土屋龍一郎のブログ

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98/2/20 表参道

2008-02-20 00:24:33 | Weblog
善光寺に通じる「中央通り」は、このオリンピックを境に「表参道」という名称が使われ出した。
もはや、まちの中央の位置づけだけでなく、善光寺への表参道として連日、東京都内のような、いや言い過ぎかな、軽井沢のようなにぎわいだった。ここら辺の商店街は「長野銀座商店街」という。銀座だからな。

このビルは、昭和37年に建てられた由緒あるビルだ。
オリンピック期間中は、天下のIBMが1Fから4Fまで借り切ってオフィスにしていた。
1Fは、訪れた人のためにIBMがその場で撮影した顔写真をすり込んだ、オリジナルメモリアルIDカードを作ってくれた。
初日にその話を聞いたときに「そんな企画、受けるのかな?」などとみんなで噂していた。
が、2日目からこれを注文する人の長蛇の列ができて、「2時間待ち」とか、ディズニーランド状態であった。
ビルオーナーでさえ、もらえなかった。
列になって並ぶなんてあり得ない長野市民をこんなにトリコにした、やっぱり天下のIBMだった。

98/2/20 MEDALS

2008-02-20 00:20:20 | Weblog
表彰式会場では、木曽伝統の漆塗りのメダルが用意された。
厳重に厳重に管理されていたので、もちろん手にとって見たり勝者のようにかじる真似などしてはいけない。 が、目に焼き付けることはできた。たまたま、事務局で点検中に居合わせたので、写真だけ撮らせていただいた。
これらは、われわれの中でも、もっとも細かい作業にうるさくてきちんとしていてミスなど犯せば泣いてしまうような人物がふさわしいと考えて慎重に人選した。
その結果満場一致で A先輩に決まった。
感激屋のA先輩は、日本がメダルを獲得すると、ぽろぽろと涙を流しながらメダルの準備をして、日本国歌が流れて国旗が掲揚されるとまた大泣きしていたとのことだ。
人選は間違っていなかった。

また、国旗を掲げたのは長野のボーイスカウトの諸君である。
どんな大雪でも大雨でも、連日整然と、黙々と段取りのリハーサルを欠かさなかった。
そのおかげで、完璧な、美しい掲揚が行われたのだ。
それぞれ長さの違う国歌にあわせて掲揚を始め、音楽終了と当時に旗がポールの最上段まで上り詰める。
小中学生・高校生たちの気迫のこもった、すごい職人芸であった。