奥様は海外添乗員〜メモリアル

病室で迎えた誕生日

       

昔のイメージだと病室には必ず大きな花瓶に生けられたお見舞いの花、ってのがつきものだったように思うけど、今どきはちょっと勝手が違う。大きな花瓶なんてものを置いても実際自由に動き回れない病人には面倒な代物だろうし、診察する側にしても時には邪魔になるだろうし?その辺の事情はあらかじめ分かっていたから、できるだけ小さな花束にした。私の大好きな黄色のガーベラ。花言葉とかそんなものはどうでもよくて、少しでも病室が明るくなればと思って、今朝買って行った。

60歳を過ぎてからはさすがにあちこちが悲鳴を上げだして今までにも入院経験はあるから、今回もケロッとした顔はしてるけど、心の中じゃきっとあれこれ考えてるんだろう。それでも術後の回復は今のところ順調。今後の治療についてはまだ説明がないけど、急がず騒がず、長く病気と向かい合っていくことになるんだろう。

嫁に出てからは特に実家に帰ってもたいした話しをすることもなかったけど、この病室でたわいもない話をしながら過ごすこの時間は、ひょっとしたらとっても大切なものになるかも知れない。遠い将来、そういえばあの時は…なんてね。思い出すといえば、ここ数日病室で過ごす間にやたらと子供の頃のことを思い出した。夫婦共働きだったわが家は常に留守がちで、下の弟が生まれる頃までは下校後、近所の親戚の家で過ごすことも少なくなかった。その弟の出産で母が入院していた時も、夜になって父が迎えにくるのを待っていた。でも本当は母が一緒に迎えに来てくれるのを心待ちにしてたんだよねぇ。

私の脳裏にくっきり思い出されるシーン、その時もやっぱり母が一緒でなかったことに9歳まじかの私はもうがっかりで、多分泣きべそ状態だったんだろう。困ったように父はひと言、「弟ができるんだぞ。お姉ちゃんになるんだからな。」と。それにしても父はよく家事をする人だった。せざるをえない、と言った方が正しいかも知れないけど、掃除も洗濯も、買い物も料理も。定番はきゃべつの芯まで入った野菜炒め。またか、っていつも思ったけど。忙しい母とそれを助ける父の後姿を見て私は育った。「男性は外で働き、女性は家で家事」な~んて昔ながらの家族の図は私の中には微塵もない。だからついつい私も留守番隊に甘えてしまうんだろうけど。

そんな父の、今日は71歳の誕生日。早く大好きなカラオケができるくらいよくなって下さい。


← つまらない昔話におつき合いありがとう。

最近の「日常」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2024年
2023年
人気記事