昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

「やって置きたいこと」リストのその後

2020年01月28日 | ファンタジア・フローアップ
 2019年9月からのご無沙汰です。

秘めたる恋の「君」」との生活は、安定してきました。もう8年も一緒に暮らしているのだから、落ち着いて当然です。でなければ、破綻だったでしょう。

前回、2019年9月14日以降、2020年1月25日までの133日分のデータを見ると、延べ3,292のIPアドレス(固有のPC)のアクセスがありました。一日平均、24.7人が、この半休眠(?)サイトを訪れていただいたことになります。感謝です。

今の、バケットリストの達成状況は、当初計画は38項目でしたが、その後3項目が不可能になり、残りはあと3項目になりました。
実行したことの大部分は、20年間の二人の間の空白を埋める旅でした。過去を共有しておきたかったのです。



<バケットリストの状況>

最近、達成した項目の中に、二人にとって重要な旅がありました。

それは、秘めたる恋に陥った二人が、初めて宿泊を含む遠出のドライブをした、長野の頂上にある、小さな美しい湖への再訪でした。 始めの旅から、40年以上が経っています。



<湖>

この項目は、今のうちに行かないと、もう不可能になるかも…と君から忠告されて実施したものです。 昨年の秋の山岳ドライブは、本当に最後のチャンスを生かせたと思います。

確かに、自分では運転は普通だと思っていますが、助手席にいる君からは、危なっかしくなっているのが見えるのでしょう。
急カーブの連測する急こう配のドライブは、やってみて、昔の自分と違うなと現在の力量を思い知りました。
問題は敏捷性です。ハンドル操作と、ブレーキ、アクセルの連続した踏み替え、対向車にどう対応するかを瞬時に決める動体視力などが基本ですが、それができなくなる前に、やっておけて良かったと思います。

40年前は若さに任せて、ホテルの予約もなく現地に行ってみたら、泊るところがなく、無理を言って小さなバンガローに特別に泊めていだききました。そして、その同じバンガローが、風雨に耐えて残っているのを確認出きました。嬉しさがこみ上げてきました。



<バンガロー>

もう一つの「会っておきたい人」リストは、43人のうち、8人がまだ会えていません。無理をせず、しかし急いで、会っておきたいと思います。時間は待ってくれません。

では、また。

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バケット・リストの進捗

2019年09月14日 | ファンタジア・フローアップ
 「フォローアップ・シリーズ」も、これで11篇を迎えました。

 バケット・リスト、つまり「くたばるまでにやっておきたいこと」の現状を報告しておきます。

 当初38項目ありましたが、現在、旅とやりたいことの32個が完了しました。38の中には、実行不可能なこと、取りやめたことが3個あったので、残り未完は3個です。しかし、新たに一つ追加が必要だったので、今日現在の残りは4個です。

 秘めたる恋の相手、「君」との一緒の旅としては、西から、イタリア、島根、鳥取、岡山、兵庫、大阪、京都、奈良、長野、山梨、埼玉、宮城と共有できる時間を持ってきました。地元の神奈川、東京には、たくさんの外出があるので、書ききれません。 

 これらの旅の目的は、二人の間の20年間のブランクを、その間をなぞって、その場所で、「君」と時間を共有することによって、二人の間に「それ知らない」、「そんな記憶はない」などという、歩みのギャップが生まれるのを埋めるためです。感動を含めて、共感のできる現在を持つためです。8年掛かって、おおむね、そのブランクを埋めることが出来きて来ています。簡単には、20年間の空白は埋められませんが、ギャップが少なくなっていることは、実感できています。

 もちろん二人のまっさらな、新しい時間を作っていることは、言うまでもありません。 

 最近、伊豆の旅が終わりました。その一端を述べておきます。



 <伊豆高原の大室山>

 伊豆高原は、昔住んだことがある懐かしい場所なのだが、まるっきり変わってしまっていた。人がいない。東京からの客に見せても恥ずかしくはない、「伊豆ガラスと工芸館美術館」は、閉館になっていた。

 考えてみれば、もともとは別荘地だったから、子供が生まれ、購入して夏休みに遊びに来る時期には人が来るだろう。しかし、時間がたち、子どもが育ってしまったら、夫婦二人で来ることは、めったにないだろう。二人で住むオプションも、あまりないだろう。あとは脱都会の年配の二人が住むことになるかもしれない。しかし、そこで新しい命が生まれることは少ないだろうから、夫婦が年取れば、そのままの廃墟になることも多いだろう。さらに分かったことは、林の中にでも別荘を買ったら、周りの木は時間とともに伸びていき、林の中に埋没して、日当たりの悪いものにもなるだろう。人口が減っていくのは運命かもしれない。

 唯一、見るに値するのは、一碧湖に近い「池田20世紀美術館」ぐらいだろう。



<池田20世紀美術館>



 <アンディー・ウオーホルのマリリン・モンロー>

 時間の経過を、まざまざと知った旅だった。
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2019年04月09日 | ファンタジア・フローアップ

