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日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

ハワイの旅(17);「キングス・ビレッジ・踊り子」

2008年09月05日 10時28分04秒 | ハワイの旅
ハワイの旅(17);「キングス・ビレッジ・踊り子」  


「キングス・ビレッジ」の“踊り子“  
チンチン・バスで一端ワイキキまで戻り、ホテルで一服した後ワイキキタウンをぶらつきながら、昨夜下見をしておいた「キングス・ビレッジ」の「踊り子」へ向う。 日本料理の居酒屋風レストランである。 
ワイキキのほぼ中心、カラカウアとクヒオの通りの間に、ノスタルジックで緑色のシックなショッピングモール「キングスビレッジ」がある。


キングス・ビレッジタウン、


和風居酒屋「踊り子」は通りの角にある


「踊り子」の正面入口


この一角は、無味な高層ビルやホテルが立ち並ぶ間にあって、ハワイの中では異色な建築様式が並び、ヨーロッパを思わせる外観で一際異彩を放っているタウンである。 
毎日18時頃からカラカウア王朝時代に行われていたという衛兵交代式があり、かつてのイギリスとの交流を思わせる。 
中央に時計台があり、それを取り囲むように回廊が続いているユニークな造りで、階段を使わずに三階まで行けるようになっていてる。 ぶらぶら歩きながらショッピングを楽しめる仕掛けであろう。
ブランドショップもあるが、ここでは個性的な小物やアクセサリーを手に入れるのも良い。又、飲食店も7~8軒在って、日本人好みのラーメン店やバーガー、KFCや甘味喫茶、居酒屋などが揃っていて、その一角にその「踊り子」があった。 

入り口の外装はいかにも木造の日本式の造りで、大きい提灯(ちょうちん)が目印となり懐かしさを感ずる。 こちらの入口は巨大ホテル:ハイヤットリージェンシーのすぐ裏側に当るが、キングスビレッジ側にも入口がある。
昨夜、下見をしておいたので凡その検討はついていたので、早速、入館してみた・・。
店内は殆どが日本人で溢れ、ほぼ満席の様相であった。 メニューには美味しいそうな海鮮料理や海鮮スシなど大トロやウニなどの国内でも高価なものもあり嬉しい限りだ・・。
各種料理を戴き、生ビールに冷酒と、日本にいるような居酒屋料理をすっかり堪能した。
尚、ハワイのレストランでは、会計時に10~15%のチップを付けるのが通常となっているようである。だが、こちら「踊子」では支払時に同時精算するようなので、変な手間が省ける。

食事の後は、酔い覚ましを兼ねてユッタリストリートを散歩する。
カラカウア通りへ一旦出て、気がつくとすぐ右側に「インターナショナル・マーケットプレース」と呼ばれる小物商店街が迷路のように路地を巡っている。
ワイキキビーチに最も近い位置にあり、まさにワイキキの中心でとにかく便利である。
凡そ、100店舗ほどあるといわれるが、その半分位がワゴン(屋台)タイプの個人店であり、店主は片言の日本語も話せるようである。
上さんも土産に手ごろなものがないか物色中でアクセサリー、小物、アパレルなど所狭しと置いてあるが、どうもブランド品ではないB級のものが多いようだ・・。
フード店なども結構あり、我等はアイスクリームを頬張りながらそぞろ歩きを楽しむ・・。
特徴的なのが路地の中心に巨大なバニアンツリー(ガジュマルの木)が茂っていて、その中に隠れるように小店や店舗が軒を並べているのである。


「カラカウア通り」マーケット街の異様なガジュマルの木


ホテルの8F(オハナ・ワイキキ・マリア)よりクヒオ通りの眺め

迷路のような路地からいつの間にか「クヒオ通り」へ出た。
最近流行りの・・?タトゥーを入れる店などもあり、暫くこの通りを散策してホテルへ戻った。  



次回は、ハワイの様気




ハワイの旅(16);ダイヤモンドヘッドへ・・、」

2008年09月04日 10時41分58秒 | ハワイの旅
「ハワイの旅(16);ダイヤモンドヘッドへ・・、」  

「ダイヤモンドヘッド登山」 
概ね、予定の昼頃には再び「ワイキキ」へ戻ってきた。 ホテルへ戻って軽い昼食後小生は昼寝を決め込んだが・・、就寝の最中に上さんが急にダイヤモンドヘッドへ登山に行くと言い出したので、眠い目を擦りながら同意した。

隣のDFSからチンチン・バス(トロリー・バスと称しているが、路面電車宜しく、出発の合図に紐を引っ張ってチンチンと鳴らすのでチンチン・バスと勝手に呼んでいる)がダイヤモンドヘッドへ向けて進む。
バスは一端カラカウア通りへ出るが直ぐにキングスビレッジの横を通り、更にパシフィックビーチホテルの横からホノルル動物園からダイヤモンドヘッドの山麓を大きく回りこんで東側よりクレーターのトンネルを抜けて登山口へ達する、凡そ20分ほどであろうか・・?。
麓には、守衛を構えた立派な駐車場があった・・。

