曙会での懸釜が
ひと月後にせまり
いよいよ緊張が増して参りました
社中の皆さんも
3年ほど前の懸釜のことを
思い出しながら
また今回初めてお手伝いに加わる方も
当日の役割を意識しつつ
日々お稽古に励んで下さっています
そんなお弟子さん達との会話の中で
「大寄せ茶会」について
あらためて考えることが多くなり
今一度
いわゆる「大寄せ」について
私見をまとめてみたくなりました
ご存じのように
茶の湯の正式なもてなしとは
数人までの客を招いて
約四時間にわたって催す
『茶事』のことをさします
また茶事を簡略化して
数人から十数人の方を招く
「茶会」を開くやり方は
工夫すれば色々あると思います
それら比較的少人数のお茶会に対し
『大寄せ茶会』とは
数十人から時には数千人にも及ぶ
大人数を対象にしたお茶会のあり方と
考えてよいのではないかと思います
このようなお茶会では
席主が招待した客だけではなく
席主とは面識のない参加希望者が
集うことになります
そして
正客と次客くらいまでは
席中のお点前で点てられたお茶を
いただきますが
残りの客は皆
「点て出し」のお茶をいただくことになります
秀吉の催した北野の大茶会は
大寄せ茶会の始まりともいえますが
それ以降このような形式の
「大寄せ茶会」は
近年までなかったのではないでしょうか
歴史を紐解くと
明治13年(1880)に
北野神社で初めての「献茶」が行われました
続いて
明治19年(1886)に北野大茶の湯三百記念の献茶
明治23年(1890)に利休三百年忌茶会
明治31年(1898)に豊太閤三百年祭
といった大きなお茶会が催されたそうです
一方
明治29年(1896)には大師会
大正4年(1915)には光悦会
といった数寄者を中心にした
大きなお茶会が発足しています
そして昭和11年(1936)の
北野大茶の湯
利休三百五十年忌
を経て
昭和15年(1940)の
利休三百五十年法要茶会では
大徳寺山内七カ所に茶席が用意され
五千人以上の参加客で賑わったのだそうです
(参考:「よくわかる茶道の歴史」淡交社)
「茶の湯」
とは似て非なる
「大寄せ茶会」
その功罪について
私なりに考えてみたいと思います
賛否両論あることかとは思いますが
ご興味のある方は
一緒にお考えいただけたら幸いです