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きなこのひとりごと

きなこの平凡且つ多彩な毎日・・・

精進落としとぎんなん基金

2008年08月03日 | チッチワールド
今日は、スペシャルに暑かったきなこんち界隈。
オットは、会社あげてのクリーン運動とかでどこぞの川原のお掃除お出かけになりました。
あっちぃ~のにご苦労さんなこってす。

>あー、あたしゃ主婦でよかったよかった。

オット達有志総勢約130名参加、会社の大型トラックが出動したり、お揃いの帽子(社名入り)を被ったり、
軍手まで会社カラーだったり、偉い人が首都高の事故渋滞にはまって挨拶に間に合わなかったり、
笑っちゃうくらいカンカン照りだったりと、結構楽しみながらお掃除をしてきたようです。
いい汗かいて帰ってきました。

みんなで力を合わせてひとつのことをやり遂げるって気持ちがいいものかもしれませんね。
ちょっとうらやましい感じさえしましたもの。
あっ!でも暑いの嫌いだし、虫アレルギーだから川原なんていけないし、
頭痛になりそうだから、もちろん私は遠慮しときますけどね。(* ̄m ̄)プッ

そして午後はといえば、まったりどっぷりパソコンメンテな我が家の日曜日でした。

そんなわけで、今日の記事は一週間ほど前のお話です。
どうぞお付き合いください。

7月28日、Fおばさまの告別式後、精進落としになめこそばいただきました。
とは、言っても勝手に食べただけ。
I伯母様がごちそうしてくださいました。

カニ棒があまりにもきれいに裂けていたので思わずカシャッ!


その日の夜は帰りが遅くなってしまったので最寄り駅でオットと待ち合わせ♪
オットのカニトマトクリームパスタセット
  

私のシュリンプアボカドサンドセットな精進落とし。
>精進落とし?まだゆうかっ?!
 



そうそう、これまたさらにずっと以前のこと。
実家の片づけをしていたとき母の車いす(新品)が出てきたので、市に寄付しました。
チッチ(父)が亡くなってからだったのですが、チッチの名前で手続きをしました。
そしたら、市の情報誌にちゃんと載せてくれてましたぁ~♪
同じ市内に住む、I伯母様が情報誌をチェックしてくださっていました。
ので、記念にカシャッ!

車椅子、皆さんで使っていただけると何よりうれしいね♪
チッチ、えらいね、良かったね(^-^)v

それにしても「にこにこ会」のアクリルタワシ100個って…。なに?

と、ちょっと以前のお話でした。
お付き合いくださってありがとさん♪
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お盆に寄せて

2007年08月20日 | チッチワールド
お盆帰省中とゆうもの、
ペルー地震も知らず、中居君と幸田さんのラブラブニュースも知らず、隣県で観測史上最高気温の記録が観測されていたことも知らず、千葉県地震も知らずと、何も知らないまま先週はお盆ウィークやってました。
新聞取ってないし、テレビ見てる暇なかったしで、すっかり取り残されてましたっけ。私ったら…。

そうです、そうです。
すんごい暑かったんです。
お隣さん県(自宅県だけど)で最高記録更新中とは露知らず、「エアコンが壊れてるんだわ。」とか、「ろうそくとお線香の熱だわ」とか、「人の出入りが多いからエアコンが効かないんだわ」とか、それはそれはもう汗だく。
お客様も汗だく…。ご住職も汗だく…。
申し訳ありませんでした。m(__)m

「真夏にお客様に汗をかかせるようなおうちってサイテー」が持論な私。
本当に心苦しくて、息苦しくて…。(あっ、それは暑いせいか…。)
それでもそれでも、エアコン最低の17度設定でフル運転。(ちっとも地球に優しくないし。)
全然効きやしない。
いえね、もうひとつ暑い原因があったんです。
盆提灯の数々が、過激ともいえるほどすっごい熱を発していました。
40Wの電球使用の提灯もありましたっけ。そんなに必要かっ?!
日没とともにどうにかエアコンが効いてくる始末、よくぞ無事だったと心から労っていただくに充分値する1週間でした。>ヲイ!

そんな暑い中ですのに、それはそれは沢山の方がお参りくださいました。
お陰さまで賑やかなお盆様を迎えることができました。
前の記事で、実家を取り壊す旨を記事にしましたら、それはそれは温かくお優しい慰めと励ましのコメントをたくさんいただきました。
ありがとうございます。
残された実家の時間、大切に使って行きたいと思っています。
本当にありがとうございます。


この先の記事は、お時間のある方だけお寄りください。
お盆様とゆうこともあり、ちょっとだけ思い出話をさせていただいてます。
お付き合いくださればうれしです。


では、コッホン!


まだまだ、何かにつけチッチのことを思い出す毎日が続いています。
今日はお散歩日和だとか暑くてダメとか、月が見えるだとか、チッチの好物の鮎の塩焼きやおうどんをいただくときとか、鳥がいたり、お花が咲いたり、それはそれは何かにつけ思い出すんです。

今日は、ふと、チッチが亡くなったときのことを思い出しました。

亡くなる前日の金曜日、私達姉妹はいつものように病院に詰めていました。
「もう長くはない。」とお医者様から聞いていたので、義兄も夕方には駆けつけました。
義兄の顔をみた父は、「○○さん(義兄の名前)…。」と、息の声でまるで確認するかのようにつぶやきました。
そして、さらに数時間後東京からオットが到着。
なんとか意識があるうちに会わせたいという私の思いと、仕事に追われるオット。
正直、このとき私とオットは喧嘩してました。
オットはチッチに会いたくないのだろうか?間に合わなくてもいいのだろうか?とさえ思いました。
それでもチッチは、オットの顔を見ると「○○さん(オットの名前)…。」と、息の声で確認してました。

