夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

平良とみさんに会った!

2004年12月31日 | 旅行
クリスマスに沖縄に旅行した。
沖縄は大好きで6回目。

高校のときの地理の先生(現在は琉球大学教授)が授業で沖縄問題(2度にわたる琉球処分、基地問題等)を取り上げてから、本土が近代史の負の部分を全て押し付けてきた所なのだという負い目があった。
 とくに、大和の人間になりたい、だから人一倍愛国心を示さなければならない、という沖縄人の気持ちを利用した第二次大戦の時の扱いはあまりにひどい。
米国留学中に見たワシントンの歴史博物館の日系人の歴史展示で、日系人のヨーロッパ戦線での勇敢な戦いぶりを見たときもそれを思い出した。

今も、内地の文化に合わせようとする気持ちから、やまとんちゅーが失った古き良きものを残していたりすることに気づく。言葉遣いもそうだし、たとえば、今の十代の女の子で子のつく名前はかなり少ないのに、speedの4人中3人がそうだったりする。(speedは大好きで、東京ドームの解散コンサートにも行った。)

でも、数年前に離島に行った時、宮古島にある人頭石(沖縄本島が離島に課した重税)を見たり、小浜島、竹富島等は石垣とは違う町なのに町役場は石垣島にあり、また、それらの行き来は直接する航路は公のものはなく、一度石垣島に行かなければならないこと等を知って、内地→沖縄の抑圧の構造は、本島→メジャーな離島、メジャーな離島→マイナーな離島というように重層的になっているのだと気づいた。さらに、その外側には、安保の名を借りた米国→日本の抑圧の構造があるだ(それが基地問題に表れている)のだ。

沖縄に行って癒されるのは、そのような悲劇を背負いながら、この地が現代人が失った生の根源的なものをもっているから。生と死、生者と死者、人間と神がないまぜになった、民俗学の世界が今もある。実際、どこまでも青い海、サトウキビ畑、それを望む丘にある亀甲墓を見ていると、死は単に丘の下から上への移動に過ぎないような気がしてくる。

さて、今回は、やちむんの里という焼き物の工房が集まっているところで、女優の平良とみさんに会った。「ナビイの恋」を見て大感激して以来のファンだったからとてもうれしかった。
同じ監督の作品「ホテル・ハイビスカス」は期待ほどではなかったが。
「ちゅらさん」については稿を改める。
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