昨年は体調が悪くて、二人で花見には行けなかった。

その残念さを取り戻すため、今年は、二人だけの場所の花見に行ってきました。





二人で出かけることができるのは、とても幸せ。



いつものサバ定食@大戸屋も食べたし、人待ち顔のワンも見たし、楽しい春の一日でした。


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丸7年、二人で住んでみてわかったこと

2018年09月05日 | ファンタジア・フローアップ

 アメリカで、20年も住んで帰ってきた「君」は、日本にいた頃と変わったかというと、基本は変わらないよう。20数年、「秘めたる恋」の関係でいたのだから、素(す)が見えていたのだと思う。おかげで、この7年、問題もなく二人の生活は落ち着いてきています。結婚という法律的な公認された仲では、今でもないが、大した不自由もなく暮らしています。

 ブログの最終アップデート、今年の5月19日から、9月1日までの15週間、個別IP(≒1個人)からのアクセスは、総計3,382IPで、一日平均、32IPとなっています。2005年12月7日以来、2018年9月1日までの累計は、100,093IPとなっています。気長にお付き合いいただいているんだなあと、感謝です。

 今日は、一緒に生活して発見したことを書いてみます。

「君」は、基本的には好奇心が強いのだと思いますが、好きなことが新たに分かってきました。

 ・花火(空に、ドーンと上がる)が大好きです。
  毎年、シーズンが近づくと、カレンダー上に、家から見える花火の予定を調べて、書き込んでいます。恋人だった
  ころは、墨田川、荒川、松戸の花火を見た記憶がありますが…。今年の花火は、予定通りでした。去年は、途中で
  大雨になって中止になりました。君は悔しがっていました。こんな面は知りませんでした。



 <打ち上げ花火>

 ・カミナリ好きでもあるようです。
  ゴロゴロ鳴り出すと、どちらから来るのかを予想して、南と北の窓を見に行っています。目の前で落雷があって、
  ピカッと稲妻、大きなダーンと音がすると喜んでいます。僕も嫌いではないのですが、僕の上を行っています。

 ・競馬
  毎週、日曜日にTVでJRAを見ています。馬券を買うわけでも予想するわけでもないのですが、最終コーナーを回って
  直線を走る馬の姿を見て、知らない馬も応援しています。走る姿が美しいのです。芦毛が少数派だからかもしれま
  せんが、二人で応援しています。テレビの予約は大体毎週入っています。



 <競馬>

 ・動物。
  僕が犬好きだから、それをネットで見ています。すると、そこには、犬と猫、猫と馬、馬と羊、リスと猫、
  などなど、思いもかけない友情を見て、へ~って驚いています。

 ・展覧会好き。
  六本木でも、上野でも、銀座でも、良さそうな展覧会が来ると、行くことになります。ヨーロッパの油絵が多い
  ですが、決して「解説マシン」などは借りず、バ~と全体を見て、気に入ったものだけを近くで見るという、
  せっかち同士の絵の見方をしています。その〆は、レモンハイと決まっています。

 ではまた!

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ひどい今年の前半

2018年05月19日 | ファンタジア・フローアップ


 もうすぐ5月が終わろうとしているのに、今年のこれまでは、ひどい年になっている。歳のせいもあるだろう。それにしても、無駄な時間が飛んでいく。

庭の桑の実が色づきました。鳥たちが喜んで食べています。



<桑の実>

 風邪の年越しで始まったが体調がもどらず、1月~2月には、親しい人たちとのReunionに参加できず、大学にも行かれず、閉じ込められた。風邪を引き直したらしい。

 3月は、何とか持ち直して、動物園、美術展、陶磁器展に何とか出かけることが出来た。

 4月に入ると、心臓の問題の上に、さらに足の指がしびれて、感覚がなく痛い。整形外科、血管外科、心臓担当クリニックを周ったが、原因不明。冷えの薬として、漢方を処方されて飲んでいる。効いているのかは不明。不眠症が続いている。睡眠導入剤も増えた。

 毎年必ず見ていた、初恋の人の上野の展覧会も見られずくさっている。今年は花見もなく、浅草、銀座も遠ざかり、自分を解放できていない。

 皆さまもご自愛を!

P.S. 
前回の1月21日より、先週まで、延べ3,732IP(≒読者)のアクセスがあり、一日平均、35IPのアクセスとなっている。ありがたいことです。

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風邪の年越し

2018年01月21日 | ファンタジア・フローアップ

 もう3週間ほど、風邪をひいていることになる。2017年の12月30日、風邪かなと思った。いわば、足かけ2年の風邪。

 元旦の乾杯はOKだった。君は、実家に2日から4日まで、みそぎの里帰り。僕は一人で、君の買ってくれた正月のおせちと、雑煮と、箱根駅伝の実況で2日間テレビ漬け。風邪の売薬を試してみるけれど、よくならない。

 仕方なく、正月休み明けの10日に医者に。咳と痰と熱。薬をもらって飲んだけど効かない。結果として、1月11日の大学の講座の最終日を休んだ。

 治らないので、1月15日に再度お医者へ。お医者も頭を横にふる。今年の風邪は簡単には良くならないのですよねって言われたって、こちらは困る。今日も、まだよくならない。

 二人の生活に、どこか、甘えが出ているのかもしれない。一人だったら、もっと苦しいし、よくなる努力をしていたかもと反省する。今日は、元気を出して、二人のステーキを焼いた。
 あと何日の風邪か?

