「そんなどうでもいいこと覚えちゃいないよ」とボギーふうに声がかかると思いますが、小諸のホテルで夕食を食い外れた時買ったインスタントラーーメン、富士宮のホテルでも食べ忘れ、家まで持って帰ることになりました。長野県限定の味噌ラーメン、野沢菜も入っていて少し塩味がかっていましたがおいしかったです。旅行は行く前、行っている時、行った後、三度おいしいの締めくくりになりました。
富士宮ホテルのルームナンバー「516」、僕の誕生日は5月16日、なんという奇跡。因みに1948年5月16日、背番号16の巨人川上哲治が対金星スターズ戦で1回ツーランホームランとスリーランホームランを打って5打点上げています。これはプロ野球新記録で、今も破られていません。
小学校の頃、銭湯の下駄箱は必ず16にしていました。そして、長嶋茂雄が現役を引退するまで僕は巨人ファンでした。今も巨人ファンだと口外してはばからない73歳になる先輩がいます。三つ子の魂100までといいますか、頑固一徹と言いますか、その執念、執着に驚愕してしまいます。(笑)
7日の朝、ホテルを出ますと、雨は降っていませんでしたが、どんより雲が空を覆っていました。これでは富士山は見られないかもしれないと思いながら「富士山本宮浅間大社」に向かいました。歩いて15分ほどで鳥居前に着きました。この鳥居の右前方に壮大な富士山が見えるはずです。その方向をしばらく眺めていました。何とはなしに、富士がイメージできます。このイメージがどこまで合っているのか、いつかここに来た時があれば確かめてみたい、と思いました。
境内の東側に富士山の御霊水と称する「湧玉池」があります。伏流水がここで湧水しているのか大量の水が池から流れ出しています。富士山の裾野の範囲にここがあり、その傾斜に沿って小川が流れて行きます。
この「湧玉池」から境内に入ったところに「水屋神社」があり、そこでは竹筒の穴から「御霊水」が口を近づければ飲めるように飛び出しています。しかし注意書きがありました。「飲料には適さない」と。飲めるようになっているのに、飲めない、合点がいきませんねえ。神社の上方に民家があって、生活水が混入しているのでしょうかね。この「後霊水」は手を清めるにとどまっています。
境内を一蹴して正殿に向かおうとしました。そうすると左足が何かを引きずっています。見るとまたもや靴底が剥がれているのでした。安曇野で接着剤で補修したものが剥がれたのかと思ってベンチに座り靴を脱いで確かめました。違うのです、補修したのは右靴で、これは新たな災害でした。それもワニが口を開けてぐらいではすみません。つま先から剥がれ踵部分でかろうじて靴にくっついている危機一髪の状態です。もう旅行も最終日、補修は家に帰ってからと、靴底のゴムをあっさり剥ぎ取りました。ですから家に帰って靴を脱ぐまで僕は靴底なしの靴を履いていたのでした。(;ωq`),,,,,,クスン・゚・
「富士山本宮浅間大社」から下るように歩き10分ほどで「富士山世界遺産センター」に着きました。中に入ると上に向かって螺旋スロープになっています。壁面には画像が映し出され駿河湾から頂上に向かって上って行く疑似体験ができるようになっています。社会見学にやってきた中学生たちと遭遇、彼らの喧騒に押し出されるように最上階の展望室に着きました。
もちろん富士山の景観をのぞむことはできません。こんな時のためか冨士の方向の窓下には晴天時の冨士の写真が掲示されているのでした。これって、かえって侘しいですね。
世界センターを出た後、荷物を預けていたホテル経由富士宮駅に向かいました。富士宮駅で山梨方面へ2駅逆走し、僕がその駅からの景色に感動した「沼久保駅に行こうか」と、つれあいに提案しましたが、「もういいわ」とつれあいはつれない返事をしました。
いざ帰らん。富士宮駅から冨士駅へ、そして浜松へ。浜松で昼食。これが今回の旅行の最終目的でした。うな丼、浜松餃子、それとも友人が浜松で偶然見つけた韓国料理店のたまご焼き。当てのない韓国料理店は見つからず、当てにしていた餃子店は閉店、結局、駅ガード下のウナギ専門店に入りました。僕が注文したのは「ひつまむし」ほっこりしていておいしい。ほとんどの料理が関東より関西がまさると思いますが、ことウナギに関しては関東です。一度蒸した方が断然おいしい。
食べ終わって思案しました。選択肢は3本。一つは18きっぷの最大活用、在来線を乗り継いで帰る、二つ目は浜松から新幹線。三つ目は名古屋まで在来線で行き、名古屋から新幹線に乗る。時刻は3時前、在来線では大阪駅に8時を回る、新幹線では早すぎる、味気ない。結局名古屋までは18きっぷで行きました。名古屋でまた何かあるかもしれない期待を込めて。5年前は名古屋で大雨のために足止めを食らい安宿に泊まりました。これはこれで乙なものでした。さあ今回は!2018.10.29 旅行記、了。
