きなこのひとりごと

きなこの平凡且つ多彩な毎日・・・

お散歩

2007年03月31日 | チッチワールド
今日は、チッチ(父)のおはなしです。
長文になってしまいました。
お時間の空いたときにでもお付き合いください。


チッチはお散歩が好き。
自転車が好き。
山が好き、川が好き。
お花や小鳥が好き。
空が好き。
星や月が好き。
日中の白い月も好き。
きれいに光っているものが好き。
腕時計が大好き。

まだ元気でおうちにいる頃。
お散歩に行けない雨降りの日、お庭のウメモドキの木に緑色に小鳥が1羽、2羽、3羽…。
どどどーんと20羽ぐらい集まってきたっけね。
「お父さんがお散歩に行けないから来てくれたんだね。」って言ったら「うん」ってうなずいてずーっと眺めてたよね。
緑色の小鳥だからウグイスかと思ったけど(絶対違うからっ!私ってば)「“メジロ”だよ」って教えてくれたよね。
珍しい小鳥なのに、よく大勢で遊びに来てくれたね。
うれしかったね。
また来るかな。

そんなお散歩好きなチッチ。
入院中も車椅子で色んなところをお散歩したの。
チッチ、お散歩だけが楽しみだったから、お医者さんも看護士さんもとっても協力してくれたわ。
お天気が悪くて寒い日は、病室のある3階フロアを行ったり来たり。
談話室の窓から外を眺めるのと、3つ部屋お隣の伯母を訪ねるのが日課だった。
伯母は肺の病気を患っていて、静かにさえしていれば安定しているんだけど、ちょっとでも無茶をするとすぐに息切れがして具合が悪くなってしまうの。
3階フロアを歩く程度なら問題ないので、しょっちゅうチッチを訪ねてくださった。
もちろん私たちの良き話し相手にもなってくれていたの。
そうそう、伯母は夜、眠れなくてしょっちゅうトイレに起きていたらしいの。
その足でチッチの様子を看ていてくれたみたい。
お布団をかけたり話しかけたりしてくれてたの。
チッチ、夜も寂しくなかったと思うの。
偶然とはいえ、義姉に面倒看ていただけたなんて、チッチは本当に幸せよね。

で、お散歩の話に戻って。

チッチの入院した病院は、それはそれは敷地が広いの。
ちょっと都会では考えられないようなつくりなの。
なにしろお庭が森になっているんだから…。
チッチの具合が良くてお天気が良くて、おとこ手があるときに意を決してお外にお散歩にでかけてみたの。
2月、3月では考えられない春の陽気が続いた日だったわ。
久しぶりのお外にチッチ大喜び。
松ぼっくりを拾ったり、たんぽぽやつくしをみつけたり。
オットが車椅子を押して、「どっちに進む?」って聞くと、チッチ左を指差すの。
「はいはい、左ね」次は右を指差すの。
「はいはい、右ね」
って、言われるがままに進んできたら病院の裏門だよ。
そっか、おうちに帰りたかったんだね。
裏門を出て右に曲がって次を左に曲がったらおうちだもんね。
そうそう、病院は自宅からとっても近かったの。
それがなにより助かりましたわ。

まんまとチッチの策略にひっかかりそうになりながらも、チッチあえなく強制送還。
これがチッチ最後のお外散歩でした。
お部屋に戻ったチッチ、お外が気持ちよくて気分が変わったのか、私たちがちょっといない隙にベッドでヒゲを剃ってたっけ。
てっきり看護士さんに剃っていただいたのかと思ったら、自分の鼻を指差して「自分で剃ったんだよ。」ってゼスチャーしてたよね。
なんかかわいかったな。
その頃、すでに自分で起き上がることはできなくなっていたの。
たまたま充電が終わった髭剃り機を私が脇机に乗せてたのよね。
手が届いたのね。寝ながら剃ったんでしょ?
とってもきれいになってたわよ。
思わず、「えらかったねぇ~。」と滅茶苦茶褒めてあげちゃった。

その後も病院内でのお散歩でいろんな人と話すようになってお友達も沢山できたわ。
窓の外の蓑虫や蜘蛛もじっと見てたわね。
なんの変化もない毎日、お散歩中にカラスでもいいから大量に飛んでくれないかしらって思ったわ。
カラスは縁起が悪いなんて言っちゃいられなかったわ。
現にカラスだけはしょっちゅう顔を見せてくれたし。
入院生活も後半ごろになると、吸引のしすぎでチッチは喉を傷めてしまったの。
ほとんど声がでなくなって、うなずくか首を横に振るか、指をさすか。その程度の意思表示しかできなくなってたの。
それでもお外にカラスの姿をみつけると、指をさして教えてくれたわ。
もちょっといい鳥がきてくれると良かったんだけど、カラスも結構かわいいものだったわね。
そうそう、窓から見える日中の白いお月さまも眺めてたよね。
お月さまってきれいよね。
特に赴任地でみるお月さまが私は最高に好きなの。
私がお月さま好きなのは、チッチの血かしらね。

