goo blog サービス終了のお知らせ 

日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

沖縄紀行(19)おもろまち 「DFSギャラリア」

2009年01月16日 11時13分42秒 | 沖縄紀行


写真:「おもろまち」とゆいレールのおもろまち駅



孫ども2人も元気良く、すっかり荷物をまとめて「恩納マリンビューパレス」を後にした。
毎度、毎度、58号線に世話になっていたので、最後の日でもあるし試しに「沖縄高速道」に乗ってみようかということになった。
すぐ近くの仲泊から石川方面に向かうと程なく石川I・Cがあり、ここから高速へ入った。 沖縄の高速といっても名護市を起点として那覇市に至る僅か57kmの高速道路で、チョットスピードをだすと30分足らずで走りきってしまう程の短距離である。 細長い沖縄本島には主要な58号線とか329号線がほぼ並行して走っているのだから、果たして必要だったのだろうか・・?、との疑問もあったが、そこは沖縄であるし納得しよう。
石川ICから那覇ICまでは600円の通行料であった。因みに、全線では1000円であって、ETCの割引を利用すれば500円である。 我等が住む首都圏(東名高速)として計算すれば57km程度を利用した場合の通行料金は1850円となっている。 即ち、沖縄道の通行料金はかなり格安(46%引き)であると見なせる。尤も、沖縄では政府の沖縄緊急経済対策の一環として、1999年から通行料金が引き下げられたらしい。

現在国会では、「道路特定財源」の一般財源化や本年3月一杯で切れる「ガソリン暫定税率」など、道路に関する税金の廃止か存続かの話が最近盛り上がっているようです。自民・与党は何れも現行どおり押し通そうと気張っているようであるが。
基本的にガソリンは高いぞ・・!、暫定税率というヤツがあるから・・。
道路は、これからは最小限度造れ・・!、自動車を利用する受益者負担の税金を安くして・・!。
私観であるが・・、 
端的な例で・・、地方に高速道路の無い地域では、どうしても高速道路が欲しいらしい・・?。高速道路が通っていないため不便なのはわかるけど、基本的には天然資源の石油が上がり続けたら車に乗る人が激減して道路そのものの存在価値が無くなるし、人口減少の始まった衰退国家において、今更ながら何故有料の高速道路が必要なのかも多いに疑問がある。
無料の高速道路(国道)でもいいのではないか・・?、それにガソリン税(道路財源)を払い、道路のための重量税を払い、更に高速代金を払うとなると、これはも三重の搾取であろう。
今の政府与党の考え方からすると現行の既存権益は絶対に離さない・・!!、つまり有料高速道路の無料化などは絶対に有り得ないであろう・・!!。しかし、せめて沖縄道並の通行料金にならないものか、これもダメかね・・!!。


那覇ICで降りて「DFSギャラリア・沖縄」に向かった。
地域は、那覇中心街から北東凡そ2kmの「おもろまち」という処にある。 ただ、この地域は車のナビゲーションにも手元の地図にも乗っていないのである、つまり全く新しい町並みなのである。元々は米軍基地返還後の用地を再開発した新商業地区で、「那覇新都心」とも呼ばれている。 大型ショッピングセンターや総合運動公園などがある複合都市に変貌し、主要な交通機関である「ゆいレール」というのが走っていて中心に「おもろまち」という駅もある。
「ゆいレール」というのは、僅か5年前の2003年に開通している。 都市型モノレール線で那覇空港駅と首里駅を結ぶ交通網で、愛称の「ゆい」は沖縄の言葉の「ゆいまーる」(雇い回りを語源とする村落共同労働を意味する言葉)から取られたものといわれる。
この那覇新都心の一角、ゆいレールの「おもろまち」駅前に「DFSギャラリア・沖縄」があった。 昨年5月ハワイへ訪れた際にも「DFSギャラリア・ワイキキ」という所ででお土産などの買い物をしたが、何れもブランド物などのすべての取扱商品(最大購入金額20万円まで)の関税が免除されるというものである。
因みに、沖縄観光においては他県にはない特定免税店制度という特徴的な優遇税制がある。だが、沖縄は返還前ならいざ知らず、今は同一国内で関税などは無関係である。ただ、中国や韓国など海外の旅行者にとっては有り難い存在であろう。

