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人生ラベリント

人生は迷路!! 芸術と日常、たまにミスコン・ネタも紹介しちゃうブログ。
最近はバレエ・ネタに執着中😅💦

今時のマンション事情(4)

2014年01月20日 | マンション事情
日本に戻ってからの自分は既に年金生活者で、この頃は特に自宅に居ることが多い時期だったのだが、どういう訳か昼日中なのに、隣からごく僅かな物音が聞こえて来たりして、人の気配を感じることが多くなっていた。

そういう日に限って、必ずと言って良いほど、夕方4時過ぎには今帰って来ましたとばかりに、ガラス戸を開けたりする大きな音が聞こえていたものだ。

どうやら、この頃から(半自営業の)仕事に溢れた日が徐々に増して行ったのだろうか。

ある時、洗面所で用事をしていたら、前面にある大きい鏡の向こうで何か壁を摩る音が聞こえた。

自分が洗面所にいる間中ずっと摩っている様子で、居間に移動して、隣と隔てた壁に掛かっているインターフォンを取ったり何か音をさせると、即座に向こう側でまた壁を摩ったり弱く叩く音が聴こえる。

どうやらこちら側の存在を気にしている様子だった。

その頃には、怒鳴り出すのは必ず夕方以降と言うパターンだったが、怒鳴ると壁を叩き、仕舞いには、喧しい音楽を大音量で繰り返しかけるパターンに定着していた。

事が更に悪化し出したのは、2011年の7月初旬頃からだったか。

夜、例の如く隣から口論なのか怒鳴り声が聞こえ始め、そのうち、夜中の12時過ぎ辺りから例のロックだか何だか分からない曲を、音量最大にしてかけ出した

防音室に入って2重のガラス戸を閉めても、ガンガン響くほどの最大音量だ。

そうして、その騒音は朝まで続いた・・・・・。


当然、これらの件は我が方ならずとも他の階の住民の方達も管理人さんに苦情を伝え、管理組合も既に周知の事実として管理会社とも相談していたが、チラシをマンション入り口のお知らせコーナーに貼ったり各郵便箱に投函したりする以外方法が無く、実際、マンションの管理組合長からご本人に忠告したことも何回かあったそうだが、本人自身はただ被害者意識しか無く、『うるさい音が聴こえるて来るのは(当方側の)隣からで自分ではない』と言い張っていたそうだ。(この件は管理人さんから伝えられたので、よもやの話しに驚いて自分では無いと全面否定。騒音は隣から聴こえて来ていることを伝えたのは言うまでもない)


そう、あれは2011年7月下旬頃だったろうか。

お隣からは何も物音が聞こえて来なかったので留守だろうと思い、昼前に天気が良かったのでベランダの窓を開け、掃除機で室内を掃除し終えた頃、インターフォンが鳴ったので受話器を取ると、お隣の旦那だ。

お隣とは、外で会えば会釈をする程度の関係で、全くと言って良いほどコミュニケーションが無かったので、何だろうと不思議に思ったが、取りあえず玄関に出て応対した。

(元々柄の悪い人だが)昼前と言うのに何故か酔った雰囲気で、『壁をガンガン叩かれて煩くってしょうがないんだけど、オタクさん、何かね、ワザと壁を叩いてるのか 』と言われた。

(掃除機の先端が少しだけ壁に当たっていたのだろうと後で思ったが)『いえ、そんなことはしてませんが、今、掃除機で部屋を掃いていただけです』と答えると、

『それに、どうも盗聴器を仕掛けられているみたいだけど、うちに盗聴器を仕掛けて何か探ってるんだろう』と凄みのある雰囲気でいきなり言われた。(今思うと、ご本人は当時、真っ当な精神状態では無かったみたいなので、ヒョットすると掃除機の先端が壁に当たった僅かな音が、盗聴器を仕掛けて操作してる様な音に聴こえたのかもしれない)

自分、そもそも濡れ衣を着される様な行為には我慢ならない質なので、勿論、100%否定し、『盗聴器など仕掛けてませんよ。それに壁を叩いているのはそちらですよ』と言うと、

