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2017年2月からこのブログを始めました

【7月10日、趙博創作浪曲「医師・中村哲」を追い求めて】

2022-07-12 21:03:18 | 日記
 東京駅から上野へ、上野から地下鉄・日比谷線で南千住へ。日光街道と明治通りの交差点「泪橋」に立ったときは午後1時前だったか。




 この泪橋という地名に心揺さぶられるのは私だけではないだろう。山谷の北外れ、泪橋の下に丹下ボクシングジムがあって、明日のジョーは力石徹との対決にそなえた。しかしそれは物語の設定で実際には橋はなく川は暗渠となっている。
もう一つ、江戸時代には刑場(小塚原)があり、獄門死罪となる罪人と縁者はこの橋で永久の別れに泪を流したという。それで泪橋。




 この泪橋から「泪橋ホール」は50メートルもなかったか、ホールの前に来たとき「大きな声が中から聞こえてきた。馴染みある趙博さんの声、この人は体が大きければ声も大きい。


 早すぎた到着に今日渡すビラを折っていた趙博さんもびっくりした様子。
「来ましたで、趙博さん」と声をかけ、僕は喉が渇いていたのでビールをお店の人に注文。これから熱演する趙博さんには不謹慎と思ったけど、趙博さんは
「どうぞどうぞ」と勧めてくれた。お店のオーナーの女性、多田さんも加わってもらって、この泪橋ホールや山谷の説明をしてもらったりしているうちに趙博さんは衣装を整えて再登場。僕は、思わず
「馬子にも衣装」と言ってしまった。


 この衣装は大柄な趙博さんには着物仕立てができなくて作務衣である。作務衣であるが生地は絹で漆黒な生地に般若の絵柄が映えている。凜とした佇まいに趙博さんに意欲が表れている。

 昼食が未だだったのでホールを出て食堂を探した。ここは山谷の中心部だと思うけど、小さなホテルが軒並み続くけど、こぎれいな町と言ってよく寄せ場の様子はどこにも感じ取れない。おまけに食堂・喫茶店もなく泪橋周辺をぐるぐると歩いた。山谷散策は浪曲「中村医師」の鑑賞後、予定していた行動であったが前倒しということになった。

 そんな中、ああ、山谷だという場所に出会った。キリスト教会の前かそこでの炊き出しと「労働福祉会館」である。しかしひっそりしていて釜ヶ崎とはずいぶん違う。その釜ヶ崎も知るところずいぶん寂しくなってきた、と感じているが。




 2時半、3時からの開演を意識して早めにホールに戻った。ホールの中に入ってびっくり、ずいぶん大勢の人が既に入っている。ホールのオーナーの多田さんは席を確保してくれていた。

コメント
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