昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

二人の時間は

2016年06月26日 | ファンタジア・その後

 一時帰国の3泊4日の時間は、あっという間に過ぎていった。ゴールデンウイークに入る前、懐かしい三浦半島を二人で確認した。

 何度もお世話になった君のうちの葉山の別荘、秋谷海岸、佐島港と思い出を追確認して、22年間の空白を共に埋めていった。僕の足になったプジョウ君は、そのしなやかの足で、三浦半島の西海岸を走ってくれた。



 <プジョウ>

 二人でうまい寿司を食った三崎、咲乃家での思い出を追いかけてみたが、店を仕切っていたおばあちゃんは他界していて、代替わりで息子さんが新しい店を開いていた。どこか優しさを感じさせてくれたボロの木造の店は、立派な冷たい感じのするコンクリートの店になっていた。時間とともに、風景は変わったのだ。

 その昔、二人が秘めたる恋仲だったころ、三崎でマグロ寿司を食べるとき、よく行った店だ。会社の連中と鉢合わせしないようにと、狭い階段を上がって、二階の広間をそっと覗いた。混雑の中に知り合いがいないとわかったら、小さな個別のテーブルをもらって、おばあちゃんの注文取りが来るのを待った。本当は、一階のカウンターが一番のおきにいりで、目の前で握ってくれたのだけれど、そのカウンターは小さくて、7~8人の客でいっぱいだった。つまり、そのころは、おばあちゃんの切り盛りで、店は繁盛していたのに…。



 <咲乃家>

 城ケ島は、相変わらず風の島だ。猫の島も変わってはいない。二人で見ていた22年前の景色と変わっていなかった。

 この限られた二人の時間は、二人の距離を詰めるに大切な時間だった。

 なぜアメリカ人と結婚することにしたのかという基本的な話を聞いてみた。君にとっては、僕との別れは、すべての生活のリセットだったという。

 14年もの長い秘めたる恋が終わった時、君は、僕から旅立つ必要があったのだ。確かに僕にとっても、身近に別れた君を見ているのは、つらかっただろうと思う。お互いに嫌いになって、喧嘩別れしたわけではなく、どちらかというと僕の筋論で別れた二人だ。あたらしい環境を一から始める必要があったのだと納得した

 知らないアメリカ人と唐突に結婚すると決めたのは、リッセットが目的だったという。日本からも、知った人からも離れて、真新しい生活を始めるには、いい選択だったかもしれない。それにしても、お互いを知る時間が短かったのではないかと思っている。

 君から出た言葉で、思いもしなかった言葉があった。それは、僕は子供たちの独り立ちまでは、君とは一緒になれない、離婚はできないと言った時のこと。

 なぜ、「それまで待ってくれと言ってくれなかったのか…」との言葉だった。そして、もし僕が待ってくれといったなら、「待っていたかも…」と口にした。僕の心に、ズンと来た。僕には、想像もしていなかった言葉だったからだ。

 やはり、二人の間には、大きなギャップがあったのだ。さらには、「子供を作っておけばよかった」って思うとも言った。会社の中に、ほかにも秘めたる恋をしている人がいて、その人は、道ならぬ恋の相手の子供を堂々と生んだという。そんな選択の可能性もあったとは、男性の僕は思いもつかなかった。女性の強い心の表れかもしれない。

 僕の心に今も疑問なことも確かめた。いつだったか、僕が別居中に住んでいたぼろアパートで僕の帰りを待っていた君が、酔っぱらって、鋭利なガラスの破片で左の手首を切ったことがあった。僕は慌てて深夜に病院を探し、近くの救急病院で傷口を縫ってもらって事なきを得たことがある。あれは自傷行為ではなかったのかと、いうことを訊いてみた。

 答えは、リストカットはヒステリの仕業だったと。やはり、リストカットだったのだと、責任を感じる僕がいた。また、こんなことも話していた。君のうちでは、親父さんと君はまずい仲だった。そして、「まずくない親父を僕のなかに期待したのかもしれない」と。過去の君の心の動きを、こんな長い空白の時間の後に、聞くことになったのは皮肉だった。僕たちを引き付けていたものの実態が、少し明らかになった気がした。

 3泊4日の間、いろんなことを話したが、一番の大切な合意、約束は、君が何としても、日本にできるだけ早く帰ってくるということになったことだ。病気の彼をほっておくわけにはいかないとか、愛猫のキューちゃんは飛行機には乗せられないとか、簡単にアメリカを離れることは、君にとって、つらいことだろうとも思った。



 <猫>

 しかし、22年の空白の時間はあっても、二人は、この二人で生きて行きたいと思っていることを確認した。何時、アメリカのご主人の海馬のコントロールがだめになるかもしれないし、麻薬にも手を出し始めたという状況からは、決別してほしいと訴えた。帰ってきて、見つけた横浜のマンションで、二人で暮らすと、約束した。

 マンションについて、君の同意が得られたから、僕は金を用意して不動産屋さんを訪れ、売買契約を完了した。その日、君を自由が丘のモンブランに待たせておいて、契約終了してから、君と一緒に東横線に乗って中目黒経由で日比谷に出た。一緒にイタリア映画祭を見るためだった。長く、ひとりでこの映画祭を見ていて、誰かと感想を共有できたらと思っていたのが、それを君とできたのだ。うれしかった。



