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one's works. my works!


one'sとは「その人の」と言う意味です。
僕らはone'sに「皆様の」と言う思いを込めました。

GOD SPEED!!!  (田中)

2007年12月31日 19時10分15秒 | 人間至る処青山あり
毎年毎年同じ事を書いてるなぁ・・・
とか思いながら去年の12月31日の記事を読み直してみるとやっぱり同じ事を書いてる。

店としてはとても大きな(?)転換期だった気がします。
オープン以来お世話になってたディーラーさんから完全に違うディーラーさんに変わったって事でしょうか。
とにかくポカが多かった、ってのを以前にも書きましたが今は多少の寂しさもありますが変えさせて頂いて正解だったと思います。
今、本当に去年までの事が嘘だったかの様にきちんと商品が入ってきます。(これが当たり前なんですが)
離れてみると以前のディーラーさんの良さもまた判ったりして。
頑張って欲しい、と本当に思います。
また付き合いが出来るといいなと・・・


この1年、個人的に大きかったのは友人の病気の事でしょうか。
全くブログには書いてませんでしたが。

去年の春、友人の母親から半狂乱で電話がありました。
「子供が大変な病気になってしまった。家族みんなが泣いている」と。
詳しくは書かない。
が、それは僕らが想像もできない、思うだけで泣けてくる辛い病気でした。
電話の向こうの声をただ呆然と聞いてるしかできなかった。
「あなたから話してあげて。あなたが『大丈夫』って言ってくれたらあの子も頑張れると思うから」と最後に言われた。



果たして。
どんな風に声をかけたらよいのか全く判らずメールを入れた。
「今、何してんの?」
それから何度かメールのやりとりをして電話で直接話して。
どうして君が。 

詳しくは書かない・・・・

辛い辛い闘病生活だったはず。
家族と結婚したばかりの旦那様に支えられて頑張ってこれたんだと思う。

そして来年。
彼女の店がオープンする。
僕はオープンの日、手伝いに行こうと思ってる。

頑張っても仕方の無い事もある。
けど頑張ったらどうにかなる事の方が圧倒的に多い。
「頑張れ、とにかく頑張れ。どうしてもダメならもう一回だけ頑張れ。」
どんな夜でも明けない夜は無い。

日の目を見るまで。
諦めるには早すぎる。
人生は捨てたものじゃない。
今年、何度もその言葉を実感する出来事があった。

「何言ってんの?生きてるだろ。生きてるだけマシだって。」

生きてるからこそ悩んだり苦しかったり。
嬉しい事の方が少ないかもしれない。
僕も今までの人生を振り返ってみれば圧倒的に辛い出来事の方が多かった。
幸いだったのはやっぱり信頼できる友人、知人が多かったって事か。
何度でも書くけど「生きてるからこそ」なんだと思う。
死はいずれ誰の身の上にも平等に訪れます。
長短はあるでしょう。
でも必ずきます。
だから焦る必要なんて、絶対に「無い」。

今年も振り返ってみればまたまた各方面に迷惑をかけっ放しだった。
何もまた返せそうにないけど。
「ありがとうございました」と、この言葉しかありません。


そして全ての困難な旅を続ける人達に。

GOD SPEED!











【新説】 指輪物語 【珍説】   (田中)

2007年12月24日 23時53分54秒 | 人間至る処青山あり
まぁ指輪物語って言うよりも個人的には七つの鍵の守護神な訳(?)ですが。

今年の嫁さんへのクリスマスプレゼント。
漠然とバッグ辺りを考えてました。
毎年一個ずつ増えてくってのも良いかなーと思いつつ結婚してから毎年あげてるプレゼントもここ最近はそんなこんなでバッグ。
因みに独身時代にお付き合いさせて頂いた方々へのプレゼントの総額は多分1~2万円ぐらい。
一番プレゼントにお金がかかってるのは嫁さんで3000円。
忘れもしない付き合い始めて初のクリスマス。
できるだけ避けてきたので(クリスマスを。むしろ暇でもケーキ買って両親や兄弟と過ごしたり)「そんな事すんの??」って聞いてしまいました。
嫁さんは行事ごとが好きなので「ないと寂しい」とか言う訳です。
「じゃあプレゼントの交換は3000円以内で」って事になりジョン・レノンのベストをプレゼント。

