土屋龍一郎のブログ

土屋龍一郎のブログです。

ANIMAL RESCUE 長野から日本の海を綺麗にする

2021-06-07 07:00:31 | Weblog

 最近、ハマっている動画サイトのカテゴリーがあります。「ANIMAL RESCUE」(生き物を救う)というタイトルで紹介されているサイトです。

 これは、人間の廃棄したゴミや海に放置されたワイヤーや釣り糸によって自由を奪われている自然界の動物たちを、ボランティアや通りかかった人々が救う動画です。例えば廃棄された釣り糸が首に絡まったアザラシをその場で捕まえて複雑に絡まった釣り糸を切って海に戻しています。何年もロープが絡まって甲羅が変形してしまったウミガメを解放する動画などです。人工的なものに嘴を突っ込んでしまいエサを取れなくなって衰弱した鳥たちはじめ、ここに大写しにされた動物が画面の向こう側から、こういった人工物を廃棄している私たちに

「人間ども、何やってくれとんじゃ!」

と訴えているように見えます。

 長野市のある高校生Y.K君を紹介します。
 彼は、江ノ島が大好きな青年ですが海岸沿いのゴミを見て決意しました。海に浮かぶゴミの80%が上流から流れてくるゴミであることを知り、「海なし県の長野のゴミ拾いをすることで日本の海を綺麗にしよう!」と。Y.K君は毎日の通学路をゴミ拾いして、休日には市内各地のゴミを拾って回っていました。それを知った同級生や賛同する他の高校生が、いつの間にか自分たちの周りのゴミ拾いをはじめ、そのネットワークはどんどん広がりました。彼らは、「ゴミ友」ネットワークを作り、ネット上でシンポジウムを開催しました。私はオブザーブ参加しましたが、驚いたことにゴミ友ネットワークは九州の高校生まで広がり、シンガポールや香港からの参加者もいました。

 私はそのweb上のシンポジウムに非常に刺激を受けました。「シンポジウムを受けて今日から何をしますか?」という主催者の問いかけに対して私は「今日から備蓄を除いて水をペットボトルで買わない。」ことを決めました。長野市の水道水はとても美味しいです。20年前まで、日常的に飲み水を買うという行為はありませんでした。個人として自主的に環境改善への努力をいたします。
 「ゴミ友」の一人である高校生N君は、「高校でSDG’sについて学ぶ授業に嫌気がさしている。もう仕組みを学んでいる場合じゃなくて実践ACTIONを起こさなくては2030のゴールにまにあわない」と言っています。

 そのほかにも、企業ではすでに営利のみを追い求める企業よりもどのような社会的貢献をしているかが問われています。
 さらに、政治による環境変化を起こすことも重要だと考えています。個人が自主的に取り組むだけでは動かせない課題も、行政主導で解決できることがあると思います。
 規律を重んじる長野市民による、より良い地域づくりが日本国の、そして地球の環境変化を起こす波になると思います。

高校生Kさんからの手紙;選挙年齢について考える

2021-05-10 06:55:17 | Weblog


高校生Kさんからの手紙
 「すでに判断能力があるという理由もあって、選挙権が18歳からに改正されました。私は、むしろ高速道路を逆走する高齢者の判断能力の方が問題あると思います。高齢者の選挙権の年齢は改正されなくても良いのでしょうか?」

 長野市内の高校生Kさんから学校の先生を通じて私に上記のような質問メールが来ました。

 さらにKさんは、「免許証の返納制度があるように、投票権の返納制度を法制化したら良いと思います。」と続きました。私は、この問いかけにガチンコで応じようと決めて、1週間の時間をもらったのちに、Kさんからの問いかけに答えました。

 「18歳が妥当かどうかは別として、一般的にこの年齢までは憲法および少年法の庇護のもとにあります。したがってこの年齢までは国の方向を左右する選挙への投票権はないと考えます。しかし義務教育期間を過ぎたのちに国民は労働力としてまた納税等を通じて社会参加をします。この社会参加を前提として選挙権があると考えます。どの年齢になってもそれまでの社会参加の一つの形態として選挙に関わる権利を認められるのです。その権利は終生失われることはないと思います。したがって、高齢者の判断能力を判定したり年齢制限をすることは権利を侵害する行為ではないでしょうか。」

