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one's works. my works!


one'sとは「その人の」と言う意味です。
僕らはone'sに「皆様の」と言う思いを込めました。

友達   (田中)

2007年07月23日 13時32分58秒 | 家族
ここは自由に出入りできる「磯」を再現した場所。
ヤドカリやイセエビなどを自由に触る事ができます。
おっかなびっくりの娘の手を引いてくれる3歳年上のお友達。
姉妹の様に仲良くしてくれてます。
今でもよく憶えてるのですが保育園に行きだした当初、娘はそりゃもう泣いて泣いて大変だったんです。

夕方急いで迎えに行くとこのお嬢さんの膝枕の上ですやすやと眠る我が子の姿。
本当に涙が出るぐらい嬉しかったんです。
本人達はまるで覚えてないみたいですが。
そりゃそうですよね。
うちの娘はまだ2歳になってないしこのお嬢さんもまだ5歳になってないし。

今年のバレンタインも「友チョコ」を手作りで持ってきてくれてました。
「お姉ちゃんの事好き?お姉ちゃんは大好きだよ」の手紙を添えて。
本当に優しいお嬢さんです。
しかもアイドル級に可愛いんですよ。

河童     (田中)

2007年07月16日 00時04分12秒 | 家族
去年鬼籍に入ったお祖母ちゃんの思い出。
僕が小さい頃、夏休みになると言われ続けた事があります。

昔はプールなんて小学校には無くて家の下の川に泳ぎに行ってました。
監視員として父兄さんが二人交代で来てくれてました。

もうそれこそ毎日毎日飽きもせずに泳ぎに行ったものです。
川の水温は冷たくて30分も泳いでると冷えて寒くなってきます。
大きな石の上に上って一休み。
暑くなってくるとまた川に入って亀を追いかけたり。
家に帰ってきてからまた仲の良いのと数人連れ立って川に。

今度は水中眼鏡(略して「水眼(すいがん)」と言ってましたっけ。)とやすなどを持ってまた川に。
魚を突いて川原で焼いて食べて。
小学校の頃、思えば夏休みは毎日薔薇色でした。

さて、お祖母ちゃんから言われてた事。
それは「河童に襲われたら尻小玉を取られる」でした。
これを取られるとどうやら大層拙い事になるらしくお祖母ちゃんは本当に心配そうに言ってました。

そして河童と戦う(?)時の必勝法も教えてくれました。
「河童はの~、人間とおうたらの、相撲とろて言うんや。そしたらな、ま、最初に「逆立ちせぇ」て言うんや。そしたらな、河童は頭に皿があるやろ?(知らんて)そっから水がなこぼれるんやて。そしたら河童は力が出ぇへんさかいに相撲に勝てる。絶対やで。忘れたらあかんで。そしたら尻小玉取られへんさかいにな。河童におうたらな。」

すっかり忘れてた。
あのゲーム(ぼくのなつやすみ3)やるまで。
あと、呆けかけた近所の人の事を「あの人は狐にばかされたんやろか・・・」とか「若い頃に人魂を見た事がある・・・」とか言って皆を震え上がらせてた(特におかん)な。

お年寄りのする怪談(?)話って妙に恐いなと納得したあの夏の日。
嫁を連れて帰った時の事で嫁はくすくす笑ってたっけ。

ところで尻小玉て何。(どうやら男女共にあるみたいだけど実際にある臓器では無いみたいですが)

笹流し  (田中)

2007年07月07日 20時47分01秒 | 家族
結構な人出。
お客様数人とお会いしました。
娘は先に嫁さんと来てます。
10分ほど歩いて発見。
僕は連絡せずに行ったので驚いてました。
ママさんズと一緒。
またまた無意味に照れる。
娘は沢山のお友達とわいわい騒いでる。
楽しそう。

この笹が娘のクラスで作ったものです。
娘は「プールでじょうずにおよげますように」でした。
家で書いたものは「テニスがじょうずになりたい」と「おとうさんがげーむしよといてるのにしないときがありました。だからそんなことがないほうがいいとおもいます。」

