、訳す人によって微妙に異なった解釈が出来ちゃう難しさがあるのも頷けるところ。
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『私はこの世から姿を消した』
以前、多くの時間を無駄に過ごしたこの世から、私は姿を消した。
余りにも長い間、私について知られていないので、この世では私が死んだと、多分信じられているだろう。
この世が私を死んだと思っても、私にはどうでも良いことだ。
この世にとって私は本当に死んでしまったのだから、それを否定することは出来ない。
私はこの世の喧騒から死者として隔離され、そして、平穏な地で安らいでいる。
私は私の天国で、私の愛に、私の歌に包まれて、たった一人で生きている。
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それでは、この歌を、大御所お二人の詠唱でお届けしよう。
先ずは、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウから。
彼は、昔、(自分も学生の頃はバリトンだったので)良くお手本にしたバリトン歌手だった。
特にドイツ・リートはピカ一で、発音、曲の解釈、表現は無論のこと、ディースカウのドイツ歌曲リサイタルを神奈川県立音楽堂だったか?に聴きに行って、最前列のど真ん中辺りで聴いたので、思ったよりも足の長い大男の横隔膜の使い方までハッキリと分かっチャッて、自分にとっては何から何まで参考になる偉大な歌手だったのダ。
Fischer-Dieskau: Mahler, Ich bin der Welt abhanden gekommen
< http://youtu.be/587P3LMhkJg >
ムム・・・・・
ナンか~~、明日にでも死にそうな爺さんが、現世から、死んだ後のあの世を思って謳っている、そんな感じがするナ~~。
フィッシャー・ディースカウも、大分、人生に疲れた頃の詠唱か・・・。
次に、ジェシー・ノーマンの詠唱を聴いてみよう。
Jessye Norman "Ich bin der Welt abhanden gekommen" Ruckert Lieder 5/5
< http://youtu.be/bxh-VTqNK0c >
ムムム・・・・・
彼女の歌声には、まるで天国から聞こえて来そうな透明感を感じる。
何というナルシスト!!
何という集中力!!
この最後の『私の愛に、私の歌に』の辺りなど、ジェシー・ノーマンの優しさに包まれて、自分が天国から自分の墓場を見つめてる気持ちにナッちゃう。
ああ、人生とはナンて儚(はかな)い・・・・・。