 「また、Kさんの提案する選挙権の返納制度には矛盾があります。運転免許の返納は、『自分が運転することで社会に迷惑をかけてしまうから返納する』という、いわば社会への責任感の表れです。しかし、選挙権の返納は『自分はこれ以降の社会へ関わりません』という責任の放棄の表れです。したがってこの二つの返納の立つ理由は全く逆のものですから、運転免許の返納制度に倣って選挙権の返納制度を制定するというのは考え方に矛盾があります。」と答えました。

 Kさんは、1時間以上にわたるzoom面談の末に「大変よくわかりました!でも今後はこのことは将来に向けて考えなくちゃならなくなると思います。私はさらにこの自分の提案について考え続けて、またご相談させていただきます。」と頼もしい反応をいただきました。

 考える時間の中でたくさんに方々にご意見を伺いました。半数の方は投票権返納制度に賛同し、半数は反対の考え方でした。(一部の方は「若いやつに何がわかる!」と激怒!)

皆さんは、どう考えますか?

クローンは本物か

2021-04-13 00:20:04 | Weblog
2021年4月に開館した「長野県立美術館」で開催された「未来につなぐ~新美術館でよみがえる世界の至宝 東京藝術大学スーパークローン文化財展」を観てきました。
 (長野市が感染警戒レベル5に指定されていた影響もあってか、1時間の滞在中は自動的にソーシャルディスタンスを保ちました!)
 法隆寺の釈迦三尊像をはじめ、いくつかの歴史的な絵画や彫刻がアナログ技術とデジタル技術を駆使して再現されていました。


 それは見事なものでした。特にメインとなる法隆寺の釈迦三尊像は、現在の姿のものと、作られた当時の金箔をあしらわれていた姿のものがそれぞれ展示されていました。
 その時に驚くべき光景を目にしました。それは、展示されていたクローンの釈迦三尊像の前で、入館者の何人かが手を合わせて祈っている姿でした。

 私は混乱しました。

 この釈迦三尊像はクローンであり、芸術として展示されているはずなのにこの入館者はあたかも本物の仏様に接するように手を合わせているのです。
 しかし私はハッとしました。法隆寺の釈迦三尊像も仏様のお姿を写した世界の何千か何万かのお姿の一つであって、「本物」のお釈迦様ではないではないか。
 しかし私たちは寺院に安置された仏像の前に額ずき、手を合わせている。とするとここにいらっしゃるクローンも一つのお姿と言えるのではないか。
 もし私が複数のお姿が存在することを否定するのであれば、あのテロリストタリバンの偶像崇拝禁止を認めることになりはしないか。
 今回の展示の真意を図るべく2000円の図録を買い求めました。果たして図録で東京藝術大学の見解は芸術としてのクローンの可能性について積極的に論じていますが、「本物」と「レプリカ」の違いについては書かれていません。
 この論点自体が余計なお世話なのかもしれませんが、口にあわを飛ばしてこのことを話した私は娘に、
 「ある姿を自分の祈りの対象であると信じた時に、そこに本物が存在するんだよ」とあっさり論破されました。おそるべし。





長野市長選挙出馬の意向を固めました

2021-03-22 01:06:00 | Weblog
私、土屋龍一郎は、本年2021年10月24日告示31日投開票される長野市長選挙に出馬する意向を固めました。前回2017年に『こんなもんじゃない、長野市!』を掲げ出馬、落選して以来長野市各地を回って皆さんのお話を聞き、これからの長野市について考え続けてまいりました。長野市内を歩き回って、ますます長野市の底力を信じるようになりました。長野市は折しも2019年台風19号による被災を経験しました。追い討ちをかけるように新型コロナウィルス蔓延による不安な毎日が続いています。明日の安心、未来の安心を取り戻すために長野市の底力を活かした新しい長野市つくりを推進すべく決心を固めました。皆様どうぞよろしくお願いいたします。
信濃毎日新聞 令和3年3月3日付け
新人の土屋氏、出馬へ 10月31日投開票の長野市長選|信毎web

新人の土屋氏、出馬へ 10月31日投開票の長野市長選|信毎web

 任期満了(11月10日)に伴う長野市長選で、前回選に立候補して落選した会社役員の新人、土屋龍一郎氏…

信毎web

 

2021年 丑年!

