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2017年2月からこのブログを始めました

沖縄旅行 2024年3月22日~29日⑭ 27日午後 名護から那覇へ

2024-04-18 17:47:57 | 日記
辺野古から名護に戻り、12時41分発那覇空港行きのリムジンバスに乗りました。ああその前に浜の公園で昼食、コンビニ弁当です。日差しはやや強くても、風は爽やか、そしてこの景色、それが何よりのご馳走です。


高速リムジンバス、たしかに高速道路も走りますが那覇バスターミナルまで高速道路を降りたり上がったりし14カ所の停留所を経由します。それでも乗車時間は1時間40分ほど14時30分頃に那覇バスターミナルに到着しました。やっぱり沖縄は本島と雖も小さいと実感しました。この小さな島に日本のアメリカ軍基地の70%が集中しているのです。


自衛隊の訓練基地がうるま市に建設されよとして住民の猛反対で撤回されましたが、当然です。うるま市は私たちも通過してきた本島のど真ん中にあります。ここに基地をつくるなんて正気の沙汰ではありません。


バスを降りて今回の旅行は100点満点中120点だな、と悦に浸っていたらバスの中に忘れ物をしてきたことに気づきました。カメラの一脚です。これは歩行のストック代わりにもしていて重宝しているものです。たちまち20点減点。(^_^)

バス会社に電話をして明日の午前中にこのバスセンターに取りに行くことにしました。そしてタクシーで今日の宿泊先「ホテルJALシティ那覇」へ、このホテル那覇市の目抜き通り「国際通り」に面しています。なんとこのタクシーは人と車で混み合っている国際通りをすすんでいきました。タクシーはちっとも進みません。料金メーターだけが次々と上がっていきます。900円になった時、タクシーをとめました。これは正解、歩いて数分のところにホテルがありました。

ここも私たちにとって贅沢なホテルですが、牧志市場などへ出かけていくのに便利だと、前日に予約したのでした。IALというのもひっかかりますけどね。

ホテルに荷物を置いて、ある目的地に向かいました。その目的地とはかって祖父の墓があったとされる場所です。そこは那覇市の公園化が予定されていて、数年前、那覇市がその墓地の相続権を持つものたちに母の義妹に権利を一本化してほしいと依頼があって、わたしは初めて祖父とつながったのでした。牧志の公園化が祖父を発見させてくれたのでした。
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沖縄旅行 2024年3月22日~29日⑬ 3月27日の辺野古座り込み

2024-04-17 17:03:36 | 日記
1日に3回の座り込みのなかで、朝一番午前9時からの座り込みが一番人数が少ないとのこと、これはなんとしても朝一の座り込みに参加しなければなりません。朝食も早々に名護バスターミナル発7時45分のバスに乗りました。

昨日とは違って「沖縄工業高専前」のバス停のひとつ手前、「第二ゲート前」で降りました。「その方が座り込み現場に近い」と宮崎さんに教えられていたからです。時刻は8時10分、近いけど早く着いてしまいました。テント村でみんなと合流しようと歩いていますと車道はさんで向こう側の歩道を大人2人子どもたち3人が歩いています。座り込み現場に向かっているのでした。横断幕を持って歩いているのでそうだと分かりました。そして彼らは私たちに気づくと横断幕を広げ手を振ってくれました。なんともうれしい。


私たちはテント村に着いて、みんなと座り込み現場に向かうことになりました。来た道を戻るのは大儀で車に便乗させてもらいました。

午前8時50分、歩道で出会った子どもたちもやって来ました。座り込みに気勢を上げる「ここに座り込もう」を合唱し、
https://1drv.ms/v/s%21Ao2WPeMKzJdJgdQDpzWLQhioD_-lWQ?e=h7HGvh(動画です。リンクをクリックしてください)

そのあと子どもたちが座り込みの前に登場し、手作りの横断幕を掲げてくれました。昨日は数人だけでの座り込み、今日は世話人も言っていましたが予想外の大勢、しかも横断幕を持って子どもの登場、これで元気が出ないはずがありません。


