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(^_^)

2017年2月からこのブログを始めました

李知承ライブ2018.8.29

2018-08-31 11:45:56 | 日記
李 知承さんの「哀号」、いいですねえ、ほんのりした涙と笑いに誘われます。

時間はちょっと遡ります。8月29日(水)午後6時過ぎライブ会場に着きました。場所は西成釜ヶ崎、寄場の労働者が越冬闘争に使う三角公園はすぐ近く、西成警察署もすぐ近く、絶好?のロケーションです。居酒屋「難波屋」がその会場です。


店に入ると立ち飲み客で満席、席はないので満席はちょっとおかしい言い方ですが、込み合っていてみんなダークスダックスのように肩を寄せ合って、思い思いの酒を飲みとつまみを啄んでいます。20人も入れば身動きができないようなところでとてもライブ会場になると思われません。ところが奥の方に仕切があってその向こうがライブの会場のようなのでした。

店に入ってすぐさま、小柄な男性の背中を見つけました。李知承(イ・チスン)さんです。「チスンさん、来ましたよ」と声を掛けると、彼は特に愛想も無く「ありがとうございます」と返事をしてくれて、僕ら(中村秀男君と)二人のためにしてくれたのか席を空けて奥の部屋へ向かいました。

それから小一時間、7時のライブが始まるまで、ビールに酒に、焼酎の水割り、飲みましたねえ。僕はこの一か月間、まるで酒がほしくなく、飲まないで過ごしてきましたが、この日は勢いに任せて行くとこまで行ってしまいました。おかげでライブが終わった9時にはもうフラフラで、歩くことも思うに任せないようになっていました。


さて、いよいよライブですが、ライブは李知承さんら3人のジョイントでした。お名前は「シーガン山下」「がたろう」さんです。お二人の顔を見てください。釜の街にふさわしい強面です(笑)。ところが歌はイイ。これもぜひ紹介したいところですが、奄美大島のよしみもあって、中村君に委ねたい。僕は李知承さんの「哀号」の紹介に徹します。

【哀号】 詞/曲 イーチスン
アイゴーアイゴーとおばあちゃんが嘆く   明日の米も無いと嘆く
アイゴーアイゴーと母ちゃんが叫ぶ   長屋の角からすみまで響く

この国で暮らしてゆくのなら 仕事はないから自分で作れ
手に職おぼえて自分で作れ 人に雇われ働くな
人に雇われ働けば 奴隷のようにこきつかわれて
ボロになったら足蹴にされて ゴミクズのように放り出される

アイゴーアイゴーとおばあちゃんが嘆く 明日の米も無いと嘆く
アイゴーアイゴーと母ちゃんが叫ぶ 長屋の角からすみまで響く

おじいちゃんが始めたこの仕事 親父がオレを囲いこみ
今でも毎朝冷え切った 油の中に手を入れて
鉄クズそうじがオレの日課さ 鉄クズそうじが1日の始まり
人が嫌がる仕事しろ 人の何倍も働けよ
家族が食べていけるなら そうして生きていけばいい

アイゴーアイゴーとおばあちゃんが笑う
孫の頭をなでながら笑う
アイゴーアイゴーと母ちゃんが踊る すべて忘れて踊りつづける

国を持たないオレの故郷 何処にあるかと探してみても
ここはまちがいなくオレの故郷 ここで生まれたオレの故郷
ここで育ったオレの故郷

アイゴーアイゴーとおばあちゃんが笑う 孫の頭をなでながら笑う
アイゴーアイゴーと母ちゃんが踊る すべて忘れて踊りつづける
すべて忘れて踊りつづける


ライブの終了後中村君が率先して、李知承さんたちに迫り記念写真を撮りました。



「哀号」の動画に字幕を加え、ONEDRINEにアップしました。ただ、拡散はお控えください。
https://1drv.ms/v/s!Ao2WPeMKzJdJwwiPggTWPqbBrezF
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報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて) 

2018-08-18 09:34:06 | 日記
2018年の敗戦記念日とお盆が去って行った。今一度しっかり心に刻もう、この少年のことを 原爆のことを 戦争のことを。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。