とにかく女性に何かを買ってあげるって事は無かったです。
いや、デートにかかる費用は全部僕持ちでした。
食事代とかも。
変な拘りがあって・・・

で、何故か結婚してからクリスマスにプレゼントする様になった訳です。
みんなには「逆だろ~」とか言われますがこれが僕がこの11年続けてきた事です。

今年もバッグ。
去年のよりももう少し大きいのがいいかな・・・とか思いながらとある日。
嫁に「俺の指輪って何処にいったっけ?」って聞きました。
結婚してらこっち結婚指輪をしてなかったので一体あれは何処に行ったのかと。
嫁さんは律儀にいつも着けてんのに。

鏡台の小物入れのところに赤い毛糸でくくりつけられてました。
凄い久しぶりに着けてみた。
が・・・これがまた似合わないんだなぁ。

そう言えば嫁さんが去年ぐらいから痩せたので「指輪がごそごそになって歩いてても落ちてしまう」とか言ってたなー・・・

「お前の見せて」

外した指輪は曲がってた。
普通は曲がらないと思うんですよ。
恥ずかしそうに「あれ~、なんか曲がって・・・」とか言ってる。
多分自分で曲げたんではないかと。
落ちない様に。
サイズ、直せばいいだろうに。
何なら新しく買ってもいい。

この時に思い出した事があった。
うちの両親の事。
母親の結婚指輪はパールのついたものでした。
誕生石か何かだったかな。
あの指輪が母親のたった一つの自慢でした。
貧しかった両親、母親にとって人にほんのちょっとだけ自慢できるもの。
そんなに高価なものじゃなかったはず。
でも宝石を身に着けてる、ってそんな事だけが自慢だった様に思う。
たった一つの自慢。
それが僕が中学生の頃何かの拍子でパール取れてしまったらしくて母親は凄く泣いてました。
しかも始末の悪い事に外れたパールがどこで外れたのか判らないので失せ物に。
「お父ちゃんからもらった大事な指輪が・・・・」ともうそりゃ声にならないぐらいにおいおい泣き続ける母親を見て子供心に可哀想になーと思いました。
でもうちの経済状況じゃあ買いなおすのは無理だってのもすぐに判った。
帰ってきた父親は黙って指輪を見てました。
この時母親はもう既に泣き止んでました。
でもはっきりと判るぐらいにその顔には泣いた後が。
「もうこのままつけとくさかいに」と半ば泣き笑いの顔で言う母親をこれまた無言で見詰める父親。
そして一言「出せ」。
母親からパールの外れた指輪を手にとってしげしげと見つめる父親はそれをそのまま懐に入れてしまいました。
「買うんだ、おかんに買ってあげんだな」って思いました。

案の定次の日の夜いつもより帰りが遅かった父親が手にしていたものは母親への指輪でした。
おずおずと真新しい指輪を自分の指に着けて真っ赤の顔でうっとりと見てた母親のあの幸せそうな顔は忘れない。
ずーっと見てました。
飽きる事無く。
本当に時間を忘れるかの様に。
そんな母親をまた愛しそうに煙草をふかしながら見ている父親と。
その両親を見てる僕に「果たして将来俺にもこんな瞬間がやってくるのか」と思ったものです。

それから30年ほどが過ぎ。
幾度も「そんな瞬間」あった様な気がする。

そして結婚して11年。
グニャっと曲がった指輪をし続けてくれてる嫁にあげるべきプレゼントは決まった。
今がその「瞬間」なんだ、って。
俺もあの時の父親の様な誇らしい顔ができるのだろうか。



※明日余力があれば「指輪物語~購入編~☆君、それちょっと違うやろ☆」をアップします。


巨星 墜つ   (田中)