9時、ダンプが次々到着し、連なりはじめました。9時5分機動隊の登場。一応の警告を発し強制退去のごぼう抜きが始まりました。子どもたちが心配です。左右を見回しました。ちゃんとゲート横に退避しています。

私たちの前を機動隊が立ちはだかり、その向こうをダンプカーが次々とゲートに入っていきます。この一連の光景を子どもたちはどう見たか、何を感じたか、シュプレヒコールを繰り返しながら気になっていました。
https://1drv.ms/v/s%21Ao2WPeMKzJdJgdQEG9O5yvpkfq1YIg?e=m85VhM(動画です。リンクをクリックしてください)
座り込み闘争が終了してから、子どもたちを連れてきた人に
「あとのフォローをお願いします」と声をかけました。それ以外の言葉は出ませんでした。
宮崎さんにも、
「ここで失礼します。昼から那覇に向かいます。そして祖父の墓参りをして大阪に帰ります」と言うと
「えっ、中野さん沖縄の人?そうするとにんべんのなかのさんですか?」
「いいえ、にんべんのなかとはちがいます。それと母親が沖縄出身です」と答えると、あっそう、というような顔をされました。

バスで名護に戻りました。そして高速バスで那覇に向かいました。これで今回の「沖縄行」三つの目的のうち二つを果たしました。「果たした」なんて言うと連日、雨の日も風の日も座り込み闘争を続けているみなさんには申し訳ありませんが、次に来たときはもう少し滞在して、指名があれば「沖縄よどこへ行く」を歌いましょう。


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沖縄旅行 2024年3月22日~29日⑫ 機動隊について

2024-04-15 19:17:12 | 日記
どこのタイミングで言おうかとしているうちに言い逃すところでした。
それは機動隊についてです。

自分が、また座り込みの人がゲート前から強制排除されるとき、次の機動隊の暴言を思い出していました。
「どこつかんどんじゃボケ。土人が」 2016年10月19日、大阪府警の機動隊員が高江ヘリパッド建設に抗議していた人たちに発した暴言です。


https://1drv.ms/v/s%21Ao2WPeMKzJdJgdN6drm20Y374aNjQA?e=a0Qwb5(動画です。クリックしてください)
私たちに対応したのは内地・ヤマトの機動隊ではなく、沖縄県警でした。排除のしかたも、おかしな言い方に聞こえるかもしれませんが丁寧でした。しかし、祖先土地、海が埋め立てられ、環境破壊、戦争につながる基地建設に反対しているおじい、おばあを同じ県民で孫のような機動隊員が排除しているのです。大阪の機動隊員と心情が異なるはずです。しかし、強制的に排除していることに変わりはありません。


わたしは、このことの意味をずっと考えています。昼の抗議行動が終わってテント村に帰って行くとき、隣を歩いていた同じ年配の男性に声をかけました。
「沖縄県警の機動隊員はどんな気持ちで私たちを排除しているのでしょうか」その男性は一言
「彼らの仕事ですから」とにべもありません。それで
「2016年の時、大阪府警の機動隊員はひどい発言をしましたねえ。と彼の気を引こうと言葉をかけますと
「大阪の教育はひどいんです」と言われ、ムッときました。大阪の教育がいいとは言わないけど、その機動隊員が大阪で育ったかどうかなんて分からないのに、この人も偏見から逃れていないと思い、皮肉になるかどうか
「すみませんねえ、わたしは大阪で教師をしていました」と答え、この人とはこのあと言葉を交わすこともありませんでした。

大阪府警の暴言は沖縄に対する差別と偏見が根付いていて沖縄県民の抵抗で業を煮やし飛び出した言葉だと断言できますが、わたしが分からないのは、平和のために座り込んでいる県民を、体制側に身を置いているとはいえ、同じ県民である機動隊員が排除すること、それは仕事だと割り切れないはずだと思うのですが、わたしはそれが本当のところよくわからないのです。