それから書き足したのが「○○ちゃんのびょうきがはやくなおりますように」「○○ちゃんがクッキーをたべられますように」「○○ちゃんとしあわせなじかんがすごせますように」でした。

僕は君の親になって良かった、と心から思います。

笹流し    (田中)

2007年07月07日 20時14分35秒 | 家族
毎年恒例の笹流し。
旧三雲町の頃から毎年やって頂いてます。
子供達が非常に楽しみにしてます。
ここ数年僕は仕事で行けなかったのですが今日は最後の方が割と早く終わったので覗きにに行ってみようかと。
車ですと駐車場の確保が厄介なので迷わずクルマルスVチューンを。(うそ、RZV)

短冊     (田中)

2007年07月03日 22時09分05秒 | 家族
今年の娘の短冊。
「テニスがじょうずになりたい」ともう一つがこれ。
「おとうさんがげーむしよといてるのにしないときがありました。だからそんなことがないほうがいいとおもいます。」

誰かにチクられとるがな、これ。


内視鏡    (田中)

2007年07月02日 08時56分55秒 | 家族
この前の読売の朝刊に載ってましたが日本人の癌で多いのが大腸癌らしいですね。
自覚症状がなかなか無いそうで早期発見にはやはり自発的な検査が大事です。
ですがこの内視鏡、色々と「痛い、恐い」などと噂が先行(?)しててなかなか受けたがらない方が多いのだとか。

僕は30歳過ぎから直腸、大腸の内視鏡をやってもらってます。
2~3年に1度。
大体5年に1度ぐらいで良いらしいのですが。
それをやらない時は心臓やら他の臓器のチェック。
エコーやMRIなど。
毎年自分てテーマを決めて色々と調べてもらってます。

内視鏡。
初めにも書きましたが「辛い、痛い」と巷では評判です。
うちの父親などは胃カメラでさえ恐くてできませんでした。(最近はうるさく言うので)
僕も24歳の時に初めて胃カメラをやってもらったのですが「もう2度とごめんだ」と思いました。
苦しかったです。

それがです。
ここ最近の医学の進歩はどうでしょうか。
胃カメラも鼻から入れるとても楽なものに。
大腸の内視鏡も話しに聞くよりもかなり楽です。
痛くないと言えば嘘になりますがそんな大袈裟に考える程では決してないです。
(ただ「2年に1度は多い」とお医者様に言われたので次回はバリウムだと思いますが)

とにもかくにも早期発見です。
何よりも家族と自分の為。

オヤジに関するetc (田中)

2007年06月30日 21時38分57秒 | 家族
去年の母の日に「おかんに関するetc」を書きました。
今年は書きませんでした。
何故ならオヤジに関するetcを書きたかったからです。

が、しかし構想(?)がまとまらず。
また書きたい事があまりにもシビアな気もして何となくテンションが下がり気味に。
結果父の日には書けませんでした。

父の日から数週間が過ぎましたがやはりここは書いてしまおうと。
その様に決意(?)した次第でございます。

この前、太郎生の散歩をしながら思い出した事。
今年の7月で40歳になるんですよ、オレ様。
で、「オヤジの40歳ってどんなだったんだろう・・・」って思い返してみました。
オヤジが40歳の時は僕が14歳で弟達が10歳と9歳。
・・・・・って事は田中家が一番辛かった時期です。
そっか、そうだったんだ。
親戚の借金を肩代わり。
連帯保証人でもなんでもないのに。
当時は「破産宣告」なんて制度があるのも知らなかったんだと思います。

泣きながら通帳と印鑑を差し出した母親。
泣き笑いで「もう何も出てこない」と財布をひっくり返した母親。
カレンダーを悲しそうに眺めてた母親。

オヤジは。
どうだったんだ。
飄々としてた。
「何とかなるわ」と半ばやけっぱち半ば豪放磊落。
僕の生まれ育った実家が田舎で良かった。
貧乏が目立たなかったから。
友人が多くて良かった。
卑屈にならずにすんだ。