『オタクさんは夜中に音楽をガンガンかけてるだろう。もう本当に煩くってしょうがねぇんだ』とご本人のことを棚に上げて訳の分からないことを言って来たので、呆気にとられて、『音楽を大音量でかけているのはそちらですよ。そもそも自分はロックだか何だか分かりませんが、今流行の曲は全く聴きません。自分ではありません』と100%否定した。

更に話しは飛躍し、『おれは1ヶ月前に留置所に入っていたんだ』と言い(実際、10日ばかり入っていたそう)、『山口組に知り合いがいるから、今度またうるさくしたら、ただじゃあ済まねえぞ』と凄みを入れて脅され、

誰かと喧嘩したかで『肋骨を2本折っているから痛くてしょうがねえ』と言ったかと思うと、

『もう、調子が悪くって、どうにもなんねえんだ』と言うので、『どうしたんですか?』と聞くと、ナンと  麻薬をやっていると言う (アッゼ~~~ン

自分、中南米滞在経験から、麻薬と言えばコカインと思っていたので、『えっ コカインですか 』と聞くと、『いや大麻なんだけどよ』というので、『大麻でも麻薬は駄目ですヨ。精神も体もボロボロになって死に至りますヨ』と助言すると、『そうなんだよ~』と段々に大人しくなって行き、結局、小一時間もいただろうか、始終冷静に玄関で応対した末に、やっと引き上げてくれたのだった。

実際、大麻をやっていたのかは定かでは無いが、『酔っていた』と思っていたのに全く酒臭く無く、それでいて朦朧としていた状態から判断して、やはり大麻、或いはそれに準ずるものだったのかもしれない。

そう言えばこの頃、ベランンダ側のガラス窓を開けておくと、時々、葉巻タバコよりもモッと臭い、何というか異様な強烈な匂いがして来たことがしばしばあり、同じマンションの2軒隣の方に相談したら、そのご本人もその強烈な匂いには閉口しており、『脱法ハーブだと思う』と言われた。

この(強烈な匂いの)状態は、その後も暫く続いていたのであった。

(この項、続く。)





今時のマンション事情(3)

2014年01月19日 | マンション事情
お隣の状況について耳にし始めたのは、その頃だったろうか。

殆ど近所付き合いのなかった自分だったけれど、住んでいればごく自然に管理人さんやご近所の方とも顔見知りになる訳で、そんな中知った事実は、1~2年ほど前からお隣の奥さんとお子さん達は家を出て別居され、自分が知った時は既に離婚された状態だったのだ。

そんな状況下、その頃から日に日にお隣の様子が悪化していき、以前にも増して怒鳴り声や揉める声が頻繁に聴こえ始めていた。

その後は過激性が加速し、壁もたたき始める。

当初こそ、遠くから壁を叩く音が聞こえて来ていたものが、ある時から当方との境の壁に代わり、トントントン、トントントン、トントントン、トトンガトンッ とどういう訳かリズムよろしく叩き始めた。(笑い事ではない)

それも叩き出すと何回も続く。

そうこうしている内に、怒鳴ると必ず壁を叩く行為が伴う様になり、その壁叩きもエスカレートして行った。

後々判ったことだが、向こう2軒隣との境の壁や、ある時は上の階との天井を何かでドツいたり、当方側の壁をバンバン 手なのか何なのか、激しく叩く行為に凶暴性が増して行った。

その頃だ。お隣が、以前、小火を出したことを知ったのは。

兎に角、自分はマンションを購入したのに殆どメキシコ住まいだったので、お隣で火災が起きたことを全く知らず、と言うのも、当方側の壁や天井には全く害が及ぼされてなかったので、一時帰国の時も何も異常に気付かずに、1ヶ月程度の滞在で直ぐメキシコに戻っていたのだ。

聞くところによると、どうも数年前のことの様だ。

この小火と言うのがくせ者で、他のマンション住民に言わせると、『小火では無く全焼扱いで保険が全額支給されたのに、実際は後のリフォームを本人たちだけで適当に済ませた』とのことで、問題は、その小火を出した場所が当方側との壁を隔てた台所で起き、天ぷら火災だったそうだから状況は見て取れる様だ。