ところで、我等は「DFS」へ買い物にきたのでは無かった、借り物に来たのである。このDFSギャラリアの中には各社のレンタカーの営業所があって、車もバッチリデポしてある。
そこで、我等上さんと(妻)と2人は南部方面へ観光に向かうため小型のレンタカーを借りるためであった。
息子は、沖縄時代(学生の頃)の学友二人と親交を確かめ合うため、こちらへ残ることになった。

次回は、沖縄尚学高校



沖縄紀行(18)沖縄諸島 「サンゴと珊瑚礁」

2009年01月16日 11時13分09秒 | 沖縄紀行


今年(2008年)は「国際サンゴ礁年」といわれる年らしい・・!!、

最終日になった、本日も天候には恵まれそうである。
目覚めてテラスのガラス戸を開けると沖合いからゴーゴーという海鳴りの音にビックリ。
よくよく観ると遥か沖合いが横一線になって白波が砕けている、その音が風の乗って聞こえてくるのである。 あの辺り「サンゴ礁」が横たわっているのであろう・・?。

ここで「沖縄とサンゴ」について・・、
ところで、先にも記したが沖縄県は日本の最南端と最西端に位置し、東西1000km、南北400kmに及ぶ広大な海域に点在する大小160の島々で構成されて、うち有人島は50存在する。 最も大きな島は無論沖縄本島で次に西表島、石垣島、宮古島の順であるが。 
その沖縄県は北緯24度から28度にあり、日本のなかで唯一の亜熱帯海洋性気候に属し、年間の平均気温が約23度と暖かかである。
そこで、このような亜熱帯の沖縄の海といえば、やはりサンゴ及び珊瑚礁であろう。
サンゴ礁とはサンゴによって作られた岩礁のことを指し、沖縄は本島は言うに及ばず周辺の大小島々の大部分の周辺海域はサンゴ礁で満たされていると言われる。そして島々の中には、サンゴ礁のみで形成された島もある。 宮古島や竹富島などがその代表例で、沖縄本島の南半分は古い時代のサンゴ礁で出来ているともいう。

サンゴの活動は、非常に微細なものである・・、
サンゴの登場は4億6,000万年前ともいわれ、実に恐竜登場以前のことである。その気の遠くなる時間と小さな生物たちの驚くべきシステムによって、サンゴは壮大な自然環境そのものを造り上げ、多くの生物たちを養ってきている。 その営みのなかで形作られるサンゴ礁の壮大さに驚愕するのである。
ご存知世界最大のサンゴ礁は、オーストラリアの「グレートバリアリーフ」である。これは日本列島よりも大きく2,000Km 以上の長さを誇るという。 実は地球上の生物が造り上げたものとしては最大の構造物で、人間はせいぜい埋め立てて領地を広げることはできても島そのものを造ったことはない。人類最大の建造物というと「万里の長城」や「ピラミッド」などが思われるが、それさえチッポケなものに見えてしまうのである。
又、現代では二酸化炭素が地球温暖化の最大の原因といわれ、サンゴが二酸化炭素を取り込んで固体化する作業は地球環境にとって非常に重要な役割を果たしている。
このようにサンゴ礁の地球への貢献度は計り知れないし、この壮大な営みは自然界最大の偉業の1つだといわれる。