少し飛躍しますが軍政下の時代の韓国、現在のミャンマー、国軍がいくら上官の指令だといえ、同じ国民に銃口を向ける、これも本当のところよくわかりません。それが国家の本質、暴力装置の仕業だとしても。
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沖縄旅行 2024年3月22日~29日⑪ 3月26日、辺野古午後12時半~

2024-04-14 22:01:34 | 日記
抗議のシュプレヒコールで本日2回目の座り込みは終了しました。このゲート前での座り込み闘争は午前9時、午前12時、午後3時と辺野古の海を埋め立てる土石を運ぶダンプカーの搬入に合わせて3回行われます。

ダンプはなぜ時刻を決めて土石の搬入に来るのか、土石埋め立ての段取りがあるのか、警備上そうしているのか、座り込み闘争の世話人にお聞きすればよかったのですが、わたしにははかりかねます。
来た道を戻ってテント村にやって来ました。




ここでなつかしい全港湾建設支部の宮崎史朗さんに会いました。宮崎さんとは今から45年ほど前。大阪市旭区にあった愛知工務店の経営者が偽装倒産を行った争議で出会ったのでした。全港湾建設支部の闘争方針の下、労働者は社屋に寝泊まりし、争議・地上げ屋の追い出しに対峙した闘いでした。


宮崎さんは辺野古に常駐されていて、名護市東江(あがりえ)に仲間3人と家を借りているとのことです。その宮崎さんにトイレはどこですか、と聞きますと女性を呼んでいただき車で行くことになりました。テント村には仮設トイレはないのです。

これは大変です。特に女性には大変です。7年ほど前に行った高江にはトイレが数カ所ありました。わたしはそのつもりで宮崎さんに聞いたのですが、車で連れて行ってもらうことになるとは思いませんでした。

女性が連れて行ってくれたトイレは、海上での活動をするための拠点ともいうべきところでした。カヌーや船が置かれていて、宿泊もできるようです。撮影は禁止されていますがこの女性の許可でカメラを向けました。そして集会も開かれていた辺野古浜にも案内してもらいました。10年も前にはフェンスの向こうにある基地も見通せたのですが、今はそのフェンスも目隠しをされていて、すっかり殺風景です。埋め立て現場も見えません。






さあ、午後3時からのダンプ搬入阻止の座り込みに向かいます。
https://1drv.ms/v/s%21Ao2WPeMKzJdJgdN08l-iVfmwkh8xfA?e=hA6gO8
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沖縄旅行 2024年3月22日~29日⑩ 3月26日、午前12時の座り込み現場

2024-04-13 20:05:47 | 日記






時計で計ったかのように午前12時、土石・機材を積んだダンプカーが次々と登場。そのタイミングに合わせて機動隊もゲート内から登場。私たちは機動隊と警備員の壁にはさまれてサンドイッチ状態になりました。










座り込み闘争の世話人の人たちはダンプの運転手に、機動隊に向かって大声で糾弾を続けました。これはタイミングを見計らっているのか、そういうルールを策定しているのかダンプが10台ほどゲート前で渋滞しはじめると、私たち座り込んでいるものに対して強制排除が始まりました。いわゆる「ごぼう抜き」です。






わたしの前に機動隊員がやって来ました。そのうちの一人が
「ダンプ搬入の障害になっています。退去してください」と言いました。わたしは
「私たちは平和に生存する権利を持っている。ここに座り込む権利を持っている」(もちろん怒声で)
そう言うと、機動隊員の二人が両脇を抱えもう一人が足を持ち、ゲート前から歩道へわたしを運んでいきました。

座り込むみんなの排除が終わり、ダンプカーがゲートへ入っていきます。その台数は100台を超えていたのではないか、抗議の声に唱和しながらむなしくダンプの搬入を見続けていました。
https://1drv.ms/v/s%21Ao2WPeMKzJdJgdNeOTeWqXlZAfD0VA?e=WZqeTe(動画です。このリンクをクリックしてください。)
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