一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな♪
って歌がありますよね。
小学校の入学式でも使われてました。
入学式、僕も1時間半ほど出席させてもらってました。
で、この曲が流れてきて…
凄く切なかったです。
色んな事を思い出してしまって。
これからの娘の事を想って。
小学校の頃、凄く仲の良い友人がいました。
3人。
3人とも幼稚園に行く前からの友人でした。
一人は家が一番近かったから。
2歳ぐらいからずっと遊んでたそうです。
その友人は一つ年上で僕が泣かされて家に帰る事もしばしばあったそうですが数分もしないうちにまた戻ってきて「遊ぼ~」って。
そのうち最初は「智幸君泣いて帰ったけど大丈夫かな?」っておじさん、おばさん夫婦で話してたのが続くと「絶対にすぐに戻ってくるぞ」と笑いながら話す様になったそうです。
案の定すぐにケロっとした顔をして僕はまたその友人の家に遊びに戻ってきたそうです。
この話も微笑ましい話ではあるのですが今となってはこの話をしてくれる友人の親御さんは涙ながらです。
29歳でこの友人は鬼籍に入ったからです。
もう一人は同い年の従兄弟です。
こいつは本当に兄弟の様に育ちました。
こいつもまた僕の半身に近いですね。
そして残るもう一人は5歳ぐらいで友達になったY。
こいつとの馴れ初め(?)は謎でした。
気がつけばいつの間にか一緒に居た。
そんな感じです。
その謎が解けたのは僕が結婚して間も無くの頃。
Yのお母さんが教えてくれました。
僕の家は貧しくて1年しか幼稚園に通う事ができませんでした。
Yは逆に裕福すぎて(?)幼稚園に通う必要がありませんでした。
大きく商売をしてたので家の中に常に世話をしてくれる方がいたからです。
でもYのお母さんは幼稚園に通わせたかったそうです。
「お友達を一杯作ってほしい」
そう思ってたらしいのですがYの祖父は叩き上げの厳格な方でしたから「行かせる必要がない」となったらその意見は曲げなかったみたいですね。
お互いの息子の境遇を偶然知り「どうして私らの子供は幼稚園に一年しか通わしてあげられへんの」と二人、肩を抱き合い泣いたそうです。
その時に「幼稚園に通ってる子らに負けへんぐらいええ思い出を一杯作ってあげよ」と約束をしたとYのお母さんは泣きながらその時の事を教えてくれました。
何故、泣くのか。
僕に判りませんでした。
でも今なら判る。
35年間、変わらずに友人でい続ける事の難しさ、有難さ。
僕らの母親達が交わした約束はいまだに破られてはいません。
娘にも友達ができるかな?
心から信頼できる嘘の無い友達が。
でもね、友達って作ろうと思ってもなかなか出来ないとも思うんです。
僕も中学1年生の時に仲の良い友人と離れ離れのクラスになりました。
悲しい事にクラスの中には友人はできませんでした。
2年生の時から友達も増え始めたんですが・・・
今でもはっきり憶えてます。
1年生になったばかりの美術の時間「友達同士相モデルになってお互いの顔を書くように」と先生が指示を出しました。
男女ともに偶数なのに(って事は絶対にあぶれる事はない)僕だけペアになれなかった。
何か凄く恥ずかしかったです。
クラスの中に「親友」と呼べるヤツはいなかったけどそれでもそこそこ仲がいいって思ってのが数人居たと思ってたから。
それがどうだ。
学校に行き始めた娘に毎日聞いてしまいます。
「今日は誰と遊んだの?」って。
でももう聞かない様にしようと思ってます。
妙なプレッシャーになってもなぁって思えてきてしまって。
「友達?できればいいよね。君が本当に信頼できる嘘の無い友達。でもね無理に作る必要もないよ。友達ができなくってもお父さんとお母さんがいるでしょ?今度の一緒の休みの時にどこか3人で遊びに行こうよ」
ってそんなのもきっとアリですよね。
色々ある人も多いでしょうけど友達ってね、無理に作る必要は無いんです。
できなきゃできないで。
決して悲観する必要は無いんです。
君らを想って泣いてくれる人はきっと一杯居るはずなんです。
ね?