このようなサンゴ礁は形成過程によって裾礁(きょしょう)、堡礁(ほしょう)、環礁の三つに種類別されるという。
サンゴの卵は生育環境にあった浅瀬を見つけ岩などに付着する。無事に成長できれば沖へ沖へと広がりこれが「裾礁」となる。裾礁は沖縄でよく見るビーチにつながるサンゴ礁のことで、サンゴ礁の上に島が乗っているように見えるが裾礁が島を取り囲んでいるのである。 外礁(サンゴ礁の縁)に囲まれた礁の内部は浅い礁池(しょうち)となり、上空から見ると濃い水色に見える。 現在の日本のサンゴ礁のほとんどが裾礁で、沖縄がその代表格であるが沖縄の海が「エメラルドグリ―ン」に見えるのはこの為である。
海水面の上昇や地殻変動で島の沈降が進むと、外礁は海面の光を求めて上へ上へと成長し、島との間に10~100mほどの深く落ち窪んだ凹部分ができる、これを「ラグーン」という。
ラグーンを持つサンゴ礁を「堡礁」といい、ラグーンの有無が裾礁と堡礁の違いである。
英語ではバリアリーフといい、オーストラリアのグレートバリアリーフも堡礁である。
島が完全に沈んでしまうと、上から見ると真中にぽっかりと穴のあいたドーナツのようになる、これが「環礁」である。 先般紹介した「水納島」はその環礁の部類であろうといわれる。
「ビキニ環礁」というのは何処かで聞いた名前だが、赤道付近の太平洋には環礁が点在する。 海面上昇で消滅の危機に在ると言われるモルジブやツバル、キリバスなどは国土の殆どが環礁の上にあるという。 これらの国の人々にとってサンゴ礁は自らを育む大地なのであり、サンゴ礁は、このように島を造り美しい自然環境を造り出すのである。
サンゴ礁の外側は急に深くなっており波も高いが、外礁に囲まれた礁池や礁湖は、外礁が激しい波浪を止める天然の防波堤となるため波が穏やかである。 小生がホテルの窓から見えたのはこの現象であった。

サンゴのすき間は小さな生物の隠れ場所に都合がよく、それらを捕食する大型動物も集まってくる。 サンゴ礁は実に多様な環境が作られ、多くの生物が生息することとなる。
サンゴ礁は、生物多様性の観点からも重要な場所といえる。更に礁池の内外には砂浜やアマモ(海草:地下茎を噛むとほのかに甘いことに由来するという、海藻・あまもに通じるとの説もある)の海域もできる。沖縄の渚が白く美しいのは、サンゴの砂浜だったのだ・・!。
サンゴ(珊瑚)は、「サンゴ虫」という固い骨格(Ca:カルシウム)を発達させる動物である。 その生命体は非常に複雑な生態系の中に密集する性質を持っている、これがサンゴ礁である。 サンゴは世界最古の動物で数億年の歴史を持っているが、ストレスに弱く、サンゴ礁の自然は簡単に壊れてしまう「ガラスの城」だともいわれる。

今年は『国際サンゴ礁年』といわれる年らしい・・!!。サンゴ礁を守ろうと世界各国が民間団体とともに定めたらしい。
沖縄県は、温暖化などで減る続けるサンゴ礁を保護し、増やすためにダイバーや観光客も参加できるサンゴの植え付けなどの取り組みを、離島を含めた県全域で進めているという。
沖縄県によると、昭和47年には沖縄本島の海岸線が54%ほど確保されていて、所謂、良好の状態を保っていた。即ち、危機的状態の割合が24%程度と少なかった。因みに、海底がサンゴで覆われる割合が50%以上を良好とし(被度という)、被度が10%未満を危機的と称している。 ところが年々悪化して、平成16年には良好はゼロとなり、逆に危機的エリアが92%にまで拡大していると言われる。サンゴを食べるオニヒトデが大量発生し、海水温の上昇による死滅や海岸の開発工事による赤土流出などが原因であるといわれる。

