夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

2002年オランダ・ベルギー・フランス美術館めぐりその1

2004年09月23日 | 旅行
夫からHPの更新をさぼっているだろう、といわれた。
時間がないので、昔書いた旅行記などをupすることにする。

以下は、2002年5月から6月まで、香港大学の期末試験の直後に、アムステルダムにゴッホ・ゴーギャン展を見に行き、ついでに2カ国の美術館めぐりをした体験をあるMLに流したもの。呼びかけはその参加者のHNです。
素朴と洗練がぎりぎりのところで調和を保っている、15世紀フレミッシュ絵画にはまるきっかけになった旅でした。



先週の木曜日の深夜帰ってきて、4ヶ月ぶりに夫人会があったり、端午節のドラゴンボートレースを見に行ったり、日本人倶楽部で中国法のことで講演したり、点字の講習会をやったり、深土川にいって、オーダーメイド、エステ,ネイルをしたり、広東語の授業に出たり、始まったバーゲンで買物の梯子したり、いまだ時差ぼけが取れずボーっとしながらも、忙しい日々でした。
一、オランダ篇
1.Enschede
スキポール空港から列車で2時間ほどのEnschedeという町の友人ユーディットを訪ね、2泊させてもらいました。車でクローラーミューラー美術館に連れて行ってもらい、ゴッホの絵を見た時は、感涙に咽びました。
ユーディットとは9年前イスラエル旅行で知り合ったのですが、その時は離婚後長く付き合っていた恋人と別れたばかりで元気がありませんでしたが、昨年再婚し、初孫にも恵まれ本当に幸せそうでした。出産後専業主婦になったものの、どうしても働きたいという気持ちから努力して職をもち、市会議員も務めたという指向が夫とぶつかり離婚原因になったという話は、本当に身につまされました。離婚後も、法律上は認められる生活費の送金を断り,独力で資格をとって自活したという話には感動しました。
彼女は、ユダヤ人で、隠れ家で1944年に生まれたのですが、その隠れ家の写真を見せてもらったり、「シンドラーのリスト」の配給収入から作られたホロコースト記録基金からインタビューを受けたという83歳の母上にも会えたことがとてもいい経験でした。ユーディットは、何よりも、私のひどい日本語訛りの英語(文法やボキャブラリー的にはOKですが、いかんせん発音が)を一生懸命聞いてくれて(中にはわからなくてもわかったふりをする人もいるのに)、それに集中するあまり車の運転で道をまちがえたりするという誠実さには感動しました。前々から考えていた、英語の訛りを直すコースにいくことをさらに堅く決心したことはいうまでもありませんが、2日の間に私達が話した互いの人生のこと、一生忘れないでしょう。
年齢や国籍さえ超えるこういう魂のふれあいのために、人は生きているのではないかと思ったほどでした。

2.デンハーグ
amiさんに教えていただいたマウリッツハイス、とてもよかったです。
英語のオーディオガイドがとても充実しています。
フェルメールの「デルフトの眺望」、「青いターバンの少女」、レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」等が素晴らしかった。
「マドゥローダム」という、東武ワールドスクエアのようなところもお勧めです。
なかなか仕掛けが凝っていて、大人でも楽しめます。行くのなら、小銭をたくさん用意してください。所定の小銭を入れると、いろいろなおまけの楽しみがあるアトラクションがあります。とくに、78番の木靴工場では、50セント入れると、ミニチュアのトラックがデルフト焼きの木靴の記念品を工場から運んできてくれて、それを観光客がお土産にもらって帰ることになっていて、楽しいです。