 <サテンドール>

 その後、懐かしい浅草を歩き、夜、六本木のサテンドールで生ジャズを聴いて、日帰りの君と最後の一日は終わった。4月から5月にかけての、君の一時帰国の滞在での、最後の日だった。君は、5月9日に、成田から絶対に帰ってくると電話をくれて、アメリカに帰って行った。

 身一つでいいから、1日でも早く、安全な日本に君を迎えたかった。

君の一時帰国の意味は

2016年06月12日 | ファンタジア・その後



 二年ぶりに君が帰国した。3週間ほどの滞在だ。

 この前、22年ぶりに新宿のぺぺで会ってから、Gmailのチャットのおかげで、二人の連絡はとれていた。マンション探しにも、二人の意見が同じ方向を向いているのを確認していた。すこし妥協したところもあるけれど、二人で住むことができる僕たちのマンションも見つかった。一日も早く君に見てもらって、契約に進みたかった。

 やっと君が実家を離れて、日帰りではなく、3泊できるという。これは本当に夢のようだった。やっと落ち着いて、顔を見ながら話ができる。横浜で会って、昼飯を食って、すぐに君を連れて購入候補のマンションに行った。一緒に住む予定の、今は「半分こ」の君に気に入って貰うことが必要だった。



 <2LDK+S>

 I駅から、歩いて10分のマンションに案内した。周りには自然もあって、少し街並みより涼しい感じがする7階だ。建物は古いマンションだけど、この部屋はリノベーションされたばかりだから、新築のような雰囲気。構造的には、古さを感じるけれど、二人が住むには、まあ十分だろうと僕は思っていた。

 君にも、2LDK+Sのこのマンションは気に入ってもらえた。OKが出た。これで、二人で一人を実現する住処が確定した。不動産屋さんに、購入の意図を連絡した。手付金を振り込んで、所有権移転の登記をするための準備に入ってもらった。これで、大きな目標の一つは終わった。ほっとした。

 それから横浜西口で、たっぷり、美味しいものと立派なワインを仕入れて、二人は金沢の僕のマンションに帰ってきた。新宿の時は握手だけで別れたのだから、やはり抱き合って、そしてキスをするのが最初の挨拶。

 とにかくよく話し、食べ、酔っぱらった。何としても、この22年の空間を埋めることが大切だった。

 僕の離婚の話は、チャットで十分に伝わっていたから、今度は、君のアメリカでの生活を知ることが大切だった。物理的なDVの危険も心配していたからだ。

 彼は、いつ頃からかアルコール依存症になり、肝硬変にもかかわらず、大量のウイスキーのガブ飲みするまでになっていたようだ。肝硬変の怖いところは、脳の異常な状態を生み出し、正常な自己コントロールがきかなくなることがあると聞く。すでに下血で3週間も緊急入院したことがあり、その時は命が危険だったようだ。

 二人の生活は、君のコントロールの下に彼を置きたい君と、自由でいたい彼との間の確執があったようだ。結果として、僕が仙台でそうだったように、同じ広い住宅で、同居別居の生活を続けてきたという。寝室も二人別々の部屋に、昼間も彼は書斎でPCをいじり、君は居間でTVを見たり、ネットをしているようだ。食事も別々のものを二種類作り、別々に食べているとか。


 

 <アメリカの田舎>

 そんなのは結婚生活ではないと僕は激昂するが、太平洋をはさんだ二つの家庭で、まったく同じような、不幸な生活が続いてきたと知る。皮肉なものだ。

 僕は君を蹴飛ばして自由にしたのは、30代半ばになって、僕との付き合いを続けていけば、子供を生むこともなく時間が過ぎていく。それを避けるために、別れたのに、君は卵管の病気で渡米してすぐに、子供は産めない体になっていた。神様は、皮肉だった。

 君の旦那の息抜きは、クルーザーで海に出ること、そして、ボート仲間との時間だったようだ。アルコールをやめない彼は、結果として前年、吐血して、救急入院で命がつながったようだ。病院の先生も、もう後はないと家族を集めたと聞く。彼がアルコールをやめないのなら、皆さんはご自分の生活を考えなさいともいわれたようだ。その後、彼はすばらしい回復力で、一応普通の生活に戻れたようだ。ドクターもびっくりしていたという。

 君が帰国を考えたのは、この小康状態を逃すと、アメリカの家を出られなくなるかもしれないと、思ったからのようだ。

 僕の気持ちを決定づけたのは、彼が、麻薬にも手を出し始めたと聞いた時だった。もう、君をアメリカにおいておくことはできない。あまりにも危険。そんなリスクを君に犯させているのは間違っていると、僕は心を決めた。できるだけ、早く、身一つでいいから、帰っておいでというのが、僕の願いだった。



 <交わり>

 その夜、二人は長い空白の関係を埋めるように、一番深い男女のコミュニケーション、セックスを努力して試みた。伊勢佐木町の薬局のアドバイスも助けにして、何とか「僕自身」を君の中に埋め込みたかった。精神的にも、繋がりたいという気持ちが二人を押してくれて、ほんの一回だけだが、二人が一番深いところで繋がった。ヤッターと僕は叫んだ。そして、君も二人が二人の本当の姿を取り戻したと感じてくれた。

 神様に感謝だった。こんな日が来るとは、20年間、思いすらしていなかったのだから…。これで、二人は本当の「半分こ」になったわけだ。