オヤジは。
朝早く6時前には家を出てた。
3時間以上かけて電車を数本乗り継いで勤め先の羽曳野まで通ってた。
その日は泊まり。
次の日の昼過ぎに同じ時間かけて帰ってくる。
遅いお昼ご飯を食べたらそのまま田畑へ。
遊ぶ時間も寝る時間も無かった。

農家だから食に困らなかったんじゃ?ってのは大間違い。
換金できる物は全てお金に。
そのお金はそのまま借金返済。
結果、お金もなく食べるものもなく。
弁当におかずが入ってないのなんてザラ。

そもそも農家なのにお米が無いなんて事もあった。
どうしてたのか。
どうしてたのか。
それを思う時、それを想像する時。
それはこの歳になってから。
今まで思う事もなかった。
想像した事も無かった。

どこからあのパンの耳は。
父親が山の様に袋詰めにされたパンの耳を持って帰ってきてくれた。
あのパンの耳は。

想像してみて下さい。
40歳の男がどこかで頭を下げたんでしょう。
「パンの耳を下さい。」と。
何故でしょうか。
家族を養う為ですよ。
男の仕事にそれ以上の事、何がありますか。

プライドの高い人間には耐えられないほどのかっこ悪い事を、恥ずかしい事を、どんな顔をして父親は頼んでくれたんでしょうか。
父親から僕ら家族に無言で差し出されたパンの耳。
その裏側にあった事実を40歳になる直前に俺はやっと気付いた。
太郎生の散歩をしながらあとからあとから溢れる涙にやっと。

かっこ悪い?
恥ずかしい??
いやいや、俺にはオヤジは世界で一番男前やな。
どうにかこうにか生きてこられたわ。
知らんとこで一杯一杯、頭を下げてくれたんやろうな。
俺は心のどっかでオヤジを舐めてた。
でも40歳目前でやっと判った。
超えられん壁がある事をや。

オヤジ、尊敬してるで。





過ぎた父の日によせて



安全ピン    (田中)

2007年06月21日 23時59分11秒 | 家族
安全ピン。
何が安全なのか?って言うのってあんまり考えて無かった気がする。
なるほど、これは安全。
子供に触らせて初めて判りました。
これが来週には一人で着けられなきゃいけない。
当然、こんなのは着けられるだろうって思ってたら全くダメ。
昨日から夜に特訓です。
段々と怒り出す嫁。
「こんなん簡単やんか!」
泣き出す娘。
いたたまれなくなってきました。
大体、うちの娘はこんなのが苦手。
針とかが付いてるのを異様に恐がります。
でもって得意と苦手がはっきりしてるんです。(このあたりは僕の血か。)

こないだも発覚した衝撃の事実。
「鉄棒が出来ないの・・・」
今日は体育があるからいやだ、なんて言うから「どうして?」って聞くとこんな答え。
「でもね、一つだけ出来るのがあるんだ~!」
「何?」
「豚の丸焼き!」
はて・・・豚の丸焼きとは・・・・・はっ?!もしや足と手を使ってぶらさがってるだけの・・・僕が小学生の時もいましたよ、ヲィ。
クラスに一人どんくさいの。
まさかうちの娘があれとは・・・
あれは「出来る」とは言わんのだよ、我が娘よ。
しかし「豚の丸焼き」とはうまい事言うなぁ・・・ってちょっと笑いそうになってすぐに切なくなりました。

僕が教えてないからだ。
自転車に乗れないのも僕が教えてないからだ。
安全ピンも・・・・

そんなこんなを考えながら見てると安全ピンが着けられないと大粒の涙をぽろぽろこぼして泣く娘が不憫になってきて可哀想で可哀想で。
咄嗟に嫁に言ってしまいました。
「そんなに叱らなくてもええやんか、僕が教えるから下(1階)に降りてて」と。
しぶしぶ降りる嫁。