その他にも、病院の敷地内をマラソンしてる人、犬を散歩させてる人、自転車で近道に使ってる人、いろんな人を眺めてたよね。
散歩中の犬をみて私が「退院したら犬を買って。」って言ったら犬があまり得意でないチッチはちょっと渋い顔。
「じゃ猫を買って。」て言ったら「うん」ってうなずくチッチ。
「前うちにいた、きなこみたいな猫がいいなぁ、10万円くらいするんだけどいい?」と言ったら、また渋い顔になるチッチ。
「じゃ野良猫でいいや。」と言ったら、「うん」ってうなずく。
無事商談成立。
たまたまお見舞いに来ていてその話を聞いていた伯母が、早速子猫の絵本を数冊届けてくれたね。
伯母も辛かっただろうね。
どんな思いで本屋さんで子猫の絵本を選んでたんだろうと思うとかわいそうでね。
猫ちゃん、欲しかったよ。チッチ…。

喉を傷めてしまったチッチ。
普段でさえあまりしゃべらなかったのに益々口数が減ったの。
ある朝、いつものようにチッチのところに行くと一生懸命なにか言ってるの。
対外のことならわかるんだけど、このときだけは何としてもわからなくて、でもわかってあげたいし…。
紙とペンを持たせて書かせてみたの。
普段でも字なんて書かないのに。
「リツノ」
「????」
やっぱり書いてもわかんなかった。
でも懲りずにもう一度、書かせてみたの。
「ゾーリ」
「!!!」
「わかった!ぞうりね。スリッパのことね?」
「うんうん、スリッパあるよ。ベット脇の物入れにしまってあるよ。」
出してあげたらうなずくチッチ。
そっか!これがなきゃ、スリッパがなくちゃ歩いて帰れないもんね。
母が入院中、履物に拘っていたチッチ。
もうあぶないとゆうときに、母の履物を病院に持っていくんだと言ったチッチ。
もう歩くこともできない母を連れて帰りたかったんだよね。
そんなことがあったからチッチの履物への思いは、容易に伝わった。
その時からスリッパはチッチの目の届くとこに置いとくことにしたんだよね。
でもその後、スリッパ履けたんだったかしら。

チッチのこと、沢山の人が見舞ってくれたよね。
特にTちゃんはしょっちゅう見舞ってくれたね。
Tちゃんは車を買い替えたばかり。
その車を見せてもらおうと、帰り際ロビーまで送って行ったのよね。
窓ガラス越しに、Tちゃんが運転するエスティマを見送るつもりだったのよね。
ロビーで「バイバイ!」と別れてから、Tちゃんは駐車場に走っていったの。
車が通るほんの数分の間に、今まで会話していたチッチの足がガクッってなっちゃって…。
意識もなくなっていて、私、大慌てでチッチのことこっちの世界へ呼び戻したんだ。
「お父さん、お父さん」って頬っぺたたいてね。
短い時間だったんだろうけど、私には長く感じたわよ。
どうにか意識が戻って、「なんだろう?」って顔してたよね。
チッチ、その時どこに行ってたの?
何が見えてたの?
勝手に行っちゃダメじゃない。びっくりしちゃったわよ。
その後、周りにいた患者さんが看護士さんを呼んでくれて、急ピッチで処置室へ運ばれて処置が終わったら、ちょっと散歩のつもりで出かけきたのに重装備でお部屋に戻ったのよね。
それから酸素ボンベと仲良し生活になっちゃったのよね。
それでも懲りずに、翌日には酸素ボンベを車椅子に引っ掛けて、カラスを見に行ったよね。
看護士さんから、「遠くまで行っちゃダメよ。」って注意されながらね。
チッチ、本当にお散歩好きだったよね。
そうそう、入院する前も「ちょっと散歩してくる」つもりだったのよね。
そのまま、遠いところにお散歩に行っちゃったね。
あちこち寄り道しないで、おかあさんのところに行けたかしら…。
チッチ、マイペースだったから、ちょっとだけ心配よ。

記念すべき第一弾弁当

2007年03月29日 | お弁当
あの~、
突然ですが、今週からオットのお弁当を作り出しました。
大したお弁当ではないけど、恥ずかしながらUPします。
何しろお弁当作りははじめての経験なので、アドバイスをいただけたらうれしいです。
どうぞよろしくお願いします。


<記念すべき第一弾弁当>
(いつまで続くか心配だぁ~。せめてランチボックス代の元だけはとらねば!)