子供がいない私達姉妹。
チッチは、娘達の連れ合いが来たことを確認してから混沌とした晩を迎え、翌土曜日の早朝、もうじき夜明けと言うときに私達4人に見守られ、静かに息を引き取りました。
まるで全員が揃うのを待っていたかのような旅立ちでした。
母が亡くなったのもみんなが揃っていた日曜日でした。
コントロールできることではないけど、ただの偶然ではないような気がするんです。
チッチにしても母にしても特別最期の言葉があったわけじゃないけど、娘たちが途方に暮れないように、オタオタしないように、みんなが慌てて飛んで来るような事がないように、全員が揃うまで待っていたような気がするんです。
生前からチッチも母もそうゆう人でした。

チッチの介護をしていたといっても、自分のことは自分でできたチッチ。
私がやっていた介護は見守り介護でした。
毎日、決まった時間に起こして、決まった時間に朝ごはん、お散歩に出して、お昼ご飯、お昼寝、午後のお散歩出して、夕方好きなテレビをつけてあげて、お夕飯、お風呂、ある程度の時間になったら就寝。
こんな毎日の流れを促してあげる日々でした。
これを5年間やったわけなのですが、寝たきりの方の看病をしたような介護とは程遠いものでした。

それなのに私、この5年の間、正直、チッチを愛おしいと思ったことないんです。
それどころかとっても記事になんて出来ないような思いの数々がありました。

よく世間では、介護生活を振り返った本が出版されていますよね。
そういった類の本を目にするたびに「この人、介護が終わったからこんなことが言えるのよ。」って思ったものです。
ホント、本当にその通りでした。
「さっすがあたしっ!」ってぐらいその通りでした。
終わったからこそ、気づく思いがあるんです。
イヤ正確には、終わってしまいそうなときになって気づくんです。

チッチの入院中に、眠っていたチッチの枕元でボロボロと泣いたことがあります。
いつの間にかチッチが目を覚まして、そんな私を不思議そうに見てましたっけ。
自分のことで泣いていると思ったかしら?姉妹喧嘩でもしたのかとでも思ったかしら?
チッチがどう思ったかはわからないけど、その涙を見たことでもうすぐくるチッチとのお別れを悲しんだこと、チッチに届いてくれていればいいなぁ~。なんて都合の良いように考えたりしています。
チッチと暮らした5年間の内にそんな愁傷な気持ちになれたことなかったんで、せめてね…。ちょっと虫が良すぎますかね。

チッチの新盆供養も済んで、普通ならひと段落といった頃なのでしょう。
チッチ、母と2人仲良くあの世に戻っていったことと思います。
それでも私は、まだまだ写真のチッチに話しかける毎日が続きそうです。
5年前の母のときと同じです。
母が亡くなったときのような思いは、チッチにはもてないだろうとずっと思ってました。
「愛おしいと思えない」と、嘆いたあの頃の分を取り戻すかのように愛おしんでいる今日この頃です。
もう、遅いのにね…。

「さて、今夜はおいしいお魚でも焼きましょうかね」と、チッチに話しかけながらお夕飯準備開始です。


とりとめのない長文記事でしたのに、最後までお付き合いくださってありがとうございました。
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おめでとう♪

2007年04月16日 | チッチワールド
今日はチッチ(父)のお誕生日です♪

「チッチ、75歳おめでとう♪」

今夜は、チッチの好物をお供えしてお誕生パーティーをしようと思っていたのに…。
(そうそう自宅にプチ祭壇奉ってます。四十九日までは悲しんでいてもいいかなぁ~。と思って…。)
で、お誕生パーティーの予定だったのに。
なのに、なのに、私、あえなく撃沈です(-_-;)
「調子わるぅ~、きぼぢわるぅ~。」なんです。

仕方ないから薬飲んで寝ます。
すぐに復活できそうなので私の心配はいらないのですが、
これを読んでくださった皆さま


「きなこチッチ、おめでとう♪」


と、唱えていていただければ(叫んでくださっても可)うれしいです。
よろしくお願いいたします、m(__)m
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お散歩

2007年03月31日 | チッチワールド
今日は、チッチ(父)のおはなしです。
長文になってしまいました。
お時間の空いたときにでもお付き合いください。


チッチはお散歩が好き。
自転車が好き。
山が好き、川が好き。
お花や小鳥が好き。
空が好き。
星や月が好き。
日中の白い月も好き。
きれいに光っているものが好き。
腕時計が大好き。

まだ元気でおうちにいる頃。
お散歩に行けない雨降りの日、お庭のウメモドキの木に緑色に小鳥が1羽、2羽、3羽…。
どどどーんと20羽ぐらい集まってきたっけね。
「お父さんがお散歩に行けないから来てくれたんだね。」って言ったら「うん」ってうなずいてずーっと眺めてたよね。
緑色の小鳥だからウグイスかと思ったけど(絶対違うからっ!私ってば)「“メジロ”だよ」って教えてくれたよね。
珍しい小鳥なのに、よく大勢で遊びに来てくれたね。
うれしかったね。
また来るかな。

そんなお散歩好きなチッチ。
入院中も車椅子で色んなところをお散歩したの。
チッチ、お散歩だけが楽しみだったから、お医者さんも看護士さんもとっても協力してくれたわ。
お天気が悪くて寒い日は、病室のある3階フロアを行ったり来たり。
談話室の窓から外を眺めるのと、3つ部屋お隣の伯母を訪ねるのが日課だった。
伯母は肺の病気を患っていて、静かにさえしていれば安定しているんだけど、ちょっとでも無茶をするとすぐに息切れがして具合が悪くなってしまうの。
3階フロアを歩く程度なら問題ないので、しょっちゅうチッチを訪ねてくださった。
もちろん私たちの良き話し相手にもなってくれていたの。
そうそう、伯母は夜、眠れなくてしょっちゅうトイレに起きていたらしいの。
その足でチッチの様子を看ていてくれたみたい。
お布団をかけたり話しかけたりしてくれてたの。
チッチ、夜も寂しくなかったと思うの。
偶然とはいえ、義姉に面倒看ていただけたなんて、チッチは本当に幸せよね。

