明日はおそらく七転八倒!

勝手に新選組。
自分は新選組が好きなので、勝手に新選組を始めます。
あくまで、勝手にってのがミソです。

吉田松陰

2015-01-18 22:43:55 | 勝手に明治維新
今まで勝手に新選組ということで、新選組にスポットをあててきた。

ただ、幕末で活躍したのは新選組だけではない。

どっちが良いやつで、どっちが悪いやつかというのは置いておいて、新選組以外の人たちのことを知っていれば新選組や幕末の魅力は倍増すると思う。

ということで、たまには新選組以外の人物にもスポットをあててみようと思う。

今年の大河ドラマが『花燃ゆ』ということで、せっかくだから主人公、文のお兄さんにしようと思う。

史実では安政の大獄でこの世を去ってるので、新選組とは関わりがないが、その弟子達が新選組と死闘を繰り広げ、幕末を引っ掻き回し、一人は初代総理大臣にもなった。

変人、吉田松陰

そんなわけで、勝手に明治維新。

名前
吉田松陰(よしだ しょういん)

別名
杉虎之介
吉田大次郎(自分で名乗る時は寅次郎と名乗っていたようだ)

生誕
1830年9月30日

死没
1859年11月21日

出身
長州藩(現在の山口)

流派
兵学・山鹿流

性格
自分に厳しい人だったようだ。
また「何とかなるさ」という、楽天家の一面もあったようだ。
そして、吉田松陰はかなりの変な人だ。

ニックネーム
ついに吉田松陰のニックネームをつける時が来た。

吉田松陰を一目見た時から、こいつのニックネームはこれしか無いと思っていた。

とりあえず、参考に松蔭の画像・・・



もう一枚・・・。



これの画像を見てピンときた人もいるだろう・・・。

そう、吉田さんのニックネームは

『エスパー吉田』

 

逸話
吉田松陰で有名なのは何と言っても松下村塾だろう。

この松下村塾では『高杉晋作』『久坂玄瑞』『吉田稔麿』など、幕末のキーマンともいえる人物たちが学んでいる。

初代総理大臣の伊藤博文も松下村塾、出身だ。(なんでこいつが総理大臣になれたんだと言われるぐらいデキは悪かったようだ)

