〈リバイバル・アーカイブス〉2022.6.13~7.3
原本:2020年2月7日
2020.1.31. 12:54 近鉄桜井駅
駅前に前方後円墳のモニュメントがあります。これはきょう行く箸墓古墳をモデルにしたものだそうです。
こう見るときれいな造形ですね。前方部が4段、後円部5段の築造(諸説あり)で最下段に葺石が並べられています。本来は全長278m、古墳時代前期(3C中)の山のように巨大な前方後円墳です。
「ヤマト王権発祥の地」とシティセールスされ、纏向(まきむく)遺跡の掘立柱と思われる柱群、そして「卑弥呼の里」と書かれた卑弥呼さまが出迎えてくれます。
「卑弥呼」のお店
JR万葉まほろば線(桜井線)の三輪駅の待ち合わせ
奈良行きと和歌山行きの電車。去年導入されたかっこいい新造車両のワンマンカーです。
13:19 大神(おおみわ)神社の大鳥居
高さ32mの日本一の大鳥居です。鋼板で作られています。
三輪山を背景にするとこんな感じの大きさです。
三輪山は大神神社のご神体で、左右対称の三角のきれいな稜線で目立ちますね。
ちなみに、富田林市にある式内社の美具久留御魂神社(喜志の宮)本殿の背後の山も、神奈備山と呼ばれ、ご神体山で人々から崇敬されてきました。
この大神神社と美具久留御魂神社はご神体山の共通点のほか、祭神が大神神社が大物主大神(大国主神(おおくにぬしのかみ)の和魂(にぎみたま))、美具久留御魂神社は美具久留御魂大神(大国主神)を主祭神としている点が合致しています。
また、大神神社は北緯34度31分43.5秒、美具久留御魂神社は北緯34度31分4.72秒とほぼ同緯度に位置し、しかも太陽の道に位置しています。
太陽の道は私の富田林百景+ 「 太陽の道 美具久留御魂神社 」を見てください。
不思議な一致ですね。
大鳥居横の和菓子の老舗 白玉屋榮壽の大和棟風建物。名物のもなか「みむろ」が有名。
「みむろ」は三輪明神 大神神社の御神体山 三諸山(みむろやま)から命名されました。
13:25 最初の目的はここです。きょうは纏向遺跡に行くつもりなので、まずここで下調べです。
項目別によく整理された館内。パネルや写真も併用して、遺物の展示だけに終わらない分かりやすい解説がされていました。
このインパクトのある仮面は有名ですね。なんと木鍬の再利用やそうです!
これも作る過程が説明されていました。
きょうの目的の一つ纏向遺跡 辻地区検出の大型建物群の模型。現地の柱だけでなくこのような縮小模型があるととても説得力があります。
辻地区の掘立柱跡は初期ヤマト王権の都宮と目されています。
2時間も居てしまった。15:17
16:04 来ました!「昼は人が造り、夜は神が造った」とされる箸墓古墳。
前方部の拝所
宮内庁の陵墓指定され、「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓に治定されています。
三輪山を背景に、その存在を誇る箸墓古墳。
後円墳側から見た箸墓古墳。遠くに耳成山と、かすむ金剛山。
16:37 巻向駅に着きました。纏向遺跡はすぐそこ...
纏向遺跡 辻地区の大型建物群
遺跡の中心と考えられる辻地区では、3~6世紀の遺構が見つかりました。初期ヤマト王権の都宮跡と目されています。
そのうち、大型建物など3棟に当時と同じ合計65の柱を立て、掘立柱跡がイメージできるように仮整備が平成30年になされました。
直径30cmを越える太い柱(主柱)は3世紀前半の当時国内最大の建物跡と考えられています。その大きさは、南北19.2m×東西12.4m、床面積約238㎡(72坪)。
卑弥呼のいた時代と一致するため、邪馬台国の宮殿跡と比定する説もあります。
箸墓の横を走るJR万葉まほろば線(巻向駅南)
三輪山を背景にして、箸墓近くの桜井市箸中地区の太神宮灯籠と石碑群。
17:35 日が落ちて、薄暗がりの中の箸墓と遠くの二上山。
17:16 この姿は時を越えてずっと変わっていません。
17:09 そして、この二上山の夕焼けを卑弥呼は見ていたかもしれません。
関連記事:二上山の夕焼け-崇神陵より 2020.1.23.
二上山の夕焼け-景行陵より 2020年1月28日
撮影:2020年1月31日
2020年2月7日(HN:アブラコウモリH )
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