で、お散歩の話に戻って。

チッチの入院した病院は、それはそれは敷地が広いの。
ちょっと都会では考えられないようなつくりなの。
なにしろお庭が森になっているんだから…。
チッチの具合が良くてお天気が良くて、おとこ手があるときに意を決してお外にお散歩にでかけてみたの。
2月、3月では考えられない春の陽気が続いた日だったわ。
久しぶりのお外にチッチ大喜び。
松ぼっくりを拾ったり、たんぽぽやつくしをみつけたり。
オットが車椅子を押して、「どっちに進む?」って聞くと、チッチ左を指差すの。
「はいはい、左ね」次は右を指差すの。
「はいはい、右ね」
って、言われるがままに進んできたら病院の裏門だよ。
そっか、おうちに帰りたかったんだね。
裏門を出て右に曲がって次を左に曲がったらおうちだもんね。
そうそう、病院は自宅からとっても近かったの。
それがなにより助かりましたわ。

まんまとチッチの策略にひっかかりそうになりながらも、チッチあえなく強制送還。
これがチッチ最後のお外散歩でした。
お部屋に戻ったチッチ、お外が気持ちよくて気分が変わったのか、私たちがちょっといない隙にベッドでヒゲを剃ってたっけ。
てっきり看護士さんに剃っていただいたのかと思ったら、自分の鼻を指差して「自分で剃ったんだよ。」ってゼスチャーしてたよね。
なんかかわいかったな。
その頃、すでに自分で起き上がることはできなくなっていたの。
たまたま充電が終わった髭剃り機を私が脇机に乗せてたのよね。
手が届いたのね。寝ながら剃ったんでしょ?
とってもきれいになってたわよ。
思わず、「えらかったねぇ~。」と滅茶苦茶褒めてあげちゃった。

その後も病院内でのお散歩でいろんな人と話すようになってお友達も沢山できたわ。
窓の外の蓑虫や蜘蛛もじっと見てたわね。
なんの変化もない毎日、お散歩中にカラスでもいいから大量に飛んでくれないかしらって思ったわ。
カラスは縁起が悪いなんて言っちゃいられなかったわ。
現にカラスだけはしょっちゅう顔を見せてくれたし。
入院生活も後半ごろになると、吸引のしすぎでチッチは喉を傷めてしまったの。
ほとんど声がでなくなって、うなずくか首を横に振るか、指をさすか。その程度の意思表示しかできなくなってたの。
それでもお外にカラスの姿をみつけると、指をさして教えてくれたわ。
もちょっといい鳥がきてくれると良かったんだけど、カラスも結構かわいいものだったわね。
そうそう、窓から見える日中の白いお月さまも眺めてたよね。
お月さまってきれいよね。
特に赴任地でみるお月さまが私は最高に好きなの。
私がお月さま好きなのは、チッチの血かしらね。

その他にも、病院の敷地内をマラソンしてる人、犬を散歩させてる人、自転車で近道に使ってる人、いろんな人を眺めてたよね。
散歩中の犬をみて私が「退院したら犬を買って。」って言ったら犬があまり得意でないチッチはちょっと渋い顔。
「じゃ猫を買って。」て言ったら「うん」ってうなずくチッチ。
「前うちにいた、きなこみたいな猫がいいなぁ、10万円くらいするんだけどいい?」と言ったら、また渋い顔になるチッチ。
「じゃ野良猫でいいや。」と言ったら、「うん」ってうなずく。
無事商談成立。
たまたまお見舞いに来ていてその話を聞いていた伯母が、早速子猫の絵本を数冊届けてくれたね。
伯母も辛かっただろうね。
どんな思いで本屋さんで子猫の絵本を選んでたんだろうと思うとかわいそうでね。
猫ちゃん、欲しかったよ。チッチ…。

喉を傷めてしまったチッチ。
普段でさえあまりしゃべらなかったのに益々口数が減ったの。
ある朝、いつものようにチッチのところに行くと一生懸命なにか言ってるの。
対外のことならわかるんだけど、このときだけは何としてもわからなくて、でもわかってあげたいし…。
紙とペンを持たせて書かせてみたの。
普段でも字なんて書かないのに。
「リツノ」
「????」
やっぱり書いてもわかんなかった。
でも懲りずにもう一度、書かせてみたの。
「ゾーリ」
「!!!」
「わかった!ぞうりね。スリッパのことね?」
「うんうん、スリッパあるよ。ベット脇の物入れにしまってあるよ。」
出してあげたらうなずくチッチ。
そっか!これがなきゃ、スリッパがなくちゃ歩いて帰れないもんね。
母が入院中、履物に拘っていたチッチ。
もうあぶないとゆうときに、母の履物を病院に持っていくんだと言ったチッチ。
もう歩くこともできない母を連れて帰りたかったんだよね。
そんなことがあったからチッチの履物への思いは、容易に伝わった。
その時からスリッパはチッチの目の届くとこに置いとくことにしたんだよね。
でもその後、スリッパ履けたんだったかしら。