ちなみに吉田稔麿は池田屋で新選組と対峙しており、久坂玄瑞も禁門の変で新選組と直接は対峙していないが、新選組と戦っている。

それから、松下村塾ではないが桂小五郎も松蔭にかなり影響を受けている。

そうそうたる人たちが、松蔭から影響を受けてたようだ。

こんなに凄い人たちに影響を与える、吉田松陰。

さぞ、すごいお人だったことだろう。

と、思いきや、変な人だったのだ。

もう、どうしようもないぐらいの。

そんな松蔭は21歳の頃、親友の宮部鼎蔵と東北に旅行に行くことを計画したそうだ。

旅行と言っても『水戸学』や『海防』をお勉強する為の旅行だ。

当時は旅行をするには、藩から、いわゆる通行手形を貰わないと、関所を通過できなかったようで、そのため松蔭も通行手形を貰おうと藩にお願いしたようだ。

きっと、吉田さんは旅のしおりでも作って旅行を楽しみにしていたことだろう。

しかし、いつまでまっても通行手形が届かない。

吉田さんは旅行に行けず「まあ、仕様がない・・・」とがっかりしたと思いきや、なんと「仕様がない・・・脱藩しよう」とあろうことか、脱藩してしまう。

藩を抜け出すことぐらい、たいしたこと無いように思えるが、当時、脱藩はかなり重い罪で、死罪になる場合もあったようだ。

お友達の宮部さんも流石に「いやいやいや、ただの旅行だし!旅行でそこまでしちゃう!?」と大変驚いたことだろう。

そんな旅行から無事帰ってきたら、今度は黒船が浦賀に来航する。

松蔭はこれを見ていたようで「外国行ってみてー」と思ったようだ。

当時はまだ鎖国中なわけで、外国に行こうもんなら、そりゃあキツいお仕置きが待っている。

外国に行きたいと思うのは、自由だけれどもまさか行くとは誰も思わない。

しかし、変人吉田松陰はそのまさかをしてしまうのだ。

まず、長崎に寄港していたロシアの軍艦に乗り込もうとする。

が、予定を早めて軍艦が出発しちゃったので、計画は失敗。

ここであきらめときゃいいものの、変な人吉田松陰は止まらない。

そして、ペリーが二度目の来航をする。

松蔭は漁村で小舟を盗んで、あろうことか黒船(ポーハタン号)に乗り込んだのであった。

そして、黒船に乗り込んだ松蔭はペリーに「お願い!僕も一緒に外国に連れて行って」とお願いする。

しかし、松蔭の思い届かず、ペリーさんの答えは「NO!ダメにキマッテンジャン!」だった。

松蔭はこの返答に、がっかりしたことだろう。

そんなわけで、「仕様がない・・・帰ろう」と黒船から帰ろうとしたようだ。

しかし、これで話は終わらない。

松蔭は「それじゃ、僕帰りますね。サヨウナラ」と帰ろうとする。

帰ろうとする、松蔭。




見送る、ペリー達。




そして・・・なんと・・・



盗んだ小舟が荷物を乗せたまま、流されて行ってしまったのである。

帰るに帰れない、松蔭。

仕方なく、助けてもらう為に幕府に自首。

そんなわけで松蔭は、投獄される。

この時のことを松蔭は和歌にしている。

それがこれだ。

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

日本を思う心が僕を行動をさせたんだ!まあ、結果はこうなるってわかってたけどね。と言う意味らしい。

・・・結果わかってたんだ。

なにしに黒船に乗り込んだことやら・・・。

そうこうして、ようやく仮釈放される。

そして近所の人たちを集めて、お勉強を始めたようだ。

これがあの『松下村塾』だったようだ。

声を大にして言いたい。

「高杉さんたち、本当にこの人が師匠で大丈夫ですか?」と。

それはそうと松下村塾を開いたとこまではよかった。

ただ、そこは松蔭である。

おとなしく、いい子になんて出来やしない、変な人だ。

ペリーが開国を要求。

そして、幕府の大老井伊直弼が反対意見を全く聞かずに勝手に開国しちゃったのだ。

そして、反対する人たちを次々に投獄。

そして処刑。

安政の大獄ってヤツだ。

まあ、これは井伊直弼にも非があるかもしれないが・・・。

それに対し、松蔭、大激怒!

あんなに外国行きたがってたくせに、開国したら開国したで怒ってしまうのだ!

そもそも松蔭は『開国攘夷派』(開国するのに攘夷もするという中途半端だし、なにがなんだがわからない)だったワケで、井伊直弼も『開国攘夷派』だったようだ。

つまり、怒る理由は無いのだ。

なのに、なぜか怒ったのだ。

変人の考えていることはさっぱり理解できない。

そして激怒の松蔭は仮釈放中の身であるにもかかわらず、長州藩に「役人達たち暗殺するから武器ちょうだい」と言い始める始末。

それに焦った高杉さんら弟子たちが「師匠!さすがにそれはダメですって!考え直してください!」と言うが、それに対して「黙っとれ!弟子が師匠に口出しすんな!お前らなんかもう弟子じゃねーよ!ばーか」と言ってしまう。

ただでさえ、仮釈放中の身なワケだから、当然また投獄。

もはや、変な人ではなく、ただのバカである。

その後あらぬ疑いをかけられた松蔭は、取り調べを受けることになる。

これはたいした罪では無かったようで、何事も無く取り調べは終わった。

はずだった。

しかし、そこは松蔭だ。

きっちり期待に応えてくれる。

突然、しかも意味不明なタイミングで「おれは役人たちを暗殺する予定だったんだよ!」と言い出したのだ。

役人たちもあまりに突然すぎて、しかも取り調べと関係なさ過ぎて「それ、今言っちゃうの?」と驚いたそうだ。

そして、死刑になる。

ちなみに、安政の大獄で最後の死刑者だったようだ。

バカと天才は紙一重という言葉があるように、世の中では変な人と思われていても実は凄い天才はいるもんだ。

アインシュタインとか、ニュートンとか・・・

だけど、吉田松陰はただのバカだ。

最後に吉田松陰の有名な言葉。

「諸君、狂いたまえ」

あんたは、すこし落ち着け!

いつもより長々と書いた結果、ただの悪口になってしまった自分は、本当にどうしようもないお馬鹿だなと勝手に思うのである。