3.アムステルダム
(1)ゴッホ美術館
念願のゴッホ・ゴーギャン特別展。
今回の旅行は構想10年というこの展示を見るためのものでした。
すごい人でしたが、日本語のオーデイオガイドがとてもよくできていました。
二人の画家の出会い、同居、別離それぞれの時期に、どんなふうに影響を与え合ってきたかを、テーマ別に展示しています。
たとえば、1888年10月にゴーギャンがゴッホの黄色い家に来た時携えていた共通の友人ベルナールの「牧場のブルターニュ人女性」という絵を、ゴッホが模写したり、二人して同じ風景を描いたりしています。
ゴッホのゴーギャンを慕う気持ちはいじらしいほどで、ひまわりも、友情の象徴として、元々は、これで黄色い家を飾ってゴーギャンを歓待するために描いた作品でした。1888年8月に元々12枚描いた内、気に入った2枚だけを飾ることにし、その内の1枚がロンドンナショナルギャラリーにあるものです。花瓶にVincentのサインがあります。
安田火災の買ったものは、ゴッホがゴーギャンと同居中の12月に描いたもので、これは最近までClaude-Emile Schuffehecker(1861-1934)の贋作ではないかと疑われていました。(安田火災はいい面の皮と思われていたようです)しかし、今回この展示のための調査で、本物であることが確認されたのです。というのは、この作品だけジュートに描かれている(他はカンバス)のですが、そのジュートの繊維の流れ等を調べた結果、ゴーギャンが注文したジュートを二人で分けて使ったのだとわかったとのことです!ただし、花瓶にVincentのサインがありません。
ゴッホ美術館所蔵のものは、ゴーギャンが去った後、1889年1月に描いたもので、花瓶にVincentのサインがあります。
これら三つの作品が一堂に並ぶのは100年以上振りとのことです。それから、よく「14本のひまわり」と誤訳されていますが、14本の作品も初期にはありますが、この有名な三枚の絵はいずれも15本です。
「アルルの女」は、モデルのジノー夫人を、脇でゴーギャンがデッサンしている間に、ゴッホが熱に浮かされたように完成させてしまった作品ですが、ゴーギャンが残していったこのデッサンを元に、ゴッホは5枚も新しいアルルの女を描いて、その内の1枚をゴーギャンに送ったりもしています。
二人の決定的な違いは、想像力で描けるゴーギャンに対して、眼前にあるものしか描けないゴッホということにもありました。だから、ゴッホはモデルを雇う金がなかったこともあり、自画像や自己作品のコピーをあれほどたくさん描いているのです(ルーラン夫人の絵もたくさんある)。そのことは、1888年12月、ゴーギャンがゴッホがひまわりの絵を描いている肖像画(ひまわりの生花も入っている)を描いたこと(12月に生のひまわりはないはずだが、ゴーギャンには描ける)に端的に表れています。
ゴッホが描いた椅子も、一方は自分を象徴する、石の床にパイプとともにあるもの、一方はゴーギャンを象徴する、豪華な床に知性を象徴するろうそくと本が置かれているというように好対照になっています。
企画展の二人のそれぞれの(この展示における)最後の作品の演出もとてもきいています。ゴッホのは、糸杉の側にゴッホとゴーギャンらしい二人づれのいる絵、これを見て、いまだに友情の復活を信じる彼に涙が止まらなくなりました。ゴーギャンのそれは、タヒチで故国フランスを懐かしむあまり友人に送らせた種子からその庭に成長したひまわりを描いた「肘掛椅子とひまわり」です。ゴッホの影響を本人は強く否定したようですが。数々の現地妻の絵もあいまってゴーギャンの非情さとゴッホの純粋さが対比されている展覧会といえるでしょう。
それにしても、60以上の美術館から作品を借り、調査し、テーマ別に分類するという膨大な作業にはほとほと感心しました(ただし、ゴッホの耳切り事件直後の包帯した自画像はこの美術館所蔵なのに、この特別展ではコピーしか見せないというのはどういうこっちゃ)。

(2)国立美術館
英語のオーディオガイドが充実。見所の代表的な20絵画だけを外さないための地図もくれますので、まずそれを見てから残りを見るというのはどうでしょう。
レンブラントの「夜警」、フェルメールの「恋文」「手紙を読む女」「台所女」「デルフトの家並みの眺め」、ファン・ハーレルムの「ベツレヘムの嬰児虐殺」等が印象的でした。

4.キンデルケルク
のんびりした田舎の水郷地帯にたくさんの水車がある世界遺産です。7、8月の土曜日のうち1日は全部が回るそうですから、確認して合わせていったらどうでしょう
か。一つの水車だけ中を見せてくれます。管理人が、客がきた時だけ、どこからともなく自転車で現れるし、木靴を履いているのにもびっくり。
個人で行くとなると、ロッテルダムから地下鉄でZuidpleinにいき、154番のバスでまた1時間くらいなので、本数も少なく不便です。
ロッテルダムから、船で行くツアーが午前と午後2回(10:45と14:15)、12.5ユーロ、でていますから、それで行ったほうが効率的だと思います。
TEl:010-2183131, info@rebus-organisatiebureau.nl
ロッテルダムのインフォメーションで予約するのが一番わかりやすいと思います。

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