午前9時頃、上野公園へ。国立西洋美術館まで来ると門扉が閉じられています。月曜日は休館日なのでした。以前来たときは入館しなくても美術館前の庭園にあるロダンの彫像は自由に鑑賞できましたが、この日は前庭にも入れません。仕方なく、フェンス越しにロダン「考える人」の背中を鑑賞。
東京芸大の間の道を通って谷中の霊園へ。何年も前、この逆のコースを歩いたことがありましたが、今回はつれあいを案内してやろうとサービス精神が働きました。
徳川慶喜の墓は見学していましたが、渋沢栄一の墓が近くにあることは知りませんでした。慶喜を慕うように墓があると、何かで読んでそれを確かめたい気持ちもありました。ただ誤解のないように言っておきますが、両者を尊敬しているわけではありません。
渋沢の墓は、慶喜の墓から思った以上に離れています。しかも大きな墓地で親族の墓も何基かあって栄一の墓は中央にでんと据えられています。慶喜の墓の方に向いているようですが、慶喜の墓より大きく、とても臣下のそれではないと思いました。
谷中霊園は迷路です。行きつ戻りつ日暮里の駅になかなかたどり近づけません。ああ、ようやく脱出できたと思うところに五重塔跡があり、その木陰で一服休憩しました。
ここにあった五重の塔は1937年心中で放火され焼失したということです。また、幸田露伴「五重塔」のモデルとされています。
東京芸大の間の道を通って谷中の霊園へ。何年も前、この逆のコースを歩いたことがありましたが、今回はつれあいを案内してやろうとサービス精神が働きました。
徳川慶喜の墓は見学していましたが、渋沢栄一の墓が近くにあることは知りませんでした。慶喜を慕うように墓があると、何かで読んでそれを確かめたい気持ちもありました。ただ誤解のないように言っておきますが、両者を尊敬しているわけではありません。
渋沢の墓は、慶喜の墓から思った以上に離れています。しかも大きな墓地で親族の墓も何基かあって栄一の墓は中央にでんと据えられています。慶喜の墓の方に向いているようですが、慶喜の墓より大きく、とても臣下のそれではないと思いました。
谷中霊園は迷路です。行きつ戻りつ日暮里の駅になかなかたどり近づけません。ああ、ようやく脱出できたと思うところに五重塔跡があり、その木陰で一服休憩しました。
ここにあった五重の塔は1937年心中で放火され焼失したということです。また、幸田露伴「五重塔」のモデルとされています。