(^_^)

2017年2月からこのブログを始めました

【富士宮→浜松→名古屋→大阪 9月7日】

2018-10-30 15:20:30 | 日記
「そんなどうでもいいこと覚えちゃいないよ」とボギーふうに声がかかると思いますが、小諸のホテルで夕食を食い外れた時買ったインスタントラーーメン、富士宮のホテルでも食べ忘れ、家まで持って帰ることになりました。長野県限定の味噌ラーメン、野沢菜も入っていて少し塩味がかっていましたがおいしかったです。旅行は行く前、行っている時、行った後、三度おいしいの締めくくりになりました。


富士宮ホテルのルームナンバー「516」、僕の誕生日は5月16日、なんという奇跡。因みに1948年5月16日、背番号16の巨人川上哲治が対金星スターズ戦で1回ツーランホームランとスリーランホームランを打って5打点上げています。これはプロ野球新記録で、今も破られていません。


小学校の頃、銭湯の下駄箱は必ず16にしていました。そして、長嶋茂雄が現役を引退するまで僕は巨人ファンでした。今も巨人ファンだと口外してはばからない73歳になる先輩がいます。三つ子の魂100までといいますか、頑固一徹と言いますか、その執念、執着に驚愕してしまいます。(笑)

7日の朝、ホテルを出ますと、雨は降っていませんでしたが、どんより雲が空を覆っていました。これでは富士山は見られないかもしれないと思いながら「富士山本宮浅間大社」に向かいました。歩いて15分ほどで鳥居前に着きました。この鳥居の右前方に壮大な富士山が見えるはずです。その方向をしばらく眺めていました。何とはなしに、富士がイメージできます。このイメージがどこまで合っているのか、いつかここに来た時があれば確かめてみたい、と思いました。


境内の東側に富士山の御霊水と称する「湧玉池」があります。伏流水がここで湧水しているのか大量の水が池から流れ出しています。富士山の裾野の範囲にここがあり、その傾斜に沿って小川が流れて行きます。


この「湧玉池」から境内に入ったところに「水屋神社」があり、そこでは竹筒の穴から「御霊水」が口を近づければ飲めるように飛び出しています。しかし注意書きがありました。「飲料には適さない」と。飲めるようになっているのに、飲めない、合点がいきませんねえ。神社の上方に民家があって、生活水が混入しているのでしょうかね。この「後霊水」は手を清めるにとどまっています。


境内を一蹴して正殿に向かおうとしました。そうすると左足が何かを引きずっています。見るとまたもや靴底が剥がれているのでした。安曇野で接着剤で補修したものが剥がれたのかと思ってベンチに座り靴を脱いで確かめました。違うのです、補修したのは右靴で、これは新たな災害でした。それもワニが口を開けてぐらいではすみません。つま先から剥がれ踵部分でかろうじて靴にくっついている危機一髪の状態です。もう旅行も最終日、補修は家に帰ってからと、靴底のゴムをあっさり剥ぎ取りました。ですから家に帰って靴を脱ぐまで僕は靴底なしの靴を履いていたのでした。(;ωq`),,,,,,クスン・゚・

「富士山本宮浅間大社」から下るように歩き10分ほどで「富士山世界遺産センター」に着きました。中に入ると上に向かって螺旋スロープになっています。壁面には画像が映し出され駿河湾から頂上に向かって上って行く疑似体験ができるようになっています。社会見学にやってきた中学生たちと遭遇、彼らの喧騒に押し出されるように最上階の展望室に着きました。



もちろん富士山の景観をのぞむことはできません。こんな時のためか冨士の方向の窓下には晴天時の冨士の写真が掲示されているのでした。これって、かえって侘しいですね。



世界センターを出た後、荷物を預けていたホテル経由富士宮駅に向かいました。富士宮駅で山梨方面へ2駅逆走し、僕がその駅からの景色に感動した「沼久保駅に行こうか」と、つれあいに提案しましたが、「もういいわ」とつれあいはつれない返事をしました。

いざ帰らん。富士宮駅から冨士駅へ、そして浜松へ。浜松で昼食。これが今回の旅行の最終目的でした。うな丼、浜松餃子、それとも友人が浜松で偶然見つけた韓国料理店のたまご焼き。当てのない韓国料理店は見つからず、当てにしていた餃子店は閉店、結局、駅ガード下のウナギ専門店に入りました。僕が注文したのは「ひつまむし」ほっこりしていておいしい。ほとんどの料理が関東より関西がまさると思いますが、ことウナギに関しては関東です。一度蒸した方が断然おいしい。


食べ終わって思案しました。選択肢は3本。一つは18きっぷの最大活用、在来線を乗り継いで帰る、二つ目は浜松から新幹線。三つ目は名古屋まで在来線で行き、名古屋から新幹線に乗る。時刻は3時前、在来線では大阪駅に8時を回る、新幹線では早すぎる、味気ない。結局名古屋までは18きっぷで行きました。名古屋でまた何かあるかもしれない期待を込めて。5年前は名古屋で大雨のために足止めを食らい安宿に泊まりました。これはこれで乙なものでした。さあ今回は!2018.10.29 旅行記、了。
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灯台躑躅