おかず紹介
・ひじきご飯
・ブロッコリー
・肉団子
・卵焼き
・ホタテとしめじのソテー

保健室登校

2007年03月28日 | チッチワールド
ずっとblogをお休みしていたのに、一昨日の記事にこんなに早くコメントがいただけるとは驚きです。
長いこと更新もしていないのに覗きにきてくださっていたんですね。
ひとりぼっちじゃないんだ。blogのお友達(勝手にお友達にしちゃってすみません)がこんなにいるんだ。って思えました。
とってもうれしかったです。
介護から葬儀、その他諸々でそれはそれは色んなことがありました。
人間不信に陥りそうにもなりました。
そんなときにこんな暖かいお言葉の数々、そりゃーもう泣けました。
本当にありがとうございます。m(__)m
いつも助けて頂いてばかりで申し訳ないです。
そんな思いもこめて大した介護記録ではありませんが、何かの参考にでもなればと思いちょっとだけ綴っていこうかなって思ってます。
チッチ(父)との思い出に、またお付き合い願えればうれしいです。

掲載写真は、病院内をお散歩中にひとやすみのチッチとオットです。
blogをやるようになってからデジカメを持ち歩くのが癖になっていたようで、気づいたらバックの中に入ってました。
お陰でお見舞いに来てくださった方たちとも沢山の思い出を残すことができました。


そんなわけで保健室登校編

チッチ(父)の病室はナースステーションのすぐ近くの4人部屋。
もちろん看護士さんがすぐに飛んでこられるように。
病室入り口のネームプレートには、全員赤ラベル付き。
赤ラベルは重症患者とゆうことらしい。

ちょっとココで病室のお仲間紹介

チッチの前の患者さんは、95歳の今朝道さん(95歳にしてはナウイ名前よね)
今朝道さんは、肺炎で入院されていて、その後歩けもしないのにどうゆうわけか足を骨折していたの。

斜め前の患者さんは、74歳のクマさん
クマさんは、糖尿病で肺炎になってあちこち合併症がでちゃったらしいの。
チッチが入院したときは危篤状態だったの。
でも間もなく生還。生還後は胃ろうにチャレンジしたの。
クマさんはチッチの家のご近所さんでもあるの。

そしてお隣の患者さんは、84歳の久野ちゃん
3ヶ月前に脳梗塞で倒れて、胃ろう処置やリハビリをしながら介護ホームの順番待ち中。

さっすが重症病室、みごとに全員寝たきり老人(チッチだけ若干若め)
そうそう、この部屋で自発的にナースコールをできる人は誰もいないの。

そして、偶然にも部屋3つ向こうにチッチの義姉入院中。
「似た人がパジャマ着て歩いてるなぁ~。」とボンヤリみてたらビンゴだった…。
チッチの義姉、私からすれば伯母なのでココからは伯母と表示。

と、簡単な(簡単じゃないか…。)お仲間紹介をしたけど…。
ご想像通り病室は、どよよ~んとグレーな雰囲気。
なにしろ皆さん、テレビさえつけられないんだから。(ナースコールができないんだから何もできなくても当たり前)

チッチを一人にするのが心配で、毎日、毎日朝から晩まで通い詰めた私たち姉妹。
看護士さんや他の患者さんの迷惑も顧みず、通いましたともっ!
チッチの残された時間に、できる限り付き沿ってあげたかったから…。

そこでこの4人部屋…。
実におもた~い空気…。
でもって突き刺さる視線…。

前の今朝道さんとお隣の久野ちゃん、私たちをガン見!
いつでもどこでも何をしててもガン見!
斜め前のクマさんは、瀕死状態なのでそれどころでなかった模様。
後半、クマさんも随分と元気になって(もちろん寝たきりだけど)アイコンタクトくらいは取れるようになったっけ。
で、久野ちゃんと今朝道さん、そこまでガン見されているくらいならと話しかけてみた。
二人とも上手に話すことはできないけど、意思の疎通はどうにかできる。
どうせ朝から晩まで一緒にいるんだからと、一体誰の付き添いだかわからないような「みんな仲良し介護生活」が始まった。