この休眠ブログ(?)に、一日平均19 IP(=PC)ほどのアクセスがある。感謝!
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その後の報告

2017年12月07日 | ファンタジア・フローアップ

その後の報告

 前回(2017年9月)の投稿「カスケットリスト」以降、13週が立ちました。
この間、述べ、1416 IPのアクセスがあり、一日平均15 IPということになります。

 読者の皆様が、僕と「君」との再会、その後の共同生活に、温かい目を向けていただいているのが分ります。

 カスケットリストのその後については、次の通りです。

 ・やっておきたいことに、「大学で講義を受ける」が増え、実行中です
 ・行っておきたい場所は、7か所が未達 更に一か所が加わりました
 ・会っておきたい人は、前回以降、3名が死亡 拒絶が一人増えました 残り8名

 二人で一緒に生活していることについては、お互いの血縁には明かしていません。

 したがって、
「君」は、月一で、実家に顔見世がいわゆるみそぎ。
 僕は、子供たちに誕生日のメールと、娘一家に、年二回の偉大なステーキ肉の贈り物。

 二人の結婚は、夫婦別姓が成り立たない日本では、仕方がないので、別々の名前で生活していきます。

 二人が一緒に生活しているのを知ったらびっくりするような人との出会いは、今のところありません。

 ではまた

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バケット(棺桶)リストを実行する

2017年09月09日 | ファンタジア・フローアップ


 皆さんは、バケットリスト(カスケットリストとも言う)を作っていますか?

 非常に簡単です。棺桶リストの名の示す通り、この世からオサラバする前に、会っておきたい人、やっておきたいこと、行っておきたい場所などを、単にリストアップするだけです。

 英語での定義(アメリカの)を書いて置きます。

 “Everyone has some idea of what they would like to accomplish in their lifetime.
 Putting it into a list helps crystalize that idea and turns vague notions into a lifetime plan of action“

 このリストの効用は、「アイデアを結晶させる」、「ぼんやりとした思いを、人生での実行計画にすること」を助けてくれると
 いうことです。

 僕たち(過去の秘めたる恋の相手「君」と僕の二人)も年を取ってきましたから、二人でバケットリストを書いてみたのです。
それが7年前です。

 その後、病気と相談しながら、ゆっくりと実行してきました。今日現在の状況は、次の通りです。

 ☆ やりたいこと:6         全部完了

 ☆ 行きたいところ:31       完了24か所  未達成 7か所



 <行っておきたい所・やっておかなくてはならないこと>


 ☆ 会っておきたい人:45人

 ・会えた人  26名 (内5名はその後死亡)
 ・不可能だった人   2名=死亡、意識不明
 ・拒絶された人   3名
 ・これから会おうとする人  14名



 <会っておきたい人>

 いくつか、参考になるかもしれない項目を紹介してみます。

 ☆ やりたいこと:

 ・遠く離れた祖先の墓参りと、永代供養手続き



  <ご先祖の墓>

 ・自分の家のルーツ探し(親父系とお袋系)


 <母方のルーツ>

 ・公正証書遺言作成とエンディングノート作成
 ・自分史としてのホームページ作り(子のため、孫のため)
 ・外国を再訪(友人に会うためも含めて)
 ・本を書いて置く

 ☆ 会っておきたい人

 ・心の親父 & 心のお袋
 ・親友
 ・初恋の人
 ・学友
 ・恩師
 ・職場で自分を育ててくれた人
 ・職場の親しい同僚
 ・親父の関係者
 ・身内

 何時まで生きられるかは、「神のみぞ知る」わけだから、心残りの無いように、できることから早めにやっておくことが大切だと思います。

 自分の死の事もあるけれど、相手の死もいつ来るかわからないことでもあるから。
僕の場合、会っておいてよかったと思う人が5人もいた。わからないものです。

 バケットリストを作って、明日から行動してみてはいかがでしょうか。

 60歳代に入る前に作ることをお薦めします。体力が残っている時にしかできないことがあるからです。
 たとえば、登山。残念でした。


 P.S.
 本編の「ファンタジア その後」の最終編、「八ヶ岳」以降、9月2日までの128週間、ファンタジア・フォローアップ4篇にたいして、延べ3、787 IPアドレス(PCが持っている固有の番号≒人)が、訪れてくれました。
 平均、一日19IPとなり、ありがたいことです。

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僕たちの毎日

2017年07月13日 | ファンタジア・フローアップ



 この7月10日で、「君」と僕の友達生活は、6年になった。まあ、うまくやれていると思う。時には、大声で言い争いにもなるが、どうもそれは、20年間のアメリカの生活から身に着いた習慣から来るらしい。お互いの立場を言いつのれば、結果として、別の考えとして、言い争いは終わることになる。

 日常を書いてみると、

 ・6時から6時半の間に起きだす
 ・僕が毎日、朝飯を作る。昔からの習慣だ。大体は日本ソバのかけ。二人で一人前位で、わかめと、お稲荷さんとカイワレとドンコの煮たの、葱がトッピング
 ・7時45分には、2人で外国語学習のラジオをきく
 ・8時には、テレビ小説を見る
 ・コーヒーと緑茶を僕が入れる 

