夏目漱石の3部作と言えば『三四郎』『それから』『門』だ。
夏目漱石の名前を出したはいいが、今日の話と全く関係ない。
おそらく、これからも関係ない。
せっかくだから夏目漱石を見習い、今日からは3部作にしてみようと思う。
新選組に3人兄弟がいたってだけなんだけど・・・
そもそも、物語ではないので3部作にはならないんだけど・・・。
結局の所、いつもと変わらない。
『団子3兄弟』、もとい『谷3兄弟』
長男。
七番隊組長、谷三十郎。
そんなわけで、勝手に3部作『三十郎』
名前
谷三十郎(たに さんじゅうろう)
生誕
1832年
死没
1866年5月15日
出身
備中松山藩(現在の岡山県辺り)
流派
剣術・直心流
槍術・種田流
役職
新選組七番隊組長
大銃頭
性格
傲慢、見栄っ張りで話を盛って話していたようだ。
ニックネーム
弟、万太郎の写真はあるようだが、三十郎のは見つから無かった。
一応、だれか書いたかは分からない絵もあるが・・・
たまには、見た目だけでなく性格からイメージしてつけてみようと思う。
傲慢、見栄っ張りで話を盛る。
見栄っ張り・・・。
9人目でついに適当になってしまったが、自分の脳みそから思いつくのは、これしか無かった。
おそらく、このニックネームに対して人々はこう言うだろう。
「やっぱりね」
そんなニックネームがこちら・・・。
『見栄晴』
ちなみにもう一つ思いついたのが『女子十二楽坊』
『谷三十郎』『女子十二楽坊』、なんだかニュアンスが似ている・・・
逸話
谷三十郎で有名な話と言えば、平隊士の田内知が切腹する事になり、谷は介錯人をすることになる。
あろうことか、谷は介錯を失敗してしまい、気が動転して田内の事をめちゃくちゃに斬りつけてしまったという話だろう。
そのせいで、谷の評価は急暴落。
現在でも、谷は見栄を張っていただけで強くなかった。
谷は道場レベルと言われてしまうこともある。
ただ、新選組の特攻はいつも谷がやっていたようだ。
こんな話もある。
金門の変の残党狩りで中田九一郎らを捕縛したときに「もう、やんなっちゃう。新選組の人らみんな弱くて、オレがいっつも特攻だよ。ホント、やんなっちゃう」と言っていたようだ。
まあ、見栄っ張りなヤツの言う事なんかアテにならない。
池田屋では頑張ってたみたいだが・・・。
正直、ここまで書いてみたはいいが、谷のいい所なんか見つからない。
おそらく、口先ばっかの中途半端なヤツだったのだろう。
谷家は松山藩藩主・板倉勝静に使えていたが、不祥事で1856年に断絶されている。
きっと、この不祥事も口が災いの元だったんだろう。
まるで、どこかの政治家のようだ。
そんなヤツだから、介錯も失敗するのだろう。
死因は斎藤一が暗殺したという話や、酒の席での喧嘩が原因という話と、脳卒中という話がある。
死因もはっきりしないなんて、どこまでも中途半端なヤツだ。
本当にいい所が無い。
どの時代にも中途半端なヤツというのはいたのだろう。
ただ、こんなヤツでも新選組七番隊組長として歴史に残っている。
もしかしたら、本当は凄い人なのかもしれない。
これはタイムマシンに乗って、幕末に行って真実を確かめるしか、本当の事はわからない。
ただ、もしかしたら介錯に失敗したのは、本当は谷の事を嫌ってるヤツが介錯用の刀を「これじゃ豆腐も切れないよ」っていうぐらい錆びた刀にすり替えていたかもしれない。
そして谷はそいつの仕業だと知っていたにも関わらず、本当の事を言ったら「今度はそいつが切腹になっちゃう」と、そいつをかばっただけかもしれない。
さらには新選組だってそんな事実が発覚すれば「おいおい、新選組、セキュリティー甘いじゃん。全然だめじゃん」って言う話になってしまったかもしれない。
だから「いえいえ、うちのセキュリティーは完璧ですよ。なんせセコムしてますから」と言って、全部、谷の腕が悪い事にしたのかもしれない。
歴史と言うのは、立場や見方を変えるだけで、事実は大きく変わってくる。
もしかしたら、谷三十郎は良いやつだったかも知れない。
ただ、それを知っているのはこの時代で、この現場を目撃した人たちだけである。
現代になって発見された資料だけではわからない事だらけである。
とはいえ、こんな中途半端な(と思われる)ヤツの事を『見栄晴』と命名してしまって、見栄晴さんに申し訳ないと勝手に思ってしまう。
