goo blog サービス終了のお知らせ 

(^_^)

2017年2月からこのブログを始めました

2025年5月5日の野草

2025-05-05 19:20:25 | 日記
今日の野草「ヒナキキョウソウ」淀川清流高校西側歩道に生えていました。明日はデジカメでしっかり撮ってきます。


1年草
北アメリカ原産。1931年に横浜市で帰化が報告され、その後、関東地方以西で散発的に見いだされている。市街地の道ばたなどに発生する。茎は直立してあまり分岐せず、高さ40cmほどになる。葉は卵形で低い鋸歯があリ、無柄で互生、基部はやや心臓形になるが茎を抱くことはない。葉腋に直径15mmほどの紫色の星形の花を一つずつつける。ただし、多くの花が閉鎖花となる。果実は上部に穴があいて種子をだす。花期は春〜夏。(日本帰化植物写真図鑑)
学名は、Triodanis biflora
キキョウ科キキョウソウ属

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マツバウンランとキュウリ草

2025-04-27 22:10:25 | 日記
キュウリ草はナヨナヨワスレナグサか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メマツヨイグサと夕日

2025-04-26 22:08:25 | 日記
 今日の野草は「メマツヨイグサ(雌待宵草)」です。
 今日の散歩出発は午後5時半、日が長くなりました。「早起きは三文の得」ということわざがありますが、遅い散歩もいいことがあるのです。堤防に上がる手前に新豊里団地がありますが、その生け垣にポツンと「メマツヨイグサ」が咲いていたのです。夕方から開花します。

 「オオマツヨイグサ」がポピュラーだと思いますが、それに比べて小ぶりだから「メマツヨイグサ」と言います。野草名に「メ」とか「ヒメ」とつくのは本種と比べて小さいものを指します。
 堤防に上がって下流に向かって歩いて行きますと、路傍のあちこちにメマツヨイグサが花を咲かせています。昼には見られない光景です。


 そして赤く染まった空、夕日が沈もうとしています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おばちゃんの墓とマツバウンラン

2025-04-26 13:44:23 | 日記
今日紹介するのは「マツバウンラン」。

月に一度行くか行かないか、親たちの墓掃除に昨日行きました。
墓場は「旧三番村(さんば)」の管理になっていて、祖父母やおじさんの墓もここにあります。おじさんは南方戦線で戦死し、尖塔の墓でしたが、つれあいになるおばちゃんが私もここに入ると言って普通のお墓に変えました。おじさんが戦地に向かったとき、おばちゃんのお腹の中には赤ちゃんがいました。僕のいとこになる人です。このあたりもう少し詳しく話したいところですが、それはいつかにして、墓のことに話を戻します。

そんな関係で墓参りは三カ所の墓を回ります。
おじさんの墓にはおばちゃん、その娘(いとこ)、いとこのパートナーのお骨が入っています。そのお墓に行くと可憐な花を見つけました。墓石の継ぎ目から楚々とした姿を見せてくれています。


それが「マツバウンラン」なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2025年3月11日の毛馬閘門

2025-04-24 17:32:07 | 日記
二週間も前のことです。いつもの散歩より足を伸ばして、毛馬の洗堰(閘門)に行きました。僕の教員最初の職場が毛馬の地でした。そしてそこは与謝蕪村の生誕地であり、旧淀川(大川)と新淀川の分岐点であり、今ちょっとした桜の名所にもなっています。
 毛馬の閘門まで家から自転車で20分ほど、淀川左岸河川敷を走ります。閘門について堤防を見上げると与謝蕪村の碑があります。



 蕪村は芭蕉没後22年(1716年)毛馬村に生まれました。20歳頃江戸に向かい下総、下野、京都と住まいを移りますが、生まれ故郷、毛馬村には帰ったことがないとされています。しかし、望郷の念がなくはなく、次のような句を残しています。



「春風や堤長うして家遠し」この句は「大阪からやぶ入りで毛馬へ年ぶりに帰る若い娘の気持ちになって蕪村自身の郷愁の思いを詠んだものである」と言われています。
 この蕪村碑から閘門にすすむと大阪市街に向かう旧淀川(大川)、その向こうに林立する高層ビル群をみることができます。



閘門を渡りきると、そこが明治時代に工事された旧閘門の跡地になります。ここが隠れ桜の名所と言っていいところです。
 僕はそこから堤防沿いに長柄橋に出ました。遮る建物もなく、東に生駒山、西に六甲山。言うなら、「菜の花や 月は東に 日は西に」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする