夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

日帰りで相国寺伊藤若冲展へ

2007年05月31日 | 旅行
とうとう行ってきた。

http://jakuchu.jp/jotenkaku/

今月は、がんばって複数の論文(査読付を含む)を発表したり研究会で発表したりしたので少し自分への語ご褒美。

スケジュール的に無理だったのだが、どうしても諦めきれず、東京で研究会その他の用事があった日の夜行バスで京都に行き、到着した朝展覧会を見てその日のうちに大学に戻るという強行軍をやってのけた。(いちゃもん大好きな人がいるのでいっとくが、ちゃんと代休とっているしその日のうちに大学に戻っているから。そんな暇があったら勉強しようね。お互いに)

若冲が相国寺の大典禅師に師事し、禅の修行の一環として描いた釈迦三尊像と動植綵絵30枚だったが、明治政府の廃仏毀釈を生き延びるため後者が皇室に献上され、120年ぶりに再会を果す。
また、前々から見たかった金閣寺の障壁画も公開されている。
感激の一言だ。

昨年夏、石峯寺で若冲の羅漢像と墓を見、秋には国立博物館でプライス展を見、この春には砺波チューリップ公園内の美術館で川島織物が1904年セントルイス博物館に展示した動植綵絵のタペストリーの下絵などを見、そして今回この夢のような展示を見ることができた。

枯淡の趣のある障壁画と極彩色の動植綵絵という両極端な画法なのに、どちらにも若冲らしさがあふれ、一点一点を飽きるまで鑑賞した。幸せ。
三島も描いた金閣寺の放火犯林養賢は毎日この障壁画を見てたのか、いいなあ。

相国寺のそばにある同志社大学は環境抜群だし、法科大学院の校舎もすごく立派で羨ましい。

もうひとつうれしいことがあったのは、偶然、香港時代の友達と再会したことだ。
ご主人の転勤で香港→東京→オランダと転居していたが、4月に東京に戻ってきたとのこと。
平日だというのに入場するだけで1時間待たされ、入ってからも待たされるという大混雑なのに、ミュージアムショップのレジでたまたま隣にいて声をかけられた。奇跡のようだがやはり縁があるのか。彼女も東京から母上とわざわざ見に来たのだという。しばし、大航海時代のオランダ絵画のすばらしさ、オランダで成功しているワークシェアリング制度などについて話をし、東京での再会を約して別れた。

再会といえば、ゴールデンウイークにフィジーに行った際も、クルーズ船の上で話しかけられたのが、大学時代司法試験予備校で一緒だった他大学の友人で、年賀状のやり取りはしていたが、20年ぶりに再会した。
向こうは弁護士同士の夫婦なのでヒルトン、こちらは貧しい公務員同士なのでゴキブリやダニがいる安いホテルだったのは情けないが、やはり法科大学院で教え、法テラスにも登録している彼女と司法制度改革はおかしいと愚痴りあった。

大学に戻る前、遅い昼食は、錦小路の青物問屋の息子で「錦街居士」を名乗っていた若冲にちなみ、錦市場の「やおやの二階」という本当に八百屋さんのやっているレストランで京野菜中心の定食をいただいた。

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