2007年12月16日 23時28分54秒 | 人間至る処青山あり
訃報が届く。
メイ牛山さん死去。
美容関係者で彼女を悪様に言う人は居ないでしょう。
美容業界に及ぼした功績は計り知れないものがあります。
晩年もただひたすら「女性の美」を追求なさってました。
またその地位を驕る事なく他の方とユーモラスにお話なされてたのも印象的でした。

人は産まれたら死ぬのは必然とはいえやはり悲しいものがあります。
今はひたすらメイ牛山さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

大人の品格   (田中)

2007年09月28日 20時12分00秒 | 人間至る処青山あり
最近はあまり言わなくなってきましたが一時流行ってましたね「品格」なる言葉。
大人の品格って何でしょうか。

まぁ僕にも「品格」がある(高い)などとは到底思えない訳ですがそれでも最低限度の「礼」は知ってるつもりです。

前にも書きましたが相撲。

今、新弟子さんの死亡に絡んだ色々な問題がでてます。
最初は「急性心不全」とかって片付けようとしてた訳ですよね?
金属バットやビール瓶で殴って殺しておいて。

ええ歳した大人が寄ってたかって一人の青年の未来を奪っておいてそれかよ。
って単純に思いました。
謝罪しても謝罪しても許されない事ってやっぱりあると思うんです。

だから逃げたくなる気持ちも判る。
でも「嫌=逃げる」じゃないですよね。
これじゃ子供と一緒です。
いや、子供の頃に教わってなかったのか。
「不始末をしでかしたら謝りなさいよ。」って簡単な事を。

許されない事をした。
当然許してもらえるなんて思っちゃいけない。
けど、人として曲げてはならん事ぐらい僕にでも判る。
「それでも誠心誠意謝るって事」を。

携帯は真っ二つにへし折られ、メモリーカードは粉砕されて。
子供の虐めか。
額に裂傷。
体には無数の殴打痕。
足には煙草の火を押し付けられた痕があったと聞きます。

挙句、証拠隠滅の為に「火葬など葬儀の手筈はこちらで」

到底、家族は許せんだろうな。
例え(物凄く悪し様に考えてって意味ですね)「もういい子でいるから」と電話をよこす16歳の「子供」だとしても。


「大人の品格」て何やねん。




格闘技はスポーツか。  (田中)

2007年09月23日 00時13分17秒 | 人間至る処青山あり
柔道世界選手権。
やっぱり谷さんは凄かった。
塚田さんも凄かった。
「ママでも金」を有言実行でしたね。
10年ほど前、フランスに美容師として研修に行った時の事。
谷さん(当時はまだ田村さんでしたが)が同じ機に乗り合わせました。
トヨタのシャツを着てたかな?
「これだけ有名な選手でもビジネスじゃなくてエコノミーなんだ」ってちょっと驚いたのを憶えてます。

写真を一緒にとらさせて頂いた(ミーハー!)のですがその可愛い事と言ったらもう。
本当に小さいんですよ。
よくこんな小さな体で・・・と思いました。
48kg級はみな、そうですが。

もう何度もこの手の選手権がある度に書いてきましたが「疑惑の判定」。
疑惑でもないのかも知れないなぁって。
ただ「柔道」が「ジュードー」になってしまったんだなと思います。
今やその競技人口は日本よりもむしろフランス人の方が多いぐらいです。
この選手権ではついに審判から日本人がいなくなりました。

有効一つとったらあとは「逃げ」に徹してそのまま「勝ち」。
なんとも後味の悪い試合内容になってしまってるな、と感じます。

格闘技の始まりは言うまでもなく「殺し合い」です。(剣道の始まりは当然、実剣での戦いですから)
試合ではなく仕合ですね。

やっぱり「一本」で決めて欲しいです。
レスリングはそれで良いんです。
ポイントの稼ぎ合いは見ててもスピーディーで面白いです。
でもやっぱり柔道は・・・

何て思ってしまうのは僕だけでしょうか。


負けの美学   (田中)