それを聞いて、以前にも増す音漏れは間違いなくこの火災が原因だろうと直感した。

実際、ずっと後のことになるが、昨年始め頃、版画関係でたまたま知り合った方が、一級建築士でヤマハなどの防音工事の設計もされた方だったので、それとなく聞いたところ、やはり火災と音漏れは直結することを教えて頂いたのだ。

マンションの壁や天井には無数の鉄骨が組み込まれており、それ自体は例え火災にあっても強度には何も影響を与えないが、問題はコンクリートで、火災により無数のひび割れが生じるので、火災の度合いにもよるのだろうが、当然、音は漏れる様になるとのことだった。

そんな訳で、当時のその頃は、例えば夜遅くトイレに行って水を流すと、即座に隣から怒鳴る声が聞こえて来ていたので、夜の10時過ぎには水も流せない状態が続いていた。

更にーーー未だ未だ先がある

ある時から、気でも違ったのではないかと思われるほど、今時のガチャガチャした音楽を音量大にしてかけ始め、それも段々エスカレートして行き、同じ曲を何度も何度も、多分、自動的に戻ってかける様に操作していたのだろう、何時間も同じ曲を大音量でかけ出した。

それは主に夜遅く始まり、それでも当時は夜中の1時くらいまでで、自分の寝室が多少離れていたので、寝室に入ればそれなりに気にならない程度ではあった。

しかし、この曲の音量自体も、更に加速的にエスカレートして行くのであった。

(この項、続く)




今時のマンション事情(2)

2014年01月17日 | マンション事情
その後、一時帰国した時に、以前なら何時も聴こえた奥さんの子供達を叱る声や物音が全く聞こえずシーンとした感じだったので、『あれ、誰もいないのか 』と思っていると、そのうち、ある夜、誰かと口論する声が聞こえて来て、日本滞在の間、その口論は壁を隔てた遠くでしばしば聴こえて来たものだ。

そうこうした3年半前の2010年9月、長期に亘ったメキシコ滞在に終止符を打ち日本に本帰国した訳だけれど、新たな生活を開始すべく試行錯誤していたその頃は、どうやらご主人らしい口論なのか怒鳴り声が以前にも増して度々聴こえ始めていたが、それでも未だ当時は特に意識もせずに、ごく普通に生活出来ていた。

と言うのも、日本でどうやって社会復帰出来るのか、先が全く見えない正に四面楚歌状態の空間の中で何とかしなければと焦りの気持ちがあり、更に、元々手狭なマンションには、以前、メキシコからコンテナで持ち帰った大型の家具が所狭しと場所を占領し、そこに更に、(例え殆どの荷物をメキシコで手放して来たとは言え)新たにメキシコから届いた引っ越し荷物までも加わり、足の踏み場所もないほどギューギュー詰め状態の中で、どう整理しようかと頭を悩ましていた時期でもあったからだ。

そんな中、もう少し広い所に引っ越したいという欲求が日に日に増し、さりとて外貨為替や株で大損をして来ている自分なので資金に限度があり、どうしたものかと、何となく暇に飽かしてネットで格安物件を探し始め、一時期はその気になって、ある程度の広さがある物件を遠くまで見に出向いたけれど、結局、最終的に購入を取り止めにした経緯がある。

そんな訳で、引っ越しすることは完全に諦めて、ならば歌やピアノを練習出来る環境作りをしようと角部屋を防音にすることに決め、これもネットで調べて格安業者を探したのだが、正に『安物買いの銭失い』のことわざ通りで、一応、窓は3重とか見場だけはそれらしく、でも中身が伴わない中途半端な『防音もどき』音楽室になってしまった。

その防音工事が完了したのが2011年2月下旬で、運の悪いことに翌月の3月11日には東日本大震災に遭遇してしまったので、『防音もどき音楽室』は更に音漏れがする中途半端な部屋になってしまったのだった。




今時のマンション事情(1)

2014年01月15日 | マンション事情
さて、この自分に降り掛かった問題を公表するに当たり、果たして何処まで詳細に述べて良いものやら、例えこのブログに訪れる読者がごく限られた人数とは言え、不特定多数の誰でもが閲覧出来るブログだから、個人が特定出来ることには成る可く触れない方が良いのだろう。