1ドルの入山料を払っていよいよ登山開始である。 
周辺は茶褐色の枯れた草が茫々としている、何でも今年のオアフ島は雨量が少なく下草は枯れているという、一般にワイキキを含むホノルル地区の晴天率は年間平均で70%程度だとか・・。 
周囲は山並みに囲まれているが、これは火山の火口の縁に相当する山並みなのである。 
もともとハワイは火山の噴火でできた島々で、ダイヤモンドヘッドも死火山の外輪山なのである。
未だに火山活動が続いているハワイ島の有名なキラウエア火山などもあるが、ダイヤモンドヘッドの噴火は30万年前に起こった死火山である。
火山というだけに中心部分のクレーターは窪んでいるが、外側の外輪山は結構高さがある。その外輪山の一番高い部分が標高232mのダイヤモンドヘッド・トレイルの山頂である。




頂上が近ずくと急な階段やトンネルが続く



山頂よりワイキキの眺め・・、絶景であった


登山コースは、始めなだらかなコンクリートの道で、やがて自然道のクネクネの道となる。中腹には第1の難関「76段の階段」があり、この辺りまではまだ上さんも余裕の表情であったが・・。
そして階段を登りきると次には「70mのトンネル」でこのトンネルが狭い上に折れ曲がっていて、すれ違いなどスムーズに進まない所もある。
トンネルを脱出すると、すぐに第2の難関「99段の階段」が立ちはだかる。
この辺りへ来ると、さすがにお上さんも普段運動不足が祟り、かなりハードになってきたようで、粗息で顔は紅潮しだした。
階段を登りきると、そこには「2つ目のトンネル」、これが又狭くて急なうえ、螺旋状の階段を3階分も登らなければなず、下山する人ともすれ違いながら1段1段慎重に登る。
そして、ついに登頂へ到達した・・!!

圧巻のワイキキ・パノラマビューが一面に望めた。
それにしてもイメージした山頂とはかなり異なって、コンクリートで造作した展望台があるのみで、定員も2~30人程度であろうか・・?。 
だが、展望はさすがで、まさに360°のパノラマビュー! エメラルドグリーンからまっ青に変わっていく海、ワイキキの街並み、さわやかな風と澄み切った空。 
ここの景色は本当に最高であり、「あー来てよかったー!」と心から実感できる。 
上さんも紅潮した顔から笑みを浮かべて納得の様子である。
小生もそうだが、みんな思い思いに笑顔で写真を撮っている。
この登山ルートは、小学生以上ならお子さま連れでも大丈夫、ファミリーやカップル、女性のグループなど、どんな人でも楽しめる。
ダイヤモンドヘッド・トレイルは実に満足であった。
スタート地点に戻り、上さんお好みのカキ氷を頬ばる・・、一汗かいた後なので実に美味であった・・。



次回は、「キングス・ビレッジ」



ハワイの旅(15);「ハワイの概略史・・、」

2008年09月03日 10時16分31秒 | ハワイの旅

ハワイの旅(15);「ハワイの概略史・・、」  


ハワイの歴史は、カメハメハ1世から始まる・・、 
カメハメハ領主は、イギリスから武器を購入し、新式兵器でマウイ島などのハワイ島周辺の島々を征服し、1810年にハワイ国家統一を成し遂げた。
このハワイ島内の政敵は、火山の噴火で壊滅状態になったことも統一に幸いしたという。 カメハメハは、優れた外交手腕で西洋諸国との友好関係を維持してハワイの独立を守り、伝統的なハワイの文化の保護と繁栄に貢献したとされる。
御存じ、NHK・みんなのうたに採用された童謡「南の島のハメハメハ大王」の題材となるなど有名である。

統一国家ハワイが、後にアメリカの属国になり、やがてハワイ州のなるのだが・・。
サトウキビ栽培のためアメリカ合衆国からの入植者が増え、次第に経済的にも力をつけはじめた白人は、アメリカ寄りの政治を求めるようになる。 その声は特に経済界から強くなりつつあったという。
1887年、遂に白人によるクーデターが勃発し、王国の滅亡はこれによって始まる。 
1898年、時の米大統領ウィリアム・マッキンリーはハワイの米国領への編入を宣言、この日、イオラニ宮殿に掲げられていたハワイ王国国旗が降ろされ、星条旗が揚げられた。
古来のハワイ住民らは、この時悲しみの声をあげたという。そしてこの瞬間、ハワイは米国の準州となり、1959年、50番目の州としてハワイ州が成立したのある。

日本との関連について・・、 
1881年、世界一周旅行で、来日したハワイ王のカラカウアは、ハワイ王国の安泰を図るため、姪のカイウラニ王女と日本の宮様・山階宮(やましなのみや)との縁談を日本政府に持ち出した。
しかし日本政府はアメリカとの対立を避けるために、この縁談を丁重に断っている。 
もし、この縁談が実っていたら、ハワイ王国は、もっと長く存続していたであろうし、日本の最友好国か、或いは沖縄と同様、日本の一県になっていたかも知れないといわれる。
その一方で、太平洋戦争が早まった可能性や日露戦争におけるアメリカの好意的中立を得ることもできず、ハワイとともに日本も列強の植民地にされた可能性も指摘されている。