 8時半からは、2人の別々の時間が始まる。

 ・君は、洗濯と、掃除にかかる
 ・僕はネットで新聞5紙を読む
 ・決まったサイトのブログを、10個くらいを毎日読んでいる

 10時には、二人でオヤツを食べる。朝は、ポテトチップスということなっている。

 ・僕は、自室でエッセイとか、カラムを書いたり、HPをアップデートしている
 ・君は、別の部屋でテレビを見たり、メールを観たり、アメリカ在住の人に頼まれたネットショッピング、ヤフオクをやってたり、本を読んでいる

 11時半には、僕が二人の昼飯を作ることになっている。メニューは、毎朝、お茶の時間に二人で決める。大体は麺類だ。
 ラーメン、うどん、ビーフン、特製の茄子の上掛けをかけたソーメン、とろろそば、時にはカップ麺の時もある。

 時には、君が、ピッツアを焼いたり、僕の大好きなの具入りのいなりずしを作ってらう。ひるご飯は二人一緒にたべる。
たいていテレビのニュース番組を見ている。NHKは見ない。

 食事の後片付けは、君が洗いもの、僕が拭く仕事をやっている。

 僕はその後、心臓君のために、30分は昼寝。その間、君は本を読んだり、メールを書いたり、自分の家計簿をつけたりしている。

 僕の昼寝が終わると、大体、君のチャンネル権で、一緒にテレビを見ている。断然、英語でのドラマが多くなる。20年間の英語生活を忘れないためだという。僕も英語を忘れないために、分からないなりに見ている。

 午後3時にはおやつだ。和と洋を日替わりで食べることにしている。量は少ない。
 午後の散歩がある日は、ふたりで15分くらいの林の道を歩く。

 5時まえからは、シャワー。大体君が先に入って、僕が後。君が夕食を作るからだ。僕はテレビの報道番組を見ながら、メールをチェックしたりしながら居間にいる。

 キッチンで働く君を見ている。時には、僕も手伝う。ステーキを焼くこと、スパゲッティを作ることは、僕の役回りと決まっている。

 夕食は5時半からで、週二日の僕の休肝日以外は、アペリティーフを飲んでいる。君は、ヴェルモットで、僕はワイン。



<ヴェルモット>

 食事の間は、カヴェルネソーヴィニオンを飲んでいる。食事をしながらの会話の中身が濃い。



<前菜>



<今日のステーキ:半分こ>

 食事の間の時間は、大体二人でテレビを見ている。どういうわけか、僕んちでは、「テレビ東京」を見ていることが多い。他局のような、ばかばかしいお笑いとかヴァラエティーを好きではないからだ。どちらかと言うと、ドキュメンタリータッチの方が、見ていて楽しいからだろう。

 就寝時間は、10時半と決まっている。別々の部屋で寝る。お互いに睡眠を妨げられないようにという気持ち強い。



<買い物リスト>
 
 買い物は、週に二回、僕の運転で近くのスーパーに二人で出かける。月に一度は、2人で街に出るようにしている。映画だとか、展覧会だとか、祭りだとか。

 こうしてみてくると、一日の起きている時間の三分の一は、別々の時間を過ごしている。これが、友達夫婦のバランスの良い世界かもしれない。

 欠かさず毎日やっていることがある。それは、朝の「おはよう」のハグと「おやすみ」のハグだ。

 外界との関係は、まだ互いをお互いの家族に紹介できていない。もしかすると、このままでもいいかと思っている。

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2人で住み始めて、その後

2017年06月03日 | ファンタジア・フローアップ

2人で横浜に住み始めて、丸7年になろうとしています。

この間、二人が別々に経験した時間や場所を共有しようと、イタリアに2度ほど、3週間の旅をしてきました。

お互いの過去が重なっていないから、共通の経験は新たに作りださなければならないのだ。欠落した22年間を再構築するわけだが、そんなに簡単にはいかないのが現実だ。最大の問題は、体力だった。

お互いに大病しているから、昔の若さに任せての行動はとろうとしても取れない。そんな時に、二人して、長い時間が経ったことを実感する。

最近は、別れていた時間を忘れる傾向がある。うれしいことでもあるし、ちょっと変な気持にもなる。



<パンドカンパニュ>


2人のなすことやることが、あまりにもよく似ているのだ。

たとえば、2人でテレビを見ていて、同じコメントをつけていることがよくある。
・ニュースの中身、取り上げ方
・出演者の好み
・セリフへの反応
・出演者の声そのもの好き嫌い
・番組の好みそのもの
・局(チャンネル)、そのものの持つ特性の好み

車の色や形、メーカーに対するイメージまで好みが同じだったりする。
嫌いなコマーシャルは嫌いだと共通している。
食べ物についての好みも一緒だったりする。たとえばフランスパンでも、店ごとに味が違うが、二人はあの店のあの種類の同じパンを買っている。
ワインの好みも、知る限り一緒だ。もちろん安ワインしか買えないが…。