泣きじゃくる娘に諭す様に教えました。
30分ぐらいかかってやっと成功。
理屈で考えすぎてるんです。
って言うか僕が理屈で教えすぎてたんですね、今思えば。

もう成功したからやめ。
良いイメージだけを残してまた明日(今日)って事で。

んで、今日。
僕は忙しかったので嫁が教える事になりました。
「お父さんは・・・?」の娘の声に後ろ髪を引かれる思いでしたが仕方がありません。
でも10分ぐらいは一緒に居る時間があったので様子を見てました。
案の定嫁のスパルタ作動。
スパルタ王よりもスパルタ。
でも娘も今日は負けてません。

ちょっときついんじゃないのか・・・僕だったらもうちょっと優しく・・・なんて思ってたら。
「出来た・・・!」
立て続けに
「出来た!」

うわー・・・
お父さんの立つ瀬無しです。
ある程度の厳しさも必要と実感。
僕は優しいじゃなくて甘かっただけですね。

しかし安全ピン一つ取っても子供には結構四苦八苦です。
びっくりしました。
いや、普通に出来る子の方が多いんでしょうけども。

今度は鉄棒と自転車の特訓です。
両方とも僕しかできないので責任重大です。

happy birthday to you (田中)

2007年06月03日 23時53分55秒 | 家族
ブログを書いてて面白いな、良かったな、と思える事は一杯あります。
去年の今頃何を書いてたんだろうか?なんて読み直す事もすぐにできますよね。

あれからもう一年。
早いもんです。

今年も無事に娘の誕生日を迎えられた事を各方面(?)に感謝。
しかしこの春からこっち、娘をとりまく環境のめまぐるしく変化した事はどうだろうか。
小学校に通いだした時の不安。
生活のリズムが一気に変わった事への(僕の)疲れ。
でもそんな事よりも娘の成長の著しさ。
子供って本当に逞しいなと思う。

今日は保育園の頃から仲良くしてくれてた小学校4年生のお友達が誘いに来てくれました。
この子は娘が入園した時(2歳足らず)に年中さんだったのかな??
いつも迎えに行くとこの子の膝枕でおねんねさせてもらってたっけ。
そして同じ小学校に入園して・・・
同年代のお友達も一杯いると聞くのですがおりある毎に娘を遊びに連れってくれます。
お母さん曰く「妹の様に思ってるみたいで」と。
こんな嬉しい事はありません。
一日遊ばせてもらって帰ってきた時には両手に抱えきれない程のプレゼントの山!
びっくりしました。
写真に写ってるのはほんのごく一部なんです。
お友達や僕の友人、知人、そして僕と嫁の両親から。
親としてみればこんな嬉しい事は無いです。

4年生のお友達と今日一緒に撮ったプリクラ。
何をお願いしてるのでしょうか。
何度も書きますがお父さんは君がいるだけで本当に幸せなんだ。
そして君の願い事が叶う事以上に求めるものは無いんだ。
それを忘れないで。
心からそう思う。


潮干狩りの戦果   (田中)

2007年05月21日 23時22分41秒 | 家族
思ってたよりも大量に捕れたみたいです。
中にはハマグリも!
僕も行けば良かったとちょっと後悔。

天気も良かったので沢山の人出だったそうです。
おじさん連中から話しかけられたそうですが「お姉さ~ん」と声を掛けられてて振り向くと「私じゃなかった(ママさんズの方)」とちょっとショックだったみたいです。

☆トイレの花子さん☆  (田中)

2007年05月20日 23時50分56秒 | 家族
子供にはいいかげんな事を言ってはいけないなぁ・・・
娘のお友達や上級生の子供達によく聞かれる事があるんです。
「どうしておじさんは髪が長いの?」と。
保育園の時から「おじさんの家は昔からお侍の家だから」とこたえてたんですね。
大抵は「!」みたいな感じになるんです。
で、娘が小学校に入学して同じ様に周りの子等に聞かれる訳ですよ。
で、同じ様に「おじさんの家は昔からお侍~」とこたえてた訳ですがいつの間にやらその噂(?)が一人歩きをしはじめて「あそこのおじさんは凄いらしい!」「戦う人(6年生談)」と・・・
今やちょっと大変な事になりつつあって困ってる、田中です。
みなさん、こんばんは。

