本日は三部作・第二部。
あくまで三兄弟だというだけで、勝手に三部作と言っているだけだという事を理解していただきたい。
という事で本日は、間に挟まれ次男。
谷万太郎。
そんなわけで勝手に三部作・第二部『これから』
名前
谷万太郎
生誕
1835年1月1日
死没
1886年6月30日
出身
備中松山藩
流派
剣術・直進流
槍術・種田流
役職
大阪屯所隊長
性格
常に女性問題が付きまとっていた様なので、きっと相当な女好き、もしくは恋愛体質だったのだろう。
ニックネーム
本日はしっかりと写真がある。
もともと目が細くてこうなってしまったのか、それとも写真をとるときにたまたま瞬きをしてしまったのか、それとも不貞腐れているのか・・・。
見ようによっては15代浅香山親方(元大関、魁皇)に見えなくもない。
ただ、谷万太郎からは生気とか、覇気というか、気力とか、やる気が伝わってこない。
ということで『無気力力士』にでもしておこう。
逸話
こんな『無気力力士』でも、実は十番隊組長の原田左之助たちの事を、槍術を教えて、かわいがっていたとか。
槍の腕前は相当なものだったようだ。
そして、女性問題が常に付きまとっていたようで、うらやましいものである。
じゃなくて、女性問題が常に付きまとっていたようで、実は松山藩藩主・板倉勝静から断絶されたのも、万太郎がこの板倉さんの娘さんだが、家老の妻だがと、(そこははっきりしていないようだ)密会してる所をフライデーされたのが原因のようだ。
昨日、三十郎の口が災いの元と言ったが、本当は万太郎の女性問題で断絶されたのだった。
だらしのないヤツだ。
ともあれ当時、よく切腹にならなかったもんだ。
とりあえず三部作と言ってしまったので昨日の話に会わせて、見方を変えてみる。
万太郎が板倉勝静の娘さんだが、家老の妻だがと、密会してる所が困った事にフライデーされてしまう。(これだけでも江戸時代は死刑にする事も出来たようだ)
怒った板倉さんは「お前なんか死刑だー」と言ったとしよう。
それを聞いた兄、三十郎は「いやー、お殿様、こんな週刊誌の記事信じちゃダメですよー」と板倉さんに死刑をやめるように言ったかもしれない。
それに対し板倉さんは「いや、火の無い所に煙は立たないって言うだろ!」と言うもんだから、「よし、じゃあ、本人たちの口から本当の事を聞こうじゃないか」と三十郎は思いついた事を口にする。
そんなわけで、板倉さんの娘さんだが、家老の妻だがは「彼とはただの友達です。この件でファンのみなさま、関係者のみなさまに、私の軽率な行動でご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思っています。本当にすみませんでした」なんてブログ(おそらく当時はブログなんてもの無かったと思うが)とかに謝罪文とかを載せたりしちゃって、万太郎も「ただのお友達です。たまたま二人の時に撮られただけです」とか言ったりしたかもしれない。
これで、一件落着かと思いきや板倉さんは納得出来ずに、「でも怪しい!これから永久に、私の娘だが、家老の妻だがには会わないでいただきたい!お前は松山から出て行ってもうらうからな!」なんて言ったのだろう。
「これからどうするもんか」と途方に暮れた三十郎と万太郎は
「あんちゃん!どうすんだよ。あんちゃんが思いつきで何でもいうから、こんな事になっちまっただろ!口は災いのもとってあんちゃんの事だな」
「お前が、板倉さんの娘さんだが、家老の妻だがに、ちょっかいかけるからだろう」
「えへへ。向こうから手を出してきたんだよ」
「バカな事言ってんじゃないよ。こんなときに」
「それは、そうとあんちゃん、これからどうすの?行くアテがあんのかい?」
「ないよ。ないけど、とりあえず大阪方面に・・・」
「大阪か、大阪には美人がいるかい?」
「お前なあ、少しは反省したらどうなんだよ・・・」
「えへへ。これから、するつもりだったんだ」
ということで結局、三十郎の口が災いを呼び、大阪に流れ着いたのかもしれない。
そんなこんなで、万太郎は大阪で『スエ』という人を娶るが、結局明治9年に離婚。
その後は愛人と暮らしたようだ。
ちなみに、三十郎が死んでから万太郎は新選組を抜け、道場をやったり、商売をやったりするがどれも上手く行かなかったようだ。
当時は上手く行かなかったかもしれないが、現代ならお騒がせ有名人で大成していたかもしれないと勝手に思うのである。