結婚という言葉も、はじめのうちは出たが、今は、友達夫婦で、このまま別姓でも構わないと思い始めた。

だから、誰かから電話がかかってくると、お互いに音を出さず、別の部屋に終わるまで引き籠っている。

紹介し合えるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。

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一緒に住んでみて分かったこと

2017年03月05日 | ファンタジア・フローアップ


2011年に「君」と一緒に暮らし始めて、6年が経った。

「君」のアメリカでの生活は20年を超える。アメリカ人のご主人とアメリカ的な暮らしていたのだから、日本の生活、初めて一緒に生活する僕との慣習などとは、もちろん大きなギャップがあった。何度か衝突して、別れようと僕が考えたかわからない数年があった。

今は、今の生活に慣れ、日本各地を、海外を一緒に旅して、共通の経験が出来てた。少なくとも、日本の各地はともに歩いておきたいと、米子、神戸、大阪、京都、奈良、八ヶ岳、軽井沢、仙台などを旅して、共感を作ってきた。少しは、話のギャップが埋まったと思う。

最近、大きな発見があった。

いわゆるゲテモノの好みが、二人の間で、ぴったり合っていることを発見したのだ。



<あん肝>

たとえば、クジラの肉、馬刺し、あん肝、ホルモン焼き、モツの煮込み、どぜう、など、僕が好きなものを、君もすべて好きだということだ。ゲテモノではないけれど、最初に君がフグを食べたのも、僕とだった。



<馬刺し>

よく考えてみれば、君が20代の前半、大人の世界に入りかけたころ、大人の世界の食べ物、しかも、印象深いゲテモノを食べに、僕が連れて行ったことが、君の食べ物の好みに影響したようだ。話が合うのは当たり前だった。

しかも、秘めた恋の二人の行動だから、会社とかの敬遠すべき人たちが居そうにな
いデートの場所が浅草の裏町。上にあげた、ゲテモノは、すべて、浅草で、2人で経験したものだった。

同じことが、絵画の世界でもいえる。映画の世界でもいえる。音楽の世界でもいえる。

楽しくないはずはない。

ではまた

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ご無沙汰

2017年02月05日 | ファンタジア・フローアップ


 ご無沙汰しています。秘めたる恋の相手、「君」と一緒に住み始めて、6年が経ちました。

 2016年8月7日の最後の「八ヶ岳」以来、約6か月が経ちましたが、おかげさまで、このログにアクセスが絶えることはありませんでした。

 今日現在で、最終アップ以降、延べ3,624 IP(固有アドレス)からのアクセスがあり、今でも楽しんでいただいているのだなぁと思い感謝です。180日間で、一日平均20IPです。対象は、「ファンタジア」と「ファンタジア・その後」を合わせたものです。

 報告:

 初めはいろいろありましたが、だんだんと落ち着いて、「君」と楽しい毎日を過ごしています。結婚という話も出ましたが、このまま、友達の同居人でいくことにしました。

 面白い発見がありましたので、アラカルトで、報告しておきます。

 このブログ、「ファンタシア」の第2作目「神戸のスナップ・ショット」(2005年12月14日)

http://blog.goo.ne.jp/ottocento50s/e/b2ecbe94361390899ba9f14ef1d0ee61

に使った絵は、僕の記憶から2005年に手書きしたものでしたが、「君」が持っていた現物のスカートを写真に撮ると、うろ覚えの色彩が本物とあまり違わないのを発見し、二人で笑い出しました。実物の方が派手でした。

 面白いので、報告させていただきます。




 <手書きの絵>



 <現物の写真>

なお、電子ブックにアップする話は、親族、周りの人への配慮から、実現はしていません。そうなりましたら、また報告します。

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八ヶ岳

2016年08月07日 | ファンタジア・その後



 君と住み始める以前の、20年ほどの二人のブランクの時間を埋めようと、君と一緒に行っておかなくてはならない場所をリストアップした。これからの二人の生活がスムースにいくように、共有しておいた方がいい所の思い出作りに取り掛かった。

 数多い目的地の中で、絶対に…と僕が思ったのは、君と初めて深い関係になることになった八ヶ岳の東麓のロッジ。

 付き合い始めてまる一年くらいの夏の日、休みを取って一緒に信州に3~4日のドライブに出た。基本は、信越線に沿った地域だった。



 <野反湖>

 出発の朝、初めての泊りの旅に、本当に来るかどうか不安だったが、君の家の近くの約束の場所にボストンバッグを下げた君をみつけて、本当にうれしかった。それが、この旅の始まりだった。

 まだ信越道はできていなかったから、首都高から関越道に入り藤岡で降りた。後は、国道18号線を軽井沢に向かって、碓井峠の曲がりくねった道(今でいう旧道)をN510で駆け上がった。
 
 思い出そうとしても、なぜだったのか思い出せないのだが、その旅は軽井沢から北軽井沢、吾妻線の長野原を過ぎて六合(くに)村。さらに山登りの、野反湖へのドライブだった。野反湖は、あまり知られていない信州と上州の山奥の小さな湖だ。

 横浜から10時間もかかったドライブで疲れ果てて宿を探したが、野反湖キャンプ場があるだけで、ホテルなどあるはずもない。キャンプ場の管理事務所に相談したら、村の駐在さんが時々泊まるバンガローが、その夜は空いているという。寝られればいいやと、お借りすることにした。

 しかし、二人にとっては「初夜」になる旅の宿が、小さな古びたバンガローだというのも変なものだった。しかも君は、旅の途中で生理になっていた。若い二人も、その夜は一体化することはできない状況だった。朝起きたら周りに小学生や中学生がたくさんいて、大人の二人が駐在さんのバンガローから出てきたのを不思議そうな顔をして見ていた。

