こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
先日、何気なくテレビを見ていたら、その番組中に考えさせられる場面がありました。
ある問題についてコメンテーターの方が様々な意見を発言して議論する番組でした。その中の1人の方が「これはきっと、【いず的】なものだと思います」とコメントしました。
一瞬「?」となりましたが、話の流れからすぐに【意図的】であることはわかりました。共演している方々も私と同じような感覚になったのか、現場の空気が急に変わりました。それについて、ツッコンだ方がいいのかどうか、しかし発言したのはお笑い芸人さんでもない方ですし、ボケたわけでもありませんでしたので、ツッコまずに流した方がいいと判断を全員が選択したのでしょうが、一瞬異様な緊張感のある空気になっていました。見ている私も少しハラハラしました。
その後も司会者の人がその人にコメントを求めるときも、共演している方々が少し緊張している雰囲気になっていました。
「そうか、こんな感じになるねんな」と。友だち同士の集まりで、ワイワイしているときでなく、真面目な会議や話し合いのときに、こういう間違いをしてしまったら、周りの人はこれほど気をつかわなければならないんだな。そして、この言い間違いをしたコメンテーターの方の【いず的】以降の発言も、どこか説得力が欠けるように聞こえてしまうのです。おそらくこの方は、「意図的=いず的」とずっと勘違いしてこられたのでしょう。たった一言の勘違いですが、これによって印象がずいぶんと変わってしまいます。
だれにだって間違いや勘違いはあります。どちらかというと、私もあまり言葉を知らない方で、何度か恥ずかしい思いをしてきましたし、これからもするでしょう。何十年もこうだと信じてきたものが実は全然違っていたってことはよくありますよね。それこそ漢字の書き方や読み方なんてたくさんあると思います。このブログにだって、間違った言葉遣いをしているところが何か所もあるかもしれません。
ただそれを、公の場で言ってしまうと、周りの人に気を遣わせてしまったり、信頼をしてもらいにくくなったりします。
たとえば就職の面接の試験や討論の場で、このような間違いをしてしまったら、採用してもらいにくくなりますよね。「こんな言葉も知らないのか」と思われますので、やはり良い印象を与えることができません。そう考えると言葉をたくさん知っているというのは、とても強力な武器になりますよね。
棋士の藤井四段は、とても難しい言葉を使って表現されますよね。正直私にはわからないことが多いです(笑) この方と同じレベルになる必要はないでしょうが、やはり小・中学校で学ぶ言葉くらいは知っていた方が絶対に得をしますね。
テレビでのコメンテーターの方で、何かについて話をするときに、これでもかとばかりに英語を多用する人がいますよね。「そこは、わざわざ英語で言わなくても日本語でええやん」と思うときはよくありますが、ああいうのも1つの武器ですよね。一般の人にとっては、専門用語に聞こえて、専門家らしいと思わせることもでき、説得力が増しますよね。
学校でもそうですが、社会に出るとますます話す力というものが求められます。それは話し方というよりは、話す内容です。しゃべりのプロではないのですから、スラスラとたまに冗談を入れながら話す必要はありませんが、何を伝えたいのか、何を言いたいのか、それができないと社会に出てから苦労する場面が多くなります。そういった意味では、近年の子どもたちは心配です。本を読まない(マンガすら)、そして会話もしない。国語の読解ができていない子どもが増えてきているというニュースをよく目にしますが、読解というよりは、言葉そのものを知らない子どもが増加しているのでしょう。言葉を知らなく、そして会話にも慣れていないため、自分の気持ちや言いたいことをうまく相手に伝えることができなく、そして長い会話ができません。
普段からたくさん会話をするだけでも、言葉の使い方や、言葉の意味、そして何かを伝えるためにはどういう順序で話すのがよいのかを学べます。そして、勘違いしている言葉があれば、会話の相手がそれを注意してくれ、その場で正しい言葉を覚えることができます。確かに本を読むというのは、小中学生にとってはハードルが高いかもしれませんが、会話をすること、できるだけ友だち同士という同じレベルの人たちとだけでなく、両親など自分より言葉をよく知っている人との会話を続けるだけでも効果はずいぶんと現れると思います。子どもに「勉強しなさい」と勉強させることも大切ですが、もっと親子間での会話を重視するような生活も必要なのではないでしょうか。