海水温の上昇の上昇については・・、
1990年代後半にはサンゴ生息域の大部分で海面温度が過去最高を記録したといい、今後もさらに温暖化は進み、地球の気温は2100年までに1℃から3.5℃に上昇すると多数の気象学者は予想されている。 非常に限られた温度帯の中でしか生きられないサンゴにとって、非常に厳しい見通しであるといわれる。
そこで「白化現象」とは・・?、
近年、沖縄県八重山諸島近海では海水温の上昇が原因とみられるサンゴの白化現象が発生し、大きな問題となっている。サンゴは海水温が30度を越すと、サンゴと共生する「褐虫藻」(非常に小さな単細胞の生物)が減少し白化現象が発生するという。サンゴは、この褐虫藻の光合成に頼って栄養分、エネルギーを補給しているが、サンゴにを与えるだけでなく、サンゴ礁の形成にも役だっている。これが失われるとサンゴは白化し、長期間続くとサンゴは死滅するという。

この海水温上昇の原因は地球温暖化が関係しているとされる。
1998年と2007年は東南アジアからフィリピンの東沖の海水温が上昇する「ラニーニャ現象」が発生している。 八重山諸島近海の海水温も平年より高い状態にあり、30度を越す海域も例年以上に広がっていると。
アメリカの有名な研究機関で地球環境を予測するシミュレーションによれば、50年後には殆どのサンゴは死滅すると計算されているという。 サンゴの消滅は海中の生態系、海岸の生態系にただならぬ変化をもたらし、この変化が引き金となって悪循環に陥るようなことがあれば、地球システムそのものが崩壊の危険性に直面するとも言われるが、果たして・・!!。

次回は、沖縄新興の街・「おもろまち」





沖縄紀行(17)北谷 「アメリカンビレッジ」

2009年01月15日 20時57分50秒 | 沖縄紀行

沖縄紀行(17)北谷 「アメリカンビレッジ」

沖縄のレジャータウン・「アメリカンビレッジ」は娯楽の殿堂・・、

たぶんバイパスであろう・・、国道58号は「仲泊」の家並みが続く港町を見下ろすように、立派な2車線の道を読谷の目指して走る。 次第に車の数も多くなり、都会的な雰囲気になってくる。目の前がパーッと広がってきて、「嘉手納基地だよ・・」と息子が言う。間もなく沖縄では有名な嘉手納ロータリーへ出た。ロータリーというから少なくとも四線以上が交差すると思っていたが、俗に言うY字路の三線であった。
一般には、特に日本ではめずらしいロータリー式といわれ、この交差は道が一旦中心部に集まり、同じ方向へ回転しながら目的地に向かう為の道路に向うという方式である。 利点は直交する道路でないため信号が不要であるのと、幾つもの道路が集まってくる場合には有効であるという。 パリの凱旋門などでお馴染みであるが、ヨーロッパの主要な町には多くみられるのはご承知である。だが、日本では昔は駅前などによく見られたけれど、今は殆どなくなってしまったという。
ところで、ロータリーへ向かう標識で気が付いたが・・、左方向が「沖縄市、うるま市」となっていた。沖縄市は1974年(昭和49年)、コザ市と美里村が合併して誕生している。
新市名の名称について対等合併の立場から幾つかの候補があったらしいが「沖縄の中心都市」にとの願いから「沖縄市」に決定したという。無論、県庁所在地である那覇市から反発も受けたというが、沖縄の中心都市(庁所在)は那覇であるが、地理的には沖縄市が確かに沖縄の中心に位置している。

因みに、小生の住む神奈川県の隣県に「山梨県」がある。県の中枢はご存知「甲府市」であるが、ここにも山梨市は在る。 山梨市は県の中央に在る・・?、とまでは云えないが隣接して似たような甲斐市や甲州市もある。尚、甲府市は、甲斐の国に府中があった事から名付けられている。
尚、「うるま市」というのも初めて聞く名前で、息子も知らなかったらしい。
「うるま市」は平成の大合併で、かっての具志川市、石川市、勝連町、与那城町の二市二町が2005年4月に合併し誕生している。 市名は沖縄方言(ウチナーグチ)でサンゴ(ウル)の島(マ)を意味する。宇流麻(うるま・・??)とも書き、元は、琉球と並ぶ沖縄の雅名で方言がそのまま地名となったという珍しい例とのこと。住民の品の良さが判るようだけど、ただ、歴史のある具志川とか与那城、あるいは勝連とかいった地名を消滅させてまで付ける様な名前だったのだろうか・・?、又、ひらがな文字も如何なものであったろうと些かの疑問も残るのであるが・・。