 初めての泊りの旅がこのままでは、二人の思いは遂げることができない。



 <八ヶ岳、赤岳と横岳>

 帰りは土地勘のある小海線に沿って、八ヶ岳に着いた時、素敵なヒュッテがこのあたりにあるとどこかで聞いたことを思い出した。野辺山駅で聞いてみると、山の方に入ったところにあるという。牧場や、草原の中をほんとにあるのかなぁと不安になりながら八ヶ岳の東麓を登ってくと、突然、手入れのされた別荘地になった。さらにカラマツの林を上っていくと、そこに、クラシックな八ヶ岳ヒュッテがそびえていた。



 <八ヶ岳の夕暮れ>

 そこで、今夜の宿を確保して、二人はやっと落ち着いた気持になった。夕焼けを見ながら、玄関ポーチの側に作られた草原の上のテーブルで、食後酒を飲んでいたころ、八ヶ岳の主峰、赤岳と横岳が並んで見えた。高原の風はさわやかだった。

 やっとその夜、血に染まりながらの初めてのセックスが実現した。生理の間は、セックスはしない方がいいと言われているが、昨夜の残念な思いと、旅の覚悟の前に、やっと二人は一つになることができた。しっかりと君を抱いた夜は記憶に鮮明だ。

 ここが二人の原点だった。だから、君と一緒に、もう一度、八ヶ岳ロッジで時間を過ごしておきたかったのだ。もう若くはないからセックスなんてできなくても、二人の安心した共有の時間を持ちたかったのだ。この40年の間に、カラマツやシラカバの木は大きく育って、以前のように玄関のポーチの芝生から八ヶ岳を見ることはできなくなっていた。木々がこんもりと茂り、その昔を想像できないほど森に埋没して、ここも年を取っていた。



 <八ヶ岳は見えなくなっていた>

 ここには、付き合っていたころに君とその後、3~4回は来ていた。別荘や、森のざわめき、沢の水音、森のにおい、カラマツの香り、などが思い出として蘇る。そうだ、雨の八ヶ岳は何もやることがなくて、雨の高原を走り回った帰り、ヒュッテの上のテニスコ-トの林に車を止めて、車の屋根をザザーザーと音を立てて雨の降る中、最初で最後の車のカーセックスを思い出す。

 今回の宿は、建て増しされたロッジだった。長い間のご無沙汰に、かなりのくたびれの見える姿になっていた。




 翌朝、帰り道、林を出て草原の下り坂からは、昨日、走ってきた浅間山が遠くに見えた。

 今回の旅、2015年7月の3泊4日の旅は、最後の車の長旅だと思う。東名、中央高速、八ヶ岳から軽井沢への往復の旅を含め、約650キロも一人で走った。もうこんな危険は冒したくないと君は言う。僕はまだまだ運転できるさ…と思っているが、客観的には、危険な旅になっているのかもしれない。

 これで、二人の始まりの原点が確認できたから、これからの時間を穏やかに、一緒に二人で過ごしていこうと考えている。


P.S.
 
 長い間、通しでお読みいただいた方がいらっしゃれば、感想など、コメント欄からお聞かせください。

 僕は、折があれば、この物語を再校して本にしたいと思っています。が、「君」は、自分たちが推測されて、周りにも迷惑がかかると、本にすることに反対しています。

 タイトルの候補としては、「Fantasia:二人」、「Fantasia :秘めたる愛・二人」などを考えていますがいかがでしょう。これにもコメントいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 ありがとうございました。さようなら。



 
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新しい生活を二人で作る、住む

2016年07月24日 | ファンタジア・その後


 君の2011年7年7日、七夕の日の帰国から、二人の新しい生活が始まった。二人にとって、すべてが新しい経験だった。なぜかというと、二人が一緒に住むというのは初めてだったからだ。



 <二人分のカトラリー>

 1974年に知り合い、1975年8月から、結婚していた僕との”秘めたる恋“の時が始まり、そして13年。ある時、君の自由を奪っている”秘めたる恋“を止めると決意したのが僕だった。僕は君を蹴飛ばして、僕の世界から遮断したわけだ。

 君は1988年、アメリカ人と結婚して日本を離れ、アメリカの生活を始めた。一方、僕はかみさんとの合意通り、子供たちが独立したら離婚するという約束にしたがって、子供たちが独立したのを確認した1995年に離婚した。その時、僕は53歳。30年務めた会社を早期退職し、新しい世界をはじめていた。

 今から思えば、愚かな話だが、残りの人生、これからの25年くらいを、一人で生きるのもつまらないと、恋愛感情はなかったのだが、一応一緒に住めそうだと思った当時40歳近くだったNさんと結婚した。僕はバツイチ、彼女は初婚だった。

 二人の間に子供は作らないとの合意があった。子供は、犬の“息子”が一人。名前は、チロと付けた。実は、後でわかったことだが、このチロの存在が、僕とNさんの生活の基盤だったのだ。それが分ったのは、チロが癌で9歳で虹の橋を渡った時だった。チロが消えてみると、Nさんと僕の間には、共通のものは何もないことが分かった。ペットロスに伴う、僕のうつ状態や、Nさんのパニック障害の発症で、二人に棘とげしい同居別居という時間が始まった。