チッチのこと、沢山の人が見舞ってくれたよね。
特にTちゃんはしょっちゅう見舞ってくれたね。
Tちゃんは車を買い替えたばかり。
その車を見せてもらおうと、帰り際ロビーまで送って行ったのよね。
窓ガラス越しに、Tちゃんが運転するエスティマを見送るつもりだったのよね。
ロビーで「バイバイ!」と別れてから、Tちゃんは駐車場に走っていったの。
車が通るほんの数分の間に、今まで会話していたチッチの足がガクッってなっちゃって…。
意識もなくなっていて、私、大慌てでチッチのことこっちの世界へ呼び戻したんだ。
「お父さん、お父さん」って頬っぺたたいてね。
短い時間だったんだろうけど、私には長く感じたわよ。
どうにか意識が戻って、「なんだろう?」って顔してたよね。
チッチ、その時どこに行ってたの?
何が見えてたの?
勝手に行っちゃダメじゃない。びっくりしちゃったわよ。
その後、周りにいた患者さんが看護士さんを呼んでくれて、急ピッチで処置室へ運ばれて処置が終わったら、ちょっと散歩のつもりで出かけきたのに重装備でお部屋に戻ったのよね。
それから酸素ボンベと仲良し生活になっちゃったのよね。
それでも懲りずに、翌日には酸素ボンベを車椅子に引っ掛けて、カラスを見に行ったよね。
看護士さんから、「遠くまで行っちゃダメよ。」って注意されながらね。
チッチ、本当にお散歩好きだったよね。
そうそう、入院する前も「ちょっと散歩してくる」つもりだったのよね。
そのまま、遠いところにお散歩に行っちゃったね。
あちこち寄り道しないで、おかあさんのところに行けたかしら…。
チッチ、マイペースだったから、ちょっとだけ心配よ。
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保健室登校

2007年03月28日 | チッチワールド
ずっとblogをお休みしていたのに、一昨日の記事にこんなに早くコメントがいただけるとは驚きです。
長いこと更新もしていないのに覗きにきてくださっていたんですね。
ひとりぼっちじゃないんだ。blogのお友達(勝手にお友達にしちゃってすみません)がこんなにいるんだ。って思えました。
とってもうれしかったです。
介護から葬儀、その他諸々でそれはそれは色んなことがありました。
人間不信に陥りそうにもなりました。
そんなときにこんな暖かいお言葉の数々、そりゃーもう泣けました。
本当にありがとうございます。m(__)m
いつも助けて頂いてばかりで申し訳ないです。
そんな思いもこめて大した介護記録ではありませんが、何かの参考にでもなればと思いちょっとだけ綴っていこうかなって思ってます。
チッチ(父)との思い出に、またお付き合い願えればうれしいです。

掲載写真は、病院内をお散歩中にひとやすみのチッチとオットです。
blogをやるようになってからデジカメを持ち歩くのが癖になっていたようで、気づいたらバックの中に入ってました。
お陰でお見舞いに来てくださった方たちとも沢山の思い出を残すことができました。


そんなわけで保健室登校編

チッチ(父)の病室はナースステーションのすぐ近くの4人部屋。
もちろん看護士さんがすぐに飛んでこられるように。
病室入り口のネームプレートには、全員赤ラベル付き。
赤ラベルは重症患者とゆうことらしい。

ちょっとココで病室のお仲間紹介

チッチの前の患者さんは、95歳の今朝道さん(95歳にしてはナウイ名前よね)
今朝道さんは、肺炎で入院されていて、その後歩けもしないのにどうゆうわけか足を骨折していたの。

斜め前の患者さんは、74歳のクマさん
クマさんは、糖尿病で肺炎になってあちこち合併症がでちゃったらしいの。
チッチが入院したときは危篤状態だったの。
でも間もなく生還。生還後は胃ろうにチャレンジしたの。
クマさんはチッチの家のご近所さんでもあるの。

そしてお隣の患者さんは、84歳の久野ちゃん
3ヶ月前に脳梗塞で倒れて、胃ろう処置やリハビリをしながら介護ホームの順番待ち中。

さっすが重症病室、みごとに全員寝たきり老人(チッチだけ若干若め)
そうそう、この部屋で自発的にナースコールをできる人は誰もいないの。

そして、偶然にも部屋3つ向こうにチッチの義姉入院中。
「似た人がパジャマ着て歩いてるなぁ~。」とボンヤリみてたらビンゴだった…。
チッチの義姉、私からすれば伯母なのでココからは伯母と表示。

と、簡単な(簡単じゃないか…。)お仲間紹介をしたけど…。
ご想像通り病室は、どよよ~んとグレーな雰囲気。
なにしろ皆さん、テレビさえつけられないんだから。(ナースコールができないんだから何もできなくても当たり前)

チッチを一人にするのが心配で、毎日、毎日朝から晩まで通い詰めた私たち姉妹。
看護士さんや他の患者さんの迷惑も顧みず、通いましたともっ!
チッチの残された時間に、できる限り付き沿ってあげたかったから…。

そこでこの4人部屋…。
実におもた~い空気…。
でもって突き刺さる視線…。

前の今朝道さんとお隣の久野ちゃん、私たちをガン見!
いつでもどこでも何をしててもガン見!
斜め前のクマさんは、瀕死状態なのでそれどころでなかった模様。
後半、クマさんも随分と元気になって(もちろん寝たきりだけど)アイコンタクトくらいは取れるようになったっけ。
で、久野ちゃんと今朝道さん、そこまでガン見されているくらいならと話しかけてみた。
二人とも上手に話すことはできないけど、意思の疎通はどうにかできる。
どうせ朝から晩まで一緒にいるんだからと、一体誰の付き添いだかわからないような「みんな仲良し介護生活」が始まった。