2007年09月22日 23時53分03秒 | 人間至る処青山あり
ヤクルトの古田さんが引退するらしい。
野球には全く興味がない。
世間一般的には「最下位の責をとっての引退では可哀想だ」との声もあるらしい。

が、「負け」の美学は当然ある。
「老兵は死なず、ただ去るのみ。」

誰だって全盛期に惜しまれながらの引退の方がイメージはいいかもしれない。
「まだできるだろうに」

でもやるだけやってダメだった時に「すみません、ダメでした」って辞め方にもやっぱりかっこよさはあると思う。

全く興味は無いし古田選手がどう言った選手なんて知らないがスポーツニュースを見てて「お疲れ様」とだけは言いたくなった。

ただそれだけだが。

面接の話   (田中)

2007年09月12日 21時29分54秒 | 人間至る処青山あり
今、高校生の方々の就職活動の時期でして今日、最終のお客様がまさにそうだったんです。
色々と話してて思い出した事が。

え~、何度かかいておりますが僕が育った家はとても貧しかったんです。
学生の頃に美容師になりたかったのですが美容学校に行かなきゃなれないと思ってたのでその夢も頓挫。(させてた)
で、普通の企業に就職する事になりました。


就職活動でまずあったのが筆記試験でした。
一般常識や知能指数をはかる検査や適性検査。
それから面接。(この時は髪をばっさりと短く切ってました。
切りたくはなかったのですがやはり就活に長髪では×)
内定を貰い4月から働きだす。

入社して研修が終わってからの社内面接がとにかくおかしかった。
僕だけ違う部屋でした。
促されるままに入った部屋のものものしい雰囲気。
学生の頃に困った事、それにどう対応したかなどを聞いてくる。
社長(大阪本社からきてた)なんかは身を乗り出して聞いてくる。
自分でも面白いネタ(っても本当の事なんだけど)だと思ってたしその辺りは不思議とも思わなかったし自信もあった。
で、最後に「何処の部署に行きたいですか?」と聞かれました。
逆だろ~?って思ったのですが(本来は人事が決めるだろうし)正直にこの時に行きたい部署を告げました。
で、そのまま配属となった訳です。
どうしてその部署に行きたかったかって言うと動機は不純。
「可愛い先輩がいたから」です。

みんな不思議がってた。
「なんでお前だけ別の部屋でしかもそのまま行きたい部署に配属されんだよ?!」って。
後で知る事になるのですが知能指数のテストでIQ200~を出してたんですね。

で、問題はそれから。
望めばニューヨークでもロンドンでも香港でも好きな部署に配属されるって境遇の中僕のとった行為は。

=髪を伸ばす=

でした。
だってそりゃそうです(?)
学生じゃないんだから思いっきり髪を伸ばせますよ。
長髪は侍でありメタルであり(?)即ち自分自身(??)ですから。

そ・れ・が・だ。
当時は髪の長い男性などおらず。
上司からとにかく「切れ!」の一点張り。
でも切らない。

1年ぐらい会社相手(でもないけど)戦い続けたある日。
部長に呼ばれました。
例の面接を受けた部屋に連れて行かれて「ここで僕らは君の話を聞いて~」とか言うんです。
時に恫喝、時に懐柔。
そんなこんなで一時間。
「君は中身が良くても外見が良くないんだからとにかく切りなさい!」(って今でもはっきり憶えてる)

ここで言った一言を今でもはっきりと覚えてる。
吉本新喜劇の如く。
「ほな辞めまっさ~」

「辞めてどうする?!」
「バンドを」
「音楽で飯が食えるか!」
「・・・・・・・」

で、「売れないバンドマン」→「美容師」となった訳ですが。

今、思えばあの頃にもう既に男性の長髪が世間的に認知されてたら美容師を諦めて僕はあのままあそこで居たんでしょうか。
そんなこんなを思い出す今日この頃。


明日は「面接の心得」(やったら落ちる)
を書く予定。



社長達の憂鬱   (田中)

2007年09月03日 00時29分22秒 | 人間至る処青山あり
35歳を過ぎた頃から人から相談を受ける事が多くなってきた。
それまでも後輩達からの相談はされる事もままあった。

