「埋没する詩人」というコトバが使われている小説を読んだ
「重力ピエロ」伊坂幸太郎 (当ブログ 縁側へ)
これはどこかがとっくに版権取得してドラマ化、映画化は間近では?
ま、いつものいい加減な断定ですけど(これって相反してるよね)
あやふやな意志強固
一途な浮気者
どーでもいい末期の決断
前置きが洪水のように広がり言いたいことを
見失っているいつものワタシ
「詩」を自発的に読んだのは高校卒業した直後の春休みで、もちろん教科書には
中也も朔太郎もみすゞ(苗字&敬称略)も載っていた
けれどコトバというものは何かを要求するときと誰かに返答を迫られない限り
使うことがない人生だったし、「詩」はカリキュラムに組みこまれているからという扱いだった
たまたま読んだエッセイの作者がすでに廃業した詩人だった
エッセイも小説もすごくおもしろかったから、有名な賞を取ったという
「現代詩文庫」の1冊を読んでみたら夢中になり、次から次に買って読んだ
古本屋で定価より4割も高い詩集を買ったこともある
エッセイには元詩人の友人で詩人の白石かずこさんが
森茉莉さんにまだ活字になる前の詩を読ませた
ことにひどく怒った内容があった
活字(印刷前)になる前の詩は「うじ虫」である 失礼ではないか
その時思ったのだ
《素人が詩を書くのは自由だけれども、他人に読むよう強要してはいけない》
その翌年、大垣行き 東京発の夜行列車に隣合わせた小太りの男(30代前後)が
ノートを突然ワタシに差し出し
「ボクは詩を書いてるんです、よろしかったら読みませんか」
大嫌いな背中がリングタイプのノートだった
(内心気味悪く こわごわ)見たら物凄く濃い鉛筆で(B、2B?)、
びっしり書かれた文字が埋まっていた。何が書いてあったか覚えてない
とにかく理由を見つけて、席を他に替わらなくちゃ、だけで頭が一杯だった
運良く女性一人客の席が隣の車両に見え、
「あ、友達が見つかりました」
と逃げた
自分がこのサイトでHPを始めて最初に驚いたのは
詩を書く人が異様に多いことだった
この前のHPで「ログメッセージに@このサイト詩を書いてます@と書くべきだ」
まるで嵐さんを手招きするような日記を書いたことがある。
そうすることは無駄な訪問とクリックを省けるから礼儀ではないかと
けれど、しばらくしてHP交際で親しくなった管理人さんの中にも詩を書く人がおり
恐る恐る読んでしまっていた
意外なことではないのだろう、恐れているより(!)全然悪くなかったし
その人を嫌いにならないでいる
友情であれ恋愛であれ、人を好きになるということはそういうことかもしれない
その人の持ついろんな資質をすべて抱合できるようになることだろうと
言いかえれば、ナマコも食うてみなきゃ実態はわからない
あるいは
倒錯もあらゆるフェチも愛が根底にあれば純粋な世界での当たり前だ
(・・・あ~あっ しょうもないタトエだっ)
オメ~みたいなヤツが日記を書いてることのほうがよっぽどウゼェんだよぉ
という意見は無視したい
2度と間違って訪問しないようにね と同情するほかない
フォローではなく、きちんとした日記を書いてる人の書く詩は、
バットのグリップで下腹を突きたくなるような自己陶酔も
蟻が大挙してたかってくるような【ソフトクリームのキャラメルソース掛け】みたいなコトバは選んでない
大事なのは人柄なんだきっと
ん 迷走した?
「愛と詩の挟間」編へ続く
嘘ぴょ~~ん
「重力ピエロ」伊坂幸太郎 (当ブログ 縁側へ)
これはどこかがとっくに版権取得してドラマ化、映画化は間近では?
ま、いつものいい加減な断定ですけど(これって相反してるよね)
あやふやな意志強固
一途な浮気者
どーでもいい末期の決断
前置きが洪水のように広がり言いたいことを
見失っているいつものワタシ
「詩」を自発的に読んだのは高校卒業した直後の春休みで、もちろん教科書には
中也も朔太郎もみすゞ(苗字&敬称略)も載っていた
けれどコトバというものは何かを要求するときと誰かに返答を迫られない限り
使うことがない人生だったし、「詩」はカリキュラムに組みこまれているからという扱いだった
たまたま読んだエッセイの作者がすでに廃業した詩人だった
エッセイも小説もすごくおもしろかったから、有名な賞を取ったという
「現代詩文庫」の1冊を読んでみたら夢中になり、次から次に買って読んだ
古本屋で定価より4割も高い詩集を買ったこともある
エッセイには元詩人の友人で詩人の白石かずこさんが
森茉莉さんにまだ活字になる前の詩を読ませた
ことにひどく怒った内容があった
活字(印刷前)になる前の詩は「うじ虫」である 失礼ではないか
その時思ったのだ
《素人が詩を書くのは自由だけれども、他人に読むよう強要してはいけない》
その翌年、大垣行き 東京発の夜行列車に隣合わせた小太りの男(30代前後)が
ノートを突然ワタシに差し出し
「ボクは詩を書いてるんです、よろしかったら読みませんか」
大嫌いな背中がリングタイプのノートだった
(内心気味悪く こわごわ)見たら物凄く濃い鉛筆で(B、2B?)、
びっしり書かれた文字が埋まっていた。何が書いてあったか覚えてない
とにかく理由を見つけて、席を他に替わらなくちゃ、だけで頭が一杯だった
運良く女性一人客の席が隣の車両に見え、
「あ、友達が見つかりました」
と逃げた
自分がこのサイトでHPを始めて最初に驚いたのは
詩を書く人が異様に多いことだった
この前のHPで「ログメッセージに@このサイト詩を書いてます@と書くべきだ」
まるで嵐さんを手招きするような日記を書いたことがある。
そうすることは無駄な訪問とクリックを省けるから礼儀ではないかと
けれど、しばらくしてHP交際で親しくなった管理人さんの中にも詩を書く人がおり
恐る恐る読んでしまっていた
意外なことではないのだろう、恐れているより(!)全然悪くなかったし
その人を嫌いにならないでいる
友情であれ恋愛であれ、人を好きになるということはそういうことかもしれない
その人の持ついろんな資質をすべて抱合できるようになることだろうと
言いかえれば、ナマコも食うてみなきゃ実態はわからない
あるいは
倒錯もあらゆるフェチも愛が根底にあれば純粋な世界での当たり前だ
(・・・あ~あっ しょうもないタトエだっ)
オメ~みたいなヤツが日記を書いてることのほうがよっぽどウゼェんだよぉ
という意見は無視したい
2度と間違って訪問しないようにね と同情するほかない
フォローではなく、きちんとした日記を書いてる人の書く詩は、
バットのグリップで下腹を突きたくなるような自己陶酔も
蟻が大挙してたかってくるような【ソフトクリームのキャラメルソース掛け】みたいなコトバは選んでない
大事なのは人柄なんだきっと
ん 迷走した?
「愛と詩の挟間」編へ続く
嘘ぴょ~~ん