チッチ、認知症のせいで病院にいるとゆう認識が難しい。
私たちが帰るとき「お父さんも帰る」とゆう。
「お父さんはお熱があるから病院にお泊りよ。」とゆうと「ほっかぁ~。」(そうか)とゆう。
病室でテレビを見ていてもそれが終わると「さぁ~いんべ。」(さぁ行こう)と、どこか出先から家に戻るつもりでいる。
「まだ行かないよ。」と私たち。
それでもよく言い聞かせると駄々をこねるようなことはない。
「もう夜だから帰るよ。また明日の朝くるからね。」と言えば「うん」とうなずく。
その隙に私たちは帰るが…。
数分後にはココがどこだか、自分のおかれた状況が何なのかわからなくなっていること多々。
で、自分でベッドのサークルを乗り越えてベットから降りようとする。
体力も限界に来ているので歩くことも難しいのに。
どんな危険な状態にあっても、私たちが帰ってしまったあとのこの病室では誰ひとり危険を察知する人はいない。
看護士さんが見つけてくれて脱出失敗に終わる。
そして車椅子に乗せられてナースステーションに連行。
目が離せない患者さん、寂しがる患者さん達が一気に集うナースステーション。
そこで昼夜に渡って、看護士さんやお医者さんに可愛がっていただいている。
はじめのうち、そういったこともわからなくて、病室にチッチがいないことに驚いた私たち。
様態が急変したのかと慌てふためいたっけ。
他の小さい背中のお年寄りに混じって、チッチ、チョコンって座って、ナースステーションで看てもらってた。
それを保健室登校と呼んでいた私たち。
ナースステーションにチッチを引き取りに行きながら、あちこち病院内を散歩したんだ。

そうそう、同室のお仲間達も色々笑わせてもらったわ。
今朝道ちゃんは、医療器具を飴だと思って口に持っていってしまうの。
慌てて取り上げて、飴とチェンジ!
朝ごはんを食べたばかりなのに「お腹がすいたぁ~。」って騒ぐの。
「あと二時間待ってね。」とゆうと、「二時間?!待てねぇ~!!」と嘆くし。
私たちが席を外すと「どこに行ってきたの?」と聞くの。看護士さんたちに「自分の孫と勘違いしてるんじゃん。」と笑われたりね。(娘って言われないで良かった)
久野ちゃんには、どうゆうわけかすっかり気に入っていただいて、久野ちゃんが眠っているとき以外は、私ずっとガン見されたまま。
私がテレビを見てても、居眠りしてても背中に突き刺さる鋭い視線。(鋭くはなかったけど)
遠慮なく見つめていただきましたともっ!
久野ちゃんはお洒落で、鏡をみるのが好き。
看護士さんに訴えるんだけどわかってもらえなくて、いつも姉の手鏡を満足気に持ってたっけ。
家族には絶対に見せないとゆう笑顔を看護士さんと私たちには見せてくれたわ。(ご家族の方、そりゃ怒るよね。)

そしてチッチを含めた4人全員、最後の頃には「バイバイ」のお手ふりができるようになった。
もちろん私が教えたわけで…。
う、う、うれしかった…。

そんなこんなな入院生活、楽しいこと笑っちゃうこともいっぱいあったの。
文才がなくてうまく伝えられないけど、続き、また聞いてくださいませね。


もひとつ余談ですが、今さっきチッチ家ご近所のおじいちゃん(92歳)から携帯に連絡がありましたの。
チッチ家でとってもお世話になっていたおじいちゃん、何回教えても携帯かけられなかったのに、私を案じて連絡くださいました。
泣けました。うれしくて号泣しましたともっ。
おじいちゃんに「桜は咲いてるかい?」と聞かれました。
しばらくお外にも出かけてなかったけど、ベランダから見える桜の木がちらほらと咲き出してました。
いつの間にかすっかり春のきなこ家界隈でした。
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとね。
明後日、いくからね。
こちらに戻ってきても一番気になる存在です。
思い出しただけでも泣けちゃいます…。
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ありがとう。

2007年03月26日 | チッチワールド


3月17日早朝5時32分、夜明けを待つかのように父が永眠いたしました。
74歳でした。
ひと月先にお誕生日を控えての静かな旅立ちでした。

そして私の胸の奥には、ポッカリと大きな穴があきました。

父のこと、私のことをご心配くださり励ましのコメントをくださった皆様、毎日blogを覗いて気にかけてくださった皆様、心よりお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

チッチ(父)は、2月9日 自転車でのお散歩途中で具合が悪くなり、通りすがりの方が救急車を呼んでくださいました。
救急車を手配してくださった方、いまだにどなたかわからないままです。
お礼ができないままでいること大変心苦しく思っています。
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

チッチは、そのまま病院に搬送され処置をうけました。
この時点では嚥下障害で食べ物を摂ることがうまくできていなかったので、貧血、あるいは誤嚥による肺炎といった診断をうけると思っていたのですが…。

チッチ、末期の食道癌でした。

当初診断されていた嚥下困難、本当のところは癌が食道を塞いでいて食べ物が通過できないためでした。
その時点で胃カメラの写真をみせていただきましたが、胃の写真どころか食道が癌によって塞がっていて、その先にカメラが進めない状態でした。

治療法、まるでなし。

食道へのステント(無理矢理食道に筒状のものを通してそこから食物を胃に入れる)や高カロリー輸液の点滴など、お慰め程度の治療ともいえない処置の提案はありました。
が、それにともなうリスクはあまりにも大きくそれを受け入れることはできませんでした。
そして私たち家族が出した結論は、チッチが苦しむことなく痛むことなく穏やかに余命をおくらせるということでした。
口から食べ物を摂ることができないチッチにとって、それはまるで餓死することを待っているかのようでした。
毎日、最低の最低程度の点滴だけで元気がなくなっていく姿を目の当たりにしました。
担当医が数名いらしたのですが、途中、心無い医師は「まだ元気ですか…。」とおっしゃった方もいらっしゃいました。
もっとも一番面倒を見てくださったお医者様は、とても心優しくナイスガイな先生でしたけどね。(ナイスガイはどうでもいい?)
そうそうどうして最低の最低程度の点滴だったかというと、高カロリー輸液を点滴してしまうと体力がつくのとともに癌も成長してしまうらしいんです。
どっちみち治らない病気なのに体力だけ先行してしまえば、その分つらい病気と長い時間、戦わなければならないんです。
「生きていてくれさえすればそれでいい。」と、言うのは家族のエゴだとも言われました。
確かにもっともです。
チッチを病気と戦わせて、多少私と一緒にいる時間が増えたとしてもその時間はチッチにとってつらい時間以外の何者でもありません。
そんな無駄な苦しみをさせるより、チッチが逝ってしまったあと、残された私たちが悲しめばいいことなんです。
それだけでいいんです。
そんなわけで私たちは、チッチを病気と戦わせない選択をしました。