あくまで三兄弟だというだけで、勝手に三部作と言っているだけだという事を理解していただきたい。
という事で本日は、間に挟まれ次男。
谷万太郎。
そんなわけで勝手に三部作・第二部『これから』
名前
谷万太郎
生誕
1835年1月1日
死没
1886年6月30日
出身
備中松山藩
流派
剣術・直進流
槍術・種田流
役職
大阪屯所隊長
性格
常に女性問題が付きまとっていた様なので、きっと相当な女好き、もしくは恋愛体質だったのだろう。
ニックネーム
本日はしっかりと写真がある。
もともと目が細くてこうなってしまったのか、それとも写真をとるときにたまたま瞬きをしてしまったのか、それとも不貞腐れているのか・・・。
見ようによっては15代浅香山親方(元大関、魁皇)に見えなくもない。
ただ、谷万太郎からは生気とか、覇気というか、気力とか、やる気が伝わってこない。
ということで『無気力力士』にでもしておこう。
逸話
こんな『無気力力士』でも、実は十番隊組長の原田左之助たちの事を、槍術を教えて、かわいがっていたとか。
槍の腕前は相当なものだったようだ。
そして、女性問題が常に付きまとっていたようで、うらやましいものである。
じゃなくて、女性問題が常に付きまとっていたようで、実は松山藩藩主・板倉勝静から断絶されたのも、万太郎がこの板倉さんの娘さんだが、家老の妻だがと、(そこははっきりしていないようだ)密会してる所をフライデーされたのが原因のようだ。
昨日、三十郎の口が災いの元と言ったが、本当は万太郎の女性問題で断絶されたのだった。
だらしのないヤツだ。
ともあれ当時、よく切腹にならなかったもんだ。
とりあえず三部作と言ってしまったので昨日の話に会わせて、見方を変えてみる。
万太郎が板倉勝静の娘さんだが、家老の妻だがと、密会してる所が困った事にフライデーされてしまう。(これだけでも江戸時代は死刑にする事も出来たようだ)
怒った板倉さんは「お前なんか死刑だー」と言ったとしよう。
それを聞いた兄、三十郎は「いやー、お殿様、こんな週刊誌の記事信じちゃダメですよー」と板倉さんに死刑をやめるように言ったかもしれない。
それに対し板倉さんは「いや、火の無い所に煙は立たないって言うだろ!」と言うもんだから、「よし、じゃあ、本人たちの口から本当の事を聞こうじゃないか」と三十郎は思いついた事を口にする。
そんなわけで、板倉さんの娘さんだが、家老の妻だがは「彼とはただの友達です。この件でファンのみなさま、関係者のみなさまに、私の軽率な行動でご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思っています。本当にすみませんでした」なんてブログ(おそらく当時はブログなんてもの無かったと思うが)とかに謝罪文とかを載せたりしちゃって、万太郎も「ただのお友達です。たまたま二人の時に撮られただけです」とか言ったりしたかもしれない。
これで、一件落着かと思いきや板倉さんは納得出来ずに、「でも怪しい!これから永久に、私の娘だが、家老の妻だがには会わないでいただきたい!お前は松山から出て行ってもうらうからな!」なんて言ったのだろう。
「これからどうするもんか」と途方に暮れた三十郎と万太郎は
「あんちゃん!どうすんだよ。あんちゃんが思いつきで何でもいうから、こんな事になっちまっただろ!口は災いのもとってあんちゃんの事だな」
「お前が、板倉さんの娘さんだが、家老の妻だがに、ちょっかいかけるからだろう」
「えへへ。向こうから手を出してきたんだよ」
「バカな事言ってんじゃないよ。こんなときに」
「それは、そうとあんちゃん、これからどうすの?行くアテがあんのかい?」
「ないよ。ないけど、とりあえず大阪方面に・・・」
「大阪か、大阪には美人がいるかい?」
「お前なあ、少しは反省したらどうなんだよ・・・」
「えへへ。これから、するつもりだったんだ」
ということで結局、三十郎の口が災いを呼び、大阪に流れ着いたのかもしれない。
そんなこんなで、万太郎は大阪で『スエ』という人を娶るが、結局明治9年に離婚。
その後は愛人と暮らしたようだ。
ちなみに、三十郎が死んでから万太郎は新選組を抜け、道場をやったり、商売をやったりするがどれも上手く行かなかったようだ。
当時は上手く行かなかったかもしれないが、現代ならお騒がせ有名人で大成していたかもしれないと勝手に思うのである。