 そんな中、アメリカの君との交流が徐々に生まれ、2009年の秋に新宿PEPEで話した時、お互いに無駄な時間を過ごしたと気が付いたのだ。

 僕たちの”秘めたる恋“を放棄したのは、女性のみが持つ可能性である子供を産める環境に君をおいてやれないという、僕の理不尽さが見えてきたからだった。子供が独立するまでは離婚はできないと思いながら、君を開放することもできない自分を許してはならないと思ったからだ。

 しかし、神様は、皮肉な運命を二人に課していらしたのだ。

 2011年7月22日、君は僕が見つけておいた横浜のマンションに引っ越してきた。実家には、僕とのことは内緒だったから、一人で住むということで簡単な引っ越しだった。君がアメリカから送った段ボール箱が、引っ越し荷物のすべてだった。

 僕たち一緒に住むと決めたのは、PEPEの会話以来、Gmailのチャットで、深夜の電話でも話していて、二人が、やはり、お互いを好き合っていて、別に暮らすという選択肢は浮かばなかったからだ。

 君に言ったことだが、僕は、君との最初の出会いを意図したわけではなかった。

 まったく、神様のいたずらから始まったといってもいいだろう。初めて二人で話したのは誰かの歓迎会に、長靴で来たのが僕と君だったからだ。宴会の店の人が邪魔だから、君の黄色い長靴と黒い長靴を、座敷にあがる入口の隅に、並べて立てかけていたのが、みんなに冷やかされたのが切掛けだった。この並んだ、黄色と黒の目立つ長靴が、その後の二人の秘めたる恋に発展し、13年間のウイークデーでの同棲が始まった。僕は、毎週末、僕が別居していたぼろアパートから、子供たちに会うために家に帰っていた。君は、毎週末を一人でつらく過ごしていた。

 だから、今回、横浜のマンションで、24時間を共にする生活は初めてだった。

 再会した二人は、同じように身体的問題を持っていた。それは、別々の生活を、君はアメリカで、僕は日本で過ごした21年間に発症した病気だった。つまり、いつまで生きられるかわからない二人だった。君は卵巣癌からの転移の危険に怯え、僕は、激しい発作が発症した肥大型心筋症による心房細動を持っていた。この心房細動は、いつ、心室細動に変化するかもしれず、突然死の危険が分っていた。もう無駄にする時間は、二人にはなかったのだ。

 二人の立場は、この21年で、まったく逆転していた。僕は、無意味な結婚から、離婚調停を得て離婚し独り身。君は、アメリカに肝硬変で、脳の海馬がおかしくなり、暴力的になる可能性のあるアルコール中毒で、大麻にまで手を出し始めたのご主人から逃れて、日本に逃げ帰った人妻。

 初めての共通の時間を二人で生きてみると、さまざまな問題があらわれた。見ず知らずの二人ではないが、二人で住むと、まったく過去には顔を見せなかった問題が現れた。一番難しい問題は、君の僕の過去への嫉妬だった。離婚したNさんとの僕の記憶、旅行、家具、食器に至るまで、すべてが君の嫉妬の対象になった。過去に存在した事実に嫉妬されても、それを解く方法を僕は知らなかった。

 何度かの激しい論争、いがみ合いの中で、その嫉妬に対応していくしかなかった。幸い、二人の間には、もうこれ以上別々には時間は過ごせないという共通の認識があった。いつも、突然、この人生が終わるかもしれないという恐怖があったのだ。

 年取ってはじめて、恋愛感情と言える、すべてを共有したいという感情が生きていた。こうして、二人の同居生活は、だんだん、それが普通の状態となっていった。

 君はアメリカの残してきた、ご主人と愛猫のキュウちゃんに罪の意識を常に持っていた。これも、僕は解決してあげることができない現実だった。

 僕も、3回にわたる心臓の手術を体験し、死の存在が近いと思い知った。法的な結婚が全てではないから、許された時間を二人で生きようとの思いが、この同居生活を支えていた。君も、がんの再発を恐れて、CA125の検査結果を恐る恐る見ながらの生活になった。

 アメリカでの主人との同居別居から、君を救っていた愛猫のキュウちゃんをアメリカの置いてきたことが、君の心に強く引っかかっていたようだ。何度かの、アメリカとの交信があったようだが、内容を聞こうとは思わなかった。

 帰国から3年後の2014年6月、アメリカ人の旦那が病気で死亡したとの通知がアメリカの弁護士からあった。また、キュウちゃんは、2011年に17歳で大往生だったとわかった。やっと君は、呪縛から解放されたのだ。

 結婚という言葉も時には上がるが、このままでもいいやという気持ちが、今の二人にはある。当分、こんな感じで、二人の時間を大切にしていこうと考えている。

 P.S.
 2005年から書き始めた長い秘めたる恋の物語は、現実の時間に追いつき、重なってきた。思い出は、このあたりで終わりにしよう と考えている。後一話、書いておかなくては…と思っている。
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君のアメリカとの決別