2018-10-27 14:50:03 | 日記
前回のブログでつれあいがビワの種を植えたのは5年前となっていましたが、15年前の間違いで訂正します。15の1が消えていて5になっていました。(「’・_・`」ポリポリ

ビワの木を伐採して、それに代わるものを植えたいと思っていたところ、たまたま近くのコーナンで植木市をしていて、水やりをしていたおばさんに「日陰でも育ってくれる植木はありますか」と聞いてみました。

そうして教えてもらったのが「ドウダンツツジ」です。一度家に戻ってそれをつれあいに言うと、「買おう買おう」ということになりました。

春につりがねのような花を咲かせ、秋には紅葉になるというドウダンツツジ。漢字では「灯台躑躅」と書きます。枝分かれしている様子が昔夜間の明かりに用いた灯台(結び灯台)の脚部に似ているからだそうですが、今度は「結び灯台」というものがわかりません。



それでまた調べました。ははあ、かがり火の足のようなものですね。岬の灯台ではありません。しかしもう一つ合点がいきません。「とうだい」はどう訛れば「ドウダン」になるのでしょうかね。(笑)

この「ドウダンツツジ」はお隣の迷惑にならない場所に植えました。しかし日当りは悪い。期待通り育ってくれるでしょうか。

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「一粒の麦もし死なずば・・・」

2018-10-25 20:18:10 | 日記
15年も前になると言う、つれあいは給食に出たビワを食し、その種をいえの裏に植えた。
本人も忘れていたのに種は芽を出し、ぐんぐん生長した。

しかし、花を咲かせ実を成すことはなかった。雌雄異株かどうかわからないがやはりつれあいになる株が必要だったのかもしれない。これは森師匠にお聞きをしたい。

このビワの木はたくさんの葉を茂らせ、秋には次から次へと葉を落とす。隣家にも塀を越えて枯葉を落とす。


今日、僕の手で伐採された。一粒の麦にもなれなかったビワの木に合掌。


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【清里→小淵沢→甲府、そして身延線 9月6日】

2018-10-18 19:11:30 | 日記


13:55清里駅発、2両編成の車両は満員、中国人と思しき4人連れの青年と隣り合わせになりました。話すうちに台湾の人だとわかりましたが、その彼に「今日はどこまで行くの?」と聞くと「フジ」と言いました。

「フジ」が見えるどこかなのでしょう。外国の人にとって富士山を見るのは定番ですよね。僕の場合は、信州旅行の締めくくりに冨士を見て帰る、酒の〆のお茶漬けのようなものです。(笑)

小淵沢着14:20 
小淵沢駅と言えば5年前の2013年9月、この駅で「塩見三省」さんに会いました。NHK朝ドラで「あまちゃん」の琥珀を一人で掘っていた「勉さん」である。僕が「朝ドラに出ていますよね」と聞いたら塩見さんが「勉さん役しています」と答えられたのであった。次の年、彼は脳卒中で倒れました。懸命にリハビリをして役者に復帰したと何かで知りましたが、僕と同じ1948年生まれです、頑張ってほしい。
塩見さんと会ったのはいつのことであったか調べるのに写真を探しました。せっかく見つけた写真のなので、小淵沢の記念として、これを使います。


14:30小淵沢発、15:21甲府着
甲府駅に降り立ったのは、これで3度目です。身延線は上り下り反対になりますが2度目です。その一度目は三男の藤沢から東海道線、御殿場線、身延線とたどり、甲府から松本に向かったときです。この経路を見ても、僕がいかにも富士山にこだわっていることがお分かりでしょう。

この時、身延線の西富士宮駅から沼久保駅に向かう車中から見上げた富士山の絶景に感動しました。裾野から緩やかに起ちあがり、そしてやがて角度を急にして頂上に向かう富士山のシルエットに言葉を失っていました。これをつれあいにも見せてやろう!と思ったのが小海線から身延線に向かう路線選択になったのでした。何という優しさ!

15:32甲府発


本当は、甲府駅の外に出て、武田信玄像の前で我慢していた煙草を一服としたいところでしたが、乗り継ぎは10分しかありません。仕方なく電車に乗り込みました。富士宮まで32駅、所要時間3時間17分、これは苦行です。しかし、スマホで各駅の停車時間を見ていますと身延駅で40分もあるではありませんか。午後5時過ぎ身延駅に降りました。駅の外に出て川べりで深呼吸と共に一服、至上のうまさです。

身延山は日蓮宗の本山です。つれあいの実家は日蓮宗の檀家で義父も義母も日蓮宗の弔いで送りました。「いつか行こうか」と声をかけ、富士川に架かる橋の方向を眺めていました。身延山に上がれば、富士山も眺められるのではないか、とも思いながら。