嘉手納基地のすぐ横を通る・・、
時折、ゴーッ・・!!と、ものすごい爆音で米国海軍の主力戦闘機が二機編隊で頭の真上を飛んでいく。  58号線は嘉手納基地のすぐ西側を走っており、しかも、主要滑走路の端が国道のすぐそばにある、従って、基地に向かってくる飛行機は最終着陸態勢に入っており、頭上スレスレを時速300kmくらいで降りてくるという。 
小生の住まいが厚木で、厚木基地と隣接していてジェットの爆音は多少慣れてはいるが、それにしても頭上すれすれの2機編隊の轟音は、上の孫は大喜びであるがやはりチョットビックリである。


写真:美浜・「アメリカンビレッジ」(観光協会提供)

嘉手納基地の横をかすめながら、道路は美しいヤシの並木が施されていて気持ちがいい。
間もなく目的地の北谷町(ちゃたん)に入った。先刻、沖縄に上陸した際に始めて立寄った所でもあり、賑やかな一角に何よりも沖縄では数少ない天然温泉「ちゅらーゆ」の在るところである。この辺りは一種の繁華街で、その名も「アメリカンビレッジ」と称し、北谷町美浜地区内にはアメリカ的雰囲気の中に数多くのショップやレストラン、ゲームセンター ボーリング場 映画館などが並ぶお洒落なショッピングゾーンである。 そのグルメ館に隣接して観覧車まである。早速、孫共家族等はこの観覧車で一時を過ごした。
近隣には、野球場やグランド、サンセットビーチもある。 
野球場といえば名護の球場では日ハムが春季キャンプが行われていることは既に記したが、ここ北谷では昨年日本一になった「中日ドラゴンズ」がキャンプを張っているはずである。
聞くところ3月2日(日)に、中日ドラゴンズと日本ハムファイターズが当球場でオープン戦が行われるとのこと。


写真:沖縄の天然温泉・「ちゅらーゆ」、左は足湯

次に、我等は本日の最終目的地「ちゅらーゆ」」に向かった。
巨大なスーパー・ジャスコのすぐ横に・・?、これまた巨大な沖縄で最高層・24階のリゾートホテル「ザ・ビーチタワー沖縄」が建つ。このホテルに隣接して天然温泉の「ちゅらーゆ」があり、正面玄関前には白壁にそって細長い足湯も設えて在った。
フロントロビーの右手にこじんまりした和室の休憩所があり寛げる。 浴槽は大浴場の内風呂二つと半露天が一つ、大浴場も洗い場もやや狭い感じがしたが・・。源泉掛け流しとうたっている温泉は、かなりツルツル感があり海岸に近いせいか塩味がきつかった。 ただ、温泉は露天のみで内風呂は違ったようだ。 源泉名は「美浜の湯」といい、泉質はナトリウム-炭酸水素塩温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)、適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺等々・・。
こちらの売りは屋外のプールがメインのようで、大き目の多目的プールはイルカや鯨の鳴き声が水中より聞こえるという変わったプールでもある、但し今の時期(冬季)は閉鎖している。 もう一つの小型のプールは温泉水を利用しているらしく冬期間でも営業中である。
我等は、時間も過ぎ空腹でもあったので、一風呂浴びて夕食のため屋外にある「北谷ダイニング」という沖縄食堂へ向かった。看板には「島唄と琉球料理」としてあるとおり、定番のチャンプルーや沖縄そばと生ビールを流し込みながら、島唄ライブを聴きつつ夕食の一時を過ごした。

