とりにっき

ひますぎていそがしい。

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「カワイイ」とはなにか

2011-01-12 01:51:00 | 雑記
私の2歳のいとこは、親戚中からカワイイカワイイと言われており、自分でも「わたしはカワイイ」と思っているようである。

実際相当カワイイ。

なにかカワイイ言動をした時みんなで「カワイイー!」と言うと、自分のそのカワイイ姿を記録し、かつどれくらいカワイイか自らチェックするために、写真を撮ることを要求されるのだが、そんなところもまたカワイイ。

カワイイので写真を撮らされるのも何ら苦ではいし、撮影係に従事しようとすると、カメラを奪われ、今度は私の写真を撮って、そして撮れた写真を見せてくれる。

要はカメラが大好き、いや、カワイイ自分とカメラが大好きなわけである。カワイイ。非常にカワイイ。


つまりなにが言いたいかというと、カワイイと言われることにより、言われた人は「自分はカワイイ」と思うようになり、「自分はカワイイ」と思うことにより、実際の言動もカワイくなってくるのではないか?ということである。

なによりも魅力がないのは、自分に自信がなく、つねに自分をネガティブにとらえる人である。

私のいとこは意識的にしろ無意識的にしろ、自分に絶対の自信を持っているはずだし、だからこそその言動は親戚中を魅了するものになっていると思うのである。

「写真撮って撮ってー!」と笑顔でポーズをきめて言う2歳と、「わたし写真なんかうつりたくない」と顔をしかめる2歳、同じ顔でも、どっちがカワイイかは一目瞭然。

つまり「カワイイ」は魔法の言葉なのである。

その点、スイーツ(笑)系女子が、なににでもすぐ「カワイイ」ということは実は批判されるべきことではない。
かなり極端な例だが、卑屈だった喪女がスイーツ(笑)に(たとえ嘘でも)「カワイイ」と言われたことにより、自信を取り戻し、明るく元気に変貌したとする。そんなふうに変貌した喪女のことを周りの人間は「カワイくなった」と言うのではないか。

よって、私が何を訴えたいかというと、世間の妻や彼女をもっている男性陣は相手にもっともっと、日ごろから「カワイイ」と言うべきだということである。

言葉とはえてしてそういうものである。「好き」と言えばもっと好きになるし、「カワイイ」と言えばもっとカワイくなる。

だからこそ、日ごろから思ったことは恥ずかしがらず、口に出すようにしていきたい。
ただしそれは好きとかカワイイとかそういう、プラスに働く言葉についてのみ言えることで、その逆、マイナスの言葉は、極力口に出さないほうがいいかもしれない。「嫌い」と言えば言うほど、嫌いになっていく気がしませんか。「クサい」と一度口に出すと、その臭いが気になって気になって仕方なくなりませんか。

だから、人のいいところを口に出してほめるだけで、かなり円滑な人間関係が作れるだろうと思うのである。

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