そう思うと内容がごく限られてしまう訳で、さりとて、オブラートで包まれた様な記事だったら何の為に公表するのか、その意味も薄れるというもんだ。

という訳で、(具体的な金額などは明記しないとして)成る可く事実をそのままに、ここに自分のメモとして残してみたいと思う。

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自分が昨年2月まで住んでいた横浜のマンションを手に入れた時期は、おおよそ15年前に遡る。

当時は契約の海外派遣要員として中南米に滞在する生活が続いていたが、たまたま1年ばかり日本国内の本部に勤務する事になったのを切っ掛けに、今後、日本に一時帰国した時の寝泊まり場所やトランクルームに預けてあった個人荷物のことも考慮して、思い切って中古のマンションを購入する事に決めたのだ。

ただ、当時は日本に住み着く事などは全く考えておらず、上記の理由をベースに、長期間留守にしても安全そうな物件で、ピアノが置けて音を出せる環境、更に、メキシコで手に入れた大型の家具を日本に持ち帰って置ける場所の確保等を中心に探そうとした。

従って、第一に物置場所、第二に仮住まい出来る場所、第三に大きくて重い(マンションの玄関からは入らない大きさの)家具を入れられる所と、選ぶ環境は特定されて来るので、自ずと『一階(で家具をベランダから出し入れ出来る)角部屋』が最良と決めた。

ところが、当時のマンション事情は今とは大きく異なり、先ず中古物件が極々限られて気の利いた物件が無さそうだった。

更に、元々、アッチコッチを見て探しまくるのが億劫で苦手な自分なので、結局、一つの不動産屋で2日間4カ所を見せてもらい、一番最初に見た物件にサッと決めてしまったのだった。


引っ越し当時は、お隣の家族持ちのお宅は好意的で、特に若い奥さんの感じも良く親切で、たまに早く帰れた日の夜や週末は、角の部屋に置いたピアノを弾いたり発声練習をしたり、弾き唄いしたりして過ごしたものだが、全く文句も言われず、テレビも普通の音量で見て、至極快適に過ごしていたのだ。

日本国内での1年間勤務の期間も過ぎて海外に派遣された後も、年に一度の1ヶ月程度の一時帰国時にはお隣に土産持参で挨拶し、特にそれ以上の付き合いは全く無かったものの、好意的に受け入れられていた筈だった。


今思い返すと、多少の変化が見えた時期は、多分、6~7年前、いやもう少し前になるのだろうか。

一時帰国時に感じたことだけど、お隣の奥さんの雰囲気が、何かギクシャクして見え始めていたのだ。

それに、(帰国してもホンの1ヶ月程度しか滞在しなかった)当時は全く気にも掛けなかったことだけど、今思い返して考えると、お隣の物音や話し声が、心無しか以前にも増して聴こえて来ていた様に感じる。

(この項、続く)




今日この頃(156)

2014年01月14日 | マンション事情
ここのところ、チョッと、いや、相当落ち込む事があってね・・・

でも、この件を書き出すと、前から引きずって来た事に関係するので、内容はグッチャグチャになるかもしれない。

この際、シリーズ物にしちゃおうか。

ってか、このブログ、実はシリーズ物が多過ぎて、書き出したまま尻切れとんぼになっている記事がワンサカ あるのだ。

あぁ、協力隊の奮闘記『遥か彼方の頂きに』なんて、その代表的な一つだな~~。

その内に更新しなきゃ~~~。

でも、この奮闘記こそ相当長くなりそうだし、不味い事に、日記など全くつけなかった自分なので今となっては記憶も曖昧だし、当時はデジカメも無い時代でカメラで写す事に興味が無かった為に画像にも限りがある。

ン~~~、でも、そうだね、今年の課題の一つにしようかね。


さて、この『落ち込んでた』問題(つまり大損した話し)に戻るけど、この件を述べるには、前住んでいたマンションのことに触れなくてはならない。

そう、でも、自分の頭を整理する為に、このブログを使って事情を纏めてみると言うのも良いのかもしれない。

えっ そんな記事読みたくない

ゴメンネ、読みたくない記事だったらパスしてね。


と言う訳で、明日から 『今時のマンション事情』(仮題)を数回に分けて書いてみるカモ・・。