富士宮ホテルのルームナンバー「516」、僕の誕生日は5月16日、なんという奇跡。因みに1948年5月16日、背番号16の巨人川上哲治が対金星スターズ戦で1回ツーランホームランとスリーランホームランを打って5打点上げています。これはプロ野球新記録で、今も破られていません。
小学校の頃、銭湯の下駄箱は必ず16にしていました。そして、長嶋茂雄が現役を引退するまで僕は巨人ファンでした。今も巨人ファンだと口外してはばからない73歳になる先輩がいます。三つ子の魂100までといいますか、頑固一徹と言いますか、その執念、執着に驚愕してしまいます。(笑)
7日の朝、ホテルを出ますと、雨は降っていませんでしたが、どんより雲が空を覆っていました。これでは富士山は見られないかもしれないと思いながら「富士山本宮浅間大社」に向かいました。歩いて15分ほどで鳥居前に着きました。この鳥居の右前方に壮大な富士山が見えるはずです。その方向をしばらく眺めていました。何とはなしに、富士がイメージできます。このイメージがどこまで合っているのか、いつかここに来た時があれば確かめてみたい、と思いました。
境内の東側に富士山の御霊水と称する「湧玉池」があります。伏流水がここで湧水しているのか大量の水が池から流れ出しています。富士山の裾野の範囲にここがあり、その傾斜に沿って小川が流れて行きます。
この「湧玉池」から境内に入ったところに「水屋神社」があり、そこでは竹筒の穴から「御霊水」が口を近づければ飲めるように飛び出しています。しかし注意書きがありました。「飲料には適さない」と。飲めるようになっているのに、飲めない、合点がいきませんねえ。神社の上方に民家があって、生活水が混入しているのでしょうかね。この「後霊水」は手を清めるにとどまっています。
境内を一蹴して正殿に向かおうとしました。そうすると左足が何かを引きずっています。見るとまたもや靴底が剥がれているのでした。安曇野で接着剤で補修したものが剥がれたのかと思ってベンチに座り靴を脱いで確かめました。違うのです、補修したのは右靴で、これは新たな災害でした。それもワニが口を開けてぐらいではすみません。つま先から剥がれ踵部分でかろうじて靴にくっついている危機一髪の状態です。もう旅行も最終日、補修は家に帰ってからと、靴底のゴムをあっさり剥ぎ取りました。ですから家に帰って靴を脱ぐまで僕は靴底なしの靴を履いていたのでした。(;ωq`),,,,,,クスン・゚・
「富士山本宮浅間大社」から下るように歩き10分ほどで「富士山世界遺産センター」に着きました。中に入ると上に向かって螺旋スロープになっています。壁面には画像が映し出され駿河湾から頂上に向かって上って行く疑似体験ができるようになっています。社会見学にやってきた中学生たちと遭遇、彼らの喧騒に押し出されるように最上階の展望室に着きました。
もちろん富士山の景観をのぞむことはできません。こんな時のためか冨士の方向の窓下には晴天時の冨士の写真が掲示されているのでした。これって、かえって侘しいですね。
世界センターを出た後、荷物を預けていたホテル経由富士宮駅に向かいました。富士宮駅で山梨方面へ2駅逆走し、僕がその駅からの景色に感動した「沼久保駅に行こうか」と、つれあいに提案しましたが、「もういいわ」とつれあいはつれない返事をしました。
いざ帰らん。富士宮駅から冨士駅へ、そして浜松へ。浜松で昼食。これが今回の旅行の最終目的でした。うな丼、浜松餃子、それとも友人が浜松で偶然見つけた韓国料理店のたまご焼き。当てのない韓国料理店は見つからず、当てにしていた餃子店は閉店、結局、駅ガード下のウナギ専門店に入りました。僕が注文したのは「ひつまむし」ほっこりしていておいしい。ほとんどの料理が関東より関西がまさると思いますが、ことウナギに関しては関東です。一度蒸した方が断然おいしい。
食べ終わって思案しました。選択肢は3本。一つは18きっぷの最大活用、在来線を乗り継いで帰る、二つ目は浜松から新幹線。三つ目は名古屋まで在来線で行き、名古屋から新幹線に乗る。時刻は3時前、在来線では大阪駅に8時を回る、新幹線では早すぎる、味気ない。結局名古屋までは18きっぷで行きました。名古屋でまた何かあるかもしれない期待を込めて。5年前は名古屋で大雨のために足止めを食らい安宿に泊まりました。これはこれで乙なものでした。さあ今回は!2018.10.29 旅行記、了。