そんなこんなで(?)「花子さん」。
都市伝説の一つですよね。
昔「口裂け女」とかもありましたっけ。
今ほど情報が簡単に入手できなかったあの頃。
どれほど子供達の間で盛り上がった事でしょうか。
かく言う僕も何度友人3~4人で放課後になると「口裂け女」捜しを行ったでしょうか。
マスクしてる女性を見つけると後を着けてましたっけ。
ちょっとしたストーカー。

肩を後ろから3回叩かれて振り向くとマスクを外した口裂け女さんが。
「私、綺麗?」と聞かれるので必ず「綺麗です!」と答える様に。
確かそんな感じだったか。
子供心にこの女性を憐れに思った僕らはその虚無感(?)や孤独感から解放してあげようと無垢な善意で捜してたんです。
この4人のうちの一人がこないだ県議会議員選挙でトップ当選を果たしたやつなんですが・・・

この手の話は昔から子供達の間である種の信憑性をもって語られ続けてきた訳ですね。

そして10数年前からある話の「トイレの花子さん」。

こないだ娘がお友達と二人で何やら一生懸命に描いてるんです。
「勉強してんのかな?」とか思ってたんですがどうやらそうではなくて。
「何描いてたの?」と聞くと小さい声で周囲を警戒する様に教えてくれました。
「あのね、トイレの花子さん・・・」
「え・・・?なんで??」
「だってMちゃん(一緒に描いてた子)が今日トイレでトイレの花子さんに捕まったんやもん!!」
「え~~?!Mちゃんが??でも一緒に居るやん??」(この辺りから声が大きくなる)
「一生懸命逃げてきたんやって!!!」
「そっか~・・・Mちゃんびっくりしたやろうな。でもどうして花子さんの絵を描いたの?」
「花子さんの顔を描いたら花子さん死ぬんやって!」
「えええええええええ!!花子さん死ぬって???誰が言ってたの??」
「Mちゃん。あのな、Mちゃんは何でも知っとるんやで。」
「でもトイレの花子さん殺しちゃうの?それは良くないんじゃないかなぁ・・・」
「いいの、悪い人やで!」

盛り上がったんだろうなぁ。
これ、嘘ですよね。
夕食の時間にこの話が面白くて嫁さんに言ってたんです。
「今日、学校にトイレの花子さんが出たんやって」
「何、それ?」
「知らんの?」
「知らない・・・」
ここでしばし花子さんと今日の出来事について説明。
話を聞き終わった嫁は娘に一言。
「あんたそれ信じとんの?」
「うん」
「そんなん居る訳無いやん(笑)」
娘はちょっと困惑した顔。
僕は慌てて言いました。
「居るって!花子さん。お父さんも見た(?)し!」って。

子供達の他愛も無い噂話。
ちょっとした小さい嘘から始まったお絵かきによる花子さん退治。
ここで誤解して頂きたくないのはうちの娘は人一倍怖がりってトコでしょうか。
それでその恐怖を払拭しようとして嫁は「居ない」と言った訳です。
そこには母親としての愛情がある訳です。

でも困った事が。
お友達との間に「疑念」が生まれます。
「Mちゃんは嘘をついたの?」

何度も書きますがこんなのは嘘にならない嘘です。
「サンタさんが居るか居ないか」ぐらいの。
「見た」って子はやっぱり見たって事です。

それが子供達の一つのコミュニケーションですよね。
みんなが盛り上がってるところに「居ないってお父さんとかお母さんが言ってたもん」なんて子が現れたら。
僕が当事者(子供)だったら「なんかつまんないのが来たな」って思ってしまうと思うんです。
薄々気がついてますから。
それにわざと乗っかって楽しんでるんですよね。
でもちょっと恐さもあったり。
この「ちょっとした恐さ」ってのがまた大事な訳で。

子供達の世界は本当に楽しいです。
この写真の絵が「花子さん」だそうです。
何やら可愛らしい花子さんではありますがこれが娘の想像する花子さんなんですね。
小さい、小さい、コミュニティです。



明日は遠足  (田中)