35歳過ぎてからの相談は年長者の方からが多くなった。
何故か。
判りませんが。
それも一般的に「社長さん」と呼ばれる方々から。
年齢にすると60歳ちょい手前ぐらいの方々。
別に経営コンサルトとかの経験は無いのでお金の相談とかじゃないしそんな苦労をしてらっしゃる方々でもないし。

こないだも2階で事務の仕事をしてたら内線が入った。
「○○の社長がお見えですから降りてきて下さい。」
「聞いておいて。」と言うも「直接、何かお話があるみたいですよ。」と。

降りて行くと何やら非常に恐縮したご様子。
何があったのでしょうか。
「どうかしましたか?」とお話をお伺いさせて頂くとこれがまた僕にそんな話をしても良いのかどうかってぐらいの内容でして。
「今まで誰にも話した事が無いのですが」と聞いてまた驚いて。

多分、結論は出てるんだと思うんです、どの方も。
何かしらの後押しと言うか一声と言うか、そんなのが欲しいんでしょうね。
何で僕なのかが全く以って判りませんが。
こんないいかげんな男に何故?と真剣に思います。
人生経験だって僕なんぞ遠く及ばない程に豊富な方々ですし。

多分、「家族にも言えないけどタクシーの運転手さんになら言える」とかそんな感じなのでしょうか。

梨をお礼にお持ち頂きました。
大したアドバイスも何も出来なかったと思うので逆に申し訳なかったです。
娘が梨を非常に好きな事を伝えると「奥様からもそのようにお伺いして持ってこさせてもらって良かったと思って・・・・」と眼に涙をためて。

ドアのところで深々と頭を下げて頂いてこちらがまた恐縮。

生きてるとなぁ、色々あるな。

とりあえず。

GOD SPEED!!!

100%の善  (田中)

2007年08月19日 19時50分19秒 | 人間至る処青山あり
あるとしたらそれは赤ちゃんだと思う。

今日は朝10時から僕を指名でご予約を入れて戴いたのが前の店で一緒に働いてたスタッフの旦那様。
電話でのご予約をオーナーが取ってくれたのですがその時に言ってくれてたのが「赤ちゃんが産まれたので見て下さい。」だったと言います。

産まれて1ヶ月半の可愛い赤ちゃん。
「田中さんに見てほしくて・・・」
本当に嬉しかったです。
抱っこさせてもらいながら何度も泣きそうになって。
「そっか、そっか君の赤ちゃんだな。可愛いなぁ。頑張って産んだんだなぁ。」

でもオレ、あんまちゃんとしてなかったんだけどなぁ。
って。
スタッフにも激しく怒鳴った事もしばしば。
頭ごなしに人格そのものを否定する様な酷い叱り方をした事もあったんじゃないか。

それが独立してからもこんな風に「赤ちゃんが産まれました」って見せに来てくれる子達の多い事。
勿論オーナーの元部下も多いんです。

本当に嬉しいです。
今日も赤ちゃんを抱っこさせてもらってたら駒田が「あ~あ、もう田中さん仕事やる気無くなっちゃったじゃないですか」と冗談めかして言ってくれてたっけ。

旦那様をカットさせて頂いてる時に「相当叱ったりしたんだけどこうやってきてくれると嬉しい」って言ったら
「いや、田中さんは優しかったっていつも言ってますよ」って言ってくれてまた泣きそうに。

ダメだって。
40歳になってまた更に涙腺弱くなってんだからよー。




負けなしの人生    (田中)

2007年07月14日 00時22分05秒 | 人間至る処青山あり
「お前、負けるなよ。」
もう20年来の友人にそう言われた。
何に?負けちゃいけないんでしょうか。
第一、「負けの無い」人生などないと思う。

まだ美容院で働きだして2年ほどの23歳。
当時働いてた美容院からNAKANOのパーマコンクールに出た事がある。
エントリークラスは三つ。
「ビギナー(見習い)」「インターン」「シニア」。
当然まだインターンまでも行ってないのでここは「ビギナー」でエントリーだろうと思ってたら先生が「あなたはシニアで出なさい。」とたった一言。
そんなバカな。
無理。
恥かいて終わりだろうって。

