鹿島に行こうと思った二つ目の理由は鹿島神宮が奈良の春日神社と所縁があるからでした。東国の神が近畿とかかわりがある、なぜか。鹿島神宮の祭神は建御雷命(武甕槌命)です。この神は香取神宮の祭神である経津主命(ふつぬしのかみ)と共に島根大国主命の所に行き国譲りの交渉にあたりました。まあ、大和政権の交渉代理人だったのでしょう。そして鹿島から鹿に乗って奈良に来て春日神社の主祭神になったというのです。つまらぬ講釈はこれぐらいにして鹿島神宮をご案内いたします。
兄弟社の香取神宮と似ています。大きな鳥居が迎えてくれます。そしてあっけなく本殿へ。本殿は意外と小ぶりで質素な建物です。檜皮葺の屋根も、もう手入れした方がよいのではないかと思われるたたずまいで、親近感を抱きました。もちろん、かしわ手を打つような参拝はしませんでしたが、皇祖神をトップとする序列に繋がる官幣大社というより村の鎮守さんの趣がありました。これなら手を合わせていいかなと思ったほどです。
本殿の前から奥参道が奥宮に向かって続いています。これもさきに香取神宮のところで述べましたが騎馬武者が勢ぞろいして参拝したのではないかというぐらい、幅広い参道です。奥宮の先に御手洗池がありもともとは、こちらが本来の参道ではなかったかと思うのですが。
鹿園の鹿にあいさつをし、奥宮の前を通り、坂を下り御手洗池に出ました。売店がありここで昼食。そして来た道を戻るのではなく、境内の外に向かう道を歩きました。その途中、何かいわれがあるのかお地蔵さんが木の下でポツンと佇んでいます。
鹿島神宮の外周の道を駅に向かって歩きながら、これで目的とするところは全て回ったという充実感はあるのですが、一方で何かまだ物足りなさを感じていました。駅に着きまだ電車には1時間近く待機の時間があったのでつれあいは「かしま桜まつり」の公園へ、僕はその公園の高台へ上がりました。霞ケ浦の一つ、「北浦」を眺めたかったのです。実は、長男のパートナーの旧姓が北浦さんなのです。そういう親近感も働きました。
鹿島神宮駅から鹿島線、成田線と乗り継いで成田に着きました。総武線で東京に向かうことにしたのですが、横須賀線で人身事故があったとかで、1時間以上足止めをくらいました。
この時に限らず東京方面に行っている間、人身事故の無い日はなかったように思います。その頻度の多さに驚きます。まさに社会のひずみを象徴しているのではないでしょうか。
そして成田を出て東京に着き八重洲あたりをぶらぶらして大阪に帰りました。今回の旅行は孫二人を藤沢に送っていくことをきっかけとして、千葉に住む旧友である坂地さんがいらっしゃることで実現しました。坂地さんとは旧交を温めるだけでなく、電車だけではいけない妙楽寺や大東埼灯台を案内してもらいました。これは予定外の大収穫でした。
あらためてお礼を言います。ありがとうございました。
そしてみなさん、ようやくこのブログは大阪に帰ってきました。😂)お付き合いありがとうございました。(了)
兄弟社の香取神宮と似ています。大きな鳥居が迎えてくれます。そしてあっけなく本殿へ。本殿は意外と小ぶりで質素な建物です。檜皮葺の屋根も、もう手入れした方がよいのではないかと思われるたたずまいで、親近感を抱きました。もちろん、かしわ手を打つような参拝はしませんでしたが、皇祖神をトップとする序列に繋がる官幣大社というより村の鎮守さんの趣がありました。これなら手を合わせていいかなと思ったほどです。
本殿の前から奥参道が奥宮に向かって続いています。これもさきに香取神宮のところで述べましたが騎馬武者が勢ぞろいして参拝したのではないかというぐらい、幅広い参道です。奥宮の先に御手洗池がありもともとは、こちらが本来の参道ではなかったかと思うのですが。
鹿園の鹿にあいさつをし、奥宮の前を通り、坂を下り御手洗池に出ました。売店がありここで昼食。そして来た道を戻るのではなく、境内の外に向かう道を歩きました。その途中、何かいわれがあるのかお地蔵さんが木の下でポツンと佇んでいます。
鹿島神宮の外周の道を駅に向かって歩きながら、これで目的とするところは全て回ったという充実感はあるのですが、一方で何かまだ物足りなさを感じていました。駅に着きまだ電車には1時間近く待機の時間があったのでつれあいは「かしま桜まつり」の公園へ、僕はその公園の高台へ上がりました。霞ケ浦の一つ、「北浦」を眺めたかったのです。実は、長男のパートナーの旧姓が北浦さんなのです。そういう親近感も働きました。
鹿島神宮駅から鹿島線、成田線と乗り継いで成田に着きました。総武線で東京に向かうことにしたのですが、横須賀線で人身事故があったとかで、1時間以上足止めをくらいました。
この時に限らず東京方面に行っている間、人身事故の無い日はなかったように思います。その頻度の多さに驚きます。まさに社会のひずみを象徴しているのではないでしょうか。
そして成田を出て東京に着き八重洲あたりをぶらぶらして大阪に帰りました。今回の旅行は孫二人を藤沢に送っていくことをきっかけとして、千葉に住む旧友である坂地さんがいらっしゃることで実現しました。坂地さんとは旧交を温めるだけでなく、電車だけではいけない妙楽寺や大東埼灯台を案内してもらいました。これは予定外の大収穫でした。
あらためてお礼を言います。ありがとうございました。
そしてみなさん、ようやくこのブログは大阪に帰ってきました。😂)お付き合いありがとうございました。(了)