この選択にあたって、非常に悩みました。
今現在もこれでよかったのだろうかと自問自答の毎日です。
チッチ、幸いにも癌による痛みを訴えることは一度もありませんでした。
最期も眠るように安らかに「あっ!」という間の出来事でした。

「これで良かったんだ。私たちの選択は間違いではなかったんだ。」
いつかきっと、そんな風に思えるときがやってくると思います。


お父さん、長い間おつかれさまでした。
まだまだ悲しくて寂しくてつらくて泣いてばかりだけど、私の父親がお父さんで本当に良かったよ。
お通夜の席でのご住職のお説法の中で「(故人に)叱られたこともあったでしょう。それも今思えば~」とあったけど、私、叱られたことなかったよね。叱ったことはあったけど…。
私、とーっても可愛がられていたよね?
お父さんの中では、「私が一番!」だったでしょう?
子供の頃から私への溺愛ぶりは自他とも知るところだったものね。
晩年、父娘だけの生活ができたのも、きっとこうなることがわかっていた神様の思し召しだったのね。
文句も言ったりしてたけど、忙しくも楽しく充実した5年間だったわよ。
どうもありがとうね。
他の誰でもないお父さんの娘で本当に良かったよ。ありがとう。


そして、あなたへ。
長い間、介護とはいえ好き勝手している私を文句もいわずに見守っていくれてありがとう。
母の介護から始まっていたので結婚当初から普通の生活ってしてなかったよね。
あなたを少々問題の多い私の人生にすっかり付き合わせてしまったわね。
あなた自身が父親と呼ばれることができなかったこと、それにまつわる楽しみがないこと、将来の不安を抱えなきゃいけないこと、心苦しいことばかりです。
それでも結婚20年目にして今度こそ、ずっとそばにいることができそうです。
今までにそんな生活がなかったから慣れなくてお邪魔かもしれないけど、これからはずっとそばにいますね。
これからも仲良くしてね。
どうぞよろしく、そして本当にありがとうね。


そんなこんなで、blog再開です!

まだまだ書ききれないチッチのことも含めて、また追々に語らせてくださいませね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
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「ありがとう」の練習中

2007年01月19日 | チッチワールド
すっかりご無沙汰いたしました。
なんとか週末になりました。
明日やっと帰れます。

今週も何発のゲロをくらったことか…。(汚くてすみません)
チッチ(父)と私、ゲロまみれではありましたが、今週もどうにか無事クリアできそうです。

今週も毎日、毎日、食べることだけに心血を注いでまいりました。
なのに、なのに、なのに…。
なのに、世間様ったら…。
お見舞いを下さるんです。
食べられないチッチへのお見舞いにと、食べ物を…。( ̄⊥ ̄lll)

「だから喰えないっていってんだろうがっ!」と、何度切れそうになったことか…。

お気持ちは大変ありがたいのですがね、チッチはご飯を食べなきゃいけないんですよ。
ギリギリのキャパなのに、カステラやおまんじゅう、プリンやワッフルやケーキを喰ってる場合じゃないんですのよ。
炭水化物を摂らないとね、いけないんですわ。
それにチッチ、どうせ苦しんで食べるならおやつより食事のほうが好きだと思うんです。
仕方ないから、私が片っ端から食しましたわよ。
ご近所さんにもお手伝い願ったけど…。
昨日から私、甘いものしか食べてません。
ご飯が食べたい!おうどんが食べたい!ラーメンが食べたーい!ヾ(*`Д´*)ノ"

かわいそうだと思いつつも、チッチにもプリンをお手伝い願いました。
案の定、リバースの嵐…。
挙句の果てにお夕飯拒否!!
だよね…。
予想はしてたわよ…。
恨むならプリンを持ってきてくれたTちゃんを恨んでおくれ…。

「みなさ~ん!頼むよぉ~っ!食べ物持ってこないで・・・。」
(と、ココで叫んでみる)


そうそう今日の本題、「ありがとう」の練習中についてです。(≧∇≦)ъ


チッチには、マイナスの言葉もないけどプラスの言葉もありません。

マイナスの言葉とは、人を傷つけるような言葉。
今のチッチだとしたら
「お前が作ったメシが不味いから喰えねぇんだ!」的な言葉。

プラスの言葉とは、人を敬うような優しい言葉。
今のチッチだとしたら
「いつもすまないねぇ~。」的な言葉。

妙に例えが時代劇っぽいな…。
それはさておいて…。

昨日の朝、チッチに聞いてみましたの。

「毎日、ゲロ片づけをしている私をみてどう思う?悪いなぁ~、すまないなぁ~、とか思う?」って。

はい、実に愚問です。
こんなことを聞いてしまった自分の愚かさを悔やみましたわ。

チッチの答えは、そう、その通り。

「思わないよ。」と、なんの迷いもなく実にあっさり。しかも断言っ!!( ̄Д ̄;)

はい、予想通りでしたともっ!
別に気にしちゃいませんって。
むしろ見捨てやすいってゆうんですか…。
「見捨ててやるぅ~、ガルゥ~」(ガルゥ~って私は犬か?)と思いながら、かれこれ20年…。
どうやら私のほうが見捨てられていた模様です。ハイ!

