Nさんは実家へ帰り、僕は横浜・金沢へ転居が終わった。しかし、それですべが終わったわけではなかった。いくつかの残った仕事があった。
一番手間がかかったのは、スバルの軽自動車、R2のNさんへの移譲だ。離婚するとき、年取った義理の母のことも考えて、Nさんは車を持ったほうがいいと勧めた。買い物や、お袋さんの移動を楽にするため、運転の技術を風化させないためにも、横浜で車を持つことを勧めたのだ。Nさん自体の行動の範囲も広がると考えた。
その頃、僕が転がしていたのは、スバルの軽、R2だった。スバルらしい、オリジナルのデザインで、かわいらしい形だった。これが、最後のスバルデザインだったのだが…。さて、当時、スバルの中古店に並んでいた同じ年式の車は、60万以上の値段がついていた。もともと、離婚合意の資産には入っていなかったのだから、Nさんに買ってもらうのが当たり前だった。
しかし、僕が勧めた以上、買ってもらうというのも何か変だと思った。そこで、僕が10万くらい払って新たに車検を取り、別料金を払って仙台からR2を横浜までスバルに陸送してもらい、そして、横浜ではぎょっとされるような宮城ナンバーを横浜ナンバーに変える諸費用、手続きを含めて、20万で譲ることにした。ほとんど必要経費だ。
僕の引っ越しの前に宮城スバルに頼んで車検整備をし、神奈川スバル・金沢店まで、陸送してもらった。あとは僕が、第三京浜・港北IC近くの軽自動車協会に行って、書類を作り、新しいナンバーを受け取り、宮城ナンバーを返還すれば、横浜のR2になる。
<軽自動車協会>
僕が横浜に引っ越して10日ぐらいで、すべてが終わった。ピカピカの、横浜ナンバーのR2をNさんに引き渡せば、Nさんとの約束はすべて完了だった。駅前で会って、話すこともなく、新しい車検証を見せ、車を引き渡してR2の後姿を見送った。これで、四駆のインプレッサ以降の楽しかったスバル車との思い出、付き合いは終わった。
あとは、僕たちの結婚式をしていただいた、キリスト教会の牧師先生夫妻へのご挨拶が残った。あんなに心配してもらって、Nさんの相談にも乗っていただいた牧師夫妻、仙台にまでご夫婦で様子を見に来ていただいたこと、Nさんが突然、年末に仙台に帰ってきたとき、同行していただいたE子先生への感謝などだ。
結果としては、僕たちの結婚は破たんしたのだが、一度、僕としては、ご挨拶に伺うのが筋だと思って、教会にお伺いした。
<十字架>
いろんなご質問に答えながら、僕の考えと、Nさんが牧師のご夫婦に持っていた感情などをお話しした。僕たちの離婚は、彼らにとっては不幸な出来事だったに違いない。ご夫婦にとって最初の結婚式だったし、皆から祝福された二人の旅立ちだったから、僕たちの離婚は、お二人にはとても残念な出来事だった。
特にE子牧師にとっては、Nさんにあらぬ疑いを持たれ、僕とE子先生がグルになって、Nさんを貶めたというNさんの妄想は、深い傷になったようだった。それはNさんの猜疑心の仕業だった。冷静に考えれば、E子先生は、二人の将来の継続を期待されて相談に乗ってくださったのだし、僕の方は一緒の生活が耐えられなくて、Nさんと別れることを考えていたのだから、E子先生と僕の間に、共通の目論見があるわけはなかった。
この猜疑心がなぜ生まれたのかについても、3人で話してみたが、結果として、わからなかった。僕は、Nさんがなぜキリスト教徒になる洗礼を受けたのか、もしかしたらこれが鍵なのかと思い、尋ねてみた。しかし、牧師夫妻は、Nさんの洗礼には関係していなくて、牧師の教会に行く前に、外国人の宣教師に洗礼を受けていたということだった。
僕には、多神教の日本人が、一神教の教徒になるということは、何らかの契機による重大な決断だと思う。ここに、きっと、Nさんの心理的なトラウマがあるのだと思うけれど、横浜の教会の牧師さんご夫妻も、思い当たることは記憶されていなかった。仙台の心療内科の先生が言っていた、古い心の苦しみが、その洗礼のきっかけだったかもしれないが、結果として、Nさん、本人にしか、その動機は分からぬままになった。
さらに、驚いたことを牧師夫妻は話された。当然、Nさんは横浜に帰ったら、懐かしい友達もいっぱいいるこの教会に通っていると思っていた。クリスチャンは一度、洗礼を受けると、洗礼を受けた教会の教会員になり、戸籍簿のような登録が記録される。Nさんは、お二人も知らない瀬谷区の方の教会に、転居ならぬ「転会」をしていた。やはり、これも、3人にとって、何故…という疑問でしかなかった。
思わぬ展開になっていた。教会の友達はどうなったのだろう。やはり、自分から絶ち切ってしまったのだろうか。まったくわからない。
おそらく、もう二度と訪れることはないと思いながら、僕は、牧師ご夫妻に別れを告げ、その教会を出た。
これで、離婚の後始末は終わった。