とりにっき

ひますぎていそがしい。

twitterは、@asakaranamabeer

いまふと気づいたこと

2010-09-14 01:15:40 | 雑記
twitterは何気なく考えたことを気軽につぶやけるからすごくいいんだけど、後に残らないんだよね。

もちろんある程度の期間は残ってるわけだけど、ブログみたいに3,4年も前の日記にいつでもアクセスできちゃうなんてことはまったくなく、しばらくしたら消えていくわけ。(ですよね?)

日記って、日々考えたことを残しておいて、後になって見返したいがために書くものなわけで、それが日記じゃなくて140字のつぶやきであっても消えてくのはもったいないと思ってしまう。

twitterにつぶやくのと同じようにブログに書き込めばいいのかもしれないけど。「立派な一本糞が出た」とか「二日酔いで気分が悪いぜ」とかそんなくだらない一言をつぶやきたいがためにブログを書く、となると最大のネックになるのは記事の題名。題名と本文が別々にあるっていうのはなかなか大変。無題で送ることもできるんだけど、それだと味気ない気がして抵抗がある。そんなこと気にせずブログにばんばん無題のくだらないつぶやきを載せちゃえばいいのかなあ。
twitterとmixiボイスの連動とかあるし、twitterでつぶやくと自動的にブログに同じ文が投下されるような連動システムがあれば便利なのにな。題名の悩みは解消されないけど。笑


とりあえずさっきtwitterでつぶやいたのは、高校生の頃赤面症だったのがいつの間にか治ってた(赤面する機会が激減した)ってことと、赤面に対する最大の防具は髪の毛と化粧だってこと。

髪の毛は、こっちからはけっこう見えるけどむこうからは意外と見えてないというマジックミラーのような嬉しい効果があるよね。むこうから見えてない、と思うと赤面もやわらぐってもんです。髪の毛で顔を隠しつつ、もとの状態に戻るまで待つ作戦ですね。

髪の毛なんかよりもっと絶大な守備力を誇るのが化粧です。化粧は顔に直接色塗ってかぶせてるわけだから、多少赤くなろうが大丈夫。いや、実際大丈夫じゃない(ほかの人からしたらけっこう普通に赤く見えてる)のかもしれないけど、精神的な部分で「塗ってるんだからそんなに赤くないはず、大丈夫だ」という支えとなり、平常心が保てる→素早く普段の顔色に戻る、という効果があるわけです。
たまにノーメイクの時(たまに…じゃなくてけっこうある)赤面すると高校生までの自分に一気に逆戻りです。恥ずかしい→赤くなる→赤いのが恥ずかしい→さらに赤くなる の無限ループ。
化粧にメリットを見い出せたのってこの点くらいなんじゃないかと思うけど、個人的にこのメリットはでかすぎるくらい。

人って化粧ひとつによってでも大幅に変わっていくものなんだなあ。こんなんなら高校生の時からコンタクトにして化粧してればもっと早くから違ったのかもしれないな、とかも思ったりするけど。まあそれは過ぎた話だからしかたがない。高校生でリア充になってたら今の大学には行ってなかったかもしれないし。

すべて、いままでにどんな(思い出したくない)出来事があろうと、今の(しあわせな)自分につながってると思うと、「あれは間違いだった」「やり直したい」とは思わないんですよね。

まあ中学時代に戻って部活まじめにやり直したいとか高校入学時に戻って運動部に入り直したいとかは思うけど、それはまた別の次元の話。だと思う。単にもっとまじめに部活してたら今ソフトもっとうまいはずなのにとか体力がもっとあったはずなのにとかそういうくだらないことなので。いまからでもなんとかならないことではないし。

ちまちました後悔はあるけど、根本的な部分では後悔はない。という感じか。
これからなんかイヤなことがあっても、そうやって、これからの自分を形成していく上で必要なことなんだな。と前向きに思えるようにしていきたい。前向き前向き。

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