沼久保駅に近づくころから僕は起ちあがり、ひたすら窓の外の景色を眺めていました。冨士の輪郭ぐらいは見られるのではないかと期待したのでした。電車の中が明るく目の周りを両手で覆い見つめましたが、外は漆黒の闇、信号機の灯りだけが通り過ぎて行きました。


18:49富士宮着
富士宮駅を出た時、既に雨が降っていました。予約していた富士宮富士急ホテルは駅前の陸橋を降りたところにあり、助かりました。ホテルの隣は中華料理店、今日の夕食はここにしようと思いましたが、つれあいに「おやきがある」と言われてしまいました。そう小諸で買ったおやきが、まだあったのでした。何と質素な旅行!
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【小海線9月6日②】

2018-10-15 18:34:31 | 日記
小海線は山梨小淵沢を起点、長野小諸を終点とし、距離78.9km、駅数31を有する鉄道路線です。僕らは終点小諸駅を起点として、小淵沢、甲府と巡り、身延線富士宮をこの日のゴールとして出発しました。これは、千曲川を遡る行程でもありました。

先にも書きました不快な客のため旅情を阻害された時間帯もありましたが、佐久平駅を過ぎて遠目に蓼科山を右手に眺めつつ、やがて迫ってくるであろう八ヶ岳を想像していました。

実は八ヶ岳山麓は30年ほども前にドライブしたことがあるのです。富士山5合目まで行き、帰りに大月から清里に向かいました。清里あたりで宿泊するつもりが、宿が見つからず大阪まで帰ってきました。雨の中、宿探しに夢中になり八ヶ岳の山容を捉えずに終わった旅行でした。ちょっと八ヶ岳とは宿縁の関係にありました。

小海線の主要駅の中込を過ぎてから列車は山間に入って行きました。駅名が「海瀬」「小海」「海尻」と海に因んでいます。このことは「みすずかる」でふれたように、この辺りが古代、海、あるいは大きな湖があったことを偲ばせます。


「信濃川上」駅を過ぎた辺りから、列車は右へ進路をとり、西方向に眺めていた八ヶ岳を北方向に接近して見ることになります。小海線は愛称で「八ヶ岳高原線」というそうですが、大阪の片町線を「学研都市線」というのと違って、これは同意!納得!です。


野辺山には11時53分に着きました。対向列車をやり過ごすのに10分ほど待機します。でホームに出て降りるべきかと周りを見渡しますが、小諸で聞いた通り食堂などなく閑散としています。昼食用のおやきはもっていたものの清里まで行こうと決め、ホームを外れて記念写真をパチリ、背景には八ヶ岳。



清里に降りました。野辺山とはうって変って、洒落たお店が駅前に並んでいます。でもみんな新しく急造の映画のセットみたいで、そこに立っているだけでなんだか恥ずかしくなってきました。スマホで近くの食堂を検索、ありました、「グラタン専門店アミ」高原→乳牛→チーズ→グラタン、この連鎖反応で迷うことなしにアミに向かいました。おやきはおやつと決定。

清里の人気レストラン、ということでしたが、僕らが行ったときはシーズンオフのおかげか待たされることも無く座れました。注文したのは僕はグラタン、つれあいはドリア。ホコホコ、アツアツのグラタン、家のんと違って牛乳をたっぷり使っているのは分かります。でもそれだけ、格段のことはありません。味音痴なものには何を食べさせても一緒です。(笑)



店を出て時計を見ますと小淵沢に向かう列車に乗るには1時間余りもあります。八ヶ岳をもっと間近に見たいと思い、見渡せる場所に向かって坂道を上がって行きました。清里の駅からは八ヶ岳は小山が前立てのようになっていて見られないのです。

20分ほど歩き道路の分岐点までやってきましたが、八ヶ岳はまだ見られません。地図を見ますと道路は周回になっていて、もとへ引き返すよりこのまま進んだ方が八ヶ岳を見ることができるかもしれないと、その道を選択しました。これが誤算でした。

この道は自動車専用道路で、やがて車が走り抜けるトンネルを通らざるを得なくなりました。時計を見ると小淵沢に向かう列車の時刻まであと30分弱、これを逃すと2時間近く次の列車を待たなくてはなりません。宿泊を予約した富士宮着が9時を回ってしまいます。

慌てました。ビュンビュン通り過ぎる車の風圧に怯え、跛行する左足に活を入れながらひたすら出口に向かいました。このトンネルが長い!あるいは長く感じただけかもしれませんが、トンネルを出た時は発車まであと15分。幸い、駅までは下り坂、滑り込むよに清里駅に到着。発車5分前でした。



こんな切迫した状況にあってもつれあいは写真を撮っていました。あとで見ましたが清里から富士山が見えるのです。女は度胸、男は愛嬌。


ここで言っておきますが今回の旅行で誤算はこれ一回だけです。そのはずです(笑)
2018.10.15記
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