表千家一期一会

一休寺・虎丘庵


京田辺市にお住まいの社中の方から
一休寺の中にある通常非公開のお茶室が
12月3日までの期間限定で拝見できるとお聞きして
昨日のお稽古が終わった後
夫を誘って早速出かけてきました


実家の父が元気だった頃
両親と一緒に来た時も
紅葉が美しい季節だったなあと
ふと懐かしく思いました



庫裏にて
「お茶室の拝見の予約をした原田です」と
伝えて少し待っていたら

黒い衣に茶色の袈裟をつけた
細面のご住職が現われて
小さな声で「どうぞ...」とだけ仰って
どんどん歩いていかれるので
夫と二人で
あわててついていきました



庫裏を出て
左手の木戸を開けて
中に入れていただきました




虎丘庵

室内に上がって座ると
ご住職が一休寺の沿革から
このお茶室の由来
そして茶道の歴史まで
蕩々とお話し下さいました

その内容の豊富さと
正に立て板に水のごとく
あふれる勢いでお話しされる様子に
感動しながら
私は全神経を耳に集中して
拝聴しておりました


虎丘庵は
茶室といっても
私達が今日言うような
お茶だけをするために造られた
建物というわけではありません


ご存知のように
一休宗純は千利休より以前の
室町時代に生きた人ですから
ここは一休さんが晩年に暮らした庵でありまして
炉の切ってある部屋と
他に水屋となっている二畳ほどの部屋と
三畳の小部屋から成っていました


この庵には
能の金春禅竹など当時の文化人が集い
言わば文化サロンのような
場所でもあったということです




六畳の部屋に入って右を向いて座ると
向かって右側には床の間があり

左側には境内の杉の木で造られた一休像が
安置されていました

その間には
書院窓が開けられ
目の前には梅の古木があって
その奥の塀越しに
一休さんが生前に建てたという
墓所が見えました



「虎丘」という
庵号の由来をお尋ねしましたところ

これは本来は「くきゅう」と読み
一休さんが師とあおぐ禅僧の名であったとのこと

そして
この虎丘庵に住む一休のもとを
佗茶の祖でもある奈良の僧・村田珠光が
度々訪れ
庭は珠光の作であるとも教えて下さいました


帰宅して
あらためて検索してみましたら

一休宗純が
村田珠光に印可の証として与えたという
『与虎丘紹隆印可状』
(くきゅうじょうりゅうにあたう いんかじょう)
という墨蹟が
現在東京国立博物館に所蔵されているそうです


これは中国宋代の禅僧・圜悟克勤(えんごこくごん)が
弟子の虎丘紹隆という人に与えた印可状で
茶道において非常に尊重され
日本に伝わる最古の墨跡となっている物だそうです


それでは
その印可状が手渡された場所が
もしかすると
この「虎丘庵」だった・・・!?

なんだか時空を超えて
大きな歴史の一場面に遭遇したような
興奮を覚えます!


そう言えば
今日のご住職のお話の中に
こんな逸話がありました

一休禅師が村田珠光にお茶を点てて出した時
珠光がお茶碗を手に取って
飲もうと思ったその瞬間・・・
一休が如意棒でお茶碗をたたき割った~!!!

(なんで??。。。)

その瞬間
珠光は悟りを得た!…



虎丘庵のお床にかかっていた兜ィは

 「喫茶去」 ご住職筆

その前に
如意棒が置かれていたのは
そういう意味だったのでしょうか。。。





再び庫裏に戻って
ご住職とお話しさせていただきながら
お菓子とお抹茶を頂戴しました


お菓子は 「通無道」


ツウ・・ム(ナイ)・・ドウ?



漫画の一休さんが

「ぶはははっ!
逆立ちして読んでみなされ」




なるほどね!

奈良の萬々堂さんが
米粉を油で揚げた「ぶと饅頭」から
ヒントを得て
一休寺納豆をあしらって作られた
いわゆる

「ドーナツ」

なんだそうです


『円相』に見立てて?


ハイさすが一休さんでございます・・・!(^^)!



方丈の庭より

右手の奥に
檜皮葺の丸みを帯びた虎丘庵の屋根が見えます


一休禅師は
63歳から亡くなる88歳までの晩年
この地を好んで過ごしたと伝わります





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