明日はおそらく七転八倒!

勝手に新選組。
自分は新選組が好きなので、勝手に新選組を始めます。
あくまで、勝手にってのがミソです。

加納鷲雄

2015-01-09 23:07:11 | 勝手に新選組
ある意味、大事な人をすっかり忘れていた。

近藤勇を斬首に追いやった人物である。

加納鷲雄。

そんなわけで勝手に新選組。

名前
加納鷲雄(かのう わしお)

別名
高野道助
加納道之助、道之輔、道之介

生誕
1839年12月14日

死没
1902年10月27日

出身
伊豆国賀茂郡加納村(現在の静岡県)

流派
剣術・北辰一刀流
槍術・大島流

役職
平隊士

性格
はきはきした人だったようだ。

ニックネーム
正直、もうネタはつきている。

新選組は全部で520人もいるのである。

全員のニックネームなんて正直無理だ。

ただ、つけてあげないとかわいそうだからつけてあげよう。

ニックネームの参考に、加納さん・・・











特徴は髭である。











セイウチなんかどうだろうか

特徴が髭の人なんてたくさんいる事だろうが、顔もセイウチに似てない事も無いから、良しとしよう。

逸話
加納は16歳の時にペリー提督の行列を見学していたらしい。

そのときの加納青年の感想が「ペリーは憎いヤツだ!」だった。

ペリーさんは、加納青年に何か意地悪したわけでは無いのに、なぜそう思ったかはわからないが16歳の男子と言えば、尾崎豊にハマる時期だ。

当時の吉田松陰などカリスマ性をもった人たちの多くは攘夷(武力で外国人を追い出す)を訴えていた。

そんなわけで、若者の間では攘夷思想が流行していた。

加納も特にペリーさんに恨みがあるわけでもないが、流行に乗っかっただけかもしれない。

これは自分の勝手な憶測だが・・・。

そんな加納は千葉道場で北辰一刀流を学ぶ。

このときに加納は、伊東道場にも通っている。

このとき、伊東甲子太郎と知り合い、その後、伊東達と一緒に新選組に加入し、御陵衛士となった。

御陵衛士の一員である加納は油小路で伊東が暗殺されたとき、伊東のなきがらを仲間達と回収しに行く事になったみたいだ。

そのとき、御陵衛士は新選組に襲われたそうだ。

伊東の回収に来ると予想した新選組が待ち伏せしていたようだ。

加納も一緒に回収に行っていたと言われている。

しかし、加納は新選組に襲われなかったみたいだ。

その日、加納は病気で歩くのが遅くて、御陵衛士が襲われているとき、現場にいなかったようだ。

病気で歩くのが遅くなるって・・・。

そんなにつらいなら、休めば良かっただろうに・・・。

そして、御陵衛士は崩壊。

加納とか篠原泰之進とかは薩摩藩に助けてもらえる事になったようだ。

そんな加納は戊辰戦争では、新政府軍として参加する。

もともと新選組だったので、本来は犯罪者として扱われる立場だったが、元新選組の大石鍬次郎とかを捕まえたり、いろいろ頑張ったようで、西郷隆盛が新政府に「加納君ってさあ、昔新選組だったらしいけどさあ、いいヤツだよね。頑張ってるし。処分なしにしてあげられないかなあ」と言ってくれたようで、処分も無かったようだ。

そして、運命の1868年4月3日、新選組局長、近藤勇が新政府軍に投降。

その頃近藤勇は『大久保大和』を名乗っていたので、新政府軍はそれが近藤勇だなんて気づかなかったようだ。

まったく、アンポンタンな話である。

ただ当時は、テレビも無え。ラジオも無え。車もそれほどっていうか、全然走って無え。(写真が残っている人もいるのでカメラぐらいはあったようだ)

今なら、「吉幾三ってどんな顔だ?」とか思えば、インターネットで検索出来るし、テレビに出てる事もある。

しかし、当時はそんな事出来ないので、近藤勇の噂は聞いても、近藤勇がどんな顔をしていたかわからなかったようだ。

だからわからないのも、仕方ないかもしれないが、斬首になるほどの人の顔がわからないって、やはりアンポンタンである。

そんなわけで、土方歳三も「大久保大和で押し通せば、近藤さんを助けられるかも?」と考えたようで、勝海舟らに近藤勇を助け出せないだろうかと相談したようだ。

しかし土方の思惑とは裏腹に、運悪く元新選組の加納鷲雄が薩摩軍にいたのである。

新政府軍が「大久保大和って近藤勇らしいよ」「そんなわけわけないだろ」「本当だって!」「だったら、加納くんに確かめてもらおう」と言うもんだから、加納が近藤と面会をする事になったようだ。

そうゆうわけで「近藤さん、オレだよ!覚えてないかい?オレ、オレオレ」「なんだい、オレオレ詐欺かい?騙されないよ!」「違うよ」「違うなら、あんたは誰何だい?」「だから、オレだって」「そうかい、あんたはオレかい。そしたら何だい?あんたがオレなら、オレは一体誰なんだい?」「あんたは近藤勇だろ」「そうゆうあんたは加納君じゃないか!久しぶりー!」という会話をしたかは定かではないが、大久保大和を見た加納は大久保を近藤勇と見破った。

そして、近藤勇は斬首。

その後、加納は北海道開拓使になったり、民間企業につとめたりして、64歳のときに一生を終える。

流山で、加納が近藤に声をかけたとき「近藤の顔はみるみる青ざめていった」と加納は言っているようだ。

しかし、近藤の性格を考えたら昔の仲間の姿を見て「エラくなったんだなー」と関心(ヘラヘラ?)していたんじゃないかと、勝手に思うのである。