2007年05月01日 15時49分45秒 | 家族
明日は娘が遠足に行きます。
晴れたら青山の四季の里、雨だったら鳥羽水族館。
娘は前にも書きましたがあまりアミューズメントパークの類は好きではありません。
TDLなんかも「一度行ってるからもういい」とか言います。
この辺りは僕と似てるかもしれませんね。
サンタクロースさんは信じてるのに親が何も言わなくても(TDLとかの)着ぐるみの中身を敏感に嗅ぎ取ってます。

もう普通の公園や山の中で遊べる方が圧倒的に喜びます。
だから昨日のデイキャンプは本当に楽しそうでした。
小さい時から「できあいのアミューズメントパークよりも泳いでる本当の(?)鯨とかを見せてあげよう」って白浜の方に行ったりしてました。
おかげで(?)あまりお金のかからない子供に育ってくれました。

で、明日の遠足ですが水族館よりも四季の里を楽しみにしてたのですが今日の雨で四季の里は中止になり水族館が決定したそうです。
水族館は割と好きなのですがこないだ行ったばかりなんです、卒園旅行で保育園から。
今日も「ちょっと前に行ったばかりやのになぁ」とか言ってました。

でも初めておやつを持っていけるのは楽しみだったらしくおやつを買いに行くのを楽しみにしてました。
僕らの時代は「300円以内で」って事でしたが今は関係無いみたいですね。
で、選んだのがこれ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ガムとラムネ。
もっとね、ほら、何て言うか。
チョコレートとかもうちょっと何か要らないの?!って聞いても「いい!これでいいの。」って。

いやー・・・いくらなんでもこれだけかぁ?
他の子ってもっと持ってきてんじゃないの??
とりあえず無理矢理小さいお菓子の詰め合わせを買ってきました。
この中から欲しいのをチョイスさせようと思います。
本人は嫌がってますがこれだけじゃ後悔しますよね、多分。

欲が無いと言うか何と言うか。



友達100人できるかな♪   (田中)

2007年04月18日 15時30分13秒 | 家族
一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな♪
って歌がありますよね。
小学校の入学式でも使われてました。
入学式、僕も1時間半ほど出席させてもらってました。

で、この曲が流れてきて…
凄く切なかったです。
色んな事を思い出してしまって。
これからの娘の事を想って。

小学校の頃、凄く仲の良い友人がいました。
3人。
3人とも幼稚園に行く前からの友人でした。
一人は家が一番近かったから。
2歳ぐらいからずっと遊んでたそうです。
その友人は一つ年上で僕が泣かされて家に帰る事もしばしばあったそうですが数分もしないうちにまた戻ってきて「遊ぼ~」って。
そのうち最初は「智幸君泣いて帰ったけど大丈夫かな?」っておじさん、おばさん夫婦で話してたのが続くと「絶対にすぐに戻ってくるぞ」と笑いながら話す様になったそうです。
案の定すぐにケロっとした顔をして僕はまたその友人の家に遊びに戻ってきたそうです。

この話も微笑ましい話ではあるのですが今となってはこの話をしてくれる友人の親御さんは涙ながらです。
29歳でこの友人は鬼籍に入ったからです。

もう一人は同い年の従兄弟です。
こいつは本当に兄弟の様に育ちました。
こいつもまた僕の半身に近いですね。

そして残るもう一人は5歳ぐらいで友達になったY。
こいつとの馴れ初め(?)は謎でした。
気がつけばいつの間にか一緒に居た。
そんな感じです。

その謎が解けたのは僕が結婚して間も無くの頃。
Yのお母さんが教えてくれました。
僕の家は貧しくて1年しか幼稚園に通う事ができませんでした。
Yは逆に裕福すぎて(?)幼稚園に通う必要がありませんでした。
大きく商売をしてたので家の中に常に世話をしてくれる方がいたからです。

でもYのお母さんは幼稚園に通わせたかったそうです。
「お友達を一杯作ってほしい」
そう思ってたらしいのですがYの祖父は叩き上げの厳格な方でしたから「行かせる必要がない」となったらその意見は曲げなかったみたいですね。