2021-01-01 00:00:40 | Weblog


2021年になりました。
丑年です。土屋龍一郎は、年男です。9月16日の誕生日で還暦を迎えます。
人生100年時代の60歳といえばまだまだこれからです。
頑張ります。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

アフターコロナの新しい生活様式 長野編

2020-11-02 07:07:22 | Weblog
「朝、畑やってから会社へ来るんだ」

私の周りでもこのライフスタイルは定着しています。自分の家庭で食べる分の野菜やお米を作っている自給的農家のみならず、会社勤めをしながらもある程度出荷している兼業農家の知人もいます。
私もコロナ禍で、ほんの小さな家庭菜園を始めました。生まれて初めて自分の菜園で採れたジャガイモ、トマト、ネギは今まで食べたことのない感動的な味でした。そうなると出勤前や休日の朝、野菜の具合を見に菜園に寄ることが楽しくなってきます。赤く熟れたトマトを採ったり、畑仕事のご近所さんたちの教わりながら新しい野菜を植えたりしているともっともっと農業に関わりたくなります。

アフターコロナでは新しい価値観の世の中が来るのでしょうか

2020-05-17 22:19:14 | Weblog

新型コロナウィルスが終息した後には「全く新しい価値観の世の中になる」と発言する人たちがいる。
そんな気がしないでもない。
それはどんな世の中なのか。期待するような良い世界なのか?
もしアフターコロナの世界が良い世界だとすれば、これまで人間が築き上げてきたこの世界は正しくなかったのだろうか?
また、長い年月をかけて積み上げてきたこの世界が、2020年に爆発的に拡大した新型コロナウィルスという突然の事件であっという間に変わってしまうほどヤワなものなのか?

多くの人は元のこれまで通りの世界に早く戻ることを望んでいるのではないだろうか。
もちろん、テレワークが進んで往復の移動時間が減るとか、そもそも生産性の低い会議がネット会議で簡便になって負担が減る、ことは考えられる。けれどそれはこの時代のあり方としてすでに提案されながらもなかなか進まなかった仕組みがこの新型コロナウィルス事件で一気に進むきっかけになっただけだと思う。

「ウィルスがこれまでのなにかをぶっ壊してくれて私たちの知らない新しい価値観の世界になって欲しい。そしてその新しい価値観の世の中を見てみたい。」という他動的で無責任な態度ではなく、この事件をきっかけに自ら手を挙げて断捨離して、なかなか進まなかった現代のアイディアを推進する力の一部になってゆきたい。


16番目の月

2013-09-20 10:58:12 | Weblog
9月19日は中秋の名月、十五夜だった。
女房と、近くの小学校のグラウンドでワンカップと月餅でお月見をした。
満月をつまみに酒を楽しむ・・日本人は風流だなあ。などと言いながら体育館の空に上がった見事な満月を楽しんだ。

荒井由実(ユーミン)が1976年に発表した4番目のアルバムに「14番目の月」がある。アルバム全体が若々しくてアイディアにあふれている。
演奏も日本のポップスがテクニカルに飛躍する初期で、あんまり電気的な処理をしすぎていないけれど、超テクニシャンであるメンバーが、思いっきり大技を繰り出している。これ、素人には楽器のコピーが大変だった。個人的には彼女のアルバムのなかで一番好きだ。

「14番目の月」は、そのアルバムのA面2曲目。
「次の夜からは、欠ける満月より、14番目の月が一番好き」という、衝撃的な歌詞のサビで盛り上がる。この曲が発表されるまでに十五夜の前日の月を気にしていた人、手を挙げて。
wikiによると、古い映画の中にこのタイトルが科白に出てきたらしいけれど、ちょっと斜めから見ているような、ユーミンの歌詞は強く焼き付いた。