「いかん、いかん!このままじゃいか~んっ!!」と、意を決して昨日から始まりました。
チッチ、「ありがとう」の練習です。

チッチはココ最近、私たち家族以外の方と接する機会が増えています。
今日も訪問看護師さんが来てくださいました。
そういったこともあって、誰にでも「ありがとう」と言えたらいいなって思い練習を始めた次第です。

あっ、昨日の朝の会話の続きなんですが…。
「思わないよ。」と言われて、もちろん、かる~くショックでしたわさ。
その後、さとしもしました。
「無料でゲロの片付けしてくれる人なんていないわよ。」と…。(さとしになってないかな?)
そして、もう一度問い直し。
「悪いと思う?思わない?」
さすがにチッチ、このままでは見捨てられてしまうかもと野生の感が働いたのか、即答「思うよ」と…。

一体どちらが馬鹿にされているんだか…。

とは、思いながら、「ありがとう」って言えたら、いや言ってもらえたなら、どれだけ救われるだろうと。
他の人にも「ありがとう」と言っているチッチを見てみたいなと、ただ今スパルタ教育中です。

「ありがとう」を催促する娘ってのも、どうかと思うけどね…。( ̄▽ ̄;)ゞ
コメント (6)
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チッチ(父)病院へ行く。

2007年01月12日 | チッチワールド
最近、チッチ(父)の具合が非常に悪くなり、次の病院予約日の25日を待てず、予約日を繰り上げていただき、昨日診ていただきました。
(昨日、私は赴任地日帰りの旅をして、姉と病院に付き添ってきました。)

残念ながら嚥下障害自体の治療法はなく、それにまつわるさまざまなこと(食事形態や生活環境)を見直していくとゆうことになりました。

昨日、まず病院でお医者様の診察があり、次にソーシャルワーカーさんとの面談。
そこで今後のことを含めた考えを聞いていただき、帰宅後ケアマネージャーさんとの話し合いとゆうことになりました。

チッチの場合、とりあえず自分の口で食べられるだけ食べるということを前提に、今後、お医者様、ソーシャルワーカーさん、ケアマネジャーさん、私たち家族でプランが組まれてゆきます。
もちろん、「胃ろうはしたくない、家にいたい。」という本人の希望からです。

私が赴任地勤務をするようになってから5年。
ケアマネジャーさん、我が家の介護体制に大変驚いておられました。
それでも今までは、赴任地での自由な時間があったのですが、これからは難しくなってきそうです。
新たな戦いの始まりかもしれません。
これからが本当の介護になると思います。

そういったわけで、このblogの更新も不定期になってしまうと思います。
コメントのお返事が遅れたり、皆さんのblogに訪問できなかったりといったこともあるかとは思いますが、どうか温かい目でみてやっていただければうれしいです。

なんて、書いといてスタバ記事とか載せてるかもしれないけどね。
本当にそんな風になることが、ささやかな願いです。
まさに未知の世界ですが、頑張ります。

そうそう、昨日ケアマネージャーさんがチッチに、
「今一番困っていることは何ですか?」と、聞きました。
おそらく「食べられないこと」とゆう答えを期待した質問だと思います。
なのにチッチったら元気よく、
「お金!!」って…。
そ、そ、そうかい?困ってるんかい?知らなかったよ、初耳だよ。
と、大爆笑の私たち姉妹。
ケアマネージャーさんに年金の給付金まで申告したチッチ。
(認知症でも分からなくならない得意な分野があるんです。
チッチの場合、数字に強いんです。金額とか時計とかね。
もちろんすべてがあってるわけでもありませんがね。)

ケアマネージャーさんに、
「私のお給料よりいっぱいいただけてるから心配ないわよ。」といわれてひと安心したようです。

まぁ、こんな感じで真っ暗な世界ではないので大丈夫です。
コメント (16)
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チッチ(父)のその後

2007年01月05日 | チッチワールド
今さっき、チッチ(父)の病状について長々と打っていた記事が、木っ端微塵に消えました。|i|i|_| ̄|○|i|i|

信じられねぇー!!(`□´)≡3 プンスカ。

きっと、「記事にするな!」とゆう神様の思し召しでしょう。
確かに「ちょっとまずいかな」ってことも書いてました。

ただ、ひこととだけ。

最近チッチの病状が悪化していることに間違いはありません。
どういった形が本人にとって一番幸せなのかと、模索する毎日です。
今はチッチ、「どんなに苦しくても家にいたい。」と、思っていると思います。
チッチの場合、意思表示も難しいのですがね。
病院と家、まさに究極の選択です。
そんな選択、できませんって…。
家族全員葛藤の日々です。
コメント (20)
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体調

2007年01月03日 | チッチワールド
本日のチッチ(父)ちょっとひどいです。

私も眠れるときに寝ちゃいます。

おやすみなさい。
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今日の記事

2006年12月20日 | チッチワールド
日付が変わるまであと10分…。
あら?今日の記事、書いてなかったわ。

えーっと、今日は母の父方の従兄弟の弔問に行ってきました。
って、私が行っても先方さん、ぜーったいわからないって。
伯母に「いくべきよ。」みたいに言われたから行ったけど、そうゆうのってかなり困る…。
伯母、チッチ(父)にお留守番をさせることを心配していたみたいだけど、だったら誘わないでちょーだいな。
でも、伯母、ひとりで行くの寂しかったのね、きっと。

まぁ~、お付き合いしてさしあげましたわ。

チッチもちゃんとお留守番できてました。
時間がきたら水戸黄門様のテレビも見てましたし。
良かった、良かった。

でもね、チッチ。
私の帰宅後、えらーく時間が経ってから「○○さんから電話があったよ。」って思い出すのやめてくんない?
もちょっと前に思い出して欲しかったよ。
まぁ~、思い出しただけえらいけどね。

お留守番、よくできました。
おりこうさんです。
コメント (2)
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♪人生楽ありゃ苦もあるさぁ♪

2006年12月19日 | チッチワールド
チッチ、たった今ご就寝

チッチ今日は、大好きなお散歩(午後の部)をお休みしたせいか、幾分咳き込みとタンがマシなようです。
やっぱり外気に触れるのはよくないのねぇ~。
隠れてタバコも吸ってるみたいだし…。
大好きな喫煙とお散歩、させてあげたいんだけどねぇ~。