チッチ、認知症のせいで病院にいるとゆう認識が難しい。
私たちが帰るとき「お父さんも帰る」とゆう。
「お父さんはお熱があるから病院にお泊りよ。」とゆうと「ほっかぁ~。」(そうか)とゆう。
病室でテレビを見ていてもそれが終わると「さぁ~いんべ。」(さぁ行こう)と、どこか出先から家に戻るつもりでいる。
「まだ行かないよ。」と私たち。
それでもよく言い聞かせると駄々をこねるようなことはない。
「もう夜だから帰るよ。また明日の朝くるからね。」と言えば「うん」とうなずく。
その隙に私たちは帰るが…。
数分後にはココがどこだか、自分のおかれた状況が何なのかわからなくなっていること多々。
で、自分でベッドのサークルを乗り越えてベットから降りようとする。
体力も限界に来ているので歩くことも難しいのに。
どんな危険な状態にあっても、私たちが帰ってしまったあとのこの病室では誰ひとり危険を察知する人はいない。
看護士さんが見つけてくれて脱出失敗に終わる。
そして車椅子に乗せられてナースステーションに連行。
目が離せない患者さん、寂しがる患者さん達が一気に集うナースステーション。
そこで昼夜に渡って、看護士さんやお医者さんに可愛がっていただいている。
はじめのうち、そういったこともわからなくて、病室にチッチがいないことに驚いた私たち。
様態が急変したのかと慌てふためいたっけ。
他の小さい背中のお年寄りに混じって、チッチ、チョコンって座って、ナースステーションで看てもらってた。
それを保健室登校と呼んでいた私たち。
ナースステーションにチッチを引き取りに行きながら、あちこち病院内を散歩したんだ。

そうそう、同室のお仲間達も色々笑わせてもらったわ。
今朝道ちゃんは、医療器具を飴だと思って口に持っていってしまうの。
慌てて取り上げて、飴とチェンジ!
朝ごはんを食べたばかりなのに「お腹がすいたぁ~。」って騒ぐの。
「あと二時間待ってね。」とゆうと、「二時間?!待てねぇ~!!」と嘆くし。
私たちが席を外すと「どこに行ってきたの?」と聞くの。看護士さんたちに「自分の孫と勘違いしてるんじゃん。」と笑われたりね。(娘って言われないで良かった)
久野ちゃんには、どうゆうわけかすっかり気に入っていただいて、久野ちゃんが眠っているとき以外は、私ずっとガン見されたまま。
私がテレビを見てても、居眠りしてても背中に突き刺さる鋭い視線。(鋭くはなかったけど)
遠慮なく見つめていただきましたともっ!
久野ちゃんはお洒落で、鏡をみるのが好き。
看護士さんに訴えるんだけどわかってもらえなくて、いつも姉の手鏡を満足気に持ってたっけ。
家族には絶対に見せないとゆう笑顔を看護士さんと私たちには見せてくれたわ。(ご家族の方、そりゃ怒るよね。)

そしてチッチを含めた4人全員、最後の頃には「バイバイ」のお手ふりができるようになった。
もちろん私が教えたわけで…。
う、う、うれしかった…。

そんなこんなな入院生活、楽しいこと笑っちゃうこともいっぱいあったの。
文才がなくてうまく伝えられないけど、続き、また聞いてくださいませね。


もひとつ余談ですが、今さっきチッチ家ご近所のおじいちゃん(92歳)から携帯に連絡がありましたの。
チッチ家でとってもお世話になっていたおじいちゃん、何回教えても携帯かけられなかったのに、私を案じて連絡くださいました。
泣けました。うれしくて号泣しましたともっ。
おじいちゃんに「桜は咲いてるかい?」と聞かれました。
しばらくお外にも出かけてなかったけど、ベランダから見える桜の木がちらほらと咲き出してました。
いつの間にかすっかり春のきなこ家界隈でした。
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとね。
明後日、いくからね。
こちらに戻ってきても一番気になる存在です。
思い出しただけでも泣けちゃいます…。

ありがとう。

2007年03月26日 | チッチワールド


3月17日早朝5時32分、夜明けを待つかのように父が永眠いたしました。
74歳でした。
ひと月先にお誕生日を控えての静かな旅立ちでした。

そして私の胸の奥には、ポッカリと大きな穴があきました。

父のこと、私のことをご心配くださり励ましのコメントをくださった皆様、毎日blogを覗いて気にかけてくださった皆様、心よりお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