お互いの息子の境遇を偶然知り「どうして私らの子供は幼稚園に一年しか通わしてあげられへんの」と二人、肩を抱き合い泣いたそうです。
その時に「幼稚園に通ってる子らに負けへんぐらいええ思い出を一杯作ってあげよ」と約束をしたとYのお母さんは泣きながらその時の事を教えてくれました。

何故、泣くのか。
僕に判りませんでした。
でも今なら判る。
35年間、変わらずに友人でい続ける事の難しさ、有難さ。
僕らの母親達が交わした約束はいまだに破られてはいません。

娘にも友達ができるかな?
心から信頼できる嘘の無い友達が。
でもね、友達って作ろうと思ってもなかなか出来ないとも思うんです。
僕も中学1年生の時に仲の良い友人と離れ離れのクラスになりました。
悲しい事にクラスの中には友人はできませんでした。
2年生の時から友達も増え始めたんですが・・・

今でもはっきり憶えてます。
1年生になったばかりの美術の時間「友達同士相モデルになってお互いの顔を書くように」と先生が指示を出しました。
男女ともに偶数なのに(って事は絶対にあぶれる事はない)僕だけペアになれなかった。
何か凄く恥ずかしかったです。
クラスの中に「親友」と呼べるヤツはいなかったけどそれでもそこそこ仲がいいって思ってのが数人居たと思ってたから。
それがどうだ。



学校に行き始めた娘に毎日聞いてしまいます。
「今日は誰と遊んだの?」って。
でももう聞かない様にしようと思ってます。
妙なプレッシャーになってもなぁって思えてきてしまって。

「友達?できればいいよね。君が本当に信頼できる嘘の無い友達。でもね無理に作る必要もないよ。友達ができなくってもお父さんとお母さんがいるでしょ?今度の一緒の休みの時にどこか3人で遊びに行こうよ」
ってそんなのもきっとアリですよね。

色々ある人も多いでしょうけど友達ってね、無理に作る必要は無いんです。
できなきゃできないで。
決して悲観する必要は無いんです。
君らを想って泣いてくれる人はきっと一杯居るはずなんです。
ね?







で、ママさんズは…   (田中)

2007年03月26日 12時53分08秒 | 家族
打ち上げに。
娘も連れてってるので僕は一人PCの前に座ってる訳ですよ。

実は担任の先生に内緒のプレゼントと子供達一人一人からチューリップの花一輪と紙ふぶきを用意してあったんです。
嫁の入ってる(?)ママさんズからその話が出たらしく2週間ぐらい前からその準備をうちのお店で仕事が終わってからやってたんです。

式が終わり担任の先生が教室の中で涙ながらに「小学校に行っても仲良くね。卒園しても私はずっとみんなの先生だよ。何か困った事があったらいつでもおいで」と言って下さり…

頃合を見計らって先生をママさんズの2名が外に出し。
そして教室内で皆に花と紙ふぶきを渡して先生を教室へ。

「ありがとうございました~!」
「お疲れ様でした~!」
の声の中紙ふぶきが舞い子供達が花を先生に渡しました。
ありえないぐらい泣いてらっしゃいました。
ええ、こっちも既に貰い泣きです。
その年、その年で本当に良い先生に恵まれました。

娘の保育園最後の担任の先生はとても若いのですがみんなから親しまれ、頼りにされてる先生でした。

最後に寄せ書きを嫁が渡した時がピークだったでしょうか。
皆さん、本当に盛り上げて下さって。
感動のうちに終える事ができました。

終わってから嫁に「良い思い出ができた」とか「すごい盛り上がったよねー!」と中には抱きついてきて喜んで下さった方も居たみたいです。
帰ってきてから嫁も「本当に良かった」と言ってました。

正直、この話を嫁が僕に持ってきた時は「商売人があまりでしゃばった事をするな」と嗜めました。
けど沢山の父兄さんが泣いてらっしゃるのを見て、先生が泣いてらっしゃるのを見て今は本当に良かったと思います。