夏目漱石の名前を出したはいいが、今日の話と全く関係ない。
おそらく、これからも関係ない。
せっかくだから夏目漱石を見習い、今日からは3部作にしてみようと思う。
新選組に3人兄弟がいたってだけなんだけど・・・
そもそも、物語ではないので3部作にはならないんだけど・・・。
結局の所、いつもと変わらない。
『団子3兄弟』、もとい『谷3兄弟』
長男。
七番隊組長、谷三十郎。
そんなわけで、勝手に3部作『三十郎』
名前
谷三十郎(たに さんじゅうろう)
生誕
1832年
死没
1866年5月15日
出身
備中松山藩(現在の岡山県辺り)
流派
剣術・直心流
槍術・種田流
役職
新選組七番隊組長
大銃頭
性格
傲慢、見栄っ張りで話を盛って話していたようだ。
ニックネーム
弟、万太郎の写真はあるようだが、三十郎のは見つから無かった。
一応、だれか書いたかは分からない絵もあるが・・・
たまには、見た目だけでなく性格からイメージしてつけてみようと思う。
傲慢、見栄っ張りで話を盛る。
見栄っ張り・・・。
9人目でついに適当になってしまったが、自分の脳みそから思いつくのは、これしか無かった。
おそらく、このニックネームに対して人々はこう言うだろう。
「やっぱりね」
そんなニックネームがこちら・・・。
『見栄晴』
ちなみにもう一つ思いついたのが『女子十二楽坊』
『谷三十郎』『女子十二楽坊』、なんだかニュアンスが似ている・・・
逸話
谷三十郎で有名な話と言えば、平隊士の田内知が切腹する事になり、谷は介錯人をすることになる。
あろうことか、谷は介錯を失敗してしまい、気が動転して田内の事をめちゃくちゃに斬りつけてしまったという話だろう。
そのせいで、谷の評価は急暴落。
現在でも、谷は見栄を張っていただけで強くなかった。
谷は道場レベルと言われてしまうこともある。
ただ、新選組の特攻はいつも谷がやっていたようだ。
こんな話もある。
金門の変の残党狩りで中田九一郎らを捕縛したときに「もう、やんなっちゃう。新選組の人らみんな弱くて、オレがいっつも特攻だよ。ホント、やんなっちゃう」と言っていたようだ。
まあ、見栄っ張りなヤツの言う事なんかアテにならない。
池田屋では頑張ってたみたいだが・・・。
正直、ここまで書いてみたはいいが、谷のいい所なんか見つからない。
おそらく、口先ばっかの中途半端なヤツだったのだろう。
谷家は松山藩藩主・板倉勝静に使えていたが、不祥事で1856年に断絶されている。
きっと、この不祥事も口が災いの元だったんだろう。
まるで、どこかの政治家のようだ。
そんなヤツだから、介錯も失敗するのだろう。
死因は斎藤一が暗殺したという話や、酒の席での喧嘩が原因という話と、脳卒中という話がある。
死因もはっきりしないなんて、どこまでも中途半端なヤツだ。
本当にいい所が無い。
どの時代にも中途半端なヤツというのはいたのだろう。
ただ、こんなヤツでも新選組七番隊組長として歴史に残っている。
もしかしたら、本当は凄い人なのかもしれない。
これはタイムマシンに乗って、幕末に行って真実を確かめるしか、本当の事はわからない。
ただ、もしかしたら介錯に失敗したのは、本当は谷の事を嫌ってるヤツが介錯用の刀を「これじゃ豆腐も切れないよ」っていうぐらい錆びた刀にすり替えていたかもしれない。
そして谷はそいつの仕業だと知っていたにも関わらず、本当の事を言ったら「今度はそいつが切腹になっちゃう」と、そいつをかばっただけかもしれない。
さらには新選組だってそんな事実が発覚すれば「おいおい、新選組、セキュリティー甘いじゃん。全然だめじゃん」って言う話になってしまったかもしれない。
だから「いえいえ、うちのセキュリティーは完璧ですよ。なんせセコムしてますから」と言って、全部、谷の腕が悪い事にしたのかもしれない。
歴史と言うのは、立場や見方を変えるだけで、事実は大きく変わってくる。
もしかしたら、谷三十郎は良いやつだったかも知れない。
ただ、それを知っているのはこの時代で、この現場を目撃した人たちだけである。
現代になって発見された資料だけではわからない事だらけである。
とはいえ、こんな中途半端な(と思われる)ヤツの事を『見栄晴』と命名してしまって、見栄晴さんに申し訳ないと勝手に思ってしまう。