明日はおそらく七転八倒!

勝手に新選組。
自分は新選組が好きなので、勝手に新選組を始めます。
あくまで、勝手にってのがミソです。

伊東甲子太郎

2015-01-04 21:53:22 | 勝手に新選組
組織と言う言葉を辞書で調べると、特定の目的を達成するために、専門的な役割を持った部門で構成されている集合体のことと書いてある。

しかしどうゆうわけか、特定の目的を達成するために集まった人たちなのに、その中でズレが生じる事もある。

そうなると、身内同士で権力争いが始まってしまう。

まあ、そもそも思いにズレが生じるのは権力というものがあるからなのかもしれないが。

当然、新選組にも権力抗争は何度かあったようだ。

というわけで本日は、新選組を乗っ取ろうとした人。

参謀、伊東甲子太郎。

そんなわけで、勝手に新選組。

名前
伊東甲子太郎(いとう かしたろう。または、きねたろう)

別名
鈴木大蔵、伊東大蔵

生誕
1835年

死没
1867年12月13日

出身
常陸国(現在の茨城県)

流派
北辰一刀流
北辰一刀流の深川佐賀町の伊東郎道場に入門し伊東道場を次いだようである。

役職
参謀
御陵衛士頭

ニックネーム
今回も勝手につけてあげようと思う。

ちなみに伊東甲子太郎の姿である。






おそらく、誰もが思っただろうがこいつに似てやしないだろうか?






ただ残念なことに、こいつの名前を知らない。

仕方ないので『羽鳥さん』と命名しよう。

ちなみに本物の伊東甲子太郎は肖像画のように涼しい目をした、知的な美男子だったと言われている。

しかし自分はこの肖像画を見ても、知的な美男子とは全く思わない。

性格
天才肌で完璧主義だったようだ。

逸話
この伊東甲子太郎は1868年4月24日に新選組を脱退している。

当時の新選組には局中法度という鉄の掟があり、それを破ればどんな理由があっても死罪になったのである。

その一つに、どんな理由があっても隊を抜ける事は許しませんよ。というものがあった。

当然、伊東が隊を抜ける時も許されないはずだったのだが、そこは天才肌の伊東甲子太郎、「自分らは隊を抜けるんじゃなくて、御所を守って、ついでに薩摩と長州を監視します」と言って御陵衛士という組織を作ったのである。

近藤勇がどこまで、その話を信じたかわからないが御所を守る人を攻撃すれば、天皇を攻撃するも同然である。

そうなれば、朝廷の敵である。

さすがの近藤勇も天皇と戦う気はなかったようだ。

それどころか「薩摩と長州を監視するという事は新選組の役にも立つなあ」なんか言って、伊東の脱退を認めてしまう。

しかし、伊東は薩摩と長州の監視をするつもりなんかなく、それどころか尊王運動に関わろうとしていた。

そもそも、伊東は新選組を乗っ取って、新選組を尊王攘夷のために利用しようと考えていた。

そんな伊東に近藤はコロッと騙されたわけである。

そもそも近藤はお馬鹿さんだったので、伊東の言う事は意味不明で理解できなくても「素晴らしい!流石、伊東先生!」なんて言う始末であった。(学問コンプレックスからバカと思われたくなかったのか、とりあえず伊東の意見に賛同したようだ)

逆に土方は最初から「伊東甲子太郎?うさんくさいヤツだ!」と、伊東をよく思っていなかったようだ。

しかし新選組内では鬼の副長よりも、頭が良くて人当たりのいい伊東の人気が上がってくる。

隊士たちの中での絶大な伊東人気。

そして、隊内で伊東の影響力は徐々に大きくなる。

土方は「このままではオレの立ち位置が無くなってしまう。このままでは新選組は伊東のものになってしまう」と焦った事だろう。

そこで土方VS伊東の権力争いが勃発する。

伊東は局長の近藤がパッパラパーだから、新選組を乗っ取るなんて簡単だと思ったことだろう。

しかし伊東の予想に反して新選組、特に試衛館時代からの仲間達の結束は固かったのである。

権力争いに勝てないと悟った伊東は新選組を乗っ取るのは無理だとあきらめ、そのかわり新選組のめぼしい人たちに声をかけ、御料衛士を結成。

御料衛士で尊王運動に加わろうとした。

しかしあろうことか、元新選組の人間を薩摩、長州の人間は信用しなかったので、伊東の思うように尊王運動もいかない。

伊東は「こうなったら近藤勇を殺して、薩摩、長州に自分たちの事を信じてもらうしか無い」と思ったかどうかはわからないが、近藤勇暗殺を計画。

しかし、この計画は新選組にはバレバレだった。

伊東は新選組の武力を評価していた。

特に、永倉新八、斎藤一を事を高く評価していたようだ。

そこで新選組を抜けるとき「御料衛士はきっと新選組の役にも立つから、永倉さんか斎藤さんを連れて行ってもいいかな?」と聞くもんだから、土方は「いいともー!よし、じゃあ、斎藤君を連れて行くがいい」と答えたようで、伊東は斎藤を御陵衛士として連れて行く。

しかしこともあろうに、斎藤は土方から伊東を監視するために送り込まれたスパイだったのだ。

斎藤は伊東が近藤勇の命を狙っているという事を土方に教え、それを阻止するため1867年12月13日油小路にて伊東を暗殺。

伊東は死ぬ間際に「奸賊ばら」という言葉を叫んだらしい。「奸賊ばら」とは「卑怯な逆賊たちめ!」という意味らしい。

ちなみに、この出来事は坂本龍馬暗殺から3日後の事であった。

さらにちなむと、坂本龍馬が暗殺される直前伊東は龍馬に「新選組があんたの命狙ってるから気をつけなさいね」なんて言ってたみたいだ。

龍馬は笑って相手にしなかったみたいだが。

そんでもって、伊東は「坂本龍馬を殺したのは新選組だよ。だってこの鞘は原田左之助のもんだもの」なんて言って、坂本龍馬暗殺の犯人を新選組だと主張したとか、しないとか。

裏がありそうな話である。

あくまでこれは、新選組の立場で勝手に書いたので、伊東の立場から見れば反論があるかもしれない。

ただ勝手に一つ言うと、仲間内で一体何をやっている事やら。無駄な争いだなと。

こんな事ばっかりやってたからいつまで経っても新選組は人斬り集団と言われるのだろうと、勝手に思った。