ここ数日、チッチのゲロちゃんが激しくて、すぐにキャッチするべくへばりついていました。
すぐキャッチできないと後片付けがひと苦労なもので…。
(きちゃなくてすみません。)
きちゃないついでに、それをキャッチする容器、買っちゃいました。
病院などで見かけたことあるかと思いますが、ビーンズ型(とゆうか落花生型みたいな)でピンクの容器です。
写真を載せる気にはなれないけど…。
あれは、優れものです。
あのカーブ、あの深さ、あの傾斜、よく考えられた構造です。ブラボー!です。

それはともかく、

ゲロキャッチ待機のお陰で、寅さんのVTRにお付き合いしたり、水戸黄門さまの印籠に「はっはぁ~。」とかやって頭を下げたり(下げてないし)。

人生楽ありゃ苦もあるさぁ~

って…。

『苦』しかないや~い!!

なんてほざいてみたり…。

そんなこんなでやっと自由時間と思いきや…。
知人が「PCの使い方わかんなーい。年賀状がつくれないのぉ~。」って電話してくるし…。
再びそんなこんなでやっと自由時間。ただ今22時40分…。

人の年賀状の世話をしてる場合じゃないわ。
今の隙に年賀状の宛名書きしなきゃ

あれ?
「ゴホゴホ、ゲー!!」って、隣室で私を呼んでるわ…。
「ゴホゴホ、ゲー!!」は、最近の私の呼び名みたい…。
コメント (4)
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チッチ(父)ワールド

2006年12月18日 | チッチワールド
今までこのblogでは、あまり触れないようにしてきたチッチ(父)のこと、これからは記していこうかなって思えるようになりました。

ここで、カテゴリーに“チッチワールド”新設です。

どうして突然そんな気になったかといいますと…。

遡ること一ヶ月前、それはチッチの体調不良(ゲロちゃん)からはじまりました。
毎日のように病院通いをして、それはそれは色々と調べていただいて、それでも埒が明かなくて、そしてやっと辿りついた答えがありました。

血管性脳障害による嚥下困難。

血管性脳障害、痴呆症、認知症、脳溢血、脳梗塞、パーキンソン病、チッチに一度は付けられたことのある病名です。
脳障害は、病名の見極め、分類が非常にわかりにくく、ひとくくりの病名で片付けられない病気だということです。
(もちろんこの話については、チッチに限ってのことですので、他の患者さんについてはその限りではありません。)

いわゆる“ボケ”です。

私、“ボケ”という言葉は好きではありません。
この言葉って、優しさがないような気がするんです。
私の周りでも、チッチに対してこの言葉を使う方がいます。
チッチに対しても、対外的にも、この言葉を使う方に優しい人はいません。
もちろん普段の冗談で使うのとは、全く違います。
ちゃんとした人に「大ぼけね」と言う事とは違うんです。
本人に言っても洒落にもなりませんし。
とにかく、“ボケ”と言う言葉を使う人は嫌いです。
(“ボケ”なんだから仕方ないと思うようにしてるけど…。)
「じゃ、何て言えばいいの?」とお思いのあなた、「認知症あるいは痴呆症」でお願いします。
“ボケ”は、病名ではないので…。

それはともかく…。

今回下された診断の、血管性脳障害による嚥下困難について。

脳の萎縮により、食べ物を飲み込むために必要な筋肉等の運動を指令する司令塔が、麻痺してしまうということです。
もちろん今までも色んな司令塔が麻痺してきました。
記憶だったり、計算だったり、手足の動きだったり、考え方だったりと、少しずつ少しずつ進んできていました。
そこで今回の嚥下困難です。
嚥下困難は、血管性脳障害でも末期の症状だそうです。
ここまでくると、後は坂道を転がるように病状は悪化するそうです。
今まで、よく普通の生活ができたものだとも言われました。
施設入居も勧められましたしね。(コレは、かなりのダメージでしたわ)

今日は、義兄の名前を「安西さん」と言いました。
全然「安西さん」なんていう名前じゃありません。
もっともチッチ、オットのことも義兄のことも、苗字しか知りません。
名前なんて、はるか彼方に忘れてしまったようです。
それでも今までは、ちゃんと苗字は言えてたんです。
私が「○○さんでしょ。」と促せば、「あっ!そうだった。」とは言います。
が、しかし、きっとそれは病気のチッチにとってはつらいことなのかもしれません。(気持ち的にじゃなくてね)
チッチの脳がそう思っているのに、そのことを反論されるわけですからストレスになるかもしれません。
普通の人だって、反論されたらむかつきますよね?
それと同じことかもしれないって思います。

血管の障害は、いつどこの司令塔をダメにするかわからないそうです。
それが明日なのか、1週間後なのか、一ヵ月後なのか、1年後なのか。
どちらにしても「末期症状である。」と言われてしまった現在、チッチのやってきたこと、これからのことを残していくのもいいかなって思えてきました。
介護生活が、ただただ悪い思い出だけにならないように、この5年間を無意味なものでなくするために、チッチの事いいことも思い出せるように、そしてチッチの病気の進行の記しにもなるように。
そんな思いで、介護生活暴露します。

今回の診断について、正直かなりのショックはありましたが、でもでも私は大丈夫です。
病気の進行状況を聞いたことによって、チッチのすることがすべて病気のせいだと思えるようになりました。

これから介護認定を受ける予定です。
残念ながらかなり高レベルが狙えそうです。(お医者様談)
そんなにまで重症患者を看ている私たち(姉妹)ってすごいと思いました。
が、それより、そんなにまで重症患者なのに普通の生活を送っているチッチは、さらにさらにすごいと思います。
こんな思いもココで残していくつもりです。

どうかみなさん、温かい目でお付き合いくだされば幸いです。
コメント (10)
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