必死に懇願するも受け入れてもらえずに仕方なくシニアでエントリー。
もう寸暇を惜しんでトレーニング。
関西大会で大阪難波(だったと思う)のYMCA会館。
物凄い数の美容師が集まってくる。
大阪、奈良、兵庫、京都、滋賀、三重。
シニアクラスはもう30代~って感じの方ばかりで。

ここで僕は銅メダルを受賞する事になる。
もうすっかり有頂天。

が、この次の年がいけなかった。
前年で「ありえない快挙」があったので慢心。
スタッフがやめてしまって練習不足。
極度のプレッシャー。

当日は横になった方から「去年メダルもらった人ですよね?」の一言でもう緊張はピーク。
結果はもう無残なものでした。

謙虚にすれば良かったのでしょうか。
確かにそうです。
でも僕はあの時に「負け」て良かったと思ってます。

ここで話は冒頭の部分に。

「お前、負けるなよ。」
いや、そうじゃない。
咄嗟に返した言葉は
「俺だって負ける事もあるよ。お前だってそうだろ?」
「いや、俺は負けん。それにもし勝ち続ける事があるって知ったら?」
彼は某宗教団体の信者さん。(名前は伏せます。個人的には宗教観を持つ事は良い事だとも思ってます。)
どうにか僕を入信させようとしてくる。
もう随分前から。
「いや、負ける事もあるって、少なくとも俺は何度も負けてきたし。でもな、そんな時はお前が助けてくれればいい。お前が負けそうな時は俺が行くから。な?」

そいつは途端に口ごもる。

負けて良いんです。
負けを知る事は良い事なんです。

今、サラリーマンの方に「あなたは勝ち組ですか?」と質問すると「勝ち組です」と答える方が80%だと言います。
何処の世界に8割が勝ち組の国が。
そんな国、ありませんよ。

思うのですが「勝ち組」「負け組」ってのがそもそもいかんのではないかと思うんです。
人間は弱いもんです。

今朝の番組でもやってましたが子供達のいじめが携帯電話を使った非常に陰湿なものになってきたそうです。
匿名掲示板などを使って執拗に個人叩き。
直にいやがらせメール。
チェーンメールで「今度はあいつを。」

標的にされるのは「我慢強く」て「プライドの高い子」らしいです。
理由はお解りですよね。

だから。
「負ける事」は当たり前の事と子供達に教えるのは絶対に正しい事だと思うんです。
我慢しなくて良い事は我慢しなくても良いと言う当たり前の事。
泣きたい時は泣いていい。
親の前で。
友達の前で。
先生の前で。

「自分は負け組じゃない」なんて思う必要も無いし虐められてるからって「負けてる」って事じゃない。

弱い者を虐めるのはクズだし、そしてやっぱり負けない人生なんて無いし。

件の彼は鬱病になってしまいました。
完璧主義だったんです。(と職場でのパワーハラスメント)
3年社会復帰できませんでした。
今はどうにか社会復帰して元気でやってます。

別の友人は中学で先生をしてました。
とにかく優しくて頭の良い人でした。
父兄や生徒から虐められて鬱病になりました。
今も苦しんでる。

面白がって集団で虐めてる人に言いたい。
人、一人の人生を狂わせて楽しいか、と。

ふざけんな、だ。




皮膚のない裸群     (田中)

2007年07月04日 23時45分03秒 | 人間至る処青山あり
以前にも「うましめんかな」のエントリーを書いた事があります。

防衛相の「仕方がない」発言をことさら言うつもりはありません。
考え方は人それぞれです。
ただ最近は普通の(って言い方もおかしいですが)TNT爆弾と原子力爆弾の違いを解らない若い方も多いとお伺いします。
その破壊力、殺戮力、後遺障害(人、環境への)など圧倒的に原子力爆弾は恐ろしい兵器です。