ちなみに、スピッツがハードロックでこの曲をカバーしていて、これはこれでカッコイイ。息子達はこっちの方が先に聞いていてオリジナルだと思っていた。

というわけで、本日は「16番目の月」である。
だからどうした、と言われるとこまるけれど、「昨日は十五夜だったのだなあ、欠けてきた月なんだなあ」と思いながらきっとワンカップを飲むと思う。これも風流では・・・

面接

2013-09-12 07:00:00 | Weblog
面接
何人かの方をまとめて就職面接をする機会があった。
一人当たり30分ほどの間にいくつか質問をする。
ほとんど全員が合格点の対応だ。つまり、マニュアル的に完成されて面接に臨んできたことが明白だった。人生をかけての面接だから当然のことである。
しかしこちらは、どうにか優劣を付けなくてはならないから、答えにくい質問やら引っかけまじりの質問をする。

「小中学生に人生の目標を早く決めさせた方が良い」かどうか?
全員が「そうだ」と答えた。
ところが、その日に面接に来た人は大学で、あるいは違う職場からあらたな挑戦として面接に来た人もいた。

「あなたの人生はそうではありませんでしたよね」とちょっと意地悪な次の質問を向ける。
答えA「だからこうならないように子どもたちに早くから目標を決めるように言いたいのです。」
答えB「目標通りに行かなくても良いんです。まずは目標を決めろと言いたいのです」

ある種の専門的な職業は、習熟まで時間がかかるから早くその道を歩み始めて集中して極みに近づくことが大切だ。
そのためには早くから目標を決めることは大切だ。

しかし、私自身いくつかの仕事を兼務した上、ボランティアなども兼任している。
更に言えば今後どんな人生を歩むのかもなかなか見えて来ない。
あせりもあるし、苦労もあるけれど、私なら「私のような人生の大人もいるんだよ」と伝えてあげたい。

写真は2000年と2012年のプロフィール写真
若返っているような・・・



September 11th

2013-09-11 07:00:00 | Weblog
9月11日。
2001年の9月11日、アメリカで世界貿易センタービルへの旅客機衝突など、複数のテロが同時に多発した。

その報道がされた時に、あなたはなにをしていましたか?
ほとんどの人が「その時」のことを覚えている。

そのとき私は、ニューヨークにいた。
まさに同時多発テロが起きていた時に現場に居あわせたのだ。
日本青年会議所が10年の準備期間を経て国連のNGOに認定されたので、世界NGO summitに出席する予定だったのだ。
国連でのスピーチをすべく、ホテルで準備していた私に、同行していた仲間から「何か起きたのか判明しませんが緊急事態のようです。部屋から出ないでください」との連絡。直後に「テレビを見てください!」。前夜の会食会で夜景を見た世界貿易センタービル(ツインタワー)に無音の飛行機が突っ込んでゆくシーンが何度も流された。
あわてて、窓を開けると大渋滞の道路を何台ものパトロールカーが大きなサイレンを鳴らしながら走り回っている。
目の前のビルの向こうにものすごい煙が見え、鼻をつく煙のにおいがした。

当然、NGO summitは延期され、私の国連でのスピーチも流れ、予定していたいくつかの懇談会もキャンセルされた。
それでも、とあるNGO代表とホテルで面会したが、お互いにそれどころではなく、集中出来ないまま解散した。

土産物店から一斉にツインタワーの模型が消えた。人々が互いに疑心暗鬼になり、他人を見る目が猜疑心に満ち、おびえた。
revengeリベンジ=復讐 ということばがはやった。
私は、「今後もNGO会議に出席を続け、毎年グラウンドゼロに戻る」との誓いをたてた。私のリベンジだった。

2008年、OBである私が会議に出続けることを不審に思った主催者が、私のリベンジを知った。
彼は小会議のなかで私に、世界各国のNGOの前で「9.11と平和」についてのスピーチの機会を与えてくれた。
長男を連れて入った会議場でプレゼンテーションをした私は、小さなリベンジを終了した。

あの同時多発テロから12年目。
9月1日が日本人にとって関東大震災の教訓を忘れぬ防災の日であり、3月11日が東日本大震災の忘れ得ぬ日である。
9月11日は世界の敵意と悲しみを教訓とする1日である。