ONE-SのHP
先日、何気なくテレビを見ていたら、その番組中に考えさせられる場面がありました。
ある問題についてコメンテーターの方が様々な意見を発言して議論する番組でした。その中の1人の方が「これはきっと、【いず的】なものだと思います」とコメントしました。
一瞬「?」となりましたが、話の流れからすぐに【意図的】であることはわかりました。共演している方々も私と同じような感覚になったのか、現場の空気が急に変わりました。それについて、ツッコンだ方がいいのかどうか、しかし発言したのはお笑い芸人さんでもない方ですし、ボケたわけでもありませんでしたので、ツッコまずに流した方がいいと判断を全員が選択したのでしょうが、一瞬異様な緊張感のある空気になっていました。見ている私も少しハラハラしました。
その後も司会者の人がその人にコメントを求めるときも、共演している方々が少し緊張している雰囲気になっていました。
「そうか、こんな感じになるねんな」と。友だち同士の集まりで、ワイワイしているときでなく、真面目な会議や話し合いのときに、こういう間違いをしてしまったら、周りの人はこれほど気をつかわなければならないんだな。そして、この言い間違いをしたコメンテーターの方の【いず的】以降の発言も、どこか説得力が欠けるように聞こえてしまうのです。おそらくこの方は、「意図的=いず的」とずっと勘違いしてこられたのでしょう。たった一言の勘違いですが、これによって印象がずいぶんと変わってしまいます。
だれにだって間違いや勘違いはあります。どちらかというと、私もあまり言葉を知らない方で、何度か恥ずかしい思いをしてきましたし、これからもするでしょう。何十年もこうだと信じてきたものが実は全然違っていたってことはよくありますよね。それこそ漢字の書き方や読み方なんてたくさんあると思います。このブログにだって、間違った言葉遣いをしているところが何か所もあるかもしれません。
ただそれを、公の場で言ってしまうと、周りの人に気を遣わせてしまったり、信頼をしてもらいにくくなったりします。
たとえば就職の面接の試験や討論の場で、このような間違いをしてしまったら、採用してもらいにくくなりますよね。「こんな言葉も知らないのか」と思われますので、やはり良い印象を与えることができません。そう考えると言葉をたくさん知っているというのは、とても強力な武器になりますよね。
棋士の藤井四段は、とても難しい言葉を使って表現されますよね。正直私にはわからないことが多いです(笑) この方と同じレベルになる必要はないでしょうが、やはり小・中学校で学ぶ言葉くらいは知っていた方が絶対に得をしますね。
テレビでのコメンテーターの方で、何かについて話をするときに、これでもかとばかりに英語を多用する人がいますよね。「そこは、わざわざ英語で言わなくても日本語でええやん」と思うときはよくありますが、ああいうのも1つの武器ですよね。一般の人にとっては、専門用語に聞こえて、専門家らしいと思わせることもでき、説得力が増しますよね。
学校でもそうですが、社会に出るとますます話す力というものが求められます。それは話し方というよりは、話す内容です。しゃべりのプロではないのですから、スラスラとたまに冗談を入れながら話す必要はありませんが、何を伝えたいのか、何を言いたいのか、それができないと社会に出てから苦労する場面が多くなります。そういった意味では、近年の子どもたちは心配です。本を読まない(マンガすら)、そして会話もしない。国語の読解ができていない子どもが増えてきているというニュースをよく目にしますが、読解というよりは、言葉そのものを知らない子どもが増加しているのでしょう。言葉を知らなく、そして会話にも慣れていないため、自分の気持ちや言いたいことをうまく相手に伝えることができなく、そして長い会話ができません。
普段からたくさん会話をするだけでも、言葉の使い方や、言葉の意味、そして何かを伝えるためにはどういう順序で話すのがよいのかを学べます。そして、勘違いしている言葉があれば、会話の相手がそれを注意してくれ、その場で正しい言葉を覚えることができます。確かに本を読むというのは、小中学生にとってはハードルが高いかもしれませんが、会話をすること、できるだけ友だち同士という同じレベルの人たちとだけでなく、両親など自分より言葉をよく知っている人との会話を続けるだけでも効果はずいぶんと現れると思います。子どもに「勉強しなさい」と勉強させることも大切ですが、もっと親子間での会話を重視するような生活も必要なのではないでしょうか。
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