ハワイ王朝「イオラニ宮殿」


次回は、 ハワイのシンボル「ダイヤモンド・ヘッド」





ハワイの旅(14);「ハワイの王朝・・」

2008年09月02日 09時52分54秒 | ハワイの旅


ハワイの旅(14);「ハワイの王朝・・、」  




イオラニ宮殿、キング・ストリートを挟んで南側の宮殿にはカメハメハ大王の銅像も建つ(左又は上)


「イオラニ宮殿」 
ホノルル市内に入ってきた。
ハワイのシンボル、カメハメハ大王像の正面に建つ「イオラニ宮殿」は、アメリカに存在する唯一の宮殿であるという。
この宮殿、我等は内部には入らないがハワイの歴史が詰まっている由緒ある宮殿であると・・。

宮殿は、1882年 ハワイ王朝七代目の王「カラカウア」によって建設された。
イオラニ宮殿は1893年 白人が起こしたクーデターにより、八代目となる女王「リリウオカラニ」(カラカウアの妹)の王位が剥奪され、王朝が崩壊するまでの11年間、公邸として使用された。
カラカウア王の時代には、閣僚のほとんどが白人によって支配、構成され、ハワイ王朝も既に末期を迎えていた。 

1891年に王が病死し、その妹・リリウオカラニに王位が移ると、女王は王権を回復する為に新憲法の発布を計画する。 しかし、1893年1月、これを阻止しようと白人が起こしたクーデターで新政府を設立する。
この事が、ハワイ王朝崩壊の引き金になり、リリウオカラニ女王は8ヶ月もの間、2階の寝室に幽閉されることになる、そこは、ベッドと最低限の家具だけという殺風景な部屋であったともいう。
その後、王朝の栄華を象徴する「王座の間」で裁判にかけられ、王位は剥奪され一般市民として余生を送ることに・・。

カメハメハ大王がハワイ諸島を統一してから凡そ100年間続いたハワイ王朝最後の舞台となったのが、このイオラニ宮殿である。
ハワイ王国(Kingdom of Hawai)は1810年から1893年まで、ハワイ諸島にあった王国であり、1893年の革命で共和制となりアメリカ合衆国に併合され、ハワイ王朝は消滅した。

次回、「ハワイの概略史」



ハワイの旅(13);「この~木何の木、気になる木・・、」

2008年09月01日 10時31分35秒 | ハワイの旅

ハワイの旅(13);「この~木何の木、気になる木・・、」  


「“気になる木“のモアナルアパーク」 
パールハーバーの記念公園を退出して、暫く仲間やガイドと涼みながら談笑する。
次に、日立のコマーシャルで有名なモンキーポッドで有名な「モアナルアパーク」へ向う。 

広大な園内で、大樹の陰で幼稚園の遠足であろうか家族でバーベキュウを楽しんでいる。近くに、あの翼を広げたようなモンキーポッド(Monky pod アメリカネムの木)の大樹が有った。 
♪♪この~木何の木、気になる木~♪♪・・、
でおなじみ、日立のコマーシャルで使われた木がそびえ立っている。

昭和59年より連続放映されている有名なコマーシャルの原点とも言えるこの木の名前は“モンキーポット”という。
樹齢約150年と言われる大きな木で、熱帯地方の庭園や公園に広く植樹されており、夜や雨の日には葉を閉じ、またネムと似た淡紅色の花をつけることからアメリカネムとも呼ばれるが、種類は異なる。
何でも、この木は熱帯の日差しの強さに耐え切れず上でなく横に広がる習性があるとか・・。




「この木なんの木、気になる木」のモンキーポットと仲間


序ながら・・、
「♪この木なんの木気になる木~」のイメージソングで有名な「日立の樹」は、日立グループで1973年以降この木をグループのイメージシンボルとして利用し、年間2万ドルの利用料金を支払っていたそうだ・・。
現在の所有者は初代から4代目のジョン・フィリップ・ダモン氏で、日立とは更に契約を更新しているとか・・。
ジョン氏は、この「モアナルア・ガーデンズ」公園を今後もメンテナンスを続けつつ、木の公開を続けるつもりであるとしている。

「日立の樹」こと、このモンキーポッドは樹齢はおよそ130年。
アメリカネムまたはサマンの木と呼ばれ、高さは25メートル、傘の幅は40メートル、幹の円周は7メートルにもおよぶ。
尚「日立の樹」は今回契約更新をしたモンキーポッドだけではなく、あわせて4本が存在するといい、今回の木は初代から五代目(現在)なのだとか・・。


次に、ホノルルの中心街、史跡・名跡が集まるダウンタウンの「イオラニ宮殿」へ向う・・。