明日はおそらく七転八倒!

勝手に新選組。
自分は新選組が好きなので、勝手に新選組を始めます。
あくまで、勝手にってのがミソです。

河合耆三郎

2015-01-03 21:47:26 | 勝手に新選組
今まで、新選組の幹部の人間を勝手に紹介してきた。


というこことで、今日は幹部以外の人間。
幹部以外の人間と言っても有名な人。
残念で哀れな隊士として有名。


勘定方、河合耆三郎。


そんなわけで、勝手に新選組。




名前
河合耆三郎(かわい きさぶろう。またはぎさぶろう)

生誕
1838年

死没
1866年2月12日

出身
播磨国高砂(現在の兵庫県)

流派
不明。
あえて言うなら、そろばん


役職
勘定方
会計方
小荷駄方
新選組のお金管理の人である。

ニックネーム
残念な隊士なだけあり、写真、肖像画を検索しても見つからなかった。
一応、誰が書いたかわからないが、こんな絵があった。






もう見るからに残念である。

なんか『カッパ』みたいだ。

もう一枚、だれが書いたかわからないが、こんな絵もあった。





カラーで名前までばっちり入っており、一目で河合耆三郎と判る。

ただ、なんとなく『ナマズ』っぽい。

沖田総司がヒラメ顔だったという話をしたが、こっちの方が全然魚顔である。

『カッパ』に『ナマズ』だから、『川の主』にでもしといてあげよう。

性格
気弱。
なよなよしているが、まじめらしい。
よく新選組になれたもんだ。

逸話
播磨の米問屋の息子で、家は名字帯刀を認められた大商人であったようだ。(江戸時代は武士以外の名字帯刀は認められていない)
要するにボンボンだ。

ただ、商人の家の息子という事もあり、算術は得意でお金の出入りが激しい新選組が破綻しなかったのは、耆三郎のおかげであると思われる。

また、池田屋で報賞を貰っているという記録があり、剣の腕も相当なものだと思われ「戦う勘定方」と言われる事もある。

ただ、新選組の序列では常に下であり、実はそこまで強くなかったという意見が多い。

そもそも、気弱でなよなよしてるヤツに剣の腕があるわけない。

そんな河合耆三郎の最期は切腹、もしくは斬首と言われている。

原因は、局中法度の一つ、勝手に金策をするなという掟を破ったからである。

ある日、耆三郎がタンスを開けるとあるはずの50両が、あろうことか無くなっていたのだ。(幕末の頃の1両はだいたい現在の4000円から10000円)

耆三郎は慌てて、実家から50両を送ってもらい埋め合わせしようとした。

しかし、土方が急に500両必要になったと言い出し、50両無い事が発覚する。

河合は50両絶対届くから「死罪は勘弁して」と土方にお願いすると、土方も「お前が悪いというより盗んだヤツが悪いからとりあえず10日間待ってやるよ」と言ってくれようだ。

しかし、ちょうど実家ではトラブルかなんなのか判らないが父親不在のため、お金を送るのが遅れてしまった。

そんなわけで、10日待っても50両は届かず、河合耆三郎は切腹。もしくは斬首。

こともあろうに、死んでから3日後に50両が届くのだった。何ともまあ、間が悪い事。

ちなみに、土方が急に必要になった500両とは近藤勇が深雪太夫(近藤の愛人)を身請けするために必要だったとか・・・。

そんなわけで、勝手に金策するなという掟で河合は死罪になったのに、土方、近藤は自分らのために隊のお金使ってるじゃん!という事で、河合耆三郎は残念で哀れと言われている。

ただ、自分は耆三郎が残念で哀れだとは思わない。

確かに、耆三郎の生涯がこんな呆気なく終わってしまった事には哀れな気もする。

ただ、なんで耆三郎が新選組に入ったのかが理解できない。(大阪に嫁いだ妹が新選組に推薦したらしい。思わずアイドルかよ!と突っ込みたくなる)

「50両無くなったから送ってくれ」と言ったら、50両を送ってくれる親がいる。
そんな金持ちのボンボンだ。

それなのになぜ新選組なのか。

そもそも、新選組はチンピラ集団だ。

チンピラの集まりの中に、金持ちのボンボンがなぜ?

新選組に入れば命の危険もあるわけで、実家の後を継いでいれば(耆三郎は長男)生活だって困らないだろうし、命の危険も無かったはずだ。

それなのに、そんな危険を犯してまで、なぜ新選組に入りたかったのか。

気弱でなよなよした、『川の主』がだ。

そこで自分が勝手に耆三郎の気持ちを考えてみた。

当時は、おそらく国の為に何かをするには身分が必要だった事だろう。

金持ちだったとしても、政治に口を出すなんて事は幕府の役人でなければ出来なかった事だろう。

もし、国のために何かをするには、武器を持ち戦うしか方法は無かったのだろう。

耆三郎も日本のために何かしたいと、思っていた事だろう。

でも、自分には刀を持って戦うなんて事も出来ない。
自分に出来る事は、算術だけだ。

そんなときに妹が新選組に推薦した。

自分の得意な算術が役に立つ。自分もこの国ために出来る事があるんだ!と、きっと耆三郎は喜んだ事だろう。

幕末では命をかけて戦わなければ、何もする事が出来なかった。

しかし今は命をかけなくても、選挙に行けば日本を変える事が出来るかも知れない。
もし変わらなかったとしても、今の政治に対して賛成、反対の意思表示が出来る。

それなのに、その権利をどぶに捨てる人がいる。

そして国民の意見を無視した憲法、法律が次々に作られる。

耆三郎が今の世の中を見たら何と思うだろうか?

自分は、どうしてもこの河合耆三郎を残念で哀れと思う事が出来ない。

自分は耆三郎の事を『名も無き侍』だと、勝手に思うのである。