2016年07月10日 | ファンタジア・その後



 僕が君に迫ったことは、安全な日本に戻ってもらいたいこと、君を二度と失いたくないこと、二人で一緒に残りの時間を過ごしていこうということだった。これが、君の一時帰国のあいだにできた合意だった。

 君には、卵巣がんの再発という危険があり、僕には、心臓の心室頻拍の発症というリスクがあった。だからこそ、もう過去にはとらわれず、二人が一番やりたい形で、残りの人生を過ごそうということだった。

 僕は、3年越しの離婚問題が決着して自由の身だった。一方、君は、肝硬変のアメリカ人の妻であるということには変わりはなかった。つまり、昔の秘めたる恋の時代の立場がちょうど逆になった形の二人だった。あの頃は、僕が既婚者で、君は独身だった。運命の皮肉を感じた。



 <秘めたる恋のボロアパート>

 アメリカに帰った君の行動力はすごかった。一時はがんに侵され、体力を落とし、痩せのガリガリになった君が、アメリカ人のご主人に、自分は日本に帰ることに決めたと宣言したのだ。将来、ご主人がなくなったら、独りでアメリカにいることはないから、その時には日本に帰国すると、従来から言っていったようだが、日本から帰米するとすぐに、できるだけ早く日本に帰ると宣言したのだから、ご主人もびっくりしたに違いない。

 共同所有の家も土地も、また金の件も、すべて投げ出して、日本に突然帰るというのだから、言われたほうも、言ったほうも、途方もないことだったと思う。よく言ったと僕は、何でもサポートするとチャットで戻した。僕にとっては、君の安全がすべてだった。

 君にとっては、⒘年間、一緒になついて暮らしてきた愛猫、Qちゃんのことも心に引っかかっていたようだ。できれば日本に連れて帰りたかったようだけれど、猫は家に付くと知っていたし、日本に連れて帰って、すぐストレスで亡くなったの猫を知っていたから、つらかったろうけれど、置いて帰るしかなかった。

 僕は、君には、着の身着のままでもいいから、一日も早く日本の僕の元に戻ってもらいたかった。彼の逆鱗に触れて、暴力的なことでも起きたら、物理的に危険だとも思っていた。それにどう対応するかを助言できる知恵は、僕は持っていなかった。すべて、君任せだった。

 君はアメリカの大きな家の中の自分の持ち物を点検して、どうしても日本に持って帰りたいものを選別した。幸い、ご主人は物理的な反対の行動には出なかったようだ。彼も、同居別居の生活のむなしさを感じていたのかもしれない。居直りと、好きにすればという気持ちがあったようだ。彼にとっては、4度目の別れだから、慣れていたのかもしれない。



 <あきらめた階段箪笥>

 こんなことになろうとは思っていなかった君は、最低限の引っ越し荷物を選び出すのは、大変な妥協だったろうと思う。もちろんご主人の助けは借りられない。全部自分一人でやるしかないのだ。

 君が日本からアメリカに帰ったのは5月初旬。僕が二人のマンションに引っ越したのが5月末。そして君は1月の間に、持って帰る大切なものを選び、段ボール箱に荷造りして、ひとつずつ、ポスタルオフイスまで自分で運んで、僕のマンションの気付けで送り出した。僕は一つずつ受け取り、壊れていないかを君にフィードバックした。一つずつ別々に送られた段ボールは、10個にもなった。最後の箱は、君が昔、日本で焼いた信楽の大壺だった。既定のサイズをはみ出して危険だと思ったが、幸い、無事に届いた。



 <大壺>

 アメリカでの財産分与は、うまくいかなかったようだ。離婚はしないといわれたそうだ。最低限の額として、君が最初、日本から持って行った金額だけは、返してもらえたという。まあ、いいじゃないかと僕は言った。僕の企業年金と厚生年金があれば、生活費としては、十分だとの想いがあったからだ。高級なものなど買えはしないが、二人が一緒に生活していければ、それでいいと思っていたからだ。

 一方、日本では、僕の無二の親友が脳梗塞を起こして倒れた。後遺症が残り、動けない、話せないという。残された時間が確実に短くなっているということを、僕自身に感じさせる出来事だった。限られた時間は、何としても君と過ごしたかった。

 僕は、精神的なストレスが原因を思われる心房細動の発作を起こして、6月末に、救急車で入院となった。君が返ってくるまでには退院したいと願っていた。退院が許されたのは、7月3日だった。

 そして、君は離婚できないまま、つまり人妻のまま、日本に7月7日に帰ってきた。少なくとも、物理的なご主人からの暴力から、安全に逃げ帰ることができたわけだ。

 君の実家の人たちは、驚き、初めて、彼が麻薬にまで手を染めているという、君のアメリカでの生活の実体を知ったようだった。君との結婚が、彼の4度目のそれだったということも、実家の人にとってはショックだったろう。3度も離婚するというのは、どこかに、性格的な問題が存在していたとみるのが当たり前だからだ。この事実も君は隠していたのだ。

 結果としては、仕方ないか、よく無事で帰ってきたとの受入れの態度になったという。とにかく良かった。

 7月22日、君は僕と一緒に住むマンションにやってきた。もう、安全だとほっとした。これから、二人の長い空白を取り戻す生活が始まると、僕は楽な気分になっていた。
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