次回は、沖縄の珊瑚礁について・・、




沖縄紀行(16)沖縄国道 「国道58号線」

2009年01月15日 20時57分28秒 | 沖縄紀行
沖縄紀行(16)沖縄国道 「国道58号線」

本島縦貫の国道58号線は、鹿児島市がスタート点になっていた・・?!、

再び、国道58号を南下する。
ムーンビーチから仲泊の恩納村を過ぎると読谷村で、この辺りは内陸部を走るようになる。
ここで気が付いたのだが、レンターカー屋で頂いた観光地図には載っていないが、小生の「全国道路地図」にはこの辺りの仲泊、山田そして真栄田辺りは歴史国道・「国頭方 西街道」として記載してある。
この歴史街道は琉球王朝時代に整備された宿道(しゅくみち)ともいい、首里城から概ね現在の58号線に並行して名護、今帰仁、本部更には国頭(くにがみ)まで延びていたという。
その後、時代を経るに従い、特に近年の国道工事や戦争により多くの宿道がその姿を変え、消滅してしまった現在、保存状態の良いのがこの地・恩納村仲泊から読谷村との境近辺だといわれる。 旧街道沿いには一里塚、観音堂、石畳道や松並木から馬場跡など史跡に指定されているものがあり、歴史散策が楽しめるようになっているらしい。
尚、西街道に対して、「国頭方 東海道」というのもあり、概ね東海岸に沿っていていて現在の国道229、331号にあたる。 ただこの道は、西街道の風光明媚な地域と違って山が多く、通行不能な区間(東村平良)もあり舟による海上の道もある。 東海道は主に王国時代、首里城建設用材や造船用材を北部地域で産出したのを運行するルーととして使用してたようである。他にも王国時代の沖縄島には「宿道」と呼ばれるのが6本あり、基幹道路として整備されたという。

因みに「国道58号線」であるが・・、
本島をほぼ北の端(辺戸岬)からへ南へ縦貫するこの道は、沖縄観光道路とも云われ那覇市から主要な観光地を巡っている。 県内では特に若者の間で「ゴーパチ」、「ゴッパチ」などと愛称で呼ばれているようである。 県民ドライバーのみならずレンタカーを利用する観光客も必ず一度は通ったことのある主要道路で、国道58号となった後も沖縄県内では俗に1号線とも呼ばれているようでもある。
そして、この道の基点で驚かされたのであるが・・、実はこの国道は鹿児島市がスタート点になっているという。 鹿児島市内の中心地、城山山麓の西郷銅像の前がスタート点になっているという。ここからの道は市民には「朝日通り」という愛称もあり、東へ進むこと700m程であるが、実はここで58号線の陸地国道は終わっているのである。 以降は、海上と島を結び沖縄本島に到っている。主な経由地は西之表市(種子島)、奄美市(奄美大島)、そして本島へ上陸して辺戸岬より名護市、嘉手納町、浦添市で終点が那覇市となっている。 沖縄県では確かに「沖縄の大動脈・国道58号」などと称されているが、種子島、奄美大島の区間においても交通の大動脈であることに変わりはない。 
そして、その距離であるが・・、
陸上距離では255kmであるが、海上区間を含めた場合だと総延長は約857kmとなり、日本国内の最延長である国道4号(全長739km)を抜いて日本最長の国道となっているのである・・、いやはやである。

次回は、アメリカンビレッジと天然温泉・「ちゅらーゆ」・・、




沖縄紀行(15)名護 「パイナップルパーク」

2009年01月14日 18時19分09秒 | 沖縄紀行

写真:「パイナップルパーク」正面入口周辺

沖縄紀行(15)名護 「パイナップルパーク」

名護城址、否、名護中央公園を後にして、次に同市内にある「名護パイナップル・パーク」を訪ねることにした。先ほど息子達を見送ったネオパークの前を素通りして、チョット大きめな信号を右折して2kmも行かないうちに大型観光バスも止まっている賑やかエリアに着いた。同じような熱帯園らしいのが2棟並んでいたが、お目当ては手前の「パイナップル・パーク」である。因みに、奥の方は派手な看板が目を引く「フルーツ・パーク」といって、南国特有の熱帯果樹パパイヤ、バナナ、グアバ、マンゴなど凡そ30種類が見られる南の楽園で他に、熱帯性の蝶や小鳥が観られるらしい。