あまり詳しくは書きません(ので興味のある方はご自分で調べてみて下さい)が戦争中において一般市民への殺戮行為(また一般的に兵士であっても白旗を揚げてる兵士は捕虜として扱う)は厳しく禁じられています。
ですが先の大戦で一瞬にして一般市民を何十万人も巻き込んだ原爆を使用されました。
阿鼻叫喚の図です。




以下山本 康夫氏の「皮膚のない裸群」です。

比治山麓の大きな防空壕には
皮膚のない裸群が
仰向いたり
うつ伏せになったり
あぐらをかいたりして
くちぐちに「水をくれえ」と叫んでいた
みんなまだ生きている

不規則なその叫びと呻きは
暗い奥のほうから出口にかけてみちみち
巨大な楽器のように
不気味なほうこうとなって鳴りひびいた

私と妻は
生きながら焼かれた愛児の裸体を
一枚の戸板にのせて
その裸体の中に運び込んだ

壕内では一人の軍医が死にかけた人たちに
油を塗ってやっている
「この子を、この子をどうかして下さい」
ようやく訪ね当てた救護所である
「この子を生かして下さい─」
「これもひどいなあ…」
軍医は赤黒くはれ上がった子供の背中や足に
鍋の中の油を布にひたして塗った

石榴のように裂けたまま
血液の最後の一滴まで
出尽くしている子供の大きな傷口を指すとそれくらいは放っておけばなおるよ、見ろ
俺は薬も包帯も持っていないといった
なるほど
その軍医も全身やけどの裸体である
私と妻は古仏のようによごれて
目玉ばかり光る軍医を拝んだ

ほんとうにこれで治るのであろうか
また戸板にのせて
「よかった、よかった」といいながら
その両端をつかんで引き返した

ああ親というものは何という馬鹿だろう
あんなむごいやけどと
あんな深い肉体の損壊が治るわけがない

その夜私の息子は
爆風でばらばらになった家の
がらくたの中で
原爆がきめた、残りわずかな時間だけ
燃えつきる蝋の火のように生きたえて
「お浄土には羊羹があるの?そしてお浄土には戦争はないね……」とつぶやいて
ぴくりと息を引きとった
十三年三ヶ月の可憐な生涯を─
あの軍医も間もなく死んだろう
あの暗い壕の中で叫んでいた
皮膚のない裸群も
みんなで死んでいったろう
戦争という人類の悪虐を呪いながら



個人的には「あの」発言はありえないです。
今も尚、苦しんでらっしゃる方も多いんです。

バンビーノ    (田中)

2007年06月20日 23時14分47秒 | 人間至る処青山あり
バンビーノってドラマを嫁が毎週観てます。
主演してるアイドルさんが好きみたいです。
さっきちらっと見たのですがバーのカウンターらしきところで先輩?らしき人から主人公が「仕事漬けの毎日は俺だったら嫌だ」みたいな事を言われてました。
「お前それでいいの?」って。
まぁドラマですから「それが正しい」って事になるんでしょうが。

自分が若い頃ってどうだったかなって思い出してみるとやっぱり働いてばかりだった様に思います。
朝8時半から夜の6時半ぐらいまで美容院。
仕事が終わってから10時ぐらいまでトレーニング。
10時過ぎから深夜営業のレストランでアルバイト。
睡眠時間は毎日4時間前後。
休みの日はほぼ毎日講習会で遊ぶ時間はほぼなし。
救い(?)なのはサラリーマンの経験が一年ある事でしょうか。
何となく「普通の人」の日常も知ってましたから。
それを知った上でのまるで荒法師の修行の様な毎日。

「お前それでいいの?」
やっぱり何度か言われたな。
それ以上に「頑張ってるよな」って言ってくれる人のが多かった。

でもね、ここで一番大事なのは自分がそれでも結構楽しんでた事ですね。
拙いながらも何度かの恋愛みたいな事も経験させてもらったりコンクールでメダルを頂いたり。
子供が大きくなったら胸を張って言えると思う。
「お父ちゃんの若い頃はな、忙しかったけど面白かったぞ~。」って。