チッチ(父)は、2月9日 自転車でのお散歩途中で具合が悪くなり、通りすがりの方が救急車を呼んでくださいました。
救急車を手配してくださった方、いまだにどなたかわからないままです。
お礼ができないままでいること大変心苦しく思っています。
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

チッチは、そのまま病院に搬送され処置をうけました。
この時点では嚥下障害で食べ物を摂ることがうまくできていなかったので、貧血、あるいは誤嚥による肺炎といった診断をうけると思っていたのですが…。

チッチ、末期の食道癌でした。

当初診断されていた嚥下困難、本当のところは癌が食道を塞いでいて食べ物が通過できないためでした。
その時点で胃カメラの写真をみせていただきましたが、胃の写真どころか食道が癌によって塞がっていて、その先にカメラが進めない状態でした。

治療法、まるでなし。

食道へのステント(無理矢理食道に筒状のものを通してそこから食物を胃に入れる)や高カロリー輸液の点滴など、お慰め程度の治療ともいえない処置の提案はありました。
が、それにともなうリスクはあまりにも大きくそれを受け入れることはできませんでした。
そして私たち家族が出した結論は、チッチが苦しむことなく痛むことなく穏やかに余命をおくらせるということでした。
口から食べ物を摂ることができないチッチにとって、それはまるで餓死することを待っているかのようでした。
毎日、最低の最低程度の点滴だけで元気がなくなっていく姿を目の当たりにしました。
担当医が数名いらしたのですが、途中、心無い医師は「まだ元気ですか…。」とおっしゃった方もいらっしゃいました。
もっとも一番面倒を見てくださったお医者様は、とても心優しくナイスガイな先生でしたけどね。(ナイスガイはどうでもいい?)
そうそうどうして最低の最低程度の点滴だったかというと、高カロリー輸液を点滴してしまうと体力がつくのとともに癌も成長してしまうらしいんです。
どっちみち治らない病気なのに体力だけ先行してしまえば、その分つらい病気と長い時間、戦わなければならないんです。
「生きていてくれさえすればそれでいい。」と、言うのは家族のエゴだとも言われました。
確かにもっともです。
チッチを病気と戦わせて、多少私と一緒にいる時間が増えたとしてもその時間はチッチにとってつらい時間以外の何者でもありません。
そんな無駄な苦しみをさせるより、チッチが逝ってしまったあと、残された私たちが悲しめばいいことなんです。
それだけでいいんです。
そんなわけで私たちは、チッチを病気と戦わせない選択をしました。

この選択にあたって、非常に悩みました。
今現在もこれでよかったのだろうかと自問自答の毎日です。
チッチ、幸いにも癌による痛みを訴えることは一度もありませんでした。
最期も眠るように安らかに「あっ!」という間の出来事でした。

「これで良かったんだ。私たちの選択は間違いではなかったんだ。」
いつかきっと、そんな風に思えるときがやってくると思います。


お父さん、長い間おつかれさまでした。
まだまだ悲しくて寂しくてつらくて泣いてばかりだけど、私の父親がお父さんで本当に良かったよ。
お通夜の席でのご住職のお説法の中で「(故人に)叱られたこともあったでしょう。それも今思えば~」とあったけど、私、叱られたことなかったよね。叱ったことはあったけど…。
私、とーっても可愛がられていたよね?
お父さんの中では、「私が一番!」だったでしょう?
子供の頃から私への溺愛ぶりは自他とも知るところだったものね。
晩年、父娘だけの生活ができたのも、きっとこうなることがわかっていた神様の思し召しだったのね。
文句も言ったりしてたけど、忙しくも楽しく充実した5年間だったわよ。
どうもありがとうね。
他の誰でもないお父さんの娘で本当に良かったよ。ありがとう。


そして、あなたへ。
長い間、介護とはいえ好き勝手している私を文句もいわずに見守っていくれてありがとう。
母の介護から始まっていたので結婚当初から普通の生活ってしてなかったよね。
あなたを少々問題の多い私の人生にすっかり付き合わせてしまったわね。
あなた自身が父親と呼ばれることができなかったこと、それにまつわる楽しみがないこと、将来の不安を抱えなきゃいけないこと、心苦しいことばかりです。
それでも結婚20年目にして今度こそ、ずっとそばにいることができそうです。
今までにそんな生活がなかったから慣れなくてお邪魔かもしれないけど、これからはずっとそばにいますね。
これからも仲良くしてね。
どうぞよろしく、そして本当にありがとうね。


そんなこんなで、blog再開です!

まだまだ書ききれないチッチのことも含めて、また追々に語らせてくださいませね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。m(__)m