少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。

(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
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激闘、苦闘、死闘 20分

2018-08-17 14:46:14 | 日記
17日朝9時前に歯科医院に到着。受付をしてすぐに看護士さんに治療椅子に導かれる。医師は背後からせまり、椅子はゆっくり倒された。僕は椅子の肘掛をしっかり握り、次の瞬間にそなえた。そして、激闘、苦闘、死闘20分、右下奥歯、第3歯が抜去された。

医師は抜いた歯を見せ、解説をした。50年以上生活を共にしたその歯は縦2㎝、臼部分の直径は1cmはある。感慨深くその歯を眺め、そして有難く押し頂いた。

これが今朝の歯科医院における、僕の親知らず抜去の次第です。だいぶ大袈裟とお思いの貴兄に代われるものなら変わってほしかった、が医院のドアを手にするまでの僕の心境でした。ホンマ。永かったこの一週間。胃の内視鏡検査に夏風邪、抜歯、それらが過ぎ去って今は脱力感に浸って、高校野球を観ています。

話は直下、変わります。高校野球観てますか?どこか贔屓がありますか?沖縄を除いて、僕の観方はへそが曲がっていて、ここには勝たせたくないなあ、と中継を見ているのです。
先ず第一に都会の強豪校、大阪桐蔭ですね。春夏連覇二度目を目指すと~、厚かましい。
次に、監督の采配の様子、勝利後の監督インタビューの内容で決めます。去年の準優勝チーム、智弁和歌山の監督、嫌でしたねえ。負けを選手の気力・未熟さにあると指摘していました。

その点、先ほど横浜高校と対戦した金足農業高校いいですねえ。東北秋田、これだけでもいいのに公立高校、インタビューにおける監督の謙虚さ、そしてこの校歌、応援しない手はありません。
【金足農高 校歌】1番
可美しき郷我が金足
霜しろく土こそ凍れ
見よ草の芽に日のめぐみ
農はこれたぐひなき愛
日輪のたぐひなき愛
おおげにやこの愛
いざやいざ共に承けて
やがて来む文化の黎明
この道にわれら拓かむ
われらわれらわれら拓かむ
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趙博さんの投稿で考えたこと

2018-08-15 09:17:18 | 日記
僕のFACEBOOK上の友人に、「歌う浪花の巨人」趙博という人がいます。その彼が昨日13日にFACEBOOKに投稿し、それを見て僕はメッセンジャーで彼に意見を述べました。

僕が彼の投稿にどのような意見をもったのか、それに対して彼はどのような返答をしてくれたのか、それを知っていただきたくて、このブログを記しました。先ずは、彼の投稿から、