さて、パイナップルパークであるが・・、
こちらも入場口前の広場には巨大なパイナップルやマンゴ・・?の造作で飾ってあり、そこが記念写真のセットになっているようだ。 入場しようとすると案内のお姐さんが、半ば強引に引張りこんで変てこな自動車(カート)に乗せようとする。「勝手に行くからいいよ・・!」と断ろうとすると、「園内は自動車に乗り、見物するようになっております・・」だって・・、仕方なしに乗り込んだ。
園内は熱帯性の植物が多数植生しているが、いかにも造園士が造り上げました・・、と言わんばかりの造作で、些か辟易する。 自動運転のパイナップル号は、小さな子供達には大興奮であろうが、いい年の夫婦2人だけじゃチト物足りない。車内の遠隔アナウンスが音楽とともに流されてきて、時には「曲がります」、「上ります」と丁寧に案内してくれる・・、どうでもいいけど。
10分も乗っただろうか、「ハイ、こちらが終点です」と、又もやお姐さんガイドが・・「こちらからどうぞ・・、」と通路を指差して、指示している。次に案内されたのは巨大な一方通行の「土産売り場」であった。
こちらのウリは「パイナップル食い放題」等であったが・・?、確かに食べ放題、飲み放題ではあるものの、ただの試飲が出来るといった感じである、おまけに、店員さんがベッタリと立っており買わなきゃチョット飲食しにくいのである。 それでもこちらは熟年の図々しさで、しかも昼時で小腹も空いている時間帯でもある。先ずワインを戴き、ジュースを戴き、そこら中にある各種土産品の試食と最後にウリであるパイナップルや果物の試食を戴いた。 お陰でお腹の方もいいアンバイになってしまったようである。出口には土産品を精算する勘定場がズラーと並んでいて、宅配専用のコーナーもある。上さんはいつの間にか一杯買い込んで、その宅配で自宅まで発送する程であった。
それにしても、土産店のレジ前を通らないと出られない様なシステムで、商魂たくましい従業員が買え買えモードでセールスしてくるし、店員の数の多さにも驚きであった。
いやはやお土産を買うのに入場料払うような感覚であった。 P・パークと言うよりお土産屋さんかいな・・?!。 妙な気持ちでP・パークを後にした。



写真:万座毛と万座毛の象の鼻岩

ネオパークでは息子家族もタップリ遊んだらしく満足気であり、合流して次には「本島中部」本面へ向かうことにした。国道58号線を引き返すようであるが、途中「万座毛」へ寄ってみた。
案内板に従って国道をほんの少し海岸よりに行くと広い駐車場に着く。周りにはお土産屋がズラリ並び、アロハシャツから三線まで何でも有りのようだ・・。 駐車場から歩いてすぐの遊歩道へ向かう、草原が広がり、その先には東シナ海の水平線が見える・・、万座ビーチやANAのホテルが程よい背景となって更に景観を醸し出している。
周辺は断崖絶壁で、足元がすくむほど高度がありスリル満点であるが、高さの苦手な小生にはいささか・・。柵がない場所もあり崖のギリギリまで行くのは危険であるが、息子と上の孫は断崖スレスレまで行っては小生を苛つかせる・・、
万座毛は、沖縄旅行の定番のスポットであり、「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが、その名の由来と言われる。少々歩くと
絵などでもお馴染みの象に似た大岩が見えるポイントがある、写真撮影にはぴったりであろう。 遊歩道はゆっくり歩いて30分あれば十分見物でき、夕日のスポットとしてもお勧めのところである。

次回は、沖縄の街道