我が師      (田中)

2007年04月09日 00時57分31秒 | 人間至る処青山あり
剣心会。
もう今は無くなってしまいました。
凄く小さい村の剣道の道場でした。
溝端先生の下数人の門下生から始まったその剣心会は年を追うごとに人数を増やしていきました。

全く怒らない先生でした。
先生は物凄く強かったです。
他の師範からも一目おかれておりました。

でも門下生には全く怒らなかったんです。
まるで我が子を愛しむ様に見つめてらっしゃったのを今でも憶えてます。
何かの大会で試合に初戦で負けてしまう。
末席を汚してたに過ぎない僕の実力ではそれが当たり前でした。

弱いくせに負けると落ち込む事だけは一人前。
僕のせいで負けたなんて事になったらそりゃあ余計に。

でも先生は誰に対しても怒らないんです。
一月500円の月謝でした。

落ち込む僕らを「頑張ったんだからご褒美だ」と遊園地に連れってくれましたっけ。
500円の月謝じゃ足が出ちゃってたはずです。
そんな師範の下、強くなった(僕は相変わらず弱いままでしたが)のは剣術だけではありませんでした。
言葉にすると途端に安っぽくなりますが「団結心」。
「挫けない心」。
「労わる気持ち」。

師から受け継いだ強い気持ちはいまだ失われてはおりません。
僕は何処の党も特に支持しておりませんしどの宗派にも属してはおりません。
今夜集まった剣心会の創設メンバーの殆どもそうでしょう。

漸く僕らの夢の第一歩を踏み出す事ができました。
本当に本当に協力してくれた方々には感謝の気持ちで一杯です。

師も遠くの空から見てくれてたはずと信じながら。

ヤッフ~~~~~~ッ!!   (田中)

2007年04月08日 00時52分46秒 | 人間至る処青山あり
去年も書きましたが・・・

もう一度同じ文章を。


2月のバレンタイン。
今まで過去最高に頂けたのが12年前でした。
はっきり憶えてるのは何故か?
嫁と結婚する前の年だからです。

自分的には「あ・り・え・ね――――――!!!!!」ってぐらいの勢いでした。
確か2~3日に分けて持って帰ったような。
何でか高校生の子達からも頂けたり。(それも手作り!!こりゃ嬉しかった)
いや、うらぶれたおっさんが酒の勢いを借りて昔の栄光(?)に妄想を交えて語ってる訳ではございませんです。

つきあってた嫁は持って帰ったチョコを見て大層驚いてました。
僕はもうその時既に心拍数は100ぐらいだったのですが如何にも平静を装って「いつもこれぐらいだけど?(さらに『何か?』を付けたいぐらい)」と。

それがですよ・・・・結婚した年。
いきなり0ですよ、お客さん。
泣きました、男泣きに泣きました。
厳密に言うと0ではなく、嫁さんとこのお母さんとか嫁さんとこのお姉さんとかあと(以下略

身内関係も嬉しいですよ~
でもね、でも・・・
やっぱ寂しいじゃないですか!(?)

そんな事をとあるお客様にお話してたらその方は「そうなの・・・?可哀想に・・・じゃあこれから私が毎年あげるから!」と仰って頂きました。

それから毎年、僕が独立してここにお店を出してからもず~っとその方は約束通り持ってきて頂くんです。

ってな事を去年も書いてたんですね。
で、今日(日付は昨日ですが)。

お持ち頂きました。。。。。。
正直、今年は諦めてましたです。
でもでもでも!
「本当は2月に持ってきたかったんだけどインフルエンザで倒れちゃってそれから忙しくて・・・」って!!

何でしょうか。
もう嬉しすぎて死にそうです。
仕事終わってから高笑いしました。
カンラカラカラって。

これも去年書きましたが、もう一度。
ここに田中の「2007年バレンタイン宇宙の旅」は大団円を迎える事となりました。
皆様、本当にありがとうございました。

ああ、それにしても。
幸せす。
僕に何が返せるのでしょうか。