『人民新聞』2018.8.5号投稿記事。
(以下、本文のみ)
太田出版は、1997年に起きた神戸連続児童殺人事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗」を名のった「少年A」(事件当時14歳)が32歳になって書いた手記『絶歌』を2015年に発売、発行後一ヶ月で25万部、3億7500万円を売り上げた。そしてつい先日、創出版は、相模原市「津久井やまゆり園」で入所者など46人が殺傷された事件から2年を期に、殺戮者・植松聖(28歳)の手記『開けられたパンドラの箱』を出版した。今度は、どれほど儲けるつもりだ?!
被害者や遺族の心情を疎んじて、何よりも、事件とその歴史的・社会的背景の徹底した検証と対象化、そこから導き出されるべき痛苦の反省と教訓、そして、その全社会的共有化が全くなされていない情況で、「売れ筋の猟奇物」よろしく本を出す。その版元の出版社が如何に正義ぶって「意義」を唱えようと、筆者は断言しよう「元少年Aも植松も、ほくそ笑んでいるに違いない。その嗤いを知りつつ銭儲けに奔走する、オマエ等には言論人の矜持・誇り・名分など一欠片もないのだ」と。
2014年10月、「日本に女性差別は存在しない」と国会で発言して物議を醸した自民党の杉田水脈が、今度は「LGBTは生産性が無い」と書き、言い放った。言わずもがな、杉田の主張はナチスそのものだ。
ナチス時代のドイツでは「健全な民族共同体」を創出するという名目で「出産奨励策」が実施された。「子どもを生産」しない男子同性愛者は、当然にもこの政策に違反することになる。そして、約10万人が逮捕され、その半数が刑務所や強制収容所などに強制収容された。
「出産奨励」は、20世紀初めに欧米で成立した優生学 (eugenics) をその「学問的」基礎に置く政策だ。その結果、優生学的に、つまり遺伝的に「劣等」と見なされた障害者たちの出生を防止する目的で「断種法」が作られ、その犠牲者数は40万人以上に上ったという。優生学は、社会改良の効果的手段として各国で受け入れられ、積極的に奨励されたという歴史を有する。優生学に基づく断種法が成立したのは、ナチス・ドイツ、アメリカ合衆国の幾つかの州、北欧の数カ国だけだったが、断種手術をこれほど大規模に行ったのはナチス・ドイツだけだ。しかし、日本も例外ではない。ハンセン病患者に対する断種がなされ、旧優生保護法(1946~96年)下で精神疾患や障害を理由に1万6000件に上る強制不妊手術が行われたことは周知の事実である。
さらに、杉田の発言で見落としてはならないのは、「LGBTに対する支援や税負担は無駄だ」という点だろう。ナチス体制が成立する契機となった世界大恐慌の時代、障害者を対象とする福祉政策を切り捨て、財政的負担の軽減が図られた。断種法の経済的基礎は、ここにこそ存在する。極めて安易な診断基準を適応して精神障害者を「作り出し」、この人々に対して強制的断種・不妊手術が実施されたのだった。その国民的合意は「不幸な子どもが生まれないように」というスローガンとキャンペーンで成立した。
日本では、障害を持つ我が子を殺した親や、介護に疲れて身内を手にかけた者は必ず「情状酌量」の対象になるのが常套だ。かつて、横塚晃一は「…働かざる者人に非ずという価値観によって、障害者は本来あってはならない存在とされ、日夜抑圧されている」(『母よ、殺すな』より)と正鵠を射たが、この<価値観>を社会的に制度化したのが、他ならぬナチス・ドイツだった。「生きる価値のない存在」は抹殺の対象となり、ユダヤ人、スィンティ・ロマ、性的少数者、障害者、等々、「劣等人種」(あるいは「反社会分子」という烙印を押されて)は虐殺された。その結果、ヨーロッパで暮らしていた全ユダヤ人の68%が殺されたのだ。ヒットラーが計画した「T4作戦」という障害者の安楽死計画に対して、ドイツ北西部の町ミュンスターの司教、クレメンス・フォン・ガーレンはこう非難した。
「貧しい人、病人、非生産的な人がいてあたりまえだ。私たちは、他者から生産的であると認められたときだけ生きる権利があるというのか?非生産的な市民を殺していいという原則がでて実行されるならば、我々が老いて弱ったとき、我々も捨てられるだろう。非生産的な市民を殺してもよいとするならば、今、弱者として標的にされている精神病者だけでなく、非生産的な人、病人、傷病兵、身体が不自由になった人すべて、老いて弱ったときの私たち全てを殺すことが許されるだろう。」 
相模原の事件では、殺された障害者の実名と人生は一切語られず「人数・年齢・性別」だけが発表された。つまり日本は、それを「良し」とする社会なのだ。最首悟は、「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」(『朝日新聞』2016年8月8日)と分析した。そう、その通り。犯人・植松は「精神異常」でも「通り魔」でもない、「正気」なのだ。その意味で、相模原事件の共犯者は「日本社会そのものだ」と言っても過言ではない。
元少年A、植松聖、杉田水脈…その延長上には、必ずホロコーストが待ち受けている。遠景には、ヘイトスピーチを煽る輩どもと、その親玉・安倍晋三が居並んでいる。筆者は断言しよう「杉田水脈も安倍晋三も、元少年Aと植松、それ以下の下衆にして外道、人」だと。読者諸賢よ、この下衆・外道・人どもとの「共犯関係」を断ち切るべし!


この投稿を読んで僕は次のような意見を彼に送りました。

趙博さんの『人民新聞』2018.8.5号投稿記事を異議なし、激しく同意としますが、次の引用には二の足を踏みました。

【ヒットラーが計画した「T4作戦」という障害者の安楽死計画に対して、ドイツ北西部の町ミュンスターの司教、クレメンス・フォン・ガーレンはこう非難した。
「貧しい人、病人、非生産的な人がいてあたりまえだ。私たちは、他者から生産的であると認められたときだけ生きる権利があるというのか?非生産的な市民を殺していいという原則がでて実行されるならば、我々が老いて弱ったとき、我々も捨てられるだろう。非生産的な市民を殺してもよいとするならば、今、弱者として標的にされている精神病者だけでなく、非生産的な人、病人、傷病兵、身体が不自由になった人すべて、老いて弱ったときの私たち全てを殺すことが許されるだろう。」】

全ての人に必然的にやってくる老いの世界を想起させ、社会的弱者に眼を向けさせる展開が僕には腑に落ちないのです。

「必要か、必要でないか、ではない。あなたがそこにいればいい。」存在を慈しみ、存在相互の関係を対等としてとらえたい、自分の行く末の懸念からではなく。


この僕の意見に対して、趙博さんの返信は
ごもっとも。人間を生産性という言葉と概念で測ること自体がイデオロギッシュであり、ナンセンスだと思います。ただ、ガーレン司教は唯一と言っていいほどの「反ナチ」を明言した人で、あえて彼の言葉を引用しました。というか、これしか僕は知らないので…
ご指摘、痛み入ります。


そう、僕の迂回した未分化の物言いではなく彼は、僕が言いたいことをダイレクトで返してくれました。そう、人間社会の原理に「生産・生産力」を第1とする限り、社会的弱者は必然的に排除の対象になるということです。それを疑いもなく社会的原理(価値)にするのが資本主義であり、それを極度に高めているのが新自由主義であり、過去のナチズムです。安倍晋三や彼に心酔する杉田水脈たちネオナチストたちをそのような存在として、観なければならない、そして彼らの思想の一滴でも自分にないか点検しなければなりません。

この趙博さんの投稿とそれに対する僕の意見に対して、どのような感想を持っていただいたでしょうか。僕は、僕の曲解かもしれない意見に対して趙博さんがケチをつけられたと忌避するどころか、まっとうに返事をしてくれたことがうれしいのです。それもあってこのようなブログでみなさんにお知らせしました。
2018.8.15 AM9:15

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近況8月6日

2018-08-06 22:29:45 | 日記
8月4日の義母の法事にそなえて、神奈川藤沢の三男坊家族が、2日にやって来て今日6日に帰って行きました。


この4日間は近くに住む長男の家族もやって来て、それこそ喧噪の日々でありましたが、帰っていくと、淀むる会の皆さんほど子煩悩でない僕にはやれやれの安堵感ともう一方、また二人きりの生活に戻るわけで、毎回のことながらその落差に拍子抜けの感覚に襲われています。

それと、モコタンの歯科医通院をフムフムと同類項の親近感で読ませてもらいましたが、またもやわが身に降りかかり、前の歯とは違うのですが、右下奥歯第3歯が1週間ほど前から痛み出し、子どもたちが帰って行ったことを機に歯医者に行きました。

「第3大臼歯」とは「親知らず」のことです。その親知らずに相棒であるべき上の臼歯、これもあれば、親知らずということになるのですが、上の奥歯には親知らずがなく、下奥歯第3臼歯は相棒がいない孤独の臼歯だったのでした。

これ、今まで全く知らないことでした。ちゃんとかみ合わせができているものとばかり思っていました。上の事実は今日、歯科医から教えてもらいました。歯科医は役に立っていない第3臼歯は虫歯が少し進行しているし、やがて抜くべきだろうと診断しました。ああ、またもや決断を強いられる日がやってきました。

またまた、話は変わりますが、今日のテレビ番組NHK の「夕凪の街桜の国2018」を観られましたか?僕はなかなかいい番組だと思いました。
報道番組では明らかに安倍政権にすり寄っているNHKですが、ドラマや教養番組では秀逸なものがあり、いまは視聴料